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25、ヤキモチ

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『肌を纏う、贅沢』

 それをコンセプトに、色鮮やかな服が目を惹く。

 膝を軽く抱えるようにして座っているミナが着ているのは、グリーンのワンピース。風になびくスカートの裾と髪。そんな裾を少しだけ持ち上げて、彼女はうっとりとした表情を浮かべていた。それは服が肌に触れる質感が心地いいと、見る者へ訴えてかけてくる表情だった。

『Venus』のブランド名が上品に書かれ、日本支店オープンの文字も広告に入っている。

 この広告を見て敦美は、美しい、と心の底からそう思った。


 ***


 急遽きゅうきょ、以前から考えていた『ご褒美感』というコンセプトを変えて、『贅沢感』はそのままに、『着心地感』を全面的にアピールした広告へ変更したのだ。そうすることでミナの服への想いが一番伝わると思ったのだ。

 CMの制作がだいぶ進んでいたので、橘さんには後でネチネチ嫌味を言われたが、このコンセプトに変えてよかったと思っている。

 はっきりとは聞かされてないが、広告掲載時期から新作のネット注文が増えているらしい。しかも予想外なのが『自分映え』で多くの若い女性に人気が出ていることだ。想像以上に広告が効果を発揮したことに、敦美は嬉しさを感じていた。

 それでも、まだミナからの連絡は来ない。正直自分ひとりで出来る仕事ではなかったので、実力を認めてもらうのは難しいのかもしれない。それでも、ミナには会ってきちんと話をつけたいと思っている。

 そんな事を考えながら、敦美はラウンジで一人コーヒーを飲んでいた。すると向井がコーヒー片手にやって来た。

「あ、向井さん。あの時は本当にありがとうございました」
「ああ、いいよ、あのくらい」

 向井は目の前に座って、コーヒーを啜る。それから悪戯っぽく笑った。

「じゃあさ、今度奢ってよ」
「はあ……分かりました。コーヒーならいくらでも奢りますよ」
「いや、そういう意味じゃないって」

 向井はカラカラ笑った。じゃあ、一体どういう意味なんだ。

 向井が何かを言いかけようとすると「向井さーん」と誰かに呼ばれた。フロアの方を見て「やべ。俺行かなきゃ」とコーヒーをぐいっと飲み干して立ち上がる。

「まあ、いいわ。じゃあ、今度コーヒー奢ってよ」
「わかりました」

 そう言って向井は待っている人の所へ駆け足で向かっていった。

 もしかしてそれだけを言いに来たのだろうか。変な人だなあ……。

 そんなことを思いながら、敦美はゆっくりコーヒーを飲んでいた。飲み終えて、そういえば資料室に行く用事があったんだ、と思い出し資料室へ向かった。

 この会社の資料室には創業以来から広告をデータでの保管は勿論のこと、紙媒体でも保管している。データは飛んだらお終いだから、紙で保存しておきたい、というのが社長の意向らしい。紙も燃えたら終わりだけどな、と思うのは私だけなのかな。

 まあ、つまり資料室はこの会社の歴史博物館みたいな部屋なのだ。ごちゃごちゃしてるけど。

 敦美は今回の広告を保管しておくために、保管用ファイルを取りに来たというわけだ。

「えーっと、どこだったっけな」

「敦美」
「わ!」

 いきなり背後から声をかけられて、驚いた。

「あ、智紀さんか……。もう、驚かさないでくださいよ」

 パシパシと肩を叩くが、智紀は不機嫌そうな顔をしている。初めて見るその表情に、敦美は体が固まった。

 え、私なんか怒らせるような事、したっけ……? ミナさんとの決着はまだついてないけど、もしかして「やっぱり認めないわ!」みたいなことが先に智紀さんに連絡された、とか?

 智紀はゆっくりと敦美に近く。圧迫感に負けるように敦美が少し後ろに下がれば、書棚に背後を塞がれる。頭の横に彼の両肘を付かれて囲まれてしまった。目がそらせない。こ、怖い。

 このシチュエーション、雰囲気がいい雰囲気なら心臓が飛び出すぐらいドキドキするだろう。しかし、敦美は違う意味でドキドキしていた。

「と……智紀さ、ん?」
「……」

 するといきなり唇を奪われる。

「ん……」

 噛み付くような荒々しいキスに、敦美は戸惑った。

「と、智紀さん……!? ど、どうしたんですか!?」
「……向井と何話してたの」

「え?」
「だから、さっき向井と何話してたの?」

 智紀の顔をむっとさせている原因は、どうやら敦美が向井と話をしていたことのようだ。何かとんでもない事をやらかしていた訳ではないらしい。よかった。

「ああ……この間、広告を掲載する直前でミスに気がついて、その時に向井さんが手伝ってくれたんです。そのお礼を言っていただけで。今度コーヒー奢ることになりました」
「……それだけ?」
「はい」

 嘘を言っていないか確認するように、じっと智紀に見つめられる。敦美も見つめ返して、しみじみ思う。本当にイケメンだなぁって。

「はあー……、そっか。ごめん。俺、敦美の事となったら本当に余裕ないみたい。……怖い思いさせてごめん」

「あいつ、後で釘さしとかないとな」と呟く智紀の目が怖い。仏の面影など一ミリも存在しなかった。

「あ、あの、別にいいですよ。ヤキモチ焼かれるの、なんか嬉しいですから……。あ、ていうか、人来たらどうするんですか」
「大丈夫。鍵してる。マスターキーは俺が持ってるから誰も入ってこれないよ」

 ポケットから鍵を出して見せた。

「……あ、そうなんですか」

 あからさまに安堵しているのを見逃さなかった智紀が、クスリと笑う。

「どうしてそんなにもホッとしてるの?」
「え!? そ、そりゃこんなとこを他の人に見られたら恥ずかしいからですよ!」
「ふーん?」

 ずいっと智紀の顔が耳元に寄る。

「てっきり俺はここでイケナイコトができると喜んでるのかと思ったけど」

「へ!? な、何言ってるんですか、智紀さんっ! ここ、会社ですよ……っ」
「あんまり騒がないで。防音じゃないんだから」

 耳元で囁かれる声が腰にクる。力を抜いたらしゃがみ込んでしまいそうだ。必死に耐えていると、ちゅ、と首筋にキスされた。

「ん……っ。と、智紀さん……」
「敦美……」

 智紀が顔を上げれば、目が合った。瞳に吸い込まれるように見つめ続けてしまう。智紀はゆっくりと唇に触れた。優しい口付けだった。

 そんな風にキスされたら、好き、が止まらないよ……。でも、ここは会社……。キスまでにしとかなきゃ……。ああ、でも、触れて欲しい。

 会社、資料室に二人だけ、密室。その環境にいるだけで既にイケナイコトをしているようで、敦美の欲を掻き立てる。そして彼の熱い眼差しにゾクゾクと体が疼いてしまう。

 お互いの誘惑に誘われるように、何度も口付けをした。

「……んっ」
「声、我慢して」

 ゆっくりと敦美の服の中に手が忍び込んできた。
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