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出題篇 □■□■君は

第十八話 (4) 『悪意と体育倉庫荒し』

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 その後なんとか事情を説明し、疑いの晴れた僕は(晴れたと思いたい)、先生と共に保健室へ夢莉さんを送り届けた。
 どうやら、やはり熱は三十八度近くあったらしく、暫く休んだ方がいいとの事だった。
 左眉の傷は見た目ほど深くはなかったようだが、こちらも包帯か眼帯をつけて、清潔に保つ必要があるそうだ。額だからまだよかったものの、少し場所がずれていたら目を傷つけていたかもしれない。不幸中の幸いといったところだろうか。

 体育倉庫の件は、夜のホームルームで全学年に周知された。
 誰がやったかは分からないが、体育倉庫が荒らされたこと。そして、その場にいた夢莉さんが怪我をしたことが、間違いなく全校生徒に伝わった。
 当然、犯人の耳にも届いていることになるが……果たして名乗り出て来るかは分からない。
 僕があの時感じた直感では、犯人はすぐには名乗りを上げてこないと思う。

 そう、直感だ。

 あの時、荒らされた体育倉庫の現場を見て、そこから僕は犯人の感情をトレースしたんだと思う。
 あの胸を焦がすような感情は、一体何だったんだろうか……。
 撮った写真は、さっきトイレで確認した。
 縄跳びや握力系などの小物が入った棚や体操用マットは倒れていたのは間違いなかったが、どうやら跳び箱は棚が倒れてきたことでドミノ倒しのように崩れてしまったらしい。バスケットボールの入った籠はぶちまけられ、ボールは扉とは反対側の方向へと散乱していたが、一つだけ手前側に転がっていた。
 蛍光灯は派手に割れ、その下には破片が散らばっている。バスケットボールのいくつかはその破片をもろに被ってしまっている。
 逆にこの凄惨な状態の中で、無事な道具もあった。バレーボールの籠はそのままで、壁にかかったバドミントンラケットやネットとポールもそのままの状態だ。
 
 僕はこの写真のどこに、感情を変えるほどの何かを感じ取ったんだろうか。
 ホームルームが終わり、気付けば皆、自分の作業に戻っていた。
 雅樹が扉の大きさを図りながら「ギリギリいけるで! ギリギリ入るからそのサイズで行こう!」と叫んでいる。多分、作った模型を運び込めるかどうか寸法を測っているのだろう。どれだけ大きな模型を作るつもりなんだあいつは……。

「カナタ」
「ん、何、ララちゃん?」

 雑然とする教室の中、ララちゃんが声をかけてきた。

「体育倉庫の件、どうせ犯人捜しをするつもりなのだろう? 今日の放課後、体育館を使っていた人たちに話を聞いてきたから、教えておこうと思ってな」
「え……」
「なんだ、いらないのか?」
「い、いる! いるよ!」

 それはもちろんありがたい情報だし、頭を深々と垂れてお礼をするところなんだけど……まさかララちゃんが手伝ってくれるとは意外だったのだ。
 だってララちゃんは、何か夢莉さんに対して思う所があるみたいだし、だからこそ、基本的に文芸部の活動には手を貸してくれていなかった。今回のことも、夢莉さんが絡んでいるから、手を貸してはくれないと踏んでいたのだけれど。
 そう僕が言うと、ララちゃんは相も変らぬゆるふわヘアーにてを突っ込んで、気まずそうに言った。

「私も鬼ではないからな……誰かが傷ついたとなれば、早急に解決したいと思うんだよ。……わ、悪いか? 文句があるか?」
「いえ、これぽっちもありません」

 一ミリの嘘もなく、僕はそう言った。
 傷ついた人の事を、そして多分……傷付けた人の事を考えて行動しているララちゃんは、すごく素敵だと思った。

「ならいい……。で、今日体育館を使っていた部活だが――――」

 その後、ララちゃんが教えてくれた情報は次の通りだ。
 まず、今日の放課後体育館を使っていたのは、バスケ部、バドミントン部、そしてバレー部の三つの部活。
 この学院の体育館は広く、三つの部活が同時に活動できるくらいの広さはゆうにあった。
 放課後の時間は十六時から十八時までの二時間。
 シャワーの時間があるため、全ての部活が十七時半辺りから後片付けを始め、シャワーダッシュしたらしい。つまり犯行時間は全ての部活が出て行った十七時半以降、ということになる。
 僕と夢莉さんが水谷先生と出会ったのは、十七時四十分頃。
 この僅か十分の間に事件は起こったという事だ。

「どの部活が最後まで体育館に残ってたかは分かってるの?」
「いや、皆シャワーを浴びに行くことに必死で、誰が残っているかなんて考えていなかったみたいだ。ただ、バドミントン部が最初に出て行ったのは間違いないみたいだ」
「なるほど」

 ということは、バドミントン部の生徒は候補からは外れる。
 ……いや、本当にそれでいいのか?
 ララちゃんがにやりと笑った。

「いいじゃないか、カナタ。大分推理する様が板についてきているぞ」
「ちゃ、茶化さないでよ……。ねぇ、ララちゃん。犯行時間近辺に、逆に体育館に向かって行った人はいなかったのかな?」

 体育倉庫で起きた事件だから、体育館使用者が犯人候補だ、というのは、少し勇み足が過ぎる。もし仮に、その時間周辺に体育館に赴いた人物が居るのであれば、その生徒も候補者の一人となる。

「いい質問だ。幸い……というかなんというか、その時間付近に体育館に入ってきた人はいないらしい。帰り際に誰もすれ違っていないし、水谷先生も誰も見てはいないそうだ」

 だとすれば、体育倉庫を荒らした犯人はやはり、体育館を使用していたバレー部、もしくはバスケ部の人間のどちらかということになる。

「まぁ勿論、うちの学校は広いからな。どこかに隠れてやり過ごす事もできたとは思うが……」
「あぁ、それはないと思う」
「ほう?」
「ん?」

 あ、れ?
 僕、なんでそんなにはっきりと断言したんだろう?

「どうしてそう思うんだ?」
「い、いや……それが、僕にもよく分からなくて……」

 煮え切らない僕の答えを受けて、ララちゃんは暫し考えた後言った。

「なるほど。君は実際に現場の光景を見ているからな。そこ情景から共感力(エンパス)を持って、こう感じたんじゃないか? この事件は突発的な感情によるものだと」
「……それだ」

 流石は寄り添う天才、麗華稀月。僕が感じていたぼんやりとした何かを、一瞬で具現化させてしまった。
 そうだ、あの事件は、用意周到に計画されたものではない。
 どこかに隠れて、とか、前もって予定していた通り、とか、そんな小奇麗な事件じゃない。もっとこう……強い、一時の感情を持って行われた、突発的な事件なんだ。
 問題は、一体僕がどの状況からそれを感じ取ったのか、だけど……。

「今回私は現場を見ていないから、こうしてサポートすることしかできないが、一つ知恵を貸しておこう」

 ララちゃんに事件現場の写真を見せれば、あるいはスピード解決するのかもしれない。
 けれど、携帯の持ち込みは校則違反。ララちゃんは気にしないかもしれないが、僕はこれを他人に見せることにまだ抵抗がある。ララちゃんの知恵を借りるのは、最後の手段として取っておこうと思った。

「体育倉庫を荒らした犯人と、君と七々扇さんを倉庫に押し込めた犯人。これが同一人物であるかどうかは、分からない」
「……あ」
「同一人物の可能背ももちろんある。だが、推理に行き詰ったとき、論理が破たんする時、矛盾する時。犯人が二人いると考えるとすんなり筋道が通る事もある。覚えておくことだ」
「……ありがとう」

 とても為になる助言だった。
 確かにあの二つの事件が、必ずしも同一犯によるものだとは限らない。いつもだったらこの辺りは夢莉さんが指摘してくれるところだけど……今彼女は自分の部屋で休んでいるはずだ。

 体育倉庫を荒らした犯人を明らかにしたいというよりは、彼女を傷付けた犯人を探し出したい、と言うのが、僕がこの事件を推理する原動力になっているのだろう。
 例えその二つの犯人が同じであったとしても、別であったとしても。
 僕はそいつを探し出して、何故あんなことをしたのか、聞き出したい。
 そして叶う事なら、彼女に謝って欲しい。そう思った。


◇◇◇


 次の日の放課後。
 僕は礼拝堂の暗号を調べた時と同様に、図書室に赴き、いくつか本を借りた。
 ファウスト、罪と罰、カラマーゾフの兄弟、地獄変、中世に於ける一殺人常習者の残せる哲学日記の抜萃、その他、ネロ・クラウディウスや西太后をモチーフとした小説や犯人視点で描かれたミステリーを、いくつか。
 
 いわゆる『悪』を題材とした小説を僕が知ってる範囲でピックアップしてみた。難しいのは『悪』という概念そのものが、非情に多様な意味合いを含むというところだ。
 例えば、人を殺すのは大罪だ。だけど、その背後に正義があるのであれば、殺人は正当化されるだろうか。その理念をもって行動を起こす人間は、果たして純粋な『悪』なのだろうか。

 残虐な思想の持ち主はもちろん周りには理解されず、それは『悪』と称されるだろう。けれど、その人物の生い立ちや人物関係を辿れば、必ず残虐な思想を持つ原因となったエピソードがあるはずだ。そのエピソードが同情を受けるに足るものだったとすれば、僕らは同じ目を持ってその人物を『悪』とみなせるだろうか。

 と、まぁ、小難しい事を並べ立ててはみたものの。

 要するに僕は、自分の『共感力(エンパス)』が、『悪』と称される感情に対してどう働くのかを知っておきたかったのだ。
 事件現場を見た時に沸いたあのひりつくような感情が、果たして『悪』を感じ取った結果なのかどうか。
 さぁ、確かめてみようか。

 僕は本を開く。

 そして――――飲まれた。

 圧倒的なまでの、暴力的なほどの。

 荒々しく、刺々しく、そして時にどこか物悲しい、彼らの思考に。
 
 黒くて。
 
 黒くて。
 
 理解できないほどに色とりどりの黒で、塗りつぶされていく。

「かーなたっち! ちょっとそこのボールペン取ってくれへん?」

 突き抜けるような能天気な声が、僕の集中を途切れさせた。
 ボールペンがなんだって? 
 そんなの自分で取ればいいじゃないか……。

「あぁ……何?」

 言ってすぐに、自分の声のトーンの低さと、そのぶっきらぼうな言い方に、自分で驚いた。
 なんだ、何言ってんだ僕は。ボールペンくらい、拾ってあげればいいじゃないか。

「ご、ごめん! ボールペン、こ、これか! はいどうぞ!」
「あ、ありがとう……。ごめん、なんか集中してた?」
「い、いや! 全然! なんか喉の調子が悪かったみたいで……あはは、ごめんね」
「な、ならええんやけど。いつもと雰囲気全然違ったからびっくりしたわー」
「き、気のせいじゃないかな!」

 だめだだめだ。これじゃぁただのやばいやつだし、なんなら痛いやつだ。
 登場人物の感情表現が濃すぎる小説は、ダイレクトに僕の感情に影響が出るから少しずつ読むようにしてたのすっかり忘れてた……。

 気づけば既に時刻は十七時半を回っていた。
 シャワーは先に浴びておいたからシャワーダッシュをする必要はないけれど、夕飯が始まるより前に本の世界から帰って来られてよかった。
 そして、一つ分かったことがある。
  
 あの時感じた感情は、悪意ではないのだ。あれは、もっと違う――――。

「……ふぅ」

 だんだんと事件の全容が掴めてきた気がする。
 少し頭を整理したくて、水でも飲みに行こうと立ち上がった時、教室の扉ががらがらと開いた。

「ゆ、夢莉さん!」

 教室に入ってきたのは夢莉さんだった。
 マスクをして、更に額には包帯が巻いてあって、おまけに眼帯をまでしてあるから、重病人のような姿だ。
 目の付近を怪我したからだろうか、今日はコンタクトではなく、メガネをかけている。

「もう大丈夫なの? まだ寝てた方がいいんじゃ……」
「うん……もうちょっと休ませてもらうつもりなんだけど……これ、奏汰くんに見てもらいたくって」

 そう言ってかすれた声で夢莉さんが僕にだけ見えるように渡したのは、一枚の便せんだった。校内の売店で買える、誰にでも手に入るものだ。
 そこにはこう書かれていた。

 『本当にごめんなさい』

 可愛い丸文字は女の子の手によるものの様に見えるけれど……かなり文字が震えていて、真偽は定かではない。

「夢莉さん、これどこにあったの……?」
「うん、私、女子寮の病人用の部屋で寝てたんだけどね……さっき起きたら、ベッドの脇に置いてあったの」
「なるほど……」

 それはまた、あまりにも分かりやすいヒントだ。
 僕は右手をポケットに突っ込み、スマホの画面に触れた。画面を指で叩くと、思考がまとまっていくのを感じる。

「奏汰くん、もしかしてこの事件、もう推理してくれてたりする?」
「うん。大体情報は……出揃ったかな」

 こつん、こつんと。
 脳内に音が響いていく。


『ふと足元に目をやると、体育館の床に点々と白い粉が付いていた』『縄跳びや握力系などの小物が入った棚や体操用マットは倒れ』『あの胸を焦がすような感情は、一体何だったんだろうか……』『バスケットボールの入った籠はぶちまけられ、そこら中にボールが散乱している』『今日の放課後体育館を使っていたのは、バスケ部、バドミントン部、そしてバレー部の三つの部活』『跳び箱も崩れ落ち、挙句の果てには蛍光灯が一つ割れていた』『つまり犯行時間は全ての部活が出て行った十七時半以降、ということになる』『だからこそ……気になるよ』『悪の感情に出会った時、果たして君はどうなってしまうのか、ね』『本当にごめんなさい』『さっき起きたら、ベッドの脇に置いてあったの』


 そうか、だからあの子は……。

「なるほど……」

 大きく息を吐くと、夢莉さんがにゅっと顔を出してきた。
 すっと通った鼻筋の上に乗った赤いメガネが、相変わらず良く似合っていた。
 マスクと眼帯に隠れてはいるけれど、近くで見ると、本当に整った顔をしている。

「わ、分かった?」
「うん、もう大丈夫」

 僕は安心させるように笑顔でそう言った。夢莉さんには一刻も早く寮に帰って養生して欲しい。彼女の肩を、僕はそっと押した。

「だから夢莉さんは、寮に帰って休んでて。後は……やっておくから」
「……分かった。ありがとね、奏汰くん」

 そう言って夢莉さんは笑った。
 もちろんマスクをしていたから顔全体は見えなかったけれど……綺麗な形の目がにこりと笑っていたから、きっと優しく微笑んでいたのだろう。

「あ、そうそう。一つだけいいかな。あのね――――」

 夢莉さんの話を聞き、彼女を見送った後、僕は教室の中を見渡した。
 お目当ての人物は、いない。
 みんなが揃う自習時間を待って、呼び出すしかないだろう。
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