九年セフレ

三雲久遠

文字の大きさ
上 下
16 / 25

十六話

しおりを挟む
「全部……、俺のせい……?」

 つい、こんな言葉が口から溢れた。
それは違うと新堂は首を振る。

「おまえを諦めきれないくせに、中途半端にぐずぐずしていた俺の責任。
 付け込まれたのは自業自得だけど、やられっぱなしってのも癪に障る。
 まぁ、見とけ」
 
 新堂は不遜な顔でふふんと鼻を鳴らす。
だけど、もし俺がいなかったら、新堂はすんなり結婚していたのではないのか。
それならそれで、新堂にベタ惚れのあの女と幸せな家庭を築けたかもしれない。
叔父さん夫婦も会社は安泰で、今まで通りやっていけたかもしれない。

 やっぱり、俺のせいじゃないのか。
同情か憐憫か。
九年も未練たらしく縋り付いていたセフレを切れず、新堂は人生を大きく狂わせてしまう。
まるで貧乏神じゃないか。
この部屋にとぐろを巻いて、俺は新堂に道を誤らせている。

 ゆっくり長い腕が伸びてきて、俺の体を絡め取るように強い力で抱きしめられた。

「何があっても離さないから」

 新堂の掠れ声が、俺の耳元で夢のような言葉を囁く。
俺は必死に大きな背中に両腕を回してしがみつく。
ぎゅっと両目を閉じたら、ぽたぽたと頬に涙が零れた。
どうすればいいのか、もうワケが分からない。

「もう泣かせたりしない」

 耳の奥底に落ちていく優しい声。
新堂は本当に俺に言っているのか?
甘い気分が、ガチガチに強張った俺の体のひび割れから染みていく。
今だけは、こんな夢みたいな新堂に甘えさせてもらっていいのか。

「緒方……、好きだ……」

 掠れ声の囁きに、俺は自分の耳を疑った。

「……はは、初めて聞いたな……」

 嫌味半分、苦笑いしながら、可愛くない返事をしてしまった。

「そんなことない」

 新堂は大真面目に反論してくる。

「おまえだけだ、緒方。好きだ……」

 俺は目を閉じて、もう一度その言葉を聞いた。
甘やかな新堂の声は、凶悪過ぎて心臓に悪い。
ぐちゃぐちゃになった俺の心は、もう何がなにやら。
でも、新たな涙と嗚咽が、胸の奥に湧き上がってくる。

 嘘でいい。本気でなくていい。
ベッドで相手を喜ばせる、口先だけの戯れでいい。
新堂の唇が、俺を好きだと動くのを見てみたいと、ただひたすらに願い続けてきた。

「ずっと言ってたよ」

 新堂は、俺の肩に顎を載せて、しらばっくれてくれる。

「嘘吐け、そんなの、一度も聞いてない……」
「言ってた。心の中で」
「はぁ? 心の中ぁ?」

 こんな子供じみたことを言うなんて、哀しいような、何だか本気で腹が立つ。
俺がむっとしたのが分かったのか、新堂は俺の頬にキスしながらくすりと笑った。

「俺が好きか?」
「好きだよ!」

 九年の間、何度これを繰り返しただろう。いつものセリフに、噛みつくように返した。

「俺もだ」

 俺の髪を撫で、顔を覗き込みながら、くしゃりと悪戯っぽく新堂が目を細めた。

「俺が好きか?」
「……好き…だ……?」

 また繰り返す同じ言葉。
それに、半信半疑で応える。

「俺も。おまえが好きだ」

 新堂は、言い聞かせるように、顔を覗きこんで囁いてくる。

「何、それ……、嘘ばっか……」

 口先だけの戯れのようで、こればっかりは信じられなくて、新堂から目を逸らした。

「緒方、あのね。好きじゃない相手に、好きか、なんて聞かない」
「……」

 俺の頬を両手で包み、笑顔の新堂は、なおも俺に言って聞かせる。
腹が立つやら、泣けてくるやら、俺の涙が流れ落ちるのを、優しい指がぬぐってくれた。

「ごめんな……、緒方。言えなかった」
「……う……っ、く……っ」

 ついに子供のようにひっくひっくと泣きじゃくる俺を、新堂は抱きかかえ、背中をとんとんと叩いてくれる。

「好きだって言うことは、責任を取るってことだ。俺にはその自信がなかった」
「酷いよ……」
「うん、酷いよな……」

 何度も何度も、もしかしたらと虚しい願いが頭をもたげた。
好きという同じ言葉で答えてほしい。
その度に、期待は無駄だと自分に言い聞かせてきた。

「何も考えてなかった学生の頃に、好きだと言ってしまえば良かったんだ。
 俺に縋ってくるおまえの目がさ、女の子と違って自信なさげで、不器用で。
 そんなに俺が好きなのかと思ったら、切ないくらいいじらしかった。
 時間作って、せっせと通って、少しでも喜ぶ顔が見たかった」

 新堂は、俺の顔を覗き込み、笑ってくれと頬を撫でる。

「でもおまえの顔を見たらもう、抱くことしか考えられない。
 可愛いと思ってた。大事だと思ってた。
 でも、やってることは体のいいセフレじゃないか。
 男相手に自分の気持ちの意味が分からなかった。
 セックスがいいから、嵌ってるだけなんじゃないかって悩んだ時期もあった」
 
 新堂はぎゅっと俺を抱きしめる。

「少しずつ大人になって、おまえに対して本気なんだと分かり始めて、そうすると、今度は先のことを考えた。
 もし実の親が生きていたら、男に惚れた、一緒に暮らすって宣言して、さっさと家を出たと思う。
 でも、叔父夫婦にそれはできなかった。
 男同士で、いつまで一緒にいてやれる?
 そう考えたら、無責任に好きだとは言えなくなった」

 もう一度ごめんと呟く男の首に、腕を回してしがみつく。

「いつだって哀しい顔ばかりさせて、また来るっていうのが、精一杯だった。
 どんなに好きでも、俺ではおまえを幸せにしてやれない。
 さっさと解放してやるのが本当の愛情だって、分かってた」

  ――俺が好きか?
  ――好き、新堂、好き……。
 
 抱かれているとき、何度も聞かれた。
たぶん何千回と繰り返したやり取り。
口に出しては言えないから、その代わりに、何度も俺に聞いたのか。
俺は知らないうちに、何千回もの新堂の好きを聞いていたということか。

「……俺が好き?」

 愛しい男に改めて聞く。
新堂は顔を歪め、掠れ声を絞り出すように囁いた。

「好きだよ」
「本当に?」
「おまえが好きだ……」

 ぎゅっと抱きしめられ、待ち続けた言葉をもらう。

「好きだ、緒方……。おまえだけだ……」

 何度聞いても、ちゃんと同じ答えが返ってくる。
夢ならどうか醒めないでくれ。
嬉し涙が幾筋も、俺の頬を滑り落ちる。


「よっ……と」

 突然、掛け声と一緒に、俺の体がふわっと浮き上がった。
新堂にお姫様抱っこをされている。

「うわっ! 何?」
「おまえ、軽っ! ちゃんと食ってないだろ」
「わっ!」

 どさっとベッドに落とされて、すぐに上に乗ってこられた。
にっと笑った新堂の顔が近づいてきて、唇を塞がれる。

「なぁ、緒方。九年間で三千回って少なくないか?
 もっとじゃないのかって、俺、つい計算しちゃったよ」
「え? いや、あれは……、ごめん……」

 さっき元婚約者に俺が吐いた、とんでもなく下品な暴言について、唐突に蒸し返された。
申し訳なくて尻すぼみに声が小さくなる。
新堂は、くすっと笑って、俺の頬の涙に口付けてくる。

「俺とやってる時、そんなに気持ちいい?」

 くぐもった声がすぐ耳元で響き、首筋に唇を押し付けられる。

「死んでもいいって、毎回思う?」
「……ん…」
「あれだけ言ってもらえると、男冥利に尽きるんだけど……」

 シャツの前ボタンを一つ開け、隙間から指を入れられ胸の先を弄られる。

「……ぁ……、新堂……お腹空いてる…って……はっ……」
「おまえが先……」
「待って……。ん……、シャワー」

 身体を洗わせてくれと体を起こして抵抗したが、腕を引かれてベッドに押し戻される。

「新……、や……」

 さっさと脱がされ、素肌を晒す。
伸し掛ってくる大きな体に腕を回すと、もう抱かれることしか考えられなくなる。

「挿れて……」

 まだ服を着たままの新堂の首に腕を回し、行為をせがんだ。

「早く……、挿れて……」

 堰を切ったように、激しく口腔で舌を絡ませ合い、首筋に落ちてくる濡れた唇にぞくりとする。
散々そのあたりを舐め回し、新堂は俺の耳元に唇を寄せた。

「緒方……、好きだ……」

 荒い息と一緒に、もう一度、あの言葉が耳に吹き込まれる。
改めて言われると、信じられない気がする。
呆然としていたら、すぐにまた唇を塞がれた。

「……っ……、ん…、ん……」

 何度も唇を舐られて、顎から喉へ、肩先から胸へ、新堂の舌と唇が荒々しく俺の肌を這っていく。
片脚を肩に担ぎ上げられ、指が身体の中に侵入してきた。

「…っあ……くっ……」
「痛いか?」

 俺が呻くと、労わるような甘い声で聞いてくる。

「平…気……、はっ……あ…あ…」

 長い指が俺のいいところを探り出し、ゆっくりと出し入れが始まった。
いつもの場所のチューブに手を伸ばした新堂は、その滑りを借りて、指を一本ずつ増やしていく。

「あ……はぁ…はっ、あ…あっ……ん」

 中を掻き回され、体が熱い。
腹につくほど硬く立ち上がったものは、新堂の手の中でだらだら悦びの蜜を垂らし続ける。
ふいに指が抜かれ、いよいよ待ち望んだものが、入口にこすりつけられる。

「……あ…新堂……っ……」

 先の一番太い部分が、熱い塊となってゆっくり入ってくる。

「……痛い……か? き…つ……」
「うっ…くっ……」

 初めての時のように、受け入れたものの大きさに体がきしんだ。
しばらくしていなかったからだと気づく。
こんなに長い期間、新堂に抱かれなかったことなんてなかった。

「あ……っ」

 奥へ奥へと進んでいき、新堂は上体を倒して、俺の唇を口づけで塞ぐ。
手のひらを合わせ、指と指を絡めて両手をつないだ。

「会いたかった。ずっとこうしたかった……」

 俺の手の甲に唇を寄せ、新堂の掠れ声が、切なく響く言葉を紡ぐ。
新堂は嘘を言わない。
だからこれは、この男の本心のはずだった。
新堂らしからぬ新堂が、甘い言葉を繰り返す。

「緒方……」

 両足を抱え上げ、ぐっと体重を掛けられた。

「ああっ……」

 丁度よくほぐれた始めた俺の中は、新堂に纏わりついて離さない。
硬いそれをゆっくりと引き抜かれ、浅い場所を味わうように抜き差しされた。

「おまえだけだ……」

 新堂は、俺の首筋に顔を埋め、くぐもった声で囁いてくる。
熱い体で掻き回され、肌が粟立ち悦びに震える。
意識が飛びそうなぎりぎりのところで、ずっとこのまま、繋がっていたいと願う。

「俺が……好きか?」
「ん……はっ…、ん…ん…」
「好きか? 緒方?」
「……、はぁ……、ぁっ……」

 散々に喘がされ、言わされるいつもの言葉。 

「……好……き、くっ……」

 新堂の動きが激しくなり、腹の間で擦れた俺のものも、陥落寸前だった。

「新……、好き…だ……、好き……」

 頭に霞が掛かり始め、俺の思いを口にする。

「……俺もだ……」

 新堂の囁きが聞こえ、胸の奥にすっと忍び込んでくる。

「緒方……、好きだ」

 一気に駆け上った快感の後、惚れた男の両腕に、俺はきつく抱きしめられていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

涙は流さないで

水場奨
BL
仕事をしようとドアを開けたら、婚約者が俺の天敵とイタしておるのですが……! もう俺のことは要らないんだよな?と思っていたのに、なんで追いかけてくるんですか!

ハッピーエンド

藤美りゅう
BL
恋心を抱いた人には、彼女がいましたーー。 レンタルショップ『MIMIYA』でアルバイトをする三上凛は、週末の夜に来るカップルの彼氏、堺智樹に恋心を抱いていた。 ある日、凛はそのカップルが雨の中喧嘩をするのを偶然目撃してしまい、雨が降りしきる中、帰れず立ち尽くしている智樹に自分の傘を貸してやる。 それから二人の距離は縮まろうとしていたが、一本のある映画が、凛の心にブレーキをかけてしまう。 ※ 他サイトでコンテスト用に執筆した作品です。

【完】100枚目の離婚届~僕のことを愛していないはずの夫が、何故か異常に優しい~

人生1919回血迷った人
BL
矢野 那月と須田 慎二の馴れ初めは最悪だった。 残業中の職場で、突然、発情してしまった矢野(オメガ)。そのフェロモンに当てられ、矢野を押し倒す須田(アルファ)。 そうした事故で、二人は番になり、結婚した。 しかし、そんな結婚生活の中、矢野は須田のことが本気で好きになってしまった。 須田は、自分のことが好きじゃない。 それが分かってるからこそ矢野は、苦しくて辛くて……。 須田に近づく人達に殴り掛かりたいし、近づくなと叫び散らかしたい。 そんな欲求を抑え込んで生活していたが、ある日限界を迎えて、手を出してしまった。 ついに、一線を超えてしまった。 帰宅した矢野は、震える手で離婚届を記入していた。 ※本編完結 ※特殊設定あります ※Twitterやってます☆(@mutsunenovel)

知らないだけで。

どんころ
BL
名家育ちのαとΩが政略結婚した話。 最初は切ない展開が続きますが、ハッピーエンドです。 10話程で完結の短編です。

幸せな復讐

志生帆 海
BL
お前の結婚式前夜……僕たちは最後の儀式のように身体を重ねた。 明日から別々の人生を歩むことを受け入れたのは、僕の方だった。 だから最後に一生忘れない程、激しく深く抱き合ったことを後悔していない。 でも僕はこれからどうやって生きて行けばいい。 君に捨てられた僕の恋の行方は…… それぞれの新生活を意識して書きました。 よろしくお願いします。 fujossyさんの新生活コンテスト応募作品の転載です。

軍将の踊り子と赤い龍の伝説

糸文かろ
BL
【ひょうきん軍将×ド真面目コミュ障ぎみの踊り子】 踊りをもちいて軍を守る聖舞師という職業のサニ(受)。赴任された戦場に行くとそこの軍将は、前日宿屋でサニをナンパしたリエイム(攻)という男だった。 一見ひょうきんで何も考えていなさそうな割に的確な戦法で軍を勝利に導くリエイム。最初こそいい印象を抱かなかったものの、行動をともにするうちサニは徐々にリエイムに惹かれていく。真摯な姿勢に感銘を受けたサニはリエイム軍との専属契約を交わすが、実は彼にはひとつの秘密があった。 第11回BL小説大賞エントリー中です。 この生き物は感想をもらえるととっても嬉がります! 「きょええええ!ありがたや〜っ!」という鳴き声を出します! ************** 公募を中心に活動しているのですが、今回アルファさんにて挑戦参加しております。 弱小・公募の民がどんなランキングで終わるのか……見守っていてくださいー! 過去実績:第一回ビーボーイ創作BL大賞優秀賞、小説ディアプラスハルVol.85、小説ディアプラスハルVol.89掲載 → https://twitter.com/karoito2 → @karoito2

【本編完結】1ヶ月後に死ぬので、その前に思う存分恋人に甘えようと思う

上総啓
BL
不憫な男子高校生、雲雀。 学校ではイジメられ、家では虐待を受ける雲雀には、唯一信じられる湊という社会人の恋人が居た。 湊との未来の為に自殺を最後まで遂行したことは無かった雲雀だったが、ある日偶然、湊の浮気現場を目撃してしまう。 唯一信じた恋人にすら裏切られたと思い込んだ雲雀は、もう生きる理由は無いからと1ヶ月後に死ぬことを決意する。 最期の1ヶ月、雲雀は今まで遠慮していた分まで湊に甘えようとするが…。 そんな雲雀の考えなど知りもしない湊は、溺愛する恋人が甘えてくる状況に喜びどんな我儘も叶えようとする、そんな2人のすれ違いの話。

今夜のご飯も一緒に食べよう~ある日突然やってきたヒゲの熊男はまさかのスパダリでした~

松本尚生
BL
瞬は失恋して職と住み処を失い、小さなワンルームから弁当屋のバイトに通っている。 ある日瞬が帰ると、「誠~~~!」と背後からヒゲの熊男が襲いかかる。「誠って誰!?」上がりこんだ熊は大量の食材を持っていた。瞬は困り果てながら調理する。瞬が「『誠さん』って恋人?」と尋ねると、彼はふふっと笑って瞬を抱きしめ――。 恋なんてコリゴリの瞬と、正体不明のスパダリ熊男=伸幸のお部屋グルメの顛末。 伸幸の持ちこむ謎の食材と、それらをテキパキとさばいていく瞬のかけ合いもお楽しみください。

処理中です...