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二章 士官学校

ベイルート③

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ベイルート・ロンデナートは、正しく名門ロンデナート家の後継として育てられてきた。

彼は初めての出産後に鬱状態になっていたリリーアから生後すぐに引き離され、父親であるエルヴァインの乳母だった古参の侍女が養育係となり、その娘が彼の乳母を務めた。
まだ帝国と国交を再開したばかりの緊迫した世情だったこともあり、帝国派からロンデナートの後継を守るためにと、彼は意図的にリリーアから遠ざけられたのである。

由緒正しいロンデナートの教育を受けて育てられた彼は、ジェイデンにきつく当たる自身の母親…リリーアや、帝国派の取り巻き達から可愛い弟を守らなければと使命感に燃え、周囲がシェイラとジェイデンを非難する度に帝国派への警戒心を強めていった。

そんな経緯もあり、今も彼は実母とは一線を引いた付き合いをしている。
リリーアもまた、自分の意のままにならない長男よりも、手元で育てた弟妹に愛情を注いでいた。







♦︎♦︎♦︎♦︎





「本当に見違える位、大きくなったな」

そう言って、ベイルートは向かいの長椅子に腰を下ろした。

たわいもない話をしている間に、手早くゲイルがお茶の用意を整える。
冷えかけたジェイデンの紅茶も新しいものに差し替えられた。

注がれたお茶に口をつけ、一息ついたところでベイルートが口を開いた。

「…別れの日、わたしはお前の見送りをすることを母上に許されなかった。子供ながらに、理不尽な言い様に怒りに身が震えたよ」

ジェイデンが王都を出た日。
線が細く、よく少女に間違われることもあった弟を、隠れて見送ったことを思い出す。
ベイルートが最後に見た姿は、今の彼の胸下ぐらいの背丈しかなかった。

今では少女めいた儚さは消え失せ、折れそうだった首筋は太くなり、肩は厚みを増した。
知らぬ間に伸びた背丈と同様に、張りのある筋肉と男らしく引き締まった精悍さは、弟が北の辺境地で身につけたものだ。

ベイルートはカップを持つ手を止め、ひたとジェイデンを見つめた。

「今まで側にいてやれなくて苦労をかけた。不甲斐ない兄を責めてもいいぞ」

「とんでもない!兄上に責はありませんよ」

そう言うジェイデンに、ベイルートは真面目な顔で話しかける。

「いいや。お前が北の屋敷にひとり置いていかれたと感じても、仕方がなかったと思っている」

彼が北の屋敷でどう過ごしていたかは、ベイルートの耳には入っていた。
しかし、王都でも徐々に帝国派が勢力を伸ばしていたこともあり、表立って彼が動くことは許されなかった。

リリーアの実子である彼は、帝国派の派閥からも一定の支持を得ている。
穏健派の帝国派貴族をうまくまとめあげ、リリーア派と言われる強硬派の手綱を握っている父親とベイルートは、表立ってジェイデンを庇うことが難しい。

「お前が父上とわたしを疑っていても仕方ない。あの時は、義母上が亡くなった直後で国内も混乱していた。わたしも後から知ったが…父上はあの頃過激な帝国派を抑えるので手一杯だったんだ」

「そう…ですか」

「義母上が亡くなって、北の元帝国領が不穏な動きを見せていたらしい。王都もお前の身を考えると安全とは言い難かった。義母上の遺言もあったから、お前を北に連れて行くという名目で父上は国境の帝国派の抑えに回った」

「ああ、それで…」

腑に落ちる出来事を思い出して、ジェイデンは身体の力を抜いた。

ジェイデンは北へ越したばかりの時に、ひと月ほど父と旅行で辺境地を巡った事がある。
両親の思い出の地を偲ぶ旅だと言われていたが、実際は政治的な思惑があったらしい。

母を亡くしてから寂しさで塞ぎこんでいた8歳の少年は、父親の置かれた立場など全く気付いていなかった。
自分の顔を眺めて母を思い出すと言っていた父は、憔悴していた様子だった。自分と同様に喪失感に打ちのめされていただけだと思っていたのに。
そのまま北の屋敷に置いていかれたジェイデンは、父親に邪険にされたと勝手に思い込んでいたのだ。

『父様は、もう僕のことなんかいらないんだ』

そう思いながらも、多忙で会えないだけだと自身に言い聞かせ、執事の仕打ちに耐えていた日々を思い返す。

「辺境の帝国派を抑えるのに4年かかった。お前が予備学校に入る歳に間に合ってよかった」

帝国派の執事が我が物顔に仕切ってはいたが、それでも屋敷の中は安全だったのだ。

ジェイデンは知らなかったが、屋敷のゴーレムにはロンデナート家の血を引く者を護る契約が施されている。ゴーレムの使用権を持っていた執事は彼を監視して傲慢に振る舞っていたが、彼がもしゴーレムにジェイデンを襲うように命じたら、ゴーレムは即座に執事に牙を剥いていただろう。

「あの執事は小者だ。母上にいい顔をしたいがために、お前に辛く当たっては、逐一報告して取り入っていたようだが。…まぁ、それで母上は満足して、徐々に興味を失っていったみたいだったがな」

苦い顔で打ち明ける兄の言葉に、ジェイデンは驚きながらも咄嗟に口を開いた。

「確かにあの執事には今でも腹は立ちますが。…死ぬような目にあったわけではありません。乳母には苦労をかけましたが、こうやって騎士になれたわけですから」

兄の話に、複雑な感情がジェイデンの胸中に渦巻く。
守られていた安心感と同じくらい、子供だった自分が恥ずかしい。

「…兄上と父上がお変わりなくて良かったです」

それでも真意を聞けて良かったと、ジェイデンは控えめに気持ちを伝えた。
それはベイルートも同様だったらしい。

弟に弁明する機会があって良かったと、表情を緩めて話しかけた。

「そう言ってくれるか。…しかし、7年というのは長いものだな。お前の成長を見守れなかったことが悔しくてならん」

離れていた年月は、ちょうど一番外見が羽化するように大きく変化する年代である。やや子供めいた物言いをするベイルートの姿は、朝の生徒代表の姿からは想像できなかった。

「兄上は昔よりも父上によく似ていらっしゃいます。今朝は驚きました」

「まあな、父親似だったことは幸いだ。鏡の中にあの女の面影を見つける度に苛々するからな」

しれっと言い放つベイルートに、逆にジェイデンが落ち着かない気持ちになる。

「そういうところは変わりませんね」

「そうか?」

昔から、誰もいないところではこんな言い様をしていたベイルートだ。
ロンデナートの後継として厳しく育てられてきた彼は、時に尊大すぎるほど弁が立つ。



兄弟2人は顔を見合わせて、同時に笑い出した。










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