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二章 士官学校
アマーリエとソフィア③
しおりを挟む「ねぇ、ソフィアは風魔法が使えたかしら?」
少し考えるような素振りで、アマーリエが問う。
「簡単なものなら使えるけど、どうして?」
「ここから先は、あまり人に聞かれたくないのよ」
アマーリエは身体強化の魔法しか使えない。
「あら。盗聴防止の魔法なら、風魔法よりも防衛魔法がいいのよ。カルテスの女を甘く見ないでよね」
ソフィアは得意そうに胸を張った。
防衛魔法術はカルテス家の十八番だ。
諜報活動に使う魔法は、一通り習得しているソフィアである。
周りの客を見渡してから、軽く手を回して口の中で術を発動させる。発音せずにこの術を使えるのは、カルテスの一族の者だけだ。
「もういいわよ。周りの人たちは私たちが何を話しているかわからないわ」
風魔法における盗聴防止術は音を完全に断つという単純な魔法だ。しかし、その一角から全く声が聞こえなくなるため、人が集まる場所では周囲から不審に思われることがある。
カルテスの術は少し違う。
音の遮断と共に魅了の魔法が組み込まれており、周囲には全く会話が聞こえない上に、彼らからはソフィアたちが他愛もないお喋りをしているようにしか認識されない。しかも会話の内容は後から思い出そうとしても、記憶に残らないほどの印象しか残さないのである。
「さすがね」
「際どい話題なのね。これで続きを聞かせてもらえるのかしら」
ソフィアの言葉に頷いて、アマーリエはゆっくりと続きを話し始めた。
リリーアは、皇妹として他国に王妃として嫁ぐようにと幼い頃から教育を受けてきた。
帝国が戦争で敗戦しなければ、死ぬまで王族として生きていくはずだったのだ。
帝国の敗北と共に、他国の臣下の公爵家に降嫁するという事実は彼女にとって屈辱で受け入れがたい現実だった。
「ロンデナート家は帝国に勝利したことで領地を広げたけれど、そこは元々帝国領だった場所よ。さらに、リリーア様は帝国から大勢の侍女や臣従を連れてきたわ」
その者たちは、王国に負けて土地を奪われた者たちだ。
特に、シェイラ率いるロンデナートの私兵団に仲間を殺されたり、帝国内で失脚した者の恨みは根深かった。
「最初に仕掛けてきたのは帝国側のくせに、逆恨みもいいところよ。表面的には和睦を理由に輿入れしてきているわけだから波風は立てられなかったようだけど、シェイラ様を恨む者は多かったみたい」
苦々しげにそう言って、アマーリエは言葉を切った。
遠い日を回顧するように、
「私の父は、シェイラ様の部下だった。戦時中は一緒に最前線で戦ったらしいの。シェイラ様は誰よりもお強くて、誰よりも美しい方だったって今でも言っているわ」
北の兵士たちの希望。シェイラはそう呼ばれていた。
常に最前線に立ち、血塗れになりながら敵を屠る。絶望的な戦況でも、彼女が声を上げるだけで兵士は立ち上がった。彼らの土地を守るために。
「戦争だもの。仕方ないとはいえ、両者にはかなりの戦死者が出たわ」
特に帝国軍の被害は甚大だった。
北の兵士の練度は、帝国軍の想像を遥かに超えていた。
巌々としたアバド山の地形を利用して帝国軍を撃退した『山砦の戦い』では、半数以上の帝国兵が命を落とした。
北の民には崇拝されていた彼女だが、一方帝国軍にとっては死の象徴のように忌み嫌われていた。
(あの女がいなければ、我々が負けることもなかったのに)
(ロンデナートの魔女め。どこまでも目障りな女だ)
「さらに最悪だったのは、リリーア様についてきた腰巾着たちね」
アマーリエが吐き捨てるように言い、うんざりした表情で続けた。
帝国は、ロンダ砦周辺の元帝国貴族を厄介払いにリリーアの臣下として王国に押し付けたのだ。
彼らは貴族としての地位を剥奪され、ただの召使や従者として彼女に仕えていた。
(こんなことになったのは、あの女のせいだ)
(憎い。あの女が憎い)
「リリーア様は戦争のこともシェイラ様のことも詳しく知らなかったはずよ。でも、周りの人間が色々と吹き込んだみたいで、シェイラ様とはほとんど口を聞かなかったらしいわ。エルヴァイン様のことは夫として受け入れることができたようなのだけど…」
リリーアは帝国の皇都から出たことはなく、元々戦争にも無関心な姫だった。
皇城で何不自由ない生活をしてきた彼女は、名実ともに世間知らずの深窓のお姫様だ。
臣下たちとは違い、戦争に左右されるほどの政治的立場を持っていたわけではなかった。
しかし彼女の周囲にいる者の陰口は、容易く彼女の思想を染めた。現状に不満を抱いていた彼女に、臣下の囁きはさぞ甘い響きを持って聞こえただろう。
(シェイラがいるから、帝国は戦争に負けた)
(シェイラがいるから、公爵などと結婚しなければならない)
(シェイラがいるから、夫となる男にも一番に愛されない…)
リリーナの不満は、シェイラへの憎悪に次第に置き換えられていったのだ。
周囲の者は、ここぞとばかりにリリーアへシェイラへの恨み言を吹き込んだ。
そして、それは徐々にリリーアを変えていった。
帝国との外交を仲介し、国交が回復するにつれて帝国の商人たちも王国内で商売を始めるようになった。彼らに便宜を図りながら王国の貴族たちにも根回しを行い、元帝国貴族たちは徐々に勢力をつけ王都でのリリーアの立場を盤石なものにした。
「リリーア様は嫁いで来られた頃こそ北のお屋敷で暮らしていらしたけれど、すぐに王都のお屋敷へと居を移されたわ。もちろん、夫のエルヴァイン様と一緒に」
アマーリエはそこで一息ついて、言葉を切った。
「…リリーア様とエルヴァイン様には、5歳くらいの時に初めてお会いしたことを覚えているわ」
ソフィアはそう言って、幼い頃の記憶を思い出すように首を傾げた。
「確か、ベイルート様のお披露目会だったはず…。その時はシェイラ様もいらしたんだと思うけれど、記憶にないわね」
ベイルートのお披露目ということで、王都の同年代の貴族子女が集められていた。
ソフィアにとっては初めての社交の世界だ。その時エスコートをしてくれたのがリルバだったので、余計に緊張したのを覚えている。
「ジェイデン様のことは覚えているわよ。ベイルート様の後ろで、困ったような顔をしている女の子がいると思ったの」
思い出し笑いをしながら、ソフィアが続ける。
「でも、その女の子が着ているのがドレスじゃないから私は混乱しちゃって。叔父様に『女の子なのにドレスを着なくていいなんてずるい』って言ったらしいわ」
男児用の礼服を着たジェイデンは、その場にいたどの少女よりも可愛かった。
お転婆だったソフィアは、初めての正装が窮屈で仕方なかった。このドレスを早く脱ぎたいと思っていた所にその光景を目撃し、つい口からでた言葉だった。
「リルバ叔父様は爆笑よ。お父様には叱られたわ」
その次の日から行儀作法の勉強時間を増やされてしまったと言うソフィアに、アマーリエは笑いを堪えている。
「噂には聞くけど、そんなに可愛かったのね」
「ええ。いつもベイルート様の後ろに隠れていて、大人しい印象だったわ。ベイルート様は王太子様とも仲がよろしくて、よく一緒にいらしたんだけどね。彼らに近づきたいご令嬢にとっては、ジェイデン様は邪魔だったみたい」
ベイルート達に近づきたいが、自分よりも可愛い相手が近くにいては手が出しづらい。
「しかも、周りが選りすぐりのご令嬢を紹介しても『うちの弟の方が可愛い』ってベイルート様が言ってしまうものだから、火に油を注いだみたいになっていたわ」
その言いように、アマーリエが目を丸くする。
「ベイルート様はジェイデンと仲が良かったの? 」
「ええ、仲が良かったように私には見えていたけど。…今の話を聞いたら、なんだか複雑になってきたわね」
そう言葉を切ってから、ソフィアはふうと息をついた。
「ロンデナート家にそんな確執があったなんて知らなかったわ。北ではみんな知っている話だったの? 」
「そんなことはないわ。知っているのは一部の人間だけよ。私は知ることができる立場にいただけ。リリーア様と元帝国貴族たちは体裁を整えるのが得意だから、表面上はうまくやっているように見せているのよ」
その言いように、何か引っかかる気がしてソフィアは首を捻る。
ならば何故ここまで詳しくアマーリエが知っているのか。
不意に抱いた疑問を黙っていられなくて、真顔で聞いた。
「アマーリエは、ジェイデン様とどういう関係なの? 」
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