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11.「転校先を教えて欲しいと、私はそう言っているだけです」

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「だから、何処へ行ったのかだけでいいんです!」

 何だ何だ、と高村は職員室の扉を開けた途端、のけぞった。アルトの声だった。それもよく通る、意志の強そうな声だった。

「それは教えられない、と言っているでしょう?」

 今度は教頭の声だ。何事か、と高村は声の方に顔を向けた。
 あ、と高村は小さく声を上げた。
 その横顔には見覚えがあった。
 ショートカットの長身。袖が奇妙に大きい。改造制服だ、と彼は思った。裾もゆったりとした、やや眺めのひだの少ないものに変え、またそれが良く似合っている。

 ……確か彼女は、昨晩見た……

「おや、高村先生、おはようございます」

 面倒臭そうに煙草をふかした島村が、今やっと気付いた、とばかりに高村に声をかける。

「あ、おはようございます。今日はまた、細身の眼鏡なんですね」
「おや、気付いてくれたんだ」

 にやり、と島村は笑った。

「昨日は鼈甲だったでしょう?」
「そう。結構君、いい目しているじゃない」
「視力はいいんです。……それで、どうしたんですか? 一体」

 高村は声をひそめ、視線で教頭達の方を示した。

「あー、えーと、高村先生は、遠野のことは知らなかったんだよね」

 面倒臭そうに、島村は両手を頭の後ろで組む。

「何か、授業ボイコットしているっていう……」
「そう、なーんだ君、知ってたんだな」

 あんたの声がでかいから聞こえたんだ、と言いたい衝動も無くは無かったが、高村はそこであえて止めた。
 遠野の声が、その間にも耳に鋭く飛び込んでくるのだ。何となくその声には「聞き逃してはいけない」という様な力が込められているように、高村には感じられた。

「だって中等は義務教育でしょう? 退学は無いはずですよ?あるんだったら、『転校』じゃないですか」
「……そうとも、言いますね」
「だから、その転校先を教えて欲しいと、私はそう言っているだけです。どうして、それが、駄目なんですか?」

 遠野は一気にまくし立てた。両手を大きく広げたその姿は、確かに演劇部のスタアだ、と言われるのも当然かもしれない。

「……何か、いい声ですねえ……」

 高村は思わずつぶやいた。

「そりゃあ、今やこの学校で一番人気の、演劇部の花形だからなあ。声くらい通るよなあ」
「ああ、そういえば、何でも王様をやったとか……」
「そうだよ。なーんだ、良く知ってるじゃないか」

 煙草をひょい、と上げると、島村は椅子を半分回す。

「だけどなあ、男子より女子に人気があるんだよな、あいつは。おかげで、うちのクラスの女子が大変で大変で。男も決してここの学校、少なくないのに、何だってまあ、女が女に、ああきゃあきゃあと言えるのかね」

 愚痴なのか楽しんでいるのか、島村のその口調では判らない。だが実際、彼女のせいで授業ボイコットする生徒が増えたことは困ったことだろう、と高村も思う。
 だが遠野の言うことにも一理ある気がする。中等学校は義務教育だから、少なくとも「退学」は無いはずということは。

「教頭先生、どうしてそんな、平気な顔できるんですか?」
「あのねえ、遠野さん」

 ため息混じりの教頭の声が聞こえる。遠野の声と負けず劣らずの、よく響く声だった。

「別に私達だって、平気な訳ではないのですよ。だけどそれぞれの御家庭の事情に、学校側もそうそう口出しはできないでしょう?」
「嘘です!」

 間髪入れずに遠野は叫ぶ。思わず高村は肩をびく、と上げた。

「ともかく!」

 そして教頭も、そんな遠野に対して、一歩も退かない。
 当然だろう。対峙している遠野の母親以上の歳の、しかも現場で大勢の教師の指揮をとっている人物なのだ。
 いくら遠野の声や態度に毅然としたものがあったとしても、たかが十代半ばの小娘に、ひけを取るはずが無いのだ。しかもこの職員室という、彼女の職場で。

「判りました」

 ぴしり、と遠野は背筋をしゃんと伸ばして言い放った。

「それがそちらの言い分なのですね。それなら、もう、いいです。私は私のやりたい様にさせていただきます」

 失礼します、と彼女は一礼すると、くるりと教頭に背を向けた。そしてそのまま早足で、職員室を出て行こうとする。

「……何じろじろ見てるんですか!」

 え、と不意に掛けられた言葉に、高村は間抜けな口調で返す。動きの一つ一つに、無意識に華がある遠野に、自分が思わず見入ってしまっていたことに、高村は気付いた。

「そこ、どいて下さい」

 慌てて高村は横に退く。ちょうど通り道を塞いでいたのだ。
 それを見ていた島村はぽん、と肩を叩き、ふっと鼻で笑った。

「……高村先生、駄目だねえ、女生徒に負けてちゃ」

 言い返す言葉は高村にはただの一つも無かった。確かに自分は、遠野の剣幕に完全に圧倒されていたのだ。
 正直、見ている分にはいいが、直接ご対面はしたくない相手だなあ、と彼はその時、しみじみと感じた。
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