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第17話 太公主は皇帝の襟巻きを作りたい
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そんなことをつらつらと思い出していたら、太公主はアリカにどうしたの? と問いかけてきた。
「いえ何でもございません。ふと軽い眠気を。申し訳ございません」
「良いのですよ。子を為した方は眠いもの。そんな方々を沢山見てきましたもの」
ふふ、と彼女は微笑む。
「私も欲しくないと言えば嘘になるけれど」
「太公主さま」
「あの方は私が死んだりしたらどうなるか判らないですから」
さらり、とそれでも彼女はアリカに釘を刺した様に感じられた。
「でももうその心配もしなくて良いのだと思えば、私はとても貴女に感謝しているのよ。ぜひ元気な皇子をお願いいたします」
はい、とアリカは答えるしかなかった。
やはり歳を重ねている女性はいくらおっとりしている様に見えても決してあなどってはいけない。ここで必要なのは知識ではなく知恵なのだ。
「ところで、私にもこれが作れたりするかしら」
編み飾りを手に取り、太公主は目の前にかざす。
「失礼ですが、細かい作業はお好きですか?」
「刺繍は好きよ。そうだツェン、あれを持ってきてくれないかしら」
同年配くらいの側仕えに軽く命じる。あれ、で通じるらしい。
「私の乳姉妹なの。彼女がその母親から教わったものを私も先を争う様に覚えたわ」
やがて側仕えのツェンは手に畳んだ大きな布を乗せてきた。
「見て」
ツェンと共に太公主が広げてみせた布は、彼女達が囲んでいるテーブルよりずっと大きかった。
濃茶の絹地の上は、明るい黄色の鎖目で全体を二十五の升目に仕切られている。その中にはそれぞれ異なった文様が地の色を殺すことない配色で刺されている。
「……見事なものです。これは太公主さまが?」
「いいえ、私だけでこれは作れないわ。私の母の故郷に伝わっていた、嫁入りの時の布に似せて私達で作ってみたの。刺し方はツェンの母、私の乳母が教えてくれたわ。刺繍の名手だったの」
実の母親はどうだったのか。それは皇帝から聞いてアリカも知っている。
ヤンサシャフェイ太公主を産んで後も、身体は元々頑健だったのか、副帝都で一緒に暮らしていた。
ただ何処かで唐突に頭の中の世界が揺らいでしまったのだ、と皇帝は説明してくれた。
「お母様も名手だったのよ。ツェンの母親のキエと一緒に育っているし」
だがそのキエと、太公主が成人する少し前に、宮中の深く作られた池の中に身を沈めてしまったらしい。
無論太公主はそれを知っている。だが口にはしないだろう。この黙って控えているツェンも同様だ。
「私はこの様に素晴らしいものを作ることができる程手が器用ではございませんので……」
「ええ勿論、これを作った女官を回してくださればいいわ」
「わかりました。ところで太公主さま、これは私のただの興味なのですが」
「何かしら」
「どんな模様のものを……」
「嫌だ、違うのよ」
彼女は笑顔で手をひらひらと振った。そして懐から紙包みを出し、アリカに渡す。あ、と思わず声が出た。
「こういう糸で編めないかと思って。模様はややこしくなくていいの」
「これは…… もしや、その、草原の……」
「ええ。毛の多い四つ足が結構居るところがあってね。それで向こうでは冬の寒い時に下に着る服のための布を織ったりするの。だけど織る道具がここには無くて」
ねえ、とツェンに同意を求める。
紙包みの中にあったのは、毛を縒り合わせた糸だった。くすんだ灰茶色のそれは、決してそれだけでは美しいとは言いがたいものである。
「それでもこの手触りが好きで、幾つか母の郷里から取り寄せていたの。……こんな太い糸では無理かしら」
「布を編まれるのですか?」
「いえ、このくらいの長四角い……」
いやこんなものかしら、と何度か手で長さを作ってみせる。
「何にお使いになりたいのですか?」
「陛下の襟巻きを」
襟巻き!
その発想がこの太公主から出るとは、とアリカは驚いた。
だが考えてみれば、草原の者達は毛皮で襟巻きや帽子を作る。
「この宮中はとても広くて、冬の、風が強い季節になると冷え冷えとしてしまうの。そんな時に向こうの襟巻きや帽子を使うととても暖かいのだけど、……さすがに、宮中で毛皮は使えないでしょう?」
「使えない…… ことはないとは思うのですが」
「ええ、全く無い訳ではないことは知っているのよ。ただそれは軍装とかに限られるでしょう? 北方へ行く方々の。毛皮は手に入ることがこちらではそう多くは無いのですから。なのでもっと簡単に、それに近い風合いをもったものが作れれば、とずっと思っていたの」
なるほど地域性のことも考えた方がいい、とアリカは思った。まだまだ情報が足りない。
この先この類のものを何かと便利に外に出してみようと思うなら、向こうの民にこれらの糸を市場に出させるということも考えていい。
装飾品と実用。両方可能なのは自分の中の「知識」で知っていた。だがその元になる糸に関しては、もっと現在の状況を知る必要がある、と。
「いえ何でもございません。ふと軽い眠気を。申し訳ございません」
「良いのですよ。子を為した方は眠いもの。そんな方々を沢山見てきましたもの」
ふふ、と彼女は微笑む。
「私も欲しくないと言えば嘘になるけれど」
「太公主さま」
「あの方は私が死んだりしたらどうなるか判らないですから」
さらり、とそれでも彼女はアリカに釘を刺した様に感じられた。
「でももうその心配もしなくて良いのだと思えば、私はとても貴女に感謝しているのよ。ぜひ元気な皇子をお願いいたします」
はい、とアリカは答えるしかなかった。
やはり歳を重ねている女性はいくらおっとりしている様に見えても決してあなどってはいけない。ここで必要なのは知識ではなく知恵なのだ。
「ところで、私にもこれが作れたりするかしら」
編み飾りを手に取り、太公主は目の前にかざす。
「失礼ですが、細かい作業はお好きですか?」
「刺繍は好きよ。そうだツェン、あれを持ってきてくれないかしら」
同年配くらいの側仕えに軽く命じる。あれ、で通じるらしい。
「私の乳姉妹なの。彼女がその母親から教わったものを私も先を争う様に覚えたわ」
やがて側仕えのツェンは手に畳んだ大きな布を乗せてきた。
「見て」
ツェンと共に太公主が広げてみせた布は、彼女達が囲んでいるテーブルよりずっと大きかった。
濃茶の絹地の上は、明るい黄色の鎖目で全体を二十五の升目に仕切られている。その中にはそれぞれ異なった文様が地の色を殺すことない配色で刺されている。
「……見事なものです。これは太公主さまが?」
「いいえ、私だけでこれは作れないわ。私の母の故郷に伝わっていた、嫁入りの時の布に似せて私達で作ってみたの。刺し方はツェンの母、私の乳母が教えてくれたわ。刺繍の名手だったの」
実の母親はどうだったのか。それは皇帝から聞いてアリカも知っている。
ヤンサシャフェイ太公主を産んで後も、身体は元々頑健だったのか、副帝都で一緒に暮らしていた。
ただ何処かで唐突に頭の中の世界が揺らいでしまったのだ、と皇帝は説明してくれた。
「お母様も名手だったのよ。ツェンの母親のキエと一緒に育っているし」
だがそのキエと、太公主が成人する少し前に、宮中の深く作られた池の中に身を沈めてしまったらしい。
無論太公主はそれを知っている。だが口にはしないだろう。この黙って控えているツェンも同様だ。
「私はこの様に素晴らしいものを作ることができる程手が器用ではございませんので……」
「ええ勿論、これを作った女官を回してくださればいいわ」
「わかりました。ところで太公主さま、これは私のただの興味なのですが」
「何かしら」
「どんな模様のものを……」
「嫌だ、違うのよ」
彼女は笑顔で手をひらひらと振った。そして懐から紙包みを出し、アリカに渡す。あ、と思わず声が出た。
「こういう糸で編めないかと思って。模様はややこしくなくていいの」
「これは…… もしや、その、草原の……」
「ええ。毛の多い四つ足が結構居るところがあってね。それで向こうでは冬の寒い時に下に着る服のための布を織ったりするの。だけど織る道具がここには無くて」
ねえ、とツェンに同意を求める。
紙包みの中にあったのは、毛を縒り合わせた糸だった。くすんだ灰茶色のそれは、決してそれだけでは美しいとは言いがたいものである。
「それでもこの手触りが好きで、幾つか母の郷里から取り寄せていたの。……こんな太い糸では無理かしら」
「布を編まれるのですか?」
「いえ、このくらいの長四角い……」
いやこんなものかしら、と何度か手で長さを作ってみせる。
「何にお使いになりたいのですか?」
「陛下の襟巻きを」
襟巻き!
その発想がこの太公主から出るとは、とアリカは驚いた。
だが考えてみれば、草原の者達は毛皮で襟巻きや帽子を作る。
「この宮中はとても広くて、冬の、風が強い季節になると冷え冷えとしてしまうの。そんな時に向こうの襟巻きや帽子を使うととても暖かいのだけど、……さすがに、宮中で毛皮は使えないでしょう?」
「使えない…… ことはないとは思うのですが」
「ええ、全く無い訳ではないことは知っているのよ。ただそれは軍装とかに限られるでしょう? 北方へ行く方々の。毛皮は手に入ることがこちらではそう多くは無いのですから。なのでもっと簡単に、それに近い風合いをもったものが作れれば、とずっと思っていたの」
なるほど地域性のことも考えた方がいい、とアリカは思った。まだまだ情報が足りない。
この先この類のものを何かと便利に外に出してみようと思うなら、向こうの民にこれらの糸を市場に出させるということも考えていい。
装飾品と実用。両方可能なのは自分の中の「知識」で知っていた。だがその元になる糸に関しては、もっと現在の状況を知る必要がある、と。
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