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「あの、お父さま……この方たちは? 」

 だが、父親は奏の問い掛けに答えず、無言のままグイッと奏の腕を掴んだ。

「いった……! 」

「まったくお前は、勝手な事をして――少しはこっちの迷惑を考えろ! 黙ってついて来い! 」

 どうやら、奏がハイヤーを降りて一瞬でも逃走した事が、余程気に食わなかったらしい。

 父親も母親も笑顔の一つも見せないまま、怒りの表情を浮かべて奏を睨んでいる。

 そして、奏を取り囲む三人の男達も、同じように苛立っているようだ。

 不穏な空気に、奏は怯える。

「ご――――ごめん、なさい……」

 何か、自分でも思っていなかった以上に、彼らに迷惑を掛けたらしい。

 久しぶりの再会で浮かれかけていた気持ちが、また急速に萎んでいく。

「本当に――ごめんなさい……」

 嬉しくて溢れた筈の涙が、今度は悲しみに変わった。

 ポロポロと、真珠のような涙が奏の頬を滑り落ちる。


「――なに、あれ? 」
「誘拐? イジメ? 」
「ちょっと、可哀想じゃん……誰か……」
 

 この異様な様子に、周りがザワザワとし始めた。

 当然だろう。

 Bホテルの一階は色々なテナントが入っていて、人通りも多い。

 そんなフロアの中央で、小柄な青年を大人達が取り囲んでいる図は、否が応にも悪目立ちする。

 それに、肩を震わせて泣いている奏は、誰が見ても可哀想に見える。

 それを察した男の一人が鋭く舌打ちをすると、奏の腕を掴んでいた父親の肩をポンと叩いた。

「結城さん、ちょっと場所を移しましょう」

「え、そ……そうですね」

 父親は男に促されると、奏に向けていた険しい様相を一変させて、ヘラヘラと愛想笑いを浮かべた。

「や、どうもすみませんね、馬淵さん」

「いえいえ。こうして奏くんも無事に来たのだし、私は構いませんよ」

 そう言うと、馬淵と呼ばれた男はジロリと奏を見ると、次にニヤッと笑った。

 何となく怖くて、奏はゴクリと息を呑む。

 そんな奏に、男は妙に優しい口調で話し掛けた。

「――――ここの10階に最高のディナーを予約してある。では、一緒に行こう」

(え? )

 戸惑う奏であるが、前後を残りの男達に挟まれ、そして何より――――父親と母親が馬淵に愛想笑いを浮かべながら歩き出したことにより、奏も、仕方なしに足を踏み出した。


   ◇


(笙と篠笛は――どうしたんだろう? 今日の会食は? お父さまとお母さまだけ? それに……僕の服装はこれでいいの? 持っている中で一番いいのを選んできたけど……これは、5年前に青柳家を訪れた時に着ていた服だ……色使いもデザインも古い。だから……店で新調するんだと思ってたんだけど……)

 と、いうより、いったい青柳家の面子はどうしたのだろう?

 ここでは、馬淵という男が、リーダーのようだ。

 父と母も揃って、馬淵に愛想笑いをしながら、やたらとおべっかを使っている。

「――そうなんですか! さすがは馬淵さんだ。あの案件を解決するとは、本当にご立派ですよ」

「ホホホ、本当にねぇ。父君の征四郎様も、頼もしい跡取りだと頼りになさっているご様子ですわね」

「いえいえ。そんな事は」

 そうこうしていたら、エレベーターは10階に到着した。

 サッと扉が開いた先には、レストランがあった。

(え? )

 まさか、この馬淵と本当にこのままここで会食をするのか?

 青柳はどうしたのだろう?

 とうとう耐え切れず、奏は声を上げた。

「あ、あの! 今日は青柳正嘉さまとお会いするんですよね!? 」

 奏の、悲鳴のような声に、その場にいた全員が一瞬固まったように動きを止めた。

「お父さま、お母さま! 僕は、こんな格好では彼の前に出られません。お金は――――僕が出しますから、一度替えに……」

 だが、言い掛けた奏の頬を、衝撃が襲った。

「っ!? 」

「お黙りなさい! 」

「お、お母さま……? 」

「あなたは、自分の立場を分かっているの!? 」

「え……? 」

「オメガの、男なんて! せめて女だったらまだしも…………! 」

「そ、そんな……」

 今になって、そんな事を言われても困る。

 それでは、いったい奏に何を期待してここに呼び出したというのか?

「おか――」

「青柳家では、次期当主の正嘉さまの為に、新しい番候補として血筋のいいオメガの女性を選んで、とっくにその方と婚約しています。もはや、あなたの出る幕など何処にもありません! 」

「えっ!? 」

「だから、我々はお前のようなオメガの出来損ないでも構わないという寛大な方を、新たに探したんだ。有難く思え! 」

 父親の方は父親で、そう奏に尊大に言うと、改めて馬淵を振り返る。

「この馬淵さんはな、こうしてわざわざお前の為に会食の場を用意して下さったのだ。さぁ、馬淵さんに礼を言いなさい」

「そ、そんな――」

 奏の頭の中が、まるで洗濯機の中にいるようにグルグルと回る。


 ここには、青柳正嘉はいない。

 そもそも、彼はもう奏の事など、知りもしないようだ。

 つまり、奏の事は、とっくに関心もない? 

――――奏は、一日として彼の事を忘れたことなどないのに。

 正嘉は、もう違うオメガの女性と、婚約したらしい。

 奏は、運命だと思って――ずっとずっと信じていたのに。

 大人になった正嘉が、いつか奏を迎えに来てくれる。

 そして、優しく誰よりも愛されて、奏も彼を愛して――――可愛い子をこの身に宿す。

 その幸せに満ちた日が、いつか来ることを…………。

 ずっと、一途に信じていたのに。

 それが、全部、奏の妄想だったと?


「ウソだ! 」

 奏はそう絶叫すると、身を翻してそこから駆け出そうとする。

 だがその腕を、いち早く馬淵が強い力で掴んだ。

「待てよ」

「いっ――」

 そのまま力加減も何もなく、腕を捻り上げられる。

 痛みに、奏は呻き声をあげた。

「うぅっ……」

「こっちはな、わざわざお前の為に、形式だけでも整えてやろうと気を遣ったんだぞ」

「け、形式……? 」

「結城家の顔を立てて、こうして婚約者の為に会食の場を設けてやるってな。その主役のお前が、ここから逃げたら――今度は、オレの顔を潰す事になるんだぜ」

 最後にギリッと強く腕を捻り上げると、次に馬淵はパッと手を離した。

「な、だから黙ってメシに付き合えよ」

(痛っ――! どうして、こんな……)

 解放されたが、腕が痺れて動かせない。

 ジンジンする腕を庇いながら、奏は、助けを求めるように両親へ目線を向けた。

 だが、両親は最初から、奏に救いの手を伸ばす気はないようだ。

 奏の縋すがるような目線を無視して、馬淵に愛想笑いを浮かべながら、

「本当にこの子は、我が儘ばかり言って」

「どうもすみませんね、馬淵さん」

 と、口をそろえて奏の非礼を詫びるばかりだ。

 そして奏は、馬淵に従っている二人の男に、重圧を掛けられるように無言で促された。

 奏は仕方なしに、痺れる腕を庇いながら、ホールスタッフの案内するテーブルへヨロヨロと歩いた。
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