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汽車編

5(ジャクリーン視点)

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 避難誘導を四両目から行っていたザグジーにより、一両目と二両目に人が集まっていた。

 みな不安そうな顔持ちで身を寄せ合っている。

「今日は家族と久しぶりに会えるのに……こんなところで死にたくない……」

「中央都市で新しい生活が待っているのに……今日死ぬとか最悪だわ」

「俺は今重要な案件抱えてんだよ……。ああー……死んだら社長に怒られる……」

「お母さん怖いよ……」

「大丈夫よ。きっと騎士様が倒してくれるから」

 恐怖は恐怖を呼び、乗客の精神状態は悪化していくばかりだ。

 お通夜のような雰囲気の中、ジャクリーンも恐怖と不安で震えていた。

 どうしよう……。

 今日は最悪な一日だわ……。

 お父さんとは喧嘩しちゃったし、しかもスカルにも命を狙われているなんて……。

 私はこれから一体どうすればいいのかしら……。

 ジャクリーンは深くため息をついて、窓の外を眺める。

 騎士の人は『縛るものが何もないんだ、あんたの好きにしたらいいんじゃないのか? 可能性はいくらでも広がっているんだから。才能があるとかないとか、そんな目に見えないものに拘る必要はない。あんたはあんたのやりたいようにやるのが一番だと思う』そう言ってくれた。

 確かに、自分でどうなりたいか、という希望はある。

 でも、その新たな可能性を信じて自分の力で進んでいきたいのに、これからのことを考えると、不安で不安で仕方ない。

 するといきなり汽車が揺れる。

 車内には悲鳴とどよめきと嘆きが響き渡った。

 ふとジャクリーンはこの状態が、自分の心の中の状態と同じだと思った。

 いろんな感情が渦巻いている。

 今の心の中と、そして、あの時の私と一緒――。



 私が幼いころだ。

 当時母は忙しく一緒に暮らしていなかった。私は父と祖父母と一緒に暮らしていた。だから、母が舞台で歌うというのを聞いて、私は一人で見に行ったことがある。

 汽車に乗って都市にたどり着いたのはいいものの、幼かった自分には母がどこの舞台でするのか全くわからなくて、道に迷ってしまった。

 でも、たまたま通りがかった母の知り合いと会って、舞台まで案内してくれた。

 本当に怖かった。もう、家には帰れないと思ったし、大げさだが、死んでしまうのではないかと思ったから。

 そう、今はこの時の心境と似ている。

 でもその後、母の知り合いに連れられて、舞台の袖で母が歌うところを見学させてもらったことがある。

 その時の衝撃は今でも覚えている。

 忘れたくても、絶対に忘れられない。

 私の、宝物のような体験。

 静まり返った舞台の上。

 眩しいスポットライトに照らされて、自分がこの世の主役だと、誰もを魅了する母の姿。

 演奏に乗せて歌い始めた時のあのいきいきとした表情と、のびやかな美しい歌声。

 そして、歌い終わった後の、割れんばかりの拍手喝采。

 何よりも印象的だったのは、お客さんの表情だった。

 感動して泣いている人、元気をもらって笑っている人、うっとりと陶酔している人。

 歌一つでも、人それぞれに与えるモノが違うということ。

 そう、感動が違うのだ。

 おさまらない歓声に、私は震え、舞台袖で、一人泣いていた。

「そうだ……」

 ジャクリーンは拳を握る。

 一人で震えている場合ではない。

 私も、大きな舞台に立って、自分の声で、歌で、みんなを元気にしたい。

『なれるわよ、だって、母さんの子ですもの。あなたの背中には、大きな翼があるの。だから、恐れずに自分を信じて飛び立ってみて。きっと素晴らしい場所へ行けるはずだから』

 母が、その時に言ってくれた。

 私は自分を信じる。

 息を吸った。

 音楽も何もないところで。

 みんなが不安と恐怖に押しつぶされるところで。

 私は歌う。

 みんながよく知っている、そして母がよく口ずさんでいた――祈りの歌。

 平和への祈りだけでなく、この大地を闇から守り、光へ導く精霊たちへの感謝の気持ちを歌った歌でもある。

 真っすぐに届けばいいと思った。

 今戦っている騎士たちと、その精霊たちへ。

 そしてここで不安に押しつぶされてしまっている人たちに、少しでも元気が届けられればいいと思った。


 ✯✯✯


 急に歌い始めたジャクリーンの方へ視線を向けた乗客たちは、驚きを隠せなかった。

 なんで、こんな時に?

 けれど戸惑ったのもつかの間。

 みな歌に魅了されてゆく。

「なんて綺麗な歌声なの」

「これ……祈りの歌だ……」

「そうか、みんなで歌えばいいんだ」

「ああ、みんなで歌おう」

 不安な表情を湛えていた乗客たちの表情が変わってゆく。

 そして一つの歌声に、みんなの歌声が重なる。

 みんなの祈りが歌となり、ここにいた一人一人の気持ちが一つに重なった瞬間だった。
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