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1章-1
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おもてでは雪が降っていた。
それは石畳に触れるや消えるあわい雪で、風が吹けばゆらり、揺れて、不意に中空で姿を消したりもする。
(ああ……切ない……)
ソーレイ・クラッドは暖炉の炎があたたかい酒場の中から、ぼんやりと初雪の景色を眺めていた。
もう真っ黒に染まった夜の空に、雪の精は存外にくっきりと見える。
けれどそれはひとつも残ることはなく、地上に至るなり消滅してしまう。
窓をこじ開け腕を伸ばしても、結果は同じ。
手の平に触れるとやっぱり雪はとけて消えた。
「はあ……」
「――そこ開けられると地獄のように寒いんだけど」
不意に、テーブルの向かいから声がかかった。
見れば友人ガッタ・ルーサーが、カッと見開いた目から凶暴な視線をよこしている。
彼の後ろの席にいた体格のいい男たちも、文句こそ付けてこなかったが威圧的にソーレイをにらんでいた。
冬の冷え込みが厳しいカリブ公国では、身体をあたためるために酒を求める人が多いのだ。
わざわざ冬風を誘いこむ暴挙を、笑って見ていてくれるはずがない。
「……怖」
ソーレイはそれらの視線をするりと避けて、窓の外、しんしんと降る雪に目を細めた。
「おまえには見えないのか、ガッタ。俺の初プロポーズがどんどん空から降って消えていく」
「降ってるのは雪であってキミのプロポーズじゃないからね。ついでに雪ひとつ捕まえたところでキミがふられた事実は覆らない」
容赦なく言って、ガッタはソーレイに構わず窓を閉めた。
ぴしゃり、閉まる間際にテーブル一帯に冷気が満ちて、ソーレイは思わず肩を縮める。
「さむ……」
「自分のせいでしょ」
あくまで冷淡に言い放って、ガッタはグラスを傾けた。
ソーレイは小さく「スンマセン」とあやまって、いそいそとテーブルの下に両手をしまう。
一瞬外気にさらしただけの指先は、それでも芯まで冷えていた。
ソーレイ・クラッド人生初のプロポーズが大きく空振りした、その夜である。
朝ははつらつとして家を出たソーレイは、今や長らく床に伏していた病人のように全身力をなくして窓の外を眺めている。
先ほどからずっとだ。
祝杯を上げるために来るはずだったなじみのパブでやけ酒をあおらねばならず、そんなふうだから大好きな黒ベリー酒も不味くて不味くて、彼のグラスは一向に空かないまま時ばかりが流れていく。
(……シャラもこの雪見てんのかな)
ふと、ソーレイは先刻あっさりとふられた相手のことを思い出した。
子どもの頃から変わることのない、あわい金色をした長い髪。
いつもどこかキョトンとしたように物事を見つめる緑色の瞳。
小さな背丈。カエデのような手のひら。珊瑚のような、くちびる。
順々に思い出され、その立ち姿がはっきりと脳裏に浮かびあがると、たちまち、彼の身体は地表に吸い寄せられるように重くなった。
ソーレイは、この求婚を断られるとは思っていなかった。
それ以前に、そんな可能性すら考えていなかった。
昔別れ際に彼女は確かに頷いたのだし、頷いてくれたからには待っていてくれると信じていた。
そうそれはまるで、何か読み慣れた本のストーリーをなぞっていくように。
しかし現実は、五秒でふられた――。
「それでは一曲参りましょう」
カウンター脇で年若い笛吹きが陽気なメロディを奏で始めた。
日が落ち、労働者が森から引きあげて来る時分ともなると、酒場はそれだけでにぎやかになるが、そこに笛の音が加わると、途端に喝采が起こって店はますます賑々しくなる。
歌まで始まった。
古来より「森の女神の生まれし土地」と呼ばれてきた森林大国・カリブ公国に伝わる、「木こりの切り出し歌」だ。じきに野太い声での大合唱になるだろう。
ソーレイは活気に満ち満ちた店内を恨めしい気持ちで見回し、やるせない気持ちを重い吐息に混ぜた。
みな今日も一日よく働いたのだ、羽目を外すのは決して悪いことではない。
分かっている。しかし、分かっていてもため息は出る。
「……もうそろそろため息やめてくれない?」
打ちひしがれるソーレイの目の前で、親友ガッタ・ルーサーが呆れたようにそう言った。
「せっかくキミの失恋話がいい肴になってたんだから。ため息でわざわざ不味くしないでよ」
「何がいい肴だ」
情け容赦のない友の言葉にソーレイは口を尖らせた。
このガッタ・ルーサーという男は、ふわりと波打つ薄茶の髪や、細目のくせに目じりの垂れた顔立ちで、一見妙にあまったるい印象を与える。
その姿につられて彼を恋い慕う女性は多いが、実際の彼は見た目どおりのあまい人間ではない。
「ガッタ……ちょっとくらい同情してくれてもよくないか?」
やけ酒に付き合わせて早数時間。
未だ一言の慰めもくれない友に、ソーレイは正面切って催促を試みた。
しかしこの毒舌家は励ますどころかすまし顔で返すのだ。
「同情できる話ならするけどね。キミの場合それに該当しない。キミふられて当然でしょ」
「なにをー!」
理不尽に断言されて、ソーレイは思わず腰を浮かした。
すると相方からは「文句ある?」とでも言いたげな、氷のような視線が返ってくる。
それは石畳に触れるや消えるあわい雪で、風が吹けばゆらり、揺れて、不意に中空で姿を消したりもする。
(ああ……切ない……)
ソーレイ・クラッドは暖炉の炎があたたかい酒場の中から、ぼんやりと初雪の景色を眺めていた。
もう真っ黒に染まった夜の空に、雪の精は存外にくっきりと見える。
けれどそれはひとつも残ることはなく、地上に至るなり消滅してしまう。
窓をこじ開け腕を伸ばしても、結果は同じ。
手の平に触れるとやっぱり雪はとけて消えた。
「はあ……」
「――そこ開けられると地獄のように寒いんだけど」
不意に、テーブルの向かいから声がかかった。
見れば友人ガッタ・ルーサーが、カッと見開いた目から凶暴な視線をよこしている。
彼の後ろの席にいた体格のいい男たちも、文句こそ付けてこなかったが威圧的にソーレイをにらんでいた。
冬の冷え込みが厳しいカリブ公国では、身体をあたためるために酒を求める人が多いのだ。
わざわざ冬風を誘いこむ暴挙を、笑って見ていてくれるはずがない。
「……怖」
ソーレイはそれらの視線をするりと避けて、窓の外、しんしんと降る雪に目を細めた。
「おまえには見えないのか、ガッタ。俺の初プロポーズがどんどん空から降って消えていく」
「降ってるのは雪であってキミのプロポーズじゃないからね。ついでに雪ひとつ捕まえたところでキミがふられた事実は覆らない」
容赦なく言って、ガッタはソーレイに構わず窓を閉めた。
ぴしゃり、閉まる間際にテーブル一帯に冷気が満ちて、ソーレイは思わず肩を縮める。
「さむ……」
「自分のせいでしょ」
あくまで冷淡に言い放って、ガッタはグラスを傾けた。
ソーレイは小さく「スンマセン」とあやまって、いそいそとテーブルの下に両手をしまう。
一瞬外気にさらしただけの指先は、それでも芯まで冷えていた。
ソーレイ・クラッド人生初のプロポーズが大きく空振りした、その夜である。
朝ははつらつとして家を出たソーレイは、今や長らく床に伏していた病人のように全身力をなくして窓の外を眺めている。
先ほどからずっとだ。
祝杯を上げるために来るはずだったなじみのパブでやけ酒をあおらねばならず、そんなふうだから大好きな黒ベリー酒も不味くて不味くて、彼のグラスは一向に空かないまま時ばかりが流れていく。
(……シャラもこの雪見てんのかな)
ふと、ソーレイは先刻あっさりとふられた相手のことを思い出した。
子どもの頃から変わることのない、あわい金色をした長い髪。
いつもどこかキョトンとしたように物事を見つめる緑色の瞳。
小さな背丈。カエデのような手のひら。珊瑚のような、くちびる。
順々に思い出され、その立ち姿がはっきりと脳裏に浮かびあがると、たちまち、彼の身体は地表に吸い寄せられるように重くなった。
ソーレイは、この求婚を断られるとは思っていなかった。
それ以前に、そんな可能性すら考えていなかった。
昔別れ際に彼女は確かに頷いたのだし、頷いてくれたからには待っていてくれると信じていた。
そうそれはまるで、何か読み慣れた本のストーリーをなぞっていくように。
しかし現実は、五秒でふられた――。
「それでは一曲参りましょう」
カウンター脇で年若い笛吹きが陽気なメロディを奏で始めた。
日が落ち、労働者が森から引きあげて来る時分ともなると、酒場はそれだけでにぎやかになるが、そこに笛の音が加わると、途端に喝采が起こって店はますます賑々しくなる。
歌まで始まった。
古来より「森の女神の生まれし土地」と呼ばれてきた森林大国・カリブ公国に伝わる、「木こりの切り出し歌」だ。じきに野太い声での大合唱になるだろう。
ソーレイは活気に満ち満ちた店内を恨めしい気持ちで見回し、やるせない気持ちを重い吐息に混ぜた。
みな今日も一日よく働いたのだ、羽目を外すのは決して悪いことではない。
分かっている。しかし、分かっていてもため息は出る。
「……もうそろそろため息やめてくれない?」
打ちひしがれるソーレイの目の前で、親友ガッタ・ルーサーが呆れたようにそう言った。
「せっかくキミの失恋話がいい肴になってたんだから。ため息でわざわざ不味くしないでよ」
「何がいい肴だ」
情け容赦のない友の言葉にソーレイは口を尖らせた。
このガッタ・ルーサーという男は、ふわりと波打つ薄茶の髪や、細目のくせに目じりの垂れた顔立ちで、一見妙にあまったるい印象を与える。
その姿につられて彼を恋い慕う女性は多いが、実際の彼は見た目どおりのあまい人間ではない。
「ガッタ……ちょっとくらい同情してくれてもよくないか?」
やけ酒に付き合わせて早数時間。
未だ一言の慰めもくれない友に、ソーレイは正面切って催促を試みた。
しかしこの毒舌家は励ますどころかすまし顔で返すのだ。
「同情できる話ならするけどね。キミの場合それに該当しない。キミふられて当然でしょ」
「なにをー!」
理不尽に断言されて、ソーレイは思わず腰を浮かした。
すると相方からは「文句ある?」とでも言いたげな、氷のような視線が返ってくる。
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