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54話

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 公爵からの返事はまだなく、ロジェからの一報もない。ベルタはロジェの脅しが効いたのか時折青い顔をしながらも大人しく業務を行なっている。

 あの話し合いの後、バートン卿は言っていた。

 王宮には“魔女殺しの秘薬”という薬があるのだと。その薬は魔女にしか効かないうえに、魔女が飲めば魔法で抵抗することもなく即死してしまうそう。

 私は自由に王宮に行けるわけじゃないから、ロジェと再び会えた時に秘薬のことを話してみようと思う。

 レオンも特に変わりなく、いつも通り人懐っこい笑顔を浮かべている。最近更にリセット魔法を使う機会は減っていたけど、レオンがそれに焦らされて“無理矢理リセットの機会を作る”ということもなかった。

 魔法を授けられた時は頻繁にリセット魔法を使う機会を与えられていたけど‥‥もしかして、今はもうそんな必要がなくなったのかな‥?
 まぁそれでも念のため、2日に1回くらいのペースでリセット魔法を使ってはいるんだけど‥。

 兎にも角にも、レオンからも危険を感じる事がなかったから、護衛の3人にはまだ猫のことを伝えてない。もし3人のうちの誰かが少しでも殺気を放ってしまえば、猫が暴れ出してしまう恐れがある。
 まぁ‥ミーナがレオンに魅了されていたように、またレオンが魔法を使う可能性だってあるから‥バートン卿には伝えておこうかな。
 ノエルは感情的になりそうだし、テッドはレオンの幼馴染だということが分かったから、動揺も大きいと思う。この件に関してはバートン卿が一番表情を変えずに対応できそうだわ。


 魔法に関しても、魔女に関しても、レオンに関しても‥。まだまだ分からないことばかりで戸惑う日々が続く。
 テッドはそんな私の為に、亡くなったお母さんの実家に赴いて、“魔女”についての情報を探ってきてくれるそう。そんなテッドを見送った今、私は離宮のテラスにいた。

 テラスにはテーブルと椅子もあって、たまにここで読書をして過ごしたりもする。

 白い雲が空全体を薄く覆っていて、時折雲の切れ間から光の束が差し込んでいる。離宮の周りは四方を森に囲まれていて、遠くに見える市街地は屋根の色すらぼんやりしかわからない。

 世界から取り残されているような、不思議な感覚。突然心の内側を爪で掻きむしられるような焦燥感。

「‥大丈夫ですか?」

 予め頼んでいた本を、レオンが届けてくれた。
気を紛らわす為だけの本。最近はまともに内容が入ってこない。だけど何もしていないと心が沈む一方だから、こうして無理矢理本を取る。

 レオンには相変わらず少しだけ気があるふりを続けてる。事が大きく進展するまでは、出来るだけ平穏な日々を暮らしたい。

 だから私はレオンの正体を知っていると気付かれぬよう、たまにレオンにはにかんでみせる。

「大丈夫よ」

 にこ、と笑う。暗い表情に気付かれてしまったかしら。レオンのアーモンド型の綺麗な瞳は、まるで心の底から私を心配しているかのようだ。

 猫なのに。どうしてそんな顔ができるの?

 ‥‥でもきっと私がレオンにこうしてを抱けているということは、レオンが私の精神に作用するような魔法を使っていないという証拠なんだと思う。

「辛い時には無理に笑わないでください」

 ーーどうして辛いのかわかる‥?
貴方が味方をしてる“魔女の母”のせいで苦しんでいるのよ?貴方は敵なんでしょ?どういうつもりでそんな言葉を吐いてるの?

 唇に力を入れないとわなわなと震えてしまう。気を抜くとすぐにこうだ。泣いたって意味ないのに、ふとした瞬間に泣き出したくなる。

 だけどレオンの前では泣きたくない。嘘っぱちの慰めなんていらない。だってレオンは、敵なんだから。

 そう思っていても、気のあるふりをしているから迂闊に追い払うこともできない。心が八方塞がりで苦しい。

 レオンの言葉に返事を返すこともできず、本を捲っても文字なんて頭に入ってこなくて、ただただ時間が過ぎていく。溢れ出そうとする感情を静かに押し込めることに精一杯で、それ以外のことは考えられない。

 本当だめね、私。もっとうまく立ち回らないといけないのに‥

「皇女様‥‥」

 いつのまにか溢れそうな涙は引っ込んでくれていた。おかげで顔を上げる事ができる。感傷的だった心が少し落ち着いてくれたみたい‥。

 私はやっと顔を上げてレオンの顔を見た。
レオンは眉を下げたまま、私を心配そうに見つめていた。

 ぎゅっ、と心が苦しくなる。最近はいつもこう。レオンがこんな表情をする度に、私の心はざわざわと煩くなって仕方がない。

 きっと、裏切られ続けている心が苦しいせいね。そういう私も、レオンを騙し続けているのだけど。

「ごめんなさい!本に夢中で気付かなかった‥。ずっと私を呼んでたの?」

 ぱぁっと表情を明るくしてみる。本当は本の内容なんて一切頭に入っていないのだけど。

「‥‥‥‥っ」

 すごいよレオン。貴方のその表情も、もどかしそうに握り締めてる拳も、演技になんて見えない。貴方には人を騙す才能がある。

 だからほら‥レオンと目が合ったままだというのに、私はまた心が苦しくなって、すぐに視界が潤んでしまう。

「‥あ、真剣に読みすぎて瞬きを忘れてたみたい」

 そう言って笑いながら目を閉じた瞬間に、ぽろっと涙が溢れた。

「‥‥‥貴女に触れる事を許して頂けますか?」

「え‥?」

 レオンは真剣だった。辛そうな顔をしたまま、私を真っ直ぐ見つめていた。

 気のあるふりをし続けるのであれば、拒絶することもおかしいのかもしれない。

 私が小さく頷くと、レオンは私の手をそっと掴んで私を椅子から立ち上がらせた。レオンの大きな手のひらはそのまま私の背に回り、気付いたら私はレオンの腕の中にいた。

 まるで壊れものを扱うような、優しすぎるハグ。ああ、また‥心が痛いよ。

「レオン‥」

 貴方は一体、何を考えてるの?
レオンは何も言わないまま、私をそっと抱きしめ続けた。レオンの胸元が私の涙で濡れていく。

 もうとっくに泣いてると気付かれていると思う。というより、きっと最初から泣き出しそうだと気付かれていた。

 ‥レオンが猫じゃなかったら‥、ぎゅっとしがみつきたいし、声を上げて泣きたい。

 ざわざわと煩い心とは裏腹に、レオンの腕の中は温かくて心地が良くて、私の涙を止まらなくさせた。

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