上 下
52 / 60
二章 士官学校

マールのおつかい③

しおりを挟む








「今年のチーズは量が少ないから、いつもより高いよ」

マールは突然かけられた声に驚いて顔を上げた。知らない声だ。

店の奥から、見た事のない少年がマールを見ていた。

マールより少し背が高い、同い年くらいの少年だ。
彼が着ている服装は、町の子供たちが着ている服とは違っていた。
生成りの麻の生地の貫頭衣のようなローブに腰紐を結び、その上から羊毛の防寒着をマントのように重ねている。

「だれ?」

初めて見る風体に、マールは困惑した表情を浮かべる。

(…何この怪しいやつ)

初対面の知らない相手に、マールは訝しげな目線を向けた。
あからさまな態度だったが、相手は気にすることもなくマールの前の硝子棚の前に近づいてきた。

「俺の親父がそのチーズを作ってる」

少年はマールの警戒した様子を無視して、真っ白なチーズを指差して言った。

「え?コンバルー山の羊飼いなのか」

「そうだ」

そう言いながら、少年は大きく頷いた。
彼の耳朶から垂れた、藍色の耳環が揺れるのをマールはつい眼で追ってしまう。

マールは知らなかったが、少年が着ているのは伝統的な羊飼いの装束だった。
牧畜で生計を立てている彼らは、普段は山で生活をしていて町に降りてくることは珍しい。

「……」

マールは、この少年相手に名乗るべきなのか迷って思わず口を噤んだ。
その様子に羊飼いの少年も、じっとマールを観察している。
気まずい沈黙が流れたところに、威勢の良い女将の声が2人の間に割って入った。

「待たせてごめんねぇ、マール」

慌てた様子で奥から出てきた女将は、小包を届けにきたマールに礼を言う。
娘と同じ蜂蜜色の髪をした、恰幅の良い女性である。

彼女はマールから小包を受け取りながら、うふふと笑いながら2人の少年に話しかけた。

「自己紹介を邪魔しちゃったかしら?」

包みを解く手を止めずに、彼女はそう言いながらマールに目配せをよこしてくる。
自己紹介を暗に促され、マールは苦笑いで口を開いた。

「ちょうど、しようと思っていたとこだったよ」

「あら、そうなの」

女将にしてみれば、息子をあしらうようなものだ。
マールの強がりを鼻で笑って、彼女は続きを促した。








「俺はマール。キヴェの公証案内人だよ。何かこの町で困ったことがあったら言って」

羊飼いの少年に向き直って、マールは少し照れた様子で名乗った。

「俺はヘレンの息子のアシャだ」

マールの差し出した手を握り返しながら、羊飼いの少年も名乗った。独特な名乗りだ。

「アシャって、女の子の名前じゃないの?」

名前を聞いて不思議そうな顔になったマールである。
男でアシャという名前は聞いたことがなかった。

「コンバルー山の羊飼いは、男女逆の名付けが伝統なんだ。ヘレンも親父の名前だからな」

言われ慣れているのか、アシャは涼しい顔でそう言った。
女将が笑いながら、そうそうと相槌を打つ。

「熊みたいにでっかい大男が、ヘレンって名乗るもんだから私もびっくりしちゃったわぁ」

ヘレンは美女と名高い女神の名前だ。
それを聞いたマールは、なんとも言えない表情で口を閉ざした。言わぬが花である。

「親父は最近、町では男性名のブレントって呼ばれることもあるよ。本人はヘレンって呼んで欲しいみたいだけど」

「ふーん。アシャは?」

アシャの男性名はアウグストゥスだ。古代語で「尊敬される者」という意味を持つ古い名前である。

「俺はアシャのままでいい」

アシャは首を振って、静かに答えた。
彼は一族の伝統に誇りを持っている。生まれた時から馴染みのあるアシャという響きを、彼は気に入っていた。

「そっか。俺もどっちでも良いと思う。アシャって響き、お前に合ってるし」

「それはどうも」

他意もなくさらりと言ったマールに、少しくすぐったそうにアシャは肩をすくめた。








しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

なぜか第三王子と結婚することになりました

鳳来 悠
BL
第三王子が婚約破棄したらしい。そしておれに急に婚約話がやってきた。……そこまではいい。しかし何でその相手が王子なの!?会ったことなんて数えるほどしか───って、え、おれもよく知ってるやつ?身分偽ってたぁ!? こうして結婚せざるを得ない状況になりました…………。 金髪碧眼王子様×黒髪無自覚美人です ハッピーエンドにするつもり 長編とありますが、あまり長くはならないようにする予定です

【完結】選ばれない僕の生きる道

谷絵 ちぐり
BL
三度、婚約解消された僕。 選ばれない僕が幸せを選ぶ話。 ※地名などは架空(と作者が思ってる)のものです ※設定は独自のものです

死に戻り悪役令息が老騎士に求婚したら

深凪雪花
BL
 身に覚えのない理由で王太子から婚約破棄された挙げ句、地方に飛ばされたと思ったらその二年後、代理領主の悪事の責任を押し付けられて処刑された、公爵令息ジュード。死の間際に思った『人生をやり直したい』という願いが天に通じたのか、気付いたら十年前に死に戻りしていた。  今度はもう処刑ルートなんてごめんだと、一目惚れしてきた王太子とは婚約せず、たまたま近くにいた老騎士ローワンに求婚する。すると、話を知った実父は激怒して、ジュードを家から追い出す。  自由の身になったものの、どう生きていこうか途方に暮れていたら、ローワンと再会して一緒に暮らすことに。  年の差カップルのほのぼのファンタジーBL(多分)

キスから始まる主従契約

毒島らいおん
BL
異世界に召喚された挙げ句に、間違いだったと言われて見捨てられた葵。そんな葵を助けてくれたのは、美貌の公爵ローレルだった。 ローレルの優しげな雰囲気に葵は惹かれる。しかも向こうからキスをしてきて葵は有頂天になるが、それは魔法で主従契約を結ぶためだった。 しかも週に1回キスをしないと死んでしまう、とんでもないもので――。 ◯ それでもなんとか彼に好かれようとがんばる葵と、実は腹黒いうえに秘密を抱えているローレルが、過去やら危機やらを乗り越えて、最後には最高の伴侶なるお話。 (全48話・毎日12時に更新)

皇帝の立役者

白鳩 唯斗
BL
 実の弟に毒を盛られた。 「全てあなた達が悪いんですよ」  ローウェル皇室第一子、ミハエル・ローウェルが死に際に聞いた言葉だった。  その意味を考える間もなく、意識を手放したミハエルだったが・・・。  目を開けると、数年前に回帰していた。

【BL】水属性しか持たない俺を手放した王国のその後。

梅花
BL
水属性しか持たない俺が砂漠の異世界にトリップしたら、王子に溺愛されたけれどそれは水属性だからですか?のスピンオフ。 読む際はそちらから先にどうぞ! 水の都でテトが居なくなった後の話。 使い勝手の良かった王子という認識しかなかった第4王子のザマァ。 本編が執筆中のため、進み具合を合わせてのゆっくり発行になります。

例え何度戻ろうとも僕は悪役だ…

東間
BL
ゲームの世界に転生した留木原 夜は悪役の役目を全うした…愛した者の手によって殺害される事で…… だが、次目が覚めて鏡を見るとそこには悪役の幼い姿が…?! ゲームの世界で再び悪役を演じる夜は最後に何を手に? 攻略者したいNO1の悪魔系王子と無自覚天使系悪役公爵のすれ違い小説!

生まれ変わりは嫌われ者

青ムギ
BL
無数の矢が俺の体に突き刺さる。 「ケイラ…っ!!」 王子(グレン)の悲痛な声に胸が痛む。口から大量の血が噴きその場に倒れ込む。意識が朦朧とする中、王子に最後の別れを告げる。 「グレン……。愛してる。」 「あぁ。俺も愛してるケイラ。」 壊れ物を大切に包み込むような動作のキス。 ━━━━━━━━━━━━━━━ あの時のグレン王子はとても優しく、名前を持たなかった俺にかっこいい名前をつけてくれた。いっぱい話しをしてくれた。一緒に寝たりもした。 なのにー、 運命というのは時に残酷なものだ。 俺は王子を……グレンを愛しているのに、貴方は俺を嫌い他の人を見ている。 一途に慕い続けてきたこの気持ちは諦めきれない。 ★表紙のイラストは、Picrew様の[見上げる男子]ぐんま様からお借りしました。ありがとうございます!

処理中です...