九年セフレ

三雲久遠

文字の大きさ
上 下
11 / 25

十一話

しおりを挟む
 部屋の明るさで目が覚めて、頭が覚醒してくるのを待つ。
自分の部屋のベッドの上、一緒に寝ていた新堂はもう傍らにはいなかった。

 大学二年のあの日から、新堂は、俺のところに通ってくるようになった。
来れば必ず俺を抱き、終電前に帰っていく。
大学で新堂の彼女を見かけるたびに、俺の胸はギリギリと痛んだ。
これからずっとこんな思いをするのかと恐怖すら覚えたが、いつの間にか彼女はサークルを辞めていた。
ずいぶん後になって、あの二人は割とすぐに別れたと、そんな話が俺の耳にも入ってきた。
 
 だがその後も、新堂の周りに女の子の影は絶えない。
付き合っているらしいという噂も、ひとつやふたつじゃなかった。

 キャンパスですれ違っても、目と目を見交わす程度で、以前のように親しく話しかけてくれることはない。
外ではそんな風に素っ気なくしておいて、俺のところに来ると、新堂はいつも優しい。
まるで本物の恋人のように甘い時間をくれる。
その場限りの施しのような優しさ。
手軽で安全なセックスドール。
 
 院に進学して忙しくなれば、新堂は俺を忘れると思った。
就職して生活が変われば、自然消滅のように足が遠退くと覚悟した。
ところが、別れの予感はいつも現実にはならず、時間だけが過ぎていく。

 卒業して、外の世界で新堂との接点がなくなったことは、ある意味、俺には救いだった。
新堂の女を目の当たりにしなくて済む。
何も見ない、何も聞かない。
俺はこの部屋に閉じこもり、男の訪れだけを待つ。
俺にだけ優しい、俺の男。
気が付けばもう九年、そうやって暮らしてきた。

 ベッドに寝転んだまま、見慣れた白い天井を見る。
全裸のまま、籠った部屋の空気に、濃密だった行為の余韻が残る。

 昨日、婚約のことで動揺した俺を宥めるために、新堂は久々にこの部屋に泊まっていった。
大学二年の春以来、実に九年振りのことだった。
新堂のすることは九年前と少しも変わらない。
こんな日陰者でも、彼女面して一人前にぐずぐずゴネたら、抱き締めてキスして、泣き疲れるまで泣かせて宥める。
あいつなりの、俺への気遣い。

「あーあ、進歩ねぇの……」

 新堂も、俺も。
誰もいない殺風景な部屋で、ついぼそりと独り言が出る。

 それにしても、やたらと日が高い。
今日って何曜日だっけ。
仕事をしなきゃと、ようやく思い至ったところで、充電器に繋ぎっぱなしにしてあった携帯が鳴った。

 布団からごそごそ起きだし、全裸のままパソコンデスクの傍に立つ。
仕事の電話かと思ったら、珍しくサークル仲間の木田からだった。

「……ハイ。緒方です」
『あ、生きてた』
「何だよ、それ」
『あはは、ゴメン、ゴメン。昨日の飲み会で、緒方死亡説が出てさ』

 いつもながら友の声はやたら明るく、今日の俺には酷く耳障りに響く。
まるで別次元の声のようだ。

「メールにはちゃんとレスしてるだろ? まさか届いてなかった?」
『ちゃんと届いてるよ。
 でも、あれは緒方が生前にプログラムした、オートのレスじゃないかと噂してた』
「酷いな」

 とにかく生きててよかった、とか言われ、苦笑するしかない。
昨夜の新堂も、同じようなことを言っていた。

『沢田が近々結婚すんだよ』
「ああ……、お祝いしなきゃね」

 これも新堂から聞いた話だ。
飲み会を欠席した俺が知っていたら驚かれるだろうから、当たり障りのないリアクションをした。

『結婚祝い、例によってみんなで一緒にするけど、おまえもするよな?』
「うん、一緒に頼む。金額がはっきりしたら教えてくれる? 振り込むから」
『バカ、飲み会に顔出せ。そん時でいいよ』
「そうだね……」

 俺があいまいに答えたら、木田は強く念押ししてきた。

『何でもいいから、次、ちゃんと来い。何なら、合コンに参加しろ!』
「合コン? はは……」

 昨日の新堂の話とシンクロする。
ゲイの俺が女の子と飲んでも意味がない。

『しかし、昨日の最大の話題は新堂の結婚だったぜ』

 木田が発したこの言葉に、俺の心臓が凍りついた。

『俺、先月からブライダル部門に異動したんだけど、
 いきなり新堂が客として現れたときにはたまげたね』

 そう言えば、木田の勤務先が都内の大手ホテルだったことを思い出した。

『いまどき芸能人でもめったにやらないド派手婚。
 あんな高額の披露宴の見積書、初めて見たって、担当者が騒いでんの』

 昨夜欠席した俺のために、友はわざわざ飲み会で盛り上がった話を耳に入れてくれる。

『なんたら会病院って、でかい医療法人があんだろ?
 花嫁はあそこの理事長のひとり娘だとよ。
 まだ二十歳そこそこだろうなぁ。
 スタイルのいい、女優かってぐらい綺麗な女でさ。
 新堂と並ぶと迫力の美男美女。
 広告のモデルになってもらえって、スタッフルームじゃ大騒ぎよ』

 昨夜、新堂が唐突に結婚すると言い出した理由が、何となく分かった。
こんな話をいきなり友達から聞かされたら、俺のショックが大きいからだ。

 だから事前に、自分の口で俺に伝え、一晩掛けて抱いて宥めた。

『新婚旅行は、南欧のリゾート地で一か月。
 新居は花嫁の実家の敷地に、結婚祝いで別棟を建築予定だと。
 かーっ、やってくれるよな! あれ? 緒方、聞いてる?』

 何も知らない十年来の友は、黙りこくってしまった電話の相手が、まさか顔面蒼白になっているとは思いもしまい。

「……聞いてるよ」

 やはりあの話は本当なのか。

  ――俺も結婚するんだ。上司の紹介で見合いみたいな……。

 嘘だと言ってくれたなら、どれだけ俺は救われるだろう。
だけど、どうやらそうはいかないらしい。

 新堂の背広から匂ってくる、甘ったるいあの花の香りは、箱入りのご令嬢のものだったのか。
真っ白に輝くウェディングドレスが俺の脳裏にちらついた。

『金持ちは、金持ち同士? 新堂の家も、都内にデカイ敷地の豪邸だしな。
 お似合いなんじゃね?』

 新堂の家族のことは、回り回った噂話が俺の耳にも入ってくるだけで、本人から直接聞いたことはなかった。
学生のときもそうだったが、いまだに律儀に実家住まいで、外泊はしない主義。
学生時代、自立のためにバイトに明け暮れていた新堂だから、就職したらすぐに家を出ると思っていた。
それをしないということは、養父母が同居を望んだからか。

 養父母には子供がいず、甥でもある新堂は跡取りとして大事にされていると、友達が話していたのを思い出した。
ごく普通の親子として、親が息子に期待すること。
幸せな結婚、孫の誕生。
この結婚話を養父母はさぞや喜んでいることだろう。

『花嫁がすげぇ嬉しそうでさ。もう、輝くようっての?
 私、お婿さんにベタ惚れですって顔に書いてあんだぜ』

 そりゃあそうだろうよと、俺は泣きたい気持ちになる。
新堂を手に入れるのだ。
人生の絶頂ってくらいの喜びだろうと、胸が裂けそうで身震いした。

『新堂は、あーだこーだ楽しそうにしてる新婦相手に、かなり面倒くさそうだったけどな。
 そっちで適当に決めてくれってな顔でさ。
 まぁ、新郎なんて大概ああいうもんだ』

 男は結婚式じゃ所詮添えものだと、友は訳知りっぽく一言付け加えた。

 まだ二十歳そこそこの初々しい花嫁か。
せめてもっと年上の人だったら、少しは気が楽だったかもしれない。

 ずっと年下の、何の悩みもコンプレックスもない、俺とは対極のところにいる女は、堂々と日の当たる場所で幸せそうに微笑んでいる。

『じゃあな。新堂の結婚祝いは、また今度』

 友は言いたいことだけ言って、一方的に電話を切った。
まだ新堂の匂いの残るベッドにだらしなく寝転び、俺はまた打ちのめされる。

「はは、いいのかよ。俺とのH、電話で聞かれて」

 暗闇の中、女の声が、心細げにもしもしと繰り返していた。
ベタ惚れの婚約者が男と寝ている。
こんなの知って、今頃は半狂乱じゃないのかと、ぐさぐさに切り刻まれた俺の胸にわけの分からない興奮が加わる。

 新堂に選ばれた幸運な女が、事実を知って傷ついたところで、それぐらい何だというのだ。
俺の知ったことじゃない。

 切れた携帯をしばらく握っていたが、腕を伸ばしてベッドヘッドに置こうとした。
そしてそこに、メモが残っているのを見つけた。

  ――始発で帰る。また来る。

 まるでデジャヴのような、相変わらず丁寧な新堂の文字、そして律儀にひとこと書き置いていく。
昨日枯れるまで流した涙が、また鼻の奥につんと込み上げてくる。
また来るなどと、俺は信じていいのかと、首の皮一枚で繋がって、これにいつまでしがみついていられるのかと。

 女の存在は、いつも俺に自分の立場を思い出させる。
どうしようもない現実ってやつを、嫌と言うほど教えてくれる。

  ――俺、彼女とは別れないから。女はベツモノ。そう思っていいよね。

 何ひとつ、状況は変わらなくて、かつて新堂の彼女の影に怯えたように、今度は婚約者が俺の息の根を止める。
乾いた笑いと、気の抜けた溜め息しか出ない。

 ふと壁掛けの時計を見やると、十二時半になろうとしていた。

「……やべぇ、仕事だ」

 今日の夕方までに、客にプレゼンできるデモ版を用意してくれと言われていた。
ほぼ完成してはいるが、少し気になるところがあり、手を入れるつもりだったのだが、時間が足りない。

 正直なところ、もう仕事なんかどうでも良かった。
しかし、そうも言ってはいられない。
一欠片の責任感だけで、怠い体を無理やり起こしてユニットバスへ向かう。
気持ちを引き締めようと、冷たい水道水でむくんだ顔を洗った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

涙は流さないで

水場奨
BL
仕事をしようとドアを開けたら、婚約者が俺の天敵とイタしておるのですが……! もう俺のことは要らないんだよな?と思っていたのに、なんで追いかけてくるんですか!

お試し交際終了

いちみやりょう
BL
「俺、神宮寺さんが好きです。神宮寺さんが白木のことを好きだったことは知ってます。だから今俺のこと好きじゃなくても構わないんです。お試しでもいいから、付き合ってみませんか」 「お前、ゲイだったのか?」 「はい」 「分かった。だが、俺は中野のこと、好きにならないかもしんねぇぞ?」 「それでもいいです! 好きになってもらえるように頑張ります」 「そうか」 そうして俺は、神宮寺さんに付き合ってもらえることになった。

裏切られた腹いせで自殺しようとしたのに隣国の王子に溺愛されてるの、なぁぜなぁぜ?

柴傘
BL
「俺の新しい婚約者は、フランシスだ」 輝かしい美貌を振りまきながら堂々と宣言する彼は、僕の恋人。その隣には、彼とはまた違う美しさを持つ青年が立っていた。 あぁやっぱり、僕は捨てられたんだ。分かってはいたけど、やっぱり心はずきりと痛む。 今でもやっぱり君が好き。だから、僕の所為で一生苦しんでね。 挨拶周りのとき、僕は彼の目の前で毒を飲み血を吐いた。薄れ行く意識の中で、彼の怯えた顔がはっきりと見える。 ざまぁみろ、君が僕を殺したんだ。ふふ、だぁいすきだよ。 「アレックス…!」 最後に聞こえてきた声は、見知らぬ誰かのものだった。 スパダリ溺愛攻め×死にたがり不憫受け 最初だけ暗めだけど中盤からただのラブコメ、シリアス要素ほぼ皆無。 誰でも妊娠できる世界、頭よわよわハピエン万歳。

手切れ金

のらねことすていぬ
BL
貧乏貴族の息子、ジゼルはある日恋人であるアルバートに振られてしまう。手切れ金を渡されて完全に捨てられたと思っていたが、なぜかアルバートは彼のもとを再び訪れてきて……。 貴族×貧乏貴族

当たって砕けていたら彼氏ができました

ちとせあき
BL
毎月24日は覚悟の日だ。 学校で少し浮いてる三倉莉緒は王子様のような同級生、寺田紘に恋をしている。 教室で意図せず公開告白をしてしまって以来、欠かさずしている月に1度の告白だが、19回目の告白でやっと心が砕けた。 諦めようとする莉緒に突っかかってくるのはあれ程告白を拒否してきた紘で…。 寺田絋 自分と同じくらいモテる莉緒がムカついたのでちょっかいをかけたら好かれた残念男子 × 三倉莉緒 クールイケメン男子と思われているただの陰キャ そういうシーンはありませんが一応R15にしておきました。 お気に入り登録ありがとうございます。なんだか嬉しいので載せるか迷った紘視点を追加で投稿します。ただ紘は残念な子過ぎるので莉緒視点と印象が変わると思います。ご注意ください。 お気に入り登録100ありがとうございます。お付き合いに浮かれている二人の小話投稿しました。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

孕めないオメガでもいいですか?

月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから…… オメガバース作品です。

将軍の宝玉

なか
BL
国内外に怖れられる将軍が、いよいよ結婚するらしい。 強面の不器用将軍と箱入り息子の結婚生活のはじまり。 一部修正再アップになります

処理中です...