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北都市編 後編

7(ウィルソン視点)

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 モリスはすぐに俺の両親に研究の協力と金銭の援助の説明をした。

 両手を挙げて喜んでくれると思ったが、両親は複雑な顔をしていた。

「ちょっと席をはずしてもらえますか」

 父がモリスの退席を申し出て、モリスは契約書と「返事は今日中でお願いします」という一言を添えて部屋を出て行った。

 両親は沈黙していたが、口を開いたのは父だった。

「ウィルソン、お前は騎士になりたいのか?」

「……なりたかった」

 嘘だった。

 本当は興味なんてなくて、なりたくない。

 騎士は恐ろしいスカルと戦わなければならない。

 そんなの嫌だし、スカルに殺されて死にたくもない。

 でも、ここでなりたくないなんて言ってしまえば、モリスとの契約は破棄される。それは困るのだ。

 両親が多額の借金を背負って、デイジーに手術を受けさせるのは仕方ないのかもしれない。

 でも、それでは心優しいデイジーはずっと気にするだろう。

 だから、俺は自分の意思で騎士になって、モリスの研究を手伝う。

 そうすることで、金銭面をモリスに負担してもらうという方が、家族みなの気が楽だと思ったのだ。

 だから、この際、俺は嘘を吐こうと思った。

「俺、実はずっと前から騎士に憧れてたんだ」

「お前はパン屋を継ぐつもりはないのか?」

「……ないよ」

 俺は嘘を吐き通す。

「うちのパン屋は好きだよ。本当は言わずにおこうと思ってて、パン屋を継ごうと思ってたんだけど……でも、やっぱり騎士になりたいんだ。それで……この話は俺にとってチャンスだと思った」

 父はしばらく思案していたが、深いため息をついた。

「そうか。それならいい。……正直、手術代のことを気にして騎士になるって言っているのかと思ったんだ。お金のことなんて、お前は気にしなくていい。何十年かかっても、借りたお金は返すし、その算段もある。お金のことを気にして、嫌々騎士になろうとしているのなら、私は反対だった。デイジーももちろん元気になって自由に生きていて欲しい。けど、お前にも自由に生きて欲しいと思ってるからな」

 俺は泣きそうになった。

 親という懐の深さを尊敬すると同時に感謝し、そしてこんな両親だからこそ、俺は家族の負担をなくしたいと思った。

「大丈夫。本当に騎士になりたいんだ」

「そうみたいだな。がんばれ。お前が決めたことなら、私は何も言わない。応援するよ」

 父は俺の肩を叩いた。

「ありがとう。俺……父さんと母さんの息子でよかったよ」

 そういった時の両親の嬉しそうな、そして泣きそうな顔は忘れないだろう。

 どんなにも苦しい思いをしても、俺は耐えなければならない。

 デイジーのために、そして両親のために。

 俺は契約書にサインした。

 モリスは直ぐに騎士養成学校の入学手続きを終え、俺は入学するための儀式を終えた。

 けれど学校には通わず、北都市へ行くことになった。

 実際、そこからが地獄だった。

 研究の協力というのは建前で、実際の内容は実験台だった。

 儀式で精石を埋め込んだ後の、まだ体が精石に慣れていない時期にもう一つの精石を体に埋め込む。

 全身から拒絶反応が出て、何度も意識を失った。

 死にはしなかったのは、おそらくリプニーチェのおかげだろう。

 リプニーチェとはすぐに打ち解けたけれど、レギオーラとはどうしても仲良くなれなかった。

 何度も俺の意識を奪い取って、光の力を使って暴れ出す。

 そのせいで、俺は研究施設の頑丈な個室に閉じ込められた。

 そこの施設には他にもたくさんの個室があって、俺と同じように研究材料にされている人たちが暴れているのが見えた。

 中には亡くなる人もいた。

 俺もそうなるのか……。

 絶望的な気持ちで、白い天井を眺めていた。

 真っ白い部屋は、傷だらけで暴れまわったのが一目瞭然だった。

 俺の体も傷だらけで、体も怠かった。

 なんでこんなところに閉じ込められているんだろうかと、何度も何度もそんな疑問が頭を駆け巡った。

 外に出たい。ただ、普通に生活がしたい。家族に会いたい。

 こんなところに、俺はいつまでいればいいのだろうか。

 永遠に?

 そう考えたら、背筋がぞっとした。

「ウィルソン」

 リプニーチェがすう、と姿を現した。彼女も疲弊している。

「ごめん。俺が君を体に宿してしまったから」

「謝らないで。あなたも私もこんなことになるとは思っていなかったでしょう。ただ、少し疲れているだけ。レギオーラの方は今さっきまで暴れていたから、疲れて出てこないのね」

「……彼はもう出て来なくていいよ」

「……そうね」

「俺……このままなのかな? ずっとここにいるのかな?……外に、出たいな」

「私も少しは外に出たいわね。ここにいたら、おかしくなりそうだわ」

『外に出たいのかね?』

 二人の会話をどこから聞いていたのか、モリスの声が部屋の四隅にあるスピーカーから出てきた。

『実験は順調だよ。君の中にある二つの精石は君の体の中に十分に取り込まれた。我々は次の段階へ移行しようと考えている』

「……」

『次は二つの力をコントロールして、どのくらい光の力を引き出せるのかを検証していきたいんだよ。それは騎士として戦う際の数値が必要になってくるから、君には学校へ通ってもらおうと思っている』

「え!?」

 急にモリスから出た案に、俺は心を躍らせた。

『だが、そのためには、君がレギオーラと協力関係にならなければ話にならないんだ。でなければ学校で暴れたりでもしたら困るからね』

「コントロールできるようになれば、外に出られるんですね!?」

『ああ。コントロールできるようになったら、君が学校へ通うことを許可しよう』

 だが、実際彼をどのようにコントロールすればいいのかなんて、思いつかなかった。

 レギオーラは何度も何度も暴れて、そうなるたびに俺は意識を失って。 
 
 彼と会話をすることもなく。

 ただ時間だけが過ぎて、それが虚しくて。

 俺は床に横になる日々が続いた。

 傷だらけの部屋、傷だらけの自分の体。苦しそうにもがく他の人たち。

 同じ景色を永遠と見続けて、本当に頭がおかしくなりそうだった。

 そんな時、リプニーチェが提案をした。

「私が、彼を抑えるわ。そうすれば彼は出て来られない。力がそっちに行くからほとんど外へ出す光の力は少なくなるけれど、それでもよければするわ。どうかしら?」

「でも、それって、リプに負担がかかるんじゃ――」

「大丈夫よ。ウィルソンが元気でいてくれるのであれば、問題ないわ」

『ふむ、それもそれで面白いデータが取れそうだな』

 またもどこから会話を聞いていたのやら。

 でも、そんなことはどうでもよかった。

『この研究は長期的なものだからな。今後君がリプニーチェとレギオーラの二つをコントロールできるとき、また新たにデータを取ろう。だから、君をモニターしていくことにするよ。では、リプニーチェよ、一旦やってみてくれないかな。しばらくレギオーラの暴走が無ければ君を騎士養成学校に通わせよう』

 そこからリプニーチェはレギオーラを必死に抑え込んだ。

 初めは少し抵抗があったみたいだけれど、完全に抑え込んでくれたおかげで、俺は騎士養成学校に通えるようになった。

 その時にデイジーが手術に成功したとだけ聞いた。

 だいぶ年月が経っていたけれど。

 外へ出られたときは本当に世界が輝いて見えた。 

 それほど、研究施設にいた時は苦しかったのだ。

 だからこそ、デイジーが同じようにモリスに実験台にされたことが、腹立たしかったんだ。

「なあ、デイジー。どうしてだよ? デイジー……?」

 ウィルソンがデイジーに近寄り、肩を掴む。

 どう言って欲しかったのかなんて、分からない。

 でも、「お兄ちゃんごめんね」って言って欲しかったのかもしれない。

 けれど、デイジーは不思議そうにウィルソンを眺めているばかりで。それがとても苦しくて。

 でも、それ以上に彼女の口から発せられた言葉が俺の胸を引き裂いた。

「あなたは一体誰ですか?」
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