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 胸が痛い。

 心が、痛い。

 今更ながら、目の当たりにするこの醜悪な現実に、奏の心はどんどん凍って行く。

「――」

 奏は、喋ろうとする努力を放棄した。

 こいつらの為に何かをしようとするなんて、そんなのはもう御免だ。

 勝手にするがいい。

 奏は目を閉じて、争い続ける三人に背を向けて横たわった。

 しかし、喧々諤々と言い争う声は病院の廊下まで響いていたのか、看護師が怒りの様子で病室へ踏み込んできた。

「お静かにお願いします! 」

「あっ……も、申し訳ありません……」

「そ、そうだ! ついさっき、この子が気付いたんですよ。ね、奏? 」

「――」

 母親の問い掛けに無言で睨み上げると、さすがに奏の様子が変わっている事に気付いたらしい。

 それまでの奏は、何とか父母の歓心を得ようとして、卑屈な程オドオドと気弱に微笑むばかりだった。

 何を言われても、文句も言わず意見も返さず、ただ微笑んでいた。

 こんな、冷たい目で相手を見返した事は、一度も無かった。

「奏? 」

「…………」

 母の声に、奏は無言のまま、シーツの上に指で字を書く。

『喉が痛むので喋りたくありません』

「あ、そうよね――――それにしても、奏! 本当にバカな事をして! もしもの事があったらどうするの!? 」

「そうだぞ! 父さんも母さんも馬淵さんも、みんな心配したんだからなっ」

「……」

『すみませんでした』

 喉をフォークで突いたが、刃物だったらいざ知らず、先が潰れたようなそれでは深く喉には刺さらなかった。

 しかし、フォークは奏の首の表皮を大きく損じ、首には大きく傷痕が残ってしまうだろう。

 そして、引き攣れた様な傷痕は、絶えず奏を痛みで責め苛むかもしれない――――。

 だが、父母も馬淵も、そんな事はどうでもいいのだ。

 とにかく、傷物になった奏の価値を巡って、醜く言い争いをしている。

 彼等は、奏の身体を心配しているのではない。

――――あくまで、自分達の欲が、どれだけ満たされるのかを心配しているだけだ。

『疲れたので一人にしてください』

 奏は、シーツの上にそう書く。

『お父さまもお母さまも、馬淵さんもお忙しいでしょう。どうぞお帰り下さい』

「えぇ? でも――あなた、明後日まで入院する事になったし……」

 取り敢えず、奏の実の父母だ。

 息子を病院に置いて顔を見せないでは、世間体が悪い。

――――そんな彼らの打算など、とうに見越していた奏は、先回りをした。

『僕は未成年ではありません。僕の事は放っておいても大丈夫ですから、この後のお見舞いも結構です』

 奏のメッセージに、父母は「助かった」というような表情を一瞬見せ、互いに目配せをした。

「あ、そうだな…………うん」

「――――そうね。入院費は馬淵さんが負担なさると仰っているし……なら、ねぇ……」

「じゃあ、我々は失礼しますか――後は、退院する時に来れば…………」

『それも結構です。僕は退院したら大学に戻りますから』

 だがこれに、馬淵が異論を唱えた。

「お前は、オレの番になる役目がある! 家に部屋を用意したから、退院したらそこに来てもらおう」

(番だって? 笑わせてくれる――――)


 お前が欲しいのは、ただの繁殖用の動物だろう?


 冷え切った心で、そう思う。

 甘い夢を捨てて、こうして冷静になってみるとよく分かる。

 どれだけ自分が、おとぎの国のような夢ばかりを見ていたのか。

『それについては、提案があります』

「提案だと? 」

 苛立つ様子を隠さない馬淵に、奏は凍り付いた眼差しを向ける。

 そして彼は、冷たく微笑みながら…………シーツに、また指で字を書いたのだった。

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