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第一幕:岸谷真雪の場合
(8)B-Side
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――――――――
⑦
気持ち悪い。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
今日、私は生徒会長に推薦された。
どれだけ嫌だと言ってみても、やんわりと断ってみようとしても、クラスのみんなはそれを謙遜だと思い込んで、「もー、カナは謙虚なんだからー」なんて訳の分からない論理の帰結を口にして、まったく取り合ってはくれなかった。
「よし、じゃあ引っ込み思案な二宮カナのために、多数決をとろうか」
担任の先生の言葉が合図になって、次々に教室の中で手が挙がっていく。
一つ、二つと高らかに挙げられた手は、やがて私以外の全員分の数になった。
「うん、数えるまでもないな。うちのクラスからはカナを推薦するってことで、決まりだな」
なんでも相談にのるから、頑張れよ。
教室の中には負の感情なんてかけらもなかった。誰もが称賛し、喜び、羨望のまなざしを私に向けていた。それはとても幸せな空間だった。誰もが思わず口角をあげてしまうような空気感。意味もなく笑ってしまうような雰囲気。
そんな中で、ただ一人私だけが汚らしい感情を抱いていた。
クラス全員が、笑顔が描かれた仮面をかぶっているように見えた。
教室のどこかに、笑い声を録音したレコーダーが置かれているのだと思った。
生ぬるい空気は私の肌を撫でて、ぬるりと鼻から入り込み、私の肺を満たしたあと、どす黒い血の中に溶け込んで、私の全身を満たしていく。
胃が気持ち悪い痙攣をして、胃酸が食道を焼いた。
思わず嚥下したそれは、口内で逆流して気管を蹂躙する。
クラスメイトの声が遠くから聞こえる。
涙で歪んだ視界にうつるのは、輪郭のぼやけた影ばかりで、わんわんとハウリングする声は脳内で混ざり合って、不協和音を奏でていた。
誰にも見ないで欲しかった。
誰からも声をかけられたくなかった。
そんな思いだけが私の身体を動かして。
気づいた時には、私はいつもの公園にいた。
「今日も勢いよく吐いてるねえ。授業、抜け出してきたのかい?」
そうして、彼の声だけが、やけにはっきりと耳に届いた。
いつもみたいに困ったような笑顔を浮かべながら、ミネラルウォーターを差し出した先生に、私は言う。
「先生。私と逃げて」
ここじゃなければ、どこでもよかった。
学校を感じない場所であれば、なんでもよかった。
ただひたすらに、この気色の悪い日常から抜け出したかった。
「ねえ、一緒に逃げてよ」
繰り返した私に、先生は
「ゲロまみれの女子高生と逃避行とか、マニアックすぎるなあ」
と。
やっぱり困った顔で笑って、私の手を取った。
――――――――
物語も終盤に差し掛かったからだろうか。
最初に比べれば、ずいぶんと文字数が増えている。
だけど私は、いつの間にかそれを苦も無く読み進めることができているし、先が知りたくてページをめくり続けている。
淡々としていた日記の文章も、今は読者の感情を燻すほどに濃密だ。
切れ味がある文章、というのは、こういうのを指すのだろうか。
私はただ、文章に目を走らせる。
結末を知りたかった。
――――――――
⑧
次の日は雨だった。
ミストのような細やかな雨が、公園の木々を濡らしていた。
「雨には色んな名前がついていてね」
先生は雨に濡れながらつぶやくように語った。
「日本人ならではの感性っていうのかな。名前を付けることで、情景の微妙な機微を表せるようにしたんだろうね」
「じゃあ今降ってる雨はなんていうの?」
「小糠雨、かな」
初めて聞く言葉だった。
先生曰く。細かく、けぶるように降る雨のことを言うのだとか。
「そぼ降る小糠雨、なんていうと、雰囲気出るだろう?」
そぼ降るのそぼってなんだよ、と思うし、小糠雨だっていまいちピンと来ているわけではない。
なのになぜか、なぜか妙にしっくりくる。不思議な感覚だった。
「風邪ひくよ?」
芝生の上に寝転がった先生は、体中びしょ濡れだった。服はべったりと肌に張り付き、体の輪郭をあらわにしている。
「いいんだ、これで」
君もやってごらん。
先生に言われるがままに、私はその場であおむけになった。
細やかな雨が、容赦なく私の身体を濡らしていく。
昨日から着たままの制服が水を含んで重たくなった。
スカートは私の太ももにぴったりと張り付いて。
ブラウスやチョーカーも、自分の役割を忘れたみたいにくたっと濡れた。
「自分が浮き彫りになる気がしない?」
制服を着ている時、私は女子高生の役割を演じていた。
女子高生というタグがついた人間。
紙の上に押された、女子高生というハンコ。
切っても切っても女子高生が現れる金太郎飴。
だけど今、降りしきる雨が制服を濡らして、役割を放棄させてくれていて。
それで私という輪郭を、そのまま世界にかたどってくれているから。
「話してくれないか。君の悩みを」
私は口を開いた。
堰を切ったように、言葉が次々と飛び出した。
きっかけも原動力も何もない自分が、この先どうなるのか考えるのが怖かった。
みんなが楽しそうに過ごしているのを、演じているだけだ、思い込んでいるだけだ、気持ち悪い、ああはなりたくないって自分に言い聞かせていた。
こんな自分が、周りからみればちゃんと女子高生なことが怖かった。
私は何になればいいのか分かっていないのに、他の人が押し付けてきた型に収まれば、みんなはそれを見て満足して、じゃあそれは私じゃなくてもいいんじゃないかって、他の誰かでもよかったんじゃないかって、なら結局、私は何者なんだろうって思うと、それすら怖くて。
制服にあこがれて入った子がうらやましかった。
野球部に入れてうれしそうな子が妬ましかった。
文化祭を楽しみにしている子たちにあこがれた。
帰りにファミレスによっていく人たちを目で追っていた。
「それでも」「私はその行為をしたいわけじゃなくて」
「真似したいわけじゃなくて」
「混ざりたいわけでもなくて」
「そういう人たちに、ただ、あこがれているだけだから!」
「うらやましいだけだから!」
「だから!」
「だから、どうすればいいのか! 全然、全然!」
「全然っ!」
「分からないんだよ!」
――――――――
私は――カナに自分を重ねていた。
大学時代、当時付き合っていた彼氏に言われた一言がきっかけで、アナウンサーを目指した。
そして、なった。
なってしまった。
中途半端に器用な性格が災いして、私はなんとなく目指した職業に就いてしまった。
だけど、この業界に入って気づく。
ここにいるのは、アナウンサーになるべくしてなった人ばかりだ。
小さい頃にみたテレビがきっかけで、あるいは、校外学習での出会いを皮切りに、その日から憧れの人たちと同じ舞台に立つことを夢見て、ひたすらに邁進し続けた人たち。
数年、あるいは数十年燃やし続けてきた熱意は、就職したことでより一層その熱を増し、これから先も前に進む足を止めることはないだろう。
だけど私には「それ」がない。
確固たる理由から今に至らない私は、一体いつまで走り続けられるのだろうか?
私の目の前に広がるのは、壮大な大海原でも、光り輝く未来でもなく、ただぼっかりと口を開いて待っている、先の見えない常闇だ。
アナウンサーの仕事を楽しそうにこなす麻衣子がうらやましかった。
希望に満ちた目で私を見る琴音ちゃんを直視できなかった。
そして。
そして、自分のきっかけを偽る本庄翼に腹が立った。
知っている、分かっている。
ただの自己嫌悪の延長。壮大な八つ当たりだ。
当時の彼氏にそそのかされた浅はかな自分が嫌いじゃないなどと嘘をつき、そのくせ面接では昔からアナウンサーにあこがれていたなどと嘘をつき。
嘘に嘘を塗り固めた自分を、反吐が出るほどに嫌いなくせに。
求めることも諦めることもできないままに、宙ぶらりんな毎日を送っている自分を見て見ぬふりをする。
そんな自分を――あの日、本庄翼の言葉の中に垣間見た気がしたのだ。
「っとに……最低だ、私」
だけど本庄翼は、私に本を渡してくれた。
きっと岸谷アナは気に入ると思います。
彼女の言葉に、自分勝手にも私は、かすかな期待を寄せているのかもしれない。
――――――――
⑨
「そうか」
とだけ、先生は呟いた。
こんなこと言っても、困らせるだけだ。
みんなが昔から培ってきた感性や動機を、私は持ち合わせていない。
何かに恋焦がれることなんてなかった。
鮮烈な憧れの感情もなかった。
だけど今、初めて羨望の対象となった人たちが、過去から現在にかけて、そういうきらきらした、パステルカラーの感情を持ち合わせているから、だからもう、どうしようもないんだ。
「じゃあさ」
その時、雨が止んだ。
「今を起点にしようか」
先生の言葉の意味が分からなくて、私はばかみたいに同じ言葉を繰り返す。
「いま、を……?」
「うん。今から、君が女子高生になる理由を探そう」
「そんなの――」
――――――――
「そんなのできるの?」
既に何者かになってしまった人が。
だけど今から、その何者かになる理由を探すなんてことが。
入れ子構造、循環論、まるで合わせ鏡のその先に行くような、そんなことが。
――――――――
⑩
「できるさ」
先生は言う。
「どんなことにだって、遅すぎることなんてない」
「いつ、どこをスタート地点にするのか。それを決められるのは――君だけだから」
――――――――
乾いたページの上に、ぽたりと涙が広がった。
一つ粒、また一粒と、ページの上に広がるしみを見て、私は自分が泣いていることに気付いた。
もう、間に合わないと思っていた。
動機や憧れは、過去からの蓄積で成り立つものであって、今から欲したところで決して手の届かないものなのだと。勝手にそう思い込んで、諦めていた。
華やぐような夢も、きらびやかな目標も、今に至るまでの膨大な人生がなければ、成り立たないのだと。
だけど、もし、今からでも遅くないのであれば。
今から探しても、良いのであれば。
私はまだ、頑張れるだろうか?
⑦
気持ち悪い。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
今日、私は生徒会長に推薦された。
どれだけ嫌だと言ってみても、やんわりと断ってみようとしても、クラスのみんなはそれを謙遜だと思い込んで、「もー、カナは謙虚なんだからー」なんて訳の分からない論理の帰結を口にして、まったく取り合ってはくれなかった。
「よし、じゃあ引っ込み思案な二宮カナのために、多数決をとろうか」
担任の先生の言葉が合図になって、次々に教室の中で手が挙がっていく。
一つ、二つと高らかに挙げられた手は、やがて私以外の全員分の数になった。
「うん、数えるまでもないな。うちのクラスからはカナを推薦するってことで、決まりだな」
なんでも相談にのるから、頑張れよ。
教室の中には負の感情なんてかけらもなかった。誰もが称賛し、喜び、羨望のまなざしを私に向けていた。それはとても幸せな空間だった。誰もが思わず口角をあげてしまうような空気感。意味もなく笑ってしまうような雰囲気。
そんな中で、ただ一人私だけが汚らしい感情を抱いていた。
クラス全員が、笑顔が描かれた仮面をかぶっているように見えた。
教室のどこかに、笑い声を録音したレコーダーが置かれているのだと思った。
生ぬるい空気は私の肌を撫でて、ぬるりと鼻から入り込み、私の肺を満たしたあと、どす黒い血の中に溶け込んで、私の全身を満たしていく。
胃が気持ち悪い痙攣をして、胃酸が食道を焼いた。
思わず嚥下したそれは、口内で逆流して気管を蹂躙する。
クラスメイトの声が遠くから聞こえる。
涙で歪んだ視界にうつるのは、輪郭のぼやけた影ばかりで、わんわんとハウリングする声は脳内で混ざり合って、不協和音を奏でていた。
誰にも見ないで欲しかった。
誰からも声をかけられたくなかった。
そんな思いだけが私の身体を動かして。
気づいた時には、私はいつもの公園にいた。
「今日も勢いよく吐いてるねえ。授業、抜け出してきたのかい?」
そうして、彼の声だけが、やけにはっきりと耳に届いた。
いつもみたいに困ったような笑顔を浮かべながら、ミネラルウォーターを差し出した先生に、私は言う。
「先生。私と逃げて」
ここじゃなければ、どこでもよかった。
学校を感じない場所であれば、なんでもよかった。
ただひたすらに、この気色の悪い日常から抜け出したかった。
「ねえ、一緒に逃げてよ」
繰り返した私に、先生は
「ゲロまみれの女子高生と逃避行とか、マニアックすぎるなあ」
と。
やっぱり困った顔で笑って、私の手を取った。
――――――――
物語も終盤に差し掛かったからだろうか。
最初に比べれば、ずいぶんと文字数が増えている。
だけど私は、いつの間にかそれを苦も無く読み進めることができているし、先が知りたくてページをめくり続けている。
淡々としていた日記の文章も、今は読者の感情を燻すほどに濃密だ。
切れ味がある文章、というのは、こういうのを指すのだろうか。
私はただ、文章に目を走らせる。
結末を知りたかった。
――――――――
⑧
次の日は雨だった。
ミストのような細やかな雨が、公園の木々を濡らしていた。
「雨には色んな名前がついていてね」
先生は雨に濡れながらつぶやくように語った。
「日本人ならではの感性っていうのかな。名前を付けることで、情景の微妙な機微を表せるようにしたんだろうね」
「じゃあ今降ってる雨はなんていうの?」
「小糠雨、かな」
初めて聞く言葉だった。
先生曰く。細かく、けぶるように降る雨のことを言うのだとか。
「そぼ降る小糠雨、なんていうと、雰囲気出るだろう?」
そぼ降るのそぼってなんだよ、と思うし、小糠雨だっていまいちピンと来ているわけではない。
なのになぜか、なぜか妙にしっくりくる。不思議な感覚だった。
「風邪ひくよ?」
芝生の上に寝転がった先生は、体中びしょ濡れだった。服はべったりと肌に張り付き、体の輪郭をあらわにしている。
「いいんだ、これで」
君もやってごらん。
先生に言われるがままに、私はその場であおむけになった。
細やかな雨が、容赦なく私の身体を濡らしていく。
昨日から着たままの制服が水を含んで重たくなった。
スカートは私の太ももにぴったりと張り付いて。
ブラウスやチョーカーも、自分の役割を忘れたみたいにくたっと濡れた。
「自分が浮き彫りになる気がしない?」
制服を着ている時、私は女子高生の役割を演じていた。
女子高生というタグがついた人間。
紙の上に押された、女子高生というハンコ。
切っても切っても女子高生が現れる金太郎飴。
だけど今、降りしきる雨が制服を濡らして、役割を放棄させてくれていて。
それで私という輪郭を、そのまま世界にかたどってくれているから。
「話してくれないか。君の悩みを」
私は口を開いた。
堰を切ったように、言葉が次々と飛び出した。
きっかけも原動力も何もない自分が、この先どうなるのか考えるのが怖かった。
みんなが楽しそうに過ごしているのを、演じているだけだ、思い込んでいるだけだ、気持ち悪い、ああはなりたくないって自分に言い聞かせていた。
こんな自分が、周りからみればちゃんと女子高生なことが怖かった。
私は何になればいいのか分かっていないのに、他の人が押し付けてきた型に収まれば、みんなはそれを見て満足して、じゃあそれは私じゃなくてもいいんじゃないかって、他の誰かでもよかったんじゃないかって、なら結局、私は何者なんだろうって思うと、それすら怖くて。
制服にあこがれて入った子がうらやましかった。
野球部に入れてうれしそうな子が妬ましかった。
文化祭を楽しみにしている子たちにあこがれた。
帰りにファミレスによっていく人たちを目で追っていた。
「それでも」「私はその行為をしたいわけじゃなくて」
「真似したいわけじゃなくて」
「混ざりたいわけでもなくて」
「そういう人たちに、ただ、あこがれているだけだから!」
「うらやましいだけだから!」
「だから!」
「だから、どうすればいいのか! 全然、全然!」
「全然っ!」
「分からないんだよ!」
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私は――カナに自分を重ねていた。
大学時代、当時付き合っていた彼氏に言われた一言がきっかけで、アナウンサーを目指した。
そして、なった。
なってしまった。
中途半端に器用な性格が災いして、私はなんとなく目指した職業に就いてしまった。
だけど、この業界に入って気づく。
ここにいるのは、アナウンサーになるべくしてなった人ばかりだ。
小さい頃にみたテレビがきっかけで、あるいは、校外学習での出会いを皮切りに、その日から憧れの人たちと同じ舞台に立つことを夢見て、ひたすらに邁進し続けた人たち。
数年、あるいは数十年燃やし続けてきた熱意は、就職したことでより一層その熱を増し、これから先も前に進む足を止めることはないだろう。
だけど私には「それ」がない。
確固たる理由から今に至らない私は、一体いつまで走り続けられるのだろうか?
私の目の前に広がるのは、壮大な大海原でも、光り輝く未来でもなく、ただぼっかりと口を開いて待っている、先の見えない常闇だ。
アナウンサーの仕事を楽しそうにこなす麻衣子がうらやましかった。
希望に満ちた目で私を見る琴音ちゃんを直視できなかった。
そして。
そして、自分のきっかけを偽る本庄翼に腹が立った。
知っている、分かっている。
ただの自己嫌悪の延長。壮大な八つ当たりだ。
当時の彼氏にそそのかされた浅はかな自分が嫌いじゃないなどと嘘をつき、そのくせ面接では昔からアナウンサーにあこがれていたなどと嘘をつき。
嘘に嘘を塗り固めた自分を、反吐が出るほどに嫌いなくせに。
求めることも諦めることもできないままに、宙ぶらりんな毎日を送っている自分を見て見ぬふりをする。
そんな自分を――あの日、本庄翼の言葉の中に垣間見た気がしたのだ。
「っとに……最低だ、私」
だけど本庄翼は、私に本を渡してくれた。
きっと岸谷アナは気に入ると思います。
彼女の言葉に、自分勝手にも私は、かすかな期待を寄せているのかもしれない。
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⑨
「そうか」
とだけ、先生は呟いた。
こんなこと言っても、困らせるだけだ。
みんなが昔から培ってきた感性や動機を、私は持ち合わせていない。
何かに恋焦がれることなんてなかった。
鮮烈な憧れの感情もなかった。
だけど今、初めて羨望の対象となった人たちが、過去から現在にかけて、そういうきらきらした、パステルカラーの感情を持ち合わせているから、だからもう、どうしようもないんだ。
「じゃあさ」
その時、雨が止んだ。
「今を起点にしようか」
先生の言葉の意味が分からなくて、私はばかみたいに同じ言葉を繰り返す。
「いま、を……?」
「うん。今から、君が女子高生になる理由を探そう」
「そんなの――」
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「そんなのできるの?」
既に何者かになってしまった人が。
だけど今から、その何者かになる理由を探すなんてことが。
入れ子構造、循環論、まるで合わせ鏡のその先に行くような、そんなことが。
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「できるさ」
先生は言う。
「どんなことにだって、遅すぎることなんてない」
「いつ、どこをスタート地点にするのか。それを決められるのは――君だけだから」
――――――――
乾いたページの上に、ぽたりと涙が広がった。
一つ粒、また一粒と、ページの上に広がるしみを見て、私は自分が泣いていることに気付いた。
もう、間に合わないと思っていた。
動機や憧れは、過去からの蓄積で成り立つものであって、今から欲したところで決して手の届かないものなのだと。勝手にそう思い込んで、諦めていた。
華やぐような夢も、きらびやかな目標も、今に至るまでの膨大な人生がなければ、成り立たないのだと。
だけど、もし、今からでも遅くないのであれば。
今から探しても、良いのであれば。
私はまだ、頑張れるだろうか?
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