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第一幕:岸谷真雪の場合
(7)B-Side
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――――――――
①
みんなが高校生の役割を演じていた。
それをとても、気持ち悪いと思った。
――――――――
最初の一ページは、たった二行しか書かれていなかった。
なのになぜか、頭に残る。
私はそのままページをめくる。
――――――――
②
高校生になった。
別になりたくもなかったけど、なってしまったものは仕方がない。
「おはよう、カナ。今日から高校生だね!」
美優はそう言って楽しそうに笑っていたけど、あの嬉しそうな顔が私には理解できなかった。
一つ年を取っただけ。
ただ、所属する場所が変わっただけ。
束縛する箱の名前が変わっただけ。
それなのになぜ、あんなにも嬉しそうにできるんだろう?
そういえば彼女は言っていた。
「私ね、高校生になったらやりたかったことがあるんだ」
なに? と聞くと、甲子園の応援、と美優は答えた。確かにこの高校は野球部が強くて有名だ。
「あと、文化祭も楽しみ!」
毎年桜華祭とかいう名前で、派手な文化祭が開かれていたことを、私はその時うすぼんやりと思い出した。それくらいに、記憶に残っていなかった。
高校生活をこんなにも楽しみにしているのは、お祭り大好き楽観主義の美優くらいのものだと思っていたのだけど、教室に入った時、中に立ち込めるウキウキそわそわとした雰囲気に、私は思わず顔をしかめた。
思っていた以上に、みんな新しい生活の始まりに期待を寄せているらしい。
何がそんなに楽しみで、期待を胸に膨らませているのだろうか。
まったく全然、これっぽっちも分からないなと思いながら、挨拶をしてくるクラスメイトに、私は「おはよう」と笑顔で答えた。
気持ち悪かったので、帰り道、公園の茂みで一度吐いた。
昼に食べた学食のパンが、どろどろになって雑草に張り付いていた。
――――――――
物語は日記形式で進んでいく。
日記という体で進むからか、とにかく登場人物の紹介がない。
美優という少女が幼馴染で、主人公の二宮カナと一番仲が良いことだけは分かったが、それ以外の名前は、日記の中で二回以上出ることがほとんどなかった。
彼女が他のクラスメイトをどのように見ていたのかが、この描写の薄さからも伝わってくる。
モブ、というのだろうか。カナにとって、周囲の人間は賑やかしでしかない。
一番付き合いの長い美優にだって、内心では冒頭のような見下した態度を取っている。
「あんたは優秀だもんね」
思わずつぶやく。カナは非の打ちどころのない、優秀な生徒だった。成績は優秀、スポーツは万能、眉目秀麗を地で行く彼女は、表面を取り繕うのもうまく、クラスメイトや先生からも広く愛されていた。
だからこそ、私(読者)の目には歪に映る。
彼女の日記は淡々とした筆致で進みながらも、隠せないくらいに毒にまみれていて、カナがいつか、なにか、とんでもないことをやらかしてしまうのではないかと、不安になる。
何か大きな事件が起こる予兆があるわけではない。ドラマチックな設定があるわけでもない。
ただじわじわと真綿で首を絞められるような、背後からじりじりと忍び寄ってくるような危うさが、私にページをめくらせる。
この日私は、五分の一ほど読み進めた。
最後のシーンはこうだ。
――――――――
③
「水いる?」
公園の茂みで吐いていた私に声をかけてきたのは、この公園でよく、昼寝をしている男性だった。
歳は多分、三十半ばくらい。
中肉中背、パーカーにジーンズのラフな装い、髭はきちんとそられていて、清潔感がある。
いりませんと私が言うと
「そっか」
とあっさりと離れて行こうとした。私に興味がないみたいな言動に少しいらついて、やっぱりください、と私は彼を呼び止めた。
それから少しの間、私はその人――野宮信二の話を聞いていた。
野宮さんはホームレスだった。
それにしては身なりが整っていて、清潔感がある。
「貯金を切り崩して見栄を張ってるんだよ。プライドの高いホームレスってやつ。貯金が尽きたら、死のうと思ってるんだ」
「へぇ、後どれくらい生きられるの?」
「一年はもたないかな」
ちょっと面白そうな人だったので、私は彼と、明日からも公園で会う約束をした。
――――――――
私の生活に本が入り込んでから、一週間が経った。全部で三百ページほどある単行本は、既に半分ほど読み終わっていた。
朝、職場へ行く電車の中で、あるいは、仕事と仕事の合間の時間に。
そして帰ってきてお風呂を沸かしている間の、わずかな時間に。少しずつ、しかし着実に、私は本を読み進めていた。
普段本を読まない私が、こんなにもあっさりと、物語に入りこむことが出来たのは、ひとえにこの本の構成が、私のライフスタイルに合っているからだろうと思う。
日記という構成になっているからか、内容に区切りがつく速度が速い。
加えて、高校生の日記だからか、難しい言葉が頻出せず、短く、簡潔に、まるで女子高生の会話を聞いているような気分で、肩ひじを張らずに読むことができる。
普段、スマホでネットの記事や、ツイッターに触れている私は、短い文章で構成されたコンテンツに複数触れている。それは、隙間時間に楽しむことができるお手軽な娯楽であり、適度に頭を使わずに済むからだった。
仕事に行く前に、あるいは、仕事から帰った後に、ページをぎっしりと黒く埋める文章の羅列と向き合う元気は、私にはない。
だから、この「少女の日記。落ちる雨」は、私がスマホをいじっていた時間に、するりと置換された。
もし、彼女、本庄翼がそこまで見抜いてこの本を選んでいたのだとしたら――本当に、かなわないな、と思う。
「真雪ちゃーん、今休憩中? ちょっとだけ時間いい?」
ディレクターの声に顔をあげ、読んでいた本をぱたむと閉じた。
「あれ? それもしかして、この前の取材で選んでもらったっていう本? おやおや真雪ちゃん、本気で秀才系路線で売ってっちゃう?」
「あはは、それはないですよー。ただ、まあ……思ってたよりも、悪くないですね」
「……へえ」
「なんですか、その意外そうな顔。そんなことより、何か私に用があったんじゃないんですか? その人と」
ディレクターの隣に立っている女性に目を向けると、彼女はもともと伸びていた背筋をさらに伸ばした。
「し、白井琴美です! 来月から東都テレビでリポーターとしてお手伝いさせていただきます! どうぞよろしくお願いいたします!」
そういえばいつだったか、いくつかの大学に学生リポーターの募集をかけるって言ってたっけ。大学生のうちから、テレビの裏側の裏側に興味をもつ人は一定数いて、割と倍率は高いって話だったはずだ。
「琴美ちゃんは、将来アナウンサーになりたいらしくてね。今のうちから現場に慣れておきたいんだってさ。先輩として、色々教えてあげてよ」
よろしくお願いします! と綺麗にお辞儀をした彼女に、私は問う。
「琴美さんは、小さいころからアナウンサーになりたかったの?」
「は、はい! テレビに出ている人たちって、みんなキラキラ輝いていて、素敵で……。演劇とか色々習ってたんですけど、今はやっぱり。いろんな人に声を届けることができるアナウンサーがいいなって思ってます!」
素敵な答えだ。大学生の頃から積極的にこういう場に顔を出しているのも、行動力があっていい。
「そう。だったら私より、奄峰さんの方がいいかも。彼女も昔からアナウンサー志望だったらしいから、色々ためになる話、聞けるかもよ」
「あれ? 真雪ちゃんも面接のとき、同じようなこと言ってなかったっけ?」
「そうでしたっけ? とりあえず、奄峰さんには話、通しとくから。じゃあ私はこの辺で」
頑張ってね、と声をかけると、琴美ちゃんは嬉しそうに頭を下げた。
なぜ、アナウンサーを目指したのか。なぜこの局を受けたのか。
面接時、必ず聞かれる質問だ。
そして私はなんと答えたか――覚えていなかった。
――――――――
④
「学校の授業がつまんなすぎてさ。この前、急にテロリストが襲ってきたらどうなるかなーって妄想してたの」
「はは、僕もよくやったなあ。それで、どうなったんだい?」
「みんな死んじゃった。私も含めて、みんな。最終的に自衛隊が乗り込んできて、テロリストとの激しい戦闘が行われて、学校は跡形もなくなってしまうの」
「ええ……暗いなぁ……」
「じゃあ、そういう先生はどんな妄想してたのよ。一人立ち向かって、襲い来るテロリストをやっつけて、ヒーローになる、みたいな?」
「いや。僕は死んだよ。一番先に」
「先生のも暗いじゃん」
「そうかな? その後に殺される生徒たちは、みんな自分のことに精いっぱいで、誰が死んだのかなんて気にも留めないけど、最初に死んだ僕だけは、みんなに見てもらえる。それって、素敵なことじゃないかな?」
「いや、素直に気持ち悪い」
「傷つくなあ」
やっぱり先生は変わっていた。
だけど、そんな先生の話を聞くのが楽しくて、私は毎日公園に通った。
――――――――
カナは野宮というホームレスのことを「先生」と慕うようになっていた。
ホームレスになる前に働いていたころの貯金を少しずつ使いながら、漫画喫茶やカプセルホテルを転々とし、天気がいい時は公園のベンチや、池のほとりで寝たりする。
そんな悠々自適な生活を送る野宮の姿が、カナの目には楽しそうに映ったようだ。
野宮と出会ってから、彼女自身のセリフが頻繁に日記の中に出てくるようになった。
二人の会話はとりとめがないようで、それでいて少しひねていて。「なにそれ」と思わず吹き出してしまうような言葉の応酬が、面白かった。
カナは、野宮のもとに頻繁に通うようになる。
クラス委員長に推薦された日、文化祭の実行委員に選ばれた日、テストで満点を取って褒められた日、全国読書感想文コンクールで文部科学大臣賞に選ばれた日。彼女は野宮のもとへ行き、毒を吐いた。
――――――――
⑤
「へえ、今度は文部科学大臣の名前まで入ってるのか。すごいじゃないか」
「全然すごくない。こんなの『良い女子高生で賞』以上のなにものでもないんだから」
「カナちゃんはひねくれてるなあ」
「私がひねくれてるんじゃない。世の中がひん曲がってるのよ」
――――――――
頑なに女子高生であることを拒みながらも、学校では品行方正な優等生を演じるカナ。
彼女の生き方と言葉はひどく歪で……そしてその歪みを生んでいる膿の正体が、私には何となく見当がついていた。
答え合わせをするように、ページをめくる速度があがってきたその時、電話が鳴った。
反射的に通話ボタンを押すと、間延びしたのんきな声が耳に飛び込んできた。
「まーゆーきーちゃーん!」
「なあに、麻衣子。今忙しいんだけど」
ネットで買った花柄のしおりを挟んで、本を閉じる。本を読んでいることを「忙しい」なんて形容する時がくるなんて、思わなかったな。
「いつものカフェに琴美ちゃんといるから、一緒にお茶しようよー」
琴美、と聞いてすぐに顔が出てこなかったが、そうか、この前の大学生か。
もう麻衣子に声をかけたなんて、やっぱり行動力のある子だ。
「悪いけど今日はパス。家でやりたいことがあるから」
「えー。でも琴美ちゃんも真雪ちゃんの話、聞きたいって言ってるよー?」
ねー、と麻衣子が電話の向こうで琴美ちゃんに声をかけると
「はい! 岸谷さんがどんな風にアナウンサーを目指したのか、聞きたいです!」
という声が、やや遠くから聞こえた。
どんな風にアナウンサーを目指したのか、ね。
それを聞いて、どうするというのだろう?
私の過去が、遍歴が、経歴が、彼女の今後に何か影響を与えるのだろうか?
知らず知らずのうちにスマホを握る手に力が入り、皮膚がこすれるぎちぎちという音がした。
「ほら、琴美ちゃんもこう言ってるし。ここは先輩として、いずれ後輩になるかもしれない子にアドバイスを――」
「ごめん、麻衣子」
私は彼女の言葉を最後まで聞かず、遮った。
「埋め合わせは、また今度するから」
今は何も考えず。
ただ早く、本の続きが読みたかった。
①
みんなが高校生の役割を演じていた。
それをとても、気持ち悪いと思った。
――――――――
最初の一ページは、たった二行しか書かれていなかった。
なのになぜか、頭に残る。
私はそのままページをめくる。
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②
高校生になった。
別になりたくもなかったけど、なってしまったものは仕方がない。
「おはよう、カナ。今日から高校生だね!」
美優はそう言って楽しそうに笑っていたけど、あの嬉しそうな顔が私には理解できなかった。
一つ年を取っただけ。
ただ、所属する場所が変わっただけ。
束縛する箱の名前が変わっただけ。
それなのになぜ、あんなにも嬉しそうにできるんだろう?
そういえば彼女は言っていた。
「私ね、高校生になったらやりたかったことがあるんだ」
なに? と聞くと、甲子園の応援、と美優は答えた。確かにこの高校は野球部が強くて有名だ。
「あと、文化祭も楽しみ!」
毎年桜華祭とかいう名前で、派手な文化祭が開かれていたことを、私はその時うすぼんやりと思い出した。それくらいに、記憶に残っていなかった。
高校生活をこんなにも楽しみにしているのは、お祭り大好き楽観主義の美優くらいのものだと思っていたのだけど、教室に入った時、中に立ち込めるウキウキそわそわとした雰囲気に、私は思わず顔をしかめた。
思っていた以上に、みんな新しい生活の始まりに期待を寄せているらしい。
何がそんなに楽しみで、期待を胸に膨らませているのだろうか。
まったく全然、これっぽっちも分からないなと思いながら、挨拶をしてくるクラスメイトに、私は「おはよう」と笑顔で答えた。
気持ち悪かったので、帰り道、公園の茂みで一度吐いた。
昼に食べた学食のパンが、どろどろになって雑草に張り付いていた。
――――――――
物語は日記形式で進んでいく。
日記という体で進むからか、とにかく登場人物の紹介がない。
美優という少女が幼馴染で、主人公の二宮カナと一番仲が良いことだけは分かったが、それ以外の名前は、日記の中で二回以上出ることがほとんどなかった。
彼女が他のクラスメイトをどのように見ていたのかが、この描写の薄さからも伝わってくる。
モブ、というのだろうか。カナにとって、周囲の人間は賑やかしでしかない。
一番付き合いの長い美優にだって、内心では冒頭のような見下した態度を取っている。
「あんたは優秀だもんね」
思わずつぶやく。カナは非の打ちどころのない、優秀な生徒だった。成績は優秀、スポーツは万能、眉目秀麗を地で行く彼女は、表面を取り繕うのもうまく、クラスメイトや先生からも広く愛されていた。
だからこそ、私(読者)の目には歪に映る。
彼女の日記は淡々とした筆致で進みながらも、隠せないくらいに毒にまみれていて、カナがいつか、なにか、とんでもないことをやらかしてしまうのではないかと、不安になる。
何か大きな事件が起こる予兆があるわけではない。ドラマチックな設定があるわけでもない。
ただじわじわと真綿で首を絞められるような、背後からじりじりと忍び寄ってくるような危うさが、私にページをめくらせる。
この日私は、五分の一ほど読み進めた。
最後のシーンはこうだ。
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③
「水いる?」
公園の茂みで吐いていた私に声をかけてきたのは、この公園でよく、昼寝をしている男性だった。
歳は多分、三十半ばくらい。
中肉中背、パーカーにジーンズのラフな装い、髭はきちんとそられていて、清潔感がある。
いりませんと私が言うと
「そっか」
とあっさりと離れて行こうとした。私に興味がないみたいな言動に少しいらついて、やっぱりください、と私は彼を呼び止めた。
それから少しの間、私はその人――野宮信二の話を聞いていた。
野宮さんはホームレスだった。
それにしては身なりが整っていて、清潔感がある。
「貯金を切り崩して見栄を張ってるんだよ。プライドの高いホームレスってやつ。貯金が尽きたら、死のうと思ってるんだ」
「へぇ、後どれくらい生きられるの?」
「一年はもたないかな」
ちょっと面白そうな人だったので、私は彼と、明日からも公園で会う約束をした。
――――――――
私の生活に本が入り込んでから、一週間が経った。全部で三百ページほどある単行本は、既に半分ほど読み終わっていた。
朝、職場へ行く電車の中で、あるいは、仕事と仕事の合間の時間に。
そして帰ってきてお風呂を沸かしている間の、わずかな時間に。少しずつ、しかし着実に、私は本を読み進めていた。
普段本を読まない私が、こんなにもあっさりと、物語に入りこむことが出来たのは、ひとえにこの本の構成が、私のライフスタイルに合っているからだろうと思う。
日記という構成になっているからか、内容に区切りがつく速度が速い。
加えて、高校生の日記だからか、難しい言葉が頻出せず、短く、簡潔に、まるで女子高生の会話を聞いているような気分で、肩ひじを張らずに読むことができる。
普段、スマホでネットの記事や、ツイッターに触れている私は、短い文章で構成されたコンテンツに複数触れている。それは、隙間時間に楽しむことができるお手軽な娯楽であり、適度に頭を使わずに済むからだった。
仕事に行く前に、あるいは、仕事から帰った後に、ページをぎっしりと黒く埋める文章の羅列と向き合う元気は、私にはない。
だから、この「少女の日記。落ちる雨」は、私がスマホをいじっていた時間に、するりと置換された。
もし、彼女、本庄翼がそこまで見抜いてこの本を選んでいたのだとしたら――本当に、かなわないな、と思う。
「真雪ちゃーん、今休憩中? ちょっとだけ時間いい?」
ディレクターの声に顔をあげ、読んでいた本をぱたむと閉じた。
「あれ? それもしかして、この前の取材で選んでもらったっていう本? おやおや真雪ちゃん、本気で秀才系路線で売ってっちゃう?」
「あはは、それはないですよー。ただ、まあ……思ってたよりも、悪くないですね」
「……へえ」
「なんですか、その意外そうな顔。そんなことより、何か私に用があったんじゃないんですか? その人と」
ディレクターの隣に立っている女性に目を向けると、彼女はもともと伸びていた背筋をさらに伸ばした。
「し、白井琴美です! 来月から東都テレビでリポーターとしてお手伝いさせていただきます! どうぞよろしくお願いいたします!」
そういえばいつだったか、いくつかの大学に学生リポーターの募集をかけるって言ってたっけ。大学生のうちから、テレビの裏側の裏側に興味をもつ人は一定数いて、割と倍率は高いって話だったはずだ。
「琴美ちゃんは、将来アナウンサーになりたいらしくてね。今のうちから現場に慣れておきたいんだってさ。先輩として、色々教えてあげてよ」
よろしくお願いします! と綺麗にお辞儀をした彼女に、私は問う。
「琴美さんは、小さいころからアナウンサーになりたかったの?」
「は、はい! テレビに出ている人たちって、みんなキラキラ輝いていて、素敵で……。演劇とか色々習ってたんですけど、今はやっぱり。いろんな人に声を届けることができるアナウンサーがいいなって思ってます!」
素敵な答えだ。大学生の頃から積極的にこういう場に顔を出しているのも、行動力があっていい。
「そう。だったら私より、奄峰さんの方がいいかも。彼女も昔からアナウンサー志望だったらしいから、色々ためになる話、聞けるかもよ」
「あれ? 真雪ちゃんも面接のとき、同じようなこと言ってなかったっけ?」
「そうでしたっけ? とりあえず、奄峰さんには話、通しとくから。じゃあ私はこの辺で」
頑張ってね、と声をかけると、琴美ちゃんは嬉しそうに頭を下げた。
なぜ、アナウンサーを目指したのか。なぜこの局を受けたのか。
面接時、必ず聞かれる質問だ。
そして私はなんと答えたか――覚えていなかった。
――――――――
④
「学校の授業がつまんなすぎてさ。この前、急にテロリストが襲ってきたらどうなるかなーって妄想してたの」
「はは、僕もよくやったなあ。それで、どうなったんだい?」
「みんな死んじゃった。私も含めて、みんな。最終的に自衛隊が乗り込んできて、テロリストとの激しい戦闘が行われて、学校は跡形もなくなってしまうの」
「ええ……暗いなぁ……」
「じゃあ、そういう先生はどんな妄想してたのよ。一人立ち向かって、襲い来るテロリストをやっつけて、ヒーローになる、みたいな?」
「いや。僕は死んだよ。一番先に」
「先生のも暗いじゃん」
「そうかな? その後に殺される生徒たちは、みんな自分のことに精いっぱいで、誰が死んだのかなんて気にも留めないけど、最初に死んだ僕だけは、みんなに見てもらえる。それって、素敵なことじゃないかな?」
「いや、素直に気持ち悪い」
「傷つくなあ」
やっぱり先生は変わっていた。
だけど、そんな先生の話を聞くのが楽しくて、私は毎日公園に通った。
――――――――
カナは野宮というホームレスのことを「先生」と慕うようになっていた。
ホームレスになる前に働いていたころの貯金を少しずつ使いながら、漫画喫茶やカプセルホテルを転々とし、天気がいい時は公園のベンチや、池のほとりで寝たりする。
そんな悠々自適な生活を送る野宮の姿が、カナの目には楽しそうに映ったようだ。
野宮と出会ってから、彼女自身のセリフが頻繁に日記の中に出てくるようになった。
二人の会話はとりとめがないようで、それでいて少しひねていて。「なにそれ」と思わず吹き出してしまうような言葉の応酬が、面白かった。
カナは、野宮のもとに頻繁に通うようになる。
クラス委員長に推薦された日、文化祭の実行委員に選ばれた日、テストで満点を取って褒められた日、全国読書感想文コンクールで文部科学大臣賞に選ばれた日。彼女は野宮のもとへ行き、毒を吐いた。
――――――――
⑤
「へえ、今度は文部科学大臣の名前まで入ってるのか。すごいじゃないか」
「全然すごくない。こんなの『良い女子高生で賞』以上のなにものでもないんだから」
「カナちゃんはひねくれてるなあ」
「私がひねくれてるんじゃない。世の中がひん曲がってるのよ」
――――――――
頑なに女子高生であることを拒みながらも、学校では品行方正な優等生を演じるカナ。
彼女の生き方と言葉はひどく歪で……そしてその歪みを生んでいる膿の正体が、私には何となく見当がついていた。
答え合わせをするように、ページをめくる速度があがってきたその時、電話が鳴った。
反射的に通話ボタンを押すと、間延びしたのんきな声が耳に飛び込んできた。
「まーゆーきーちゃーん!」
「なあに、麻衣子。今忙しいんだけど」
ネットで買った花柄のしおりを挟んで、本を閉じる。本を読んでいることを「忙しい」なんて形容する時がくるなんて、思わなかったな。
「いつものカフェに琴美ちゃんといるから、一緒にお茶しようよー」
琴美、と聞いてすぐに顔が出てこなかったが、そうか、この前の大学生か。
もう麻衣子に声をかけたなんて、やっぱり行動力のある子だ。
「悪いけど今日はパス。家でやりたいことがあるから」
「えー。でも琴美ちゃんも真雪ちゃんの話、聞きたいって言ってるよー?」
ねー、と麻衣子が電話の向こうで琴美ちゃんに声をかけると
「はい! 岸谷さんがどんな風にアナウンサーを目指したのか、聞きたいです!」
という声が、やや遠くから聞こえた。
どんな風にアナウンサーを目指したのか、ね。
それを聞いて、どうするというのだろう?
私の過去が、遍歴が、経歴が、彼女の今後に何か影響を与えるのだろうか?
知らず知らずのうちにスマホを握る手に力が入り、皮膚がこすれるぎちぎちという音がした。
「ほら、琴美ちゃんもこう言ってるし。ここは先輩として、いずれ後輩になるかもしれない子にアドバイスを――」
「ごめん、麻衣子」
私は彼女の言葉を最後まで聞かず、遮った。
「埋め合わせは、また今度するから」
今は何も考えず。
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