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陽花の夢
しおりを挟む御猪口を差し出しながら、イナリ様が言った。
私が口を開く前に、お姉ちゃんがものすごい剣幕ですぐさま割って入った。
「変なこと言わないで。はっ倒すわよ、クソギツネ」
『変な事ではあるまい。人と神の婚姻など、いくらでも前例があるだろうに。余もたまには嫁を取りたい時もある』
「あんたねぇ。いい加減にしないと――」
「あはは、それは無理ですよー」
たっぷりと御猪口に御神酒を注ぎながら、私は答えた。
『ほぅ? 何故じゃ?』
「ふふ、だって私、普通のお嫁さんになるのが夢なので」
夜眠りにつく前、想像する。
農家か、武家か、あるいは貴族か。
ううん、身分なんてなんだっていい。
私のことを好きだと言ってくれる、一人の男性と私は恋に落ちて。そして二人で生活をはじめる。
裕福でなくてもいい。ただ、子供は欲しいなと思う。二人か……三人くらいいたら、にぎやかでいいな。
一生寄り添ってくれる旦那さんと、その人との間に授かった大切な子供。
温かくて優しい家族に囲まれて、たおやかな時間を過ごす。
そんな光景を想像しながら、私はいつも、夜を過ごす。
「……陽花」
『それは叶わぬ夢じゃな』
お姉ちゃんの気持ちを代弁するように、イナリ様が言った。
『巫女はヒトの子と結ばれてはならぬ。巫女は敷地の中から出てはならぬ。俗な輩と交われば、汝らが余から神託を授かる力は失われる。「ヨウカ」よ、それは破ってはならぬ掟ぞ』
私たち二人に投げかけた言葉だったのだろう。イナリ様は私達の名前を呼んで、そう告げた。
私たち巫女は、生涯、屋敷とイナリ様のいるこの神域の中以外に行くことはできない。
もちろん、ヒトの子と婚姻を結ぶことはできない。
ずっと……ずっと昔、この掟を破った一人の巫女がいたらしい。
その巫女はイナリ様から神託を預かる力を失い、しばらくの間、国は大いに荒れたそうだ。
それ以来、掟は絶対とされ、長きにわたり守られてきた。
「ちょっとあんた、言い方ってものが――」
「知っています」
そんなことは、知っている。
「知っていますよ」
家庭を築くことはおろか、私たちは小さな……本当に小さな世界から抜け出す事すらできない。
広い草原の上を走り回ることも。
透き通った湖で泳ぐことも。
沢山の友達を作ることも。
覚えきれないくらいの人ごみの中で、自分と縁のある人を見つけることも。
何も、できない。
本の中でしか見ることのできない光景に、乏しい知識を手繰り集めた空想に、決して手が届かないことなど知っているのだ。
「でも、いいんです。それでも私は、夢を見るんです。本気で、全力で」
だからといってそれは、夢を見ない理由にはならない。
見てはいけない理由にもならない。
そしてそれを否定する権利は……きっと誰も持ち合わせてはいない。私はそう思う。
『……く……くか……くかかかかかかかかっ!』
数拍置いて、イナリ様が笑った。
それはそれは楽しそうに、笑った。
『良い! 良いなぁ、陽花! 決して手が届かぬ理想と知りながら、それでも尚、手を伸ばし続けるのか! 理想と現実の乖離を感じ、誰しもが目を背け、心折れるほどの高い高い壁を前にしても、あっけらかんと夢を直視し続けるのか! くかか! くかかか! 愉快じゃ! これは愉快じゃ! なぁ、陽花、陽花! 陽花よ!』
陽だまりの娘、とは呼ばず、イナリ様は私の名前を呼んだ。
真っ赤に燃ゆる切れ長の瞳をにやりと向けて。
『……そんなに健気だと、叶えてやりたくなるではないか』
「……?」
『くきき……。今宵は酒がうまい。もっとじゃ……もっと酒を持ってこい!』
その日の宴は、いつもよりも長く続いた。
何度か屋敷と神域を往復して、提子の中に御神酒を足したり、新鮮な肴をお供えしたりした。
やがて――提子の中身が何度目かの乾きを迎えた頃、イナリ様が上機嫌に言った。
『よぅし。今日の神託は陽花に渡すとしよう』
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