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第四章 『サレ妻』作戦

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 その夜遅く、私は柘植の運転で宿舎へ帰り着いた。俊明からは、何の連絡も無い。きっと、それどころでは無いのだろう。辞職の圧力にいつまで耐えられるかと、私は内心ほくそ笑んだ。
「今日もありがとう。お疲れ様」
 柘植を帰すと、私はすっかり暗くなった駐車場を、一人歩き始めた。その時だった。車の陰から、突然一人の男が飛び出して来た。
「――赤西君!?」
 私は、目を疑った。そういえば、この付近をうろついていると、柘植から聞かされていたが。待ち伏せていたのか。
「今日の会見、見ましたよ」
 赤西は、立ち塞がるように私の前に立った。無性に、嫌な予感がした。
「ダンナ、またやらかしましたね……。でもカナさんにとっては、万々歳じゃないんですか」
「どういう意味?」
 赤西は、薄ら笑いを浮かべている。私は、そんな彼をキッと見返した。
「会見の終わり頃、カナさん、しめたって笑いを浮かべてましたよ」
 ギクリとした。精一杯演技したつもりだが、最後は気が緩んだ気もする。この男は、それに気付いたというのか。
「ダンナに不倫させて、それを利用してイメージアップしようってカナさんの魂胆、わかってますから」
「変な言いがかりは止してよ。それを言うために、ここで待ち伏せてたってわけ?」
 赤西は、それには答えなかった。一瞬沈黙した後、彼は私をにらみつけた。
「別に、そういう戦略取ったっていいじゃないですか。俺が言いたかったのは、何で今回のスクープを、俺に任せてくれなかったんですかってこと。前の女秘書との時みたいに」
 はああ、と私はため息をついた。
「赤西君、政治ネタに転向したいって言ってたじゃない。こんなくだらないネタでデビューして欲しくなかったの。それよりも、もっと高度なニュースをゲットした方が……」
「そうやって舌先三寸で、いつでも俺を丸め込めると思ってるんですか」
 どうしよう、と私は思った。取りあえず、早く去って欲しいのに。こんな所を誰かに見られたら、あらぬ疑いをかけられてしまう。
「誤解しないでください。やっとカナさんと会えて、俺は嬉しいんですよ」
 赤西が、ずいと近付いて来る。私は、反射的に後ずさった。
「いつもいつも、あの秘書に邪魔をされて……。あいつ、絶対カナさんに惚れてるでしょ。だから必死になって、俺を追っ払うんだ」
「赤西君……」
「でも。まさかカナさんの方も、その気だったとは思わなかったな」
 赤西が、ジャケットのポケットからおもむろに何かを取り出す。突きつけられた物を見て、私は息を呑んだ。それは、私と柘植が車中で話している写真だった。ピルのすり替えについて告白し、早川を陥れるよう依頼した時のものだ。いつの間に、撮影していたというのか。
「こんな地味男、カナさん、本気で好きなんですか」
「誤解よ! 打ち合わせしていただけに、決まってるじゃない!」
「そうかなあ」
 赤西は、首を傾げた。
「こんなに、親しそうに? ……ま、どっちでもいいや。問題は、見た人間がどう思うかってことっすよね。報じようによっては、どうとも取れる」
 背中に冷や汗が伝うのを感じた。
「ダンナの浮気、許します、キリッ、て言ってた奥さんが、自分も浮気とか。世間もガックリでしょ」
「……何が目的なの」
 私は、低い声で尋ねた。
「いくら欲しい……」
「金なんか要りませんよ。わかってるでしょ」
 赤西が、不意に私の肩をつかむ。フェンスに押し付けられて、私は悲鳴を上げそうになるのを必死で堪えた。
「ダンナと別れて、俺と一緒になってください。前から、好きだったんですよ。悪くないでしょ? 俺ならいくらでも、カナさんに都合の良い報道をできる……」
「止めて!」
 私は渾身の力を込めて、赤西の体を押し戻した。
「俊明と離婚はしない。あなたと一緒になることも無いから!」
「へえ、そうですか」
 赤西の顔色が変わった。
「だったらこの写真、好きにさせてもらいます」
 言うなり赤西は、くるりと踵を返した。さっさと駐車場の出口に向かって、歩いて行く。
「ちょっと、待ってよ!」
 私は、慌てて追いかけた。あの写真は、まずい。赤西の言う通り、報道のされ方次第では、いくらでも曲解できるだろう。何より、柳内の親に利用されたら。
「待ってってば!」
 赤西は無視して、駐車場を出て行く。道路を渡って行く彼を追おうとして、私は思い止まった。
(ダメだ。こんな場所で騒いでいる所を、誰かに見られたら……)
 写真を取り返す算段は、後で考えるとしよう。そう思って引き返そうとした私の耳に、キキーッという音が響いた。同時に、ドンと体に衝撃が走る。
(何……?)
 なすすべも無く、私は道路に崩れ落ちていた。赤西の姿は、もうとっくに見えなくなっている。そして私のそばに、一台の車が止まった。
(痛い……。助けて……)
 だが、車が止まったのは一瞬だった。私を轢いた車は、無情にも走り去って行った。
「このっ……」
 震える手で、どうにかスマホをポケットから取り出し、ナンバーを撮影する。だが、私の気力はそこまでだった。起き上がるどころか、動くことすらできない。体中が痛かった。(私、このまま死ぬの……?)
 罰が当たったのだろうか、と私はぼんやり思った。色々な人間を、利用してきたから。小百合にまりな、赤西に柘植、そして俊明……。
 でも、と私は腹に手を当てた。この子だけは、救って欲しい。この子に、罪は無いのだから……。
 意識が、次第に朦朧としてくる。私は、無意識にスマホを弄っていた。どうしても消せなかった連絡先を、かろうじて探り当てる。迷わず、着信していた。
『華奈ちゃん? もしもし?』
 薄れていく意識の中で、京亮の声が聞こえた気がした。
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