上 下
57 / 81
第2部「黒魔女レカの復活」

第Ⅰ章「英雄のその後」

しおりを挟む
 魔王ヘルフィアが滅びてから、早四ヶ月。その間に、徐々に世界は元の機構を取り戻していった。そしてやがて、順応していった。平和な、魔物がいない当たり前な日常というものを。
 それは、それを取り戻した本人たちにとっても例外ではなかった。
「おにーい、ちゃん!」
「おうふっ!?」
 今朝もエリューは、妹のミレナに強烈な責めを受け、"起きさせられていた"。
「きゃははははっ、どーしたのおにーいちゃん?」
 愛しの小悪魔、ミレナが笑っている。否、嗤っている。これは聞き覚えのある嗤い声だった。これは、そう――かつて死闘を繰り広げた、上位魔族たちのソレと、同じだった。
 動かない下半身、上半身はそのまま、首だけを曲げて、妹と視線を合わせる。
 その瞳は――かつてないほどの愉悦に、歪んでいた。
 ゾクリ、と背筋を悪寒が走り抜けた。
「え、いや、あの……え、ミレナ?」
「なーに?」
 妹は、嗤う。朝一からベッドで朝のまどろみに落ちていた自分に、その衝撃度からおそらくはうんやっぱり視界の隅に映る梯子を使ってたぶんその最上段から飛び降りしかも一般的なお尻ではなく曲げた膝頭で正確に鳩尾の上に墜ちてきた妹は、それで300点以上といって差し支えないくらいに自分を起こすという使命は確かにそう確かに果たしたはずなのに、それなのに――
「い、いやその……な、なんで俺の上から、降りないんだ?」
「降りてほしーの?」
「ほ、欲しいっていうか……そ、その質問の意味がわからないっていうか……」
「ふっふーん、だいじょうぶわかってるってー、おにーちゃんのことはなーんでもー」
「え、いや……な、なに言って……っていうか、そのにぎにぎしてるロープはなに、っていうか……」
「えーそんなに待ちきれないのー? しょーがないなー、じゃー頑張ったおにーちゃんに、ご褒美だねー」
「は、話聞いてない!? っていうか、が、頑張ったってなにを……?」
「魔王さんを、やっつけてくれたもんねー」
「いつの話っ!?」
「じゃあ今日も、ごほうびごほうびーっ」
「あふあッ!?」
 こうしてエリューは今日もご褒美という名の気晴らしというか鬱憤晴らしというか気まぐれに付き合わされ、
「あひっ、うひっ、あ……いいいいいいいいいい!!」
 不本意ながら、どこか恍惚とした表情を浮かべるハメになっていた。無自覚ながら、それはとてつもなく幸せな日常だったのだが――
「か、母さんおはよう……」
「あら、エリューおはよう。今日はその顔のあざは、どうしたのかしら?」
「う、うん……ちょっと、ムチ打ちというか、鞭打ちじゃなくて、硬結びにされたロープのこぶの部分で滅多打ちにされたというか……」
「そう。コーンスープ飲む?」
「あ、うん……ていうか母さんも、結構なアレだよね……」
「なにか言った?」
「なんにもないでーす……」
 理解してもらうのを諦め、エリューはしずしずとテーブルに着いた。するとすぐに、湯気があがるあったかいスープ皿が目の前に置かれる。恐縮しながら会釈しつつ、エリューはそれを持ち上げ、ゆっくりと口元に傾けた。
 喉を通るその甘く、温かい味わいに、全身が優しく愛撫されるような多幸感を味わう。
「あ……ふぅ……」
「今日も会えたわね」
 向かいに、お母さんがいた。座って、両の指を絡ませ、その上にアゴをカワイらしく乗せて、そして柔らかい笑みを浮かべていた。
 フッ、と泣きそうになった。
 あれからもう、半年近く経つっていうのに。
 恥ずかしくなって、顔を逸らして、カップで隠した。
「な、なにいってんだよ母さん……毎日、会ってるだろ?」
「だって二年よ?」
「え……?」
 どういう意味なのかわからず、エリューは思わず母に顔を向けていた。
 その瞳と、目が合った。
 こちらの存在全てを慈しむような、そんな親愛に溢れた瞳がそこにはあった。
「だってお母さん、二年よ? 二年間も、エリューに会えなかったのよ? ずっと、ベーデおばあちゃんに蘇生してもらってから、ずっと。みなの蘇生の為に力を尽くして、エリューたちが魔王を倒すことを信じて、その邪魔をしないようにって我慢して、ずっと……」
「か、母さん……」
「ずっとずっと、我慢してきたんですもの……エリューが傷つき、魂をすり減らしていると知っても、なにもせず、出来ず、ただ待っていることしか出来なかったんですもの……そりゃあお母さん、嬉しいわよ。会うたび、泣きそうにだって、なりますもの……」
「母さん……」
 その言葉に、ツーとエリューの右の瞳から一筋の涙が零れた。それに呼応するように、母の双眸からも盛り上がるように涙が溢れた。そのままなにを話すでもなく、ふたりは見つめ合った。そして、手を取った。
 ボロボロと、涙がとめどなく溢れてきた。ずっと、エリューはこの時を待ち望み、そして叶える事が出来ないと諦めながらも悲願を達成し、そしてこの現実を手に入れた。奇跡の時間だった。あれから四ヶ月もの時が流れようとも、それが当たり前に堕ちる事などありえなかった。何度でも、何十っぺんでも、何百回でも噛み締め、涙を流し、今の有り難味を味わいたかった。
 もう二度と、この砂を零れ落ちなどさせたりはしない。
「うっ……う、う……!」
「ありがとう……ありがとうね、エリュー」
「なーに泣いてんの、おにーちゃん?」
 そんな二人の後ろに現れたミレナも、振り返れば涙を流していることにエリューはその時まで気づくこともなく、ただただ泣き続けた。
 幸せだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ソロ冒険者のぶらり旅~悠々自適とは無縁な日々~

にくなまず
ファンタジー
今年から冒険者生活を開始した主人公で【ソロ】と言う適正のノア(15才)。 その適正の為、戦闘・日々の行動を基本的に1人で行わなければなりません。 そこで元上級冒険者の両親と猛特訓を行い、チート級の戦闘力と数々のスキルを持つ事になります。 『悠々自適にぶらり旅』 を目指す″つもり″の彼でしたが、開始早々から波乱に満ちた冒険者生活が待っていました。

そして俺は召喚士に

イル
ファンタジー
新生活で待ち受けていたものは、ファンタジーだった。 主に更新通知・告知用Twitterアカウント作りました:https://twitter.com/fil_novelist

異世界で魔法使いとなった俺はネットでお買い物して世界を救う

馬宿
ファンタジー
30歳働き盛り、独身、そろそろ身を固めたいものだが相手もいない そんな俺が電車の中で疲れすぎて死んじゃった!? そしてらとある世界の守護者になる為に第2の人生を歩まなくてはいけなくなった!? 農家育ちの素人童貞の俺が世界を守る為に選ばれた!? 10個も願いがかなえられるらしい! だったら異世界でもネットサーフィンして、お買い物して、農業やって、のんびり暮らしたいものだ 異世界なら何でもありでしょ? ならのんびり生きたいな 小説家になろう!にも掲載しています 何分、書きなれていないので、ご指摘あれば是非ご意見お願いいたします

投獄された聖女は祈るのをやめ、自由を満喫している。

七辻ゆゆ
ファンタジー
「偽聖女リーリエ、おまえとの婚約を破棄する。衛兵、偽聖女を地下牢に入れよ!」  リーリエは喜んだ。 「じゆ……、じゆう……自由だわ……!」  もう教会で一日中祈り続けなくてもいいのだ。

来訪神に転生させてもらえました。石長姫には不老長寿、宇迦之御魂神には豊穣を授かりました。

克全
ファンタジー
ほのぼのスローライフを目指します。賽銭泥棒を取り押さえようとした氏子の田中一郎は、事もあろうに神域である境内の、それも神殿前で殺されてしまった。情けなく申し訳なく思った氏神様は、田中一郎を異世界に転生させて第二の人生を生きられるようにした。

コスモス・リバイブ・オンライン

hirahara
SF
 ロボットを操縦し、世界を旅しよう! そんなキャッチフレーズで半年前に発売したフルダイブ型VRMMO【コスモス・リバイブ・オンライン】 主人公、柊木燕は念願だったVRマシーンを手に入れて始める。 あと作中の技術は空想なので矛盾していてもこの世界ではそうなんだと納得してください。 twitchにて作業配信をしています。サボり監視員を募集中 ディスコードサーバー作りました。近況ボードに招待コード貼っておきます

(完結)もふもふと幼女の異世界まったり旅

あかる
ファンタジー
死ぬ予定ではなかったのに、死神さんにうっかり魂を狩られてしまった!しかも証拠隠滅の為に捨てられて…捨てる神あれば拾う神あり? 異世界に飛ばされた魂を拾ってもらい、便利なスキルも貰えました! 完結しました。ところで、何位だったのでしょう?途中覗いた時は150~160位くらいでした。応援、ありがとうございました。そのうち新しい物も出す予定です。その時はよろしくお願いします。

平凡冒険者のスローライフ

上田なごむ
ファンタジー
26歳独身動物好きの主人公大和希は、神様によって魔物・魔法・獣人等ファンタジーな世界観の異世界に転移させられる。 平凡な能力値、野望など抱いていない彼は、冒険者としてスローライフを目標に日々を過ごしていく。 果たして、彼を待ち受ける出会いや試練は如何なるものか…… ファンタジー世界に向き合う、平凡な冒険者の物語。

処理中です...