キミと猫と、恋のお話

きりしま

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4 キミとカフェと、涙のお話

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 土曜日は、あいにくの雨だった。

 わたしは水色の傘を握りしめ、待ち合わせの二十分も前にイチョウ公園に着いてしまっていた。

 汚れてもいい格好でと言われていたけど、前日の夜に「おしゃれしなよ? 絶対だよ?」と佐緒里から釘を刺されていたので、袖口がふんわりしたパステルオレンジのカットソーにデニムを合わせてみた。

 天気が悪いからアウトドアの可能性はないと確信してるけど、いちおう足元はスニーカー。
 バッグは小ぶりなフェイクレザーのリュック。
 この格好で正解なのかな。
 的外れだったらどうしよう。
 
 なんてことを考えながら、どきどき、そわそわ。
 一分おきにスマホを見ながら待っていると、約束の時間の五分前に永人くんが姿を見せた。
 イチョウ公園でも、わたしが入ってきた入り口とは反対の方からだ。

「マルちゃん。ごめん、待ってた?」

 そう言いながら駆け寄ってくる永人くんは、シンプルなファッションだった。白シャツに濃いベージュのカーディガンを羽織って、細身の黒いパンツを合わせているだけ。でも脚が長いからさまになっている。
 
「マルちゃん?」
 
 ふたたび呼びかけられて、はっとした。
 今、完全に見とれてた。

「ご、ごめん。ぼうっとしてて。永人くん、おはよう」
「おはよー。私服かわいいね、マルちゃん」

 うわー、いきなりそんな笑顔で褒めるの?

「あ、ありがとう。永人くんも、センスいいね。似合う」
「マジで? よかった」

 永人くんの無邪気な笑顔の前で、わたしは得体の知れない何かをごくんとのみこんだ。
 さらっと褒めてくれるの、うれしいけど照れる。
 そして褒めるのはもっと照れる。
 どっちも慣れてないから落ち着かないよ。
 
 行こう、と促されて二人で歩き出したけど、そわそわしすぎてバス停までに何度傘を持ち直したか分からない。
 でも、今日も永人くんがいろいろ話しかけてくるから、少しも気づまりじゃなかった。
 
 自分では使ったことのない路線のバスに乗って、十分ほど。
 降りたところに見覚えがあるような気がしたけど、なにしろまだ地理に詳しくないので自信がない。

「こっちこっち」

 言われるまま、永人くんについていく。
 でも、気づいたら置いていかれそうになっていた。 
 ものめずらしくてわたしがキョロキョロしていたせいでもあるし、そもそも脚の長さが違うせいでもある。
 永人くん、歩くのが速いのだ。
 わたしもよそ見せずに大股でがんばろうとしたけど、水跳ねに気をつけようとしたらどうしても慎重になって、さらに距離が広がってしまう。

「え、永人くん、待ってー」

 たまらず声をあげると、永人くんが振り向き、「うわ」と驚いた。

「ごめん、早かった!」
「ううん。わたしこそ、遅くてごめん」
「いや、俺が悪いよ」

 永人くんが大股で水たまりを飛び越えて、わたしはハムスターみたいに脚を動かして、お互い距離を縮め合って、苦笑い。
 永人くんが藍色の傘の下ではーっと大げさにため息をついた。

「ホントごめん。女の子に慣れてないの、一瞬でバレるなー」

 ぐしゃぐしゃと前髪を握りこむ永人くんを、わたしはきょとんとして見上げる。

「たまたまでしょ?」
「……え?」
「だって、永人くん絶対モテる人だから」
「はあー? モテないって言ったじゃん!」

 すごい勢いで否定されたけど、わたしこの前から、永人くんの「自称モテない」はぜんぜん、まったく、これっぽっちも信じてない。
 
 だって永人くんは背も高いしかっこいいし、清潔感もある。
 なにより、やさしい。
 モテないわけがないのだ。
 
 でも、わたしが納得していないことが分かったのか、永人くんは「ホント、モテないから!」としつこく強調する。

「俺、中学でバスケ部だったんだけどさ。部の決まりで全員丸刈りで、制服は第一ボタンまでしめてないと怒られてさ。チャラチャラしてるヒマがあったら練習しろって言われるし、実際遊んでるヒマないからもうダッサい集団で……あ、丸刈りの俺の姿想像しないでね」
「う、うん……」

 一瞬想像しそうになってた。
 ちょっとかわいいんじゃないかって思ってしまったけど、心にしまっておこう。気を取り直して歩き出す。

「またバスケ部入ったの?」
「ううん。高校ではやんない。たまにストリートでやれればいいかな。バイトもしたいし、進学したいし」
「進路、もう考えてるんだ?」
「いちおうね。獣医目指してるんだ。簡単じゃないけど」

 くるっと傘を回転させながら永人くんは言う。
 わたしはひっそりと感心してしまった。
 彼の思い描いていることが、具体的だったからだ。
 
 それに引き換え、わたしは――と考えて、思わず足元に目を落とす。
 
 手放した猫のことや、離れ離れになった友だちのこと。新しい環境になじめないこと。
 今のことさえ手いっぱいで、先のことなんか考えられない。
 永人くん、えらい。

「マルちゃんは? 中学で部活やってた?」
「わたし? わたしは美術部だったよ」
「へー。俺、絵とかすげー苦手。美術部入るの?」
「どうかな。まだあんまり余裕ないし……」

 そう言って、苦笑いしたときだった。
 わたしは目の前の風景に今度こそはっきりと見覚えがあって、足を止めた。
 
 永人くんがわたしの視線の先を追って、「ああ」と声を明るくする。

「あれあれ。俺が来たかったとこ」

 永人くんが見ているのは、猫のシルエットがあしらわれた看板が出ている店だ。
 猫カフェ『まひる』。

「マルちゃん、猫に飢えてないかなーと思って。――って……マルちゃん?」

 にこにこする永人くんの前を素通りして、わたしはその店の前に立った。
 
 猫のシルエットの看板。
 扉の上についたベル。
 猫の足跡の形をした玄関マット。
 
 はじめてそれらを見たとき、わたしの視界は涙でゆがんでいて、正直ありのままの形で目に入っていなかったと思う。
 
 でも、分かる。ここは――この店は。

「マルちゃん?」

 戸惑う永人くんを置いて、わたしは乱暴に傘をたたんで入り口の取っ手に手をかけた。
 頭上でカランコロンと鳴るベル。
 ガラスの内扉の向こうには大きな木をイメージしたキャットタワーがあって、三毛猫や白猫、サビやキジトラ……と、いろんな種類の猫が思い思いに過ごしている。
 
 わたしは、店員さんがこちらに気づいて駆け寄るよりも早く、ガラスの内扉を開け放った。

「ハチ!」

 呼ぶなり一匹の猫が顔をあげ、しっぽを真っ直ぐ立ててこちらに走ってくる。

 全体がまっ黒な中で顔の真ん中とおなかと手足の先だけが白い、ハチワレの猫。
 必死にわたしの脚に頭をすりつけてくるかわいい子。
 
 たちまち目頭が熱くなった。
 
 かと思うと自分でも驚いてしまうくらい大きな涙がこぼれて。

「ハチ……ハチ!」

 永人くんが硬直しているのに、他のお客さんも注目してるのに、わたしはわたしの大事な猫を抱きあげ、声をあげて大泣きしてしまったのだった。
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