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4章-11

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「――シャラ」

 ふと肩をゆすられていることに気がついて、シャラは薄く目を開けた。

 どうしてか周りの景色が横に見える。

「シャラ、大丈夫?」

 おかしな視界の中に、やはり横向きの顔が入ってくる。

 それがガッタだと気付いてシャラは飛び上った。

「え? え、あ、ガッタさん?」
「おはよう。気持ち良さそうだったね」

 頬をゆるめる彼を前に、シャラはひとり時間に置いて行かれたような気分で自分の恰好を確認した。

 身体は完全にソファに横になっており、やりかけていたレース編みは絨毯の上に落ちている。
 目元もひどくだるいし、口の中も渇いている――そこでようやく、シャラは今自分が完全に眠っていたらしいことに気がついた。

「あの、ご、ごめんなさい! わたし、いつの間に……」
「いいんだよ。きっと疲れてたんだ」

 ガッタのやさしい言葉に恐縮しながら、シャラはいそいそとソファに座りなおした。

 素早くスカートの裾を整えて、レース編みを拾い上げる。

 手紙を書く時間は以前ほどではなくなって、空いた時間にレースを編むのが日課になったのだ。

 もうイナ公女のようにモチーフも編める。

 さすがに、寝入ってしまうほど神経を使っている自覚はなかったが。

「シャラ、お茶にしよう。エージャがお菓子を焼いてくれたんだ。こっちは妹たちにお土産」
「あ……ありがとうございます」

 お茶と、お皿と、土産の包みを受け取って、シャラは早速ひと口、お菓子を食べた。

 あまい、けれどほんのりとハーブの香りのするお菓子だ。
 この前食べたナッツのパウンドケーキも、こんな香りがしていた。

 おいしい。

 シャラは素直にそう思ったが、以前のように浮き立つ気分にはならなかった。

 あの日――ソーレイが大勢の騎士に囲まれているのを目撃してから、シャラの心は海の底に沈んだようだった。

 腕利きの料理人が作ってくれるおいしいお菓子にも、エージャが結ってくれる最新の髪形にもちっともときめかないし、公家に献上された季節外れの花を見てみても、まばたきする間に痛めつけられているソーレイの姿がちらついて、つらい。

「ねえ。キミ、近頃ソーレイと話さなくなってない?」

 お茶をそそぎながら、ガッタはつぶやいた。

 口調は穏やかだった。
 しかしシャラは、うつむくことでその問いかけから逃げる。

 事実だったのだ。

 それこそ「騎士の習慣」を目にしたその日から、シャラはソーレイの顔をまともに見られなくなっている。

 ソーレイは努力をしたのに、頑張ったのに、プロポーズは五秒でふいにされ、理不尽な暴力に遭い、なんだか散々。

 ソーレイが数持ちになどならなければ……騎士にならなければ……昔、自分と約束なんかしなければ……そうさかのぼっていくうちに、ソーレイの今の境遇はすべて自分が招いてしまったかのような気になるのだ。

 まともに声なんて、かけられない。

「ねえ、シャラ。キミを悩ませるものは何なの?」
「…………」
「キミが隠していることに関係してるの?」
「……………」
「前に問い詰めた時にもキミは言ったよね。『悪いのはわたしだ』って。キミは、彼にあやまらなきゃいけないようなことを隠してるの?」
「………………」

 ゆっくりと、丁寧に降ってくる言葉に、シャラはひたすら沈黙を通した。

 何も言えないのだ。そのとおりだから。

 シャラは、ソーレイに謝罪しなければならないことがある。
 それは、シャラがずっと隠し通してきたことで、かつ、誰の目にもシャラが悪いと判断できる大きな罪だった。

 言わなければ、と、もう何度も思っていた。
 でも結局言えなかった。
 それが自分の首を絞めているのだと、分かっていて。

「あのね、シャラ。これでも僕、わりとソーレイのこと気に入ってるからね。彼にはこの国で三番目くらいには幸せになって欲しいと思ってる」

 ガッタが、子どもに絵本を読んで聞かせるように言葉を紡いだ。

「三番……?」
「うん。一番と二番は僕と僕の奥さんになる人だからね。譲れないんだけど」

 そこでいったん、ガッタは彼らしく笑って、

「四番目はキミだよ、シャラ」

 耳をくすぐるようにささやいた。

「わたし……ですか?」
「そう。三番がソーレイだからね、彼の奥さんが四番目。ソーレイがいっときでも結婚したいと思ったんだ、今のところキミが四番目だよ」

 熱っぽく言ったあとで、ガッタはじいっと、シャラの目を覗き込んできた。

「キミが隠してること――そう、プロポーズ断った理由、僕に教えて。キミを楽にしてあげたいんだ。キミはこの国で四番目に幸せにならなきゃいけない人だし――それに、キミのそんなに苦しそうな顔……僕には見てられないから」

 あまい顔立ちと、とろけるようなささやき。やさしい言葉。

 不思議だった。

 彼の瞳をのぞいていると、小さく凝り固まっていた気持ちが外側からゆるんでいくようだ。
 じわりと胸の奥が熱くなって、まるで、ぬるい湯につかっているような曖昧な心地よさがある。

 シャラはくらくらと、酒に酔ったようにその声に誘われた。

「ソーレイ君には……言わないでくれますか?」
「いいよ。僕は言わない」

 力強く即答されて、シャラはいっぺんにそれにすがった。

 あれほどかたくなに押し隠してきたのに、どうしてかもう、解放したくて仕方がない。 

「……わたし……」

 それでも、声は震えていた。

「……わたし、ダメなんです……」
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