上 下
4 / 13

四話

しおりを挟む

 ──はじめて、剣を握った。

 レリアはこれまで一度も剣術を習ったことがなかった。剣を振るうのは騎士の役目であり、公爵家の一人娘である彼女には、次期王妃としての立場にふさわしい帝国に関する知識と、上流階級の作法を身につけることが求められていた。

 身体を動かすのも護身術程度に限られ、武器を持つなど、これまで一度もなかった経験だ。

 正真正銘、生まれてはじめて「剣」を握った。

 それでも。

(……あれ?)

 なんだかとても、しっくりくる。まるでずっと手の中にあったような馴染みさえ感じる。

(あれれ? ……あれれれれ?)

 ──腰を自然と落とす。

 地面をしっかりと踏みしめる。

 さっきまで怒りに支配されていた心が急速に静まり、頭が冷えていくのを感じた。これほどの冷静さを保てる瞬間は、生まれて初めてかもしれない。

 自分がどのような体勢を取り、どのように動かせば、どれほどの力を発揮できるのかが、すべて理解できるような感覚だ。

 心臓の鼓動、呼吸の間隔、筋肉の伸び縮み、関節の動きまでもが手に取るようにわかる。

 すべての感覚が、研ぎ澄まされている。

(これって、まさか……)

 無意識に木剣を構え、振りかぶった。

 さらに腰を落とし、後ろに下げた右脚で地面を掴むように踏み込む。

 ──息、二息、三息。

 これ以上ない、完璧なタイミングと確信した瞬間、彼女は跳躍した。

「───!」

 風を切って、身体が宙を舞う。足元で土が爆ぜ、彼女の放たれた勢いを象徴するかのように、土埃が立ち上がった。

 目の前の丸太標的との距離は、一瞬で縮まった。

 自分の体が、どう動いているのかがすべてわかる。

 木剣はわずかに右後ろに傾き、右足首には突然の衝撃がかかり、少し捻っている。それでも、身体は勢いを保ったまま──

「───あぁあぁぁぁああッ!!!!」

 叫び声を上げながら、腰の回転に合わせて剣を振り抜いた。

(───すごい……)

 木剣の刃先が、まるで紙のように粉々に砕け散る。

 標的となっていた丸太は彼女の剣撃を受け、大きな音と共に折れた。

 破壊音とも言うべき快音が、演習場に響き渡る。

 流れる金髪が風になびき、飛び散る木片と共に、汗がほのかに光を反射して宙を舞った。妖しく輝く碧眼には、どこか愉悦の色が宿っている。

(爽快……ですね……これは……)

 彼女は呆然と大きく口を開け、握りしめた手を解くと、木剣の残骸がぽろりと手のひらからこぼれ落ちていった。

 妙な感覚だった。

 すべてができると思い込むような慢心とは違う。確実に「できる」と分かって動ける確信──。

 これは幻覚でも、気のせいでもなく、彼女は心臓の鼓動も、呼吸も、すべてを自身の意思で操った実感がある。

 ──それは、とんでもない、ありえないほどの体験だった。

「──ッ、わ、わわわッ、あぁあッ! 痛ッ、イタタタタ!? イッテェですわ、これ!?」

 ふと我に返ると、全身に激しい痛みが襲ってきた。右足首が捻挫、右肩が脱臼、左手首が骨折。さらには、数か所で出血も起き、筋肉も部分的に傷めているらしい。

 慣れない運動を、文字通り全力でやってしまった反動が、体中に現れていた。

 どさり、と彼女は力なく地面に座り込む。

「──ッ、あーもう……最悪ですわ……、ロミー! ロミー!? 早く起き上がって助けにきなさい! わたくし、こんなところで寝てしまいますわ! 夜は冷えますわよ! 体調を崩してしまいますわよ!? あなた、わたくしの健康を心配してないんですの!? ロミーーーー!」

 叫びながら、レリアは仰向けに寝転んだ。

 全身の痛みは酷いが、だからといってそれはどうにか我慢できるレベルだった。

 痛むのは体だけでなく、心の奥深くでもあった。自分のモノが、誰かに取られた。奪われた──その事実のほうが、ずっと辛く、耐えがたいものだった。

 そうだ、彼女にとっては、肉体の痛みなど取るに足らない問題でしかなかったのだ。

 結局、探しに来たロミーが彼女を見つけるまでの三時間もの間、レリアはただ一人で夜空を見上げ続けていた。

「ロミー! 遅すぎですわよっ!!」

「ぎゃーっ!? お嬢様が倒れてるぅーーー!?」


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】婚約破棄からの絆

岡崎 剛柔
恋愛
 アデリーナ=ヴァレンティーナ公爵令嬢は、王太子アルベールとの婚約者だった。  しかし、彼女には王太子の傍にはいつも可愛がる従妹のリリアがいた。  アデリーナは王太子との絆を深める一方で、従妹リリアとも強い絆を築いていた。  ある日、アデリーナは王太子から呼び出され、彼から婚約破棄を告げられる。  彼の隣にはリリアがおり、次の婚約者はリリアになると言われる。  驚きと絶望に包まれながらも、アデリーナは微笑みを絶やさずに二人の幸せを願い、従者とともに部屋を後にする。  しかし、アデリーナは勘当されるのではないか、他の貴族の後妻にされるのではないかと不安に駆られる。  婚約破棄の話は進まず、代わりに王太子から再び呼び出される。  彼との再会で、アデリーナは彼の真意を知る。  アデリーナの心は揺れ動く中、リリアが彼女を支える存在として姿を現す。  彼女の勇気と言葉に励まされ、アデリーナは再び自らの意志を取り戻し、立ち上がる覚悟を固める。  そして――。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

悪女の私を愛さないと言ったのはあなたでしょう?今さら口説かれても困るので、さっさと離縁して頂けますか?

輝く魔法
恋愛
システィーナ・エヴァンスは王太子のキース・ジルベルトの婚約者として日々王妃教育に勤しみ努力していた。だがある日、妹のリリーナに嵌められ身に覚えの無い罪で婚約破棄を申し込まれる。だが、あまりにも無能な王太子のおかげで(?)冤罪は晴れ、正式に婚約も破棄される。そんな時隣国の皇太子、ユージン・ステライトから縁談が申し込まれる。もしかしたら彼に愛されるかもしれないー。そんな淡い期待を抱いて嫁いだが、ユージンもシスティーナの悪い噂を信じているようでー? 「今さら口説かれても困るんですけど…。」 後半はがっつり口説いてくる皇太子ですが結ばれません⭐︎でも一応恋愛要素はあります!ざまぁメインのラブコメって感じかなぁ。そういうのはちょっと…とか嫌だなって人はブラウザバックをお願いします(o^^o)更新も遅めかもなので続きが気になるって方は気長に待っててください。なお、これが初作品ですエヘヘ(о´∀`о) 優しい感想待ってます♪

泣き虫令嬢は自称商人(本当は公爵)に愛される

琴葉悠
恋愛
 エステル・アッシュベリーは泣き虫令嬢と一部から呼ばれていた。  そんな彼女に婚約者がいた。  彼女は婚約者が熱を出して寝込んでいると聞き、彼の屋敷に見舞いにいった時、彼と幼なじみの令嬢との不貞行為を目撃してしまう。  エステルは見舞い品を投げつけて、馬車にも乗らずに泣きながら夜道を走った。  冷静になった途端、ごろつきに囲まれるが謎の商人に助けられ──

【完結/短編】いつか分かってもらえる、などと、思わないでくださいね?

雲井咲穂(くもいさほ)
恋愛
宮廷の夜会で婚約者候補から外されたアルフェニア。不勉強で怠惰な第三王子のジークフリードの冷たい言葉にも彼女は微動だにせず、冷静に反論を展開する。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

悪役令嬢は婚約破棄され、転生ヒロインは逆ハーを狙って断罪されました。

まなま
恋愛
悪役令嬢は婚約破棄され、転生ヒロインは逆ハーを狙って断罪されました。 様々な思惑に巻き込まれた可哀想な皇太子に胸を痛めるモブの公爵令嬢。 少しでも心が休まれば、とそっと彼に話し掛ける。 果たして彼は本当に落ち込んでいたのか? それとも、銀のうさぎが罠にかかるのを待っていたのか……?

前世軍医だった傷物令嬢は、幸せな花嫁を夢見る

花雨宮琵
恋愛
侯爵令嬢のローズは、10歳のある日、背中に刀傷を負い生死の境をさまよう。 その時に見た夢で、軍医として生き、結婚式の直前に婚約者を亡くした前世が蘇る。 何とか一命を取り留めたものの、ローズの背中には大きな傷が残った。 “傷物令嬢”として揶揄される中、ローズは早々に貴族女性として生きることを諦め、隣国の帝国医学校へ入学する。 背中の傷を理由に六回も婚約を破棄されるも、18歳で隣国の医師資格を取得。自立しようとした矢先に王命による7回目の婚約が結ばれ、帰国を余儀なくされる。 7人目となる婚約者は、弱冠25歳で東の将軍となった、ヴァンドゥール公爵家次男のフェルディナンだった。 長年行方不明の想い人がいるフェルディナンと、義務ではなく愛ある結婚を夢見るローズ。そんな二人は、期間限定の条件付き婚約関係を結ぶことに同意する。 守られるだけの存在でいたくない! と思うローズは、一人の医師として自立し、同時に、今世こそは愛する人と結ばれて幸せな家庭を築きたいと願うのであったが――。 この小説は、人生の理不尽さ・不条理さに傷つき悩みながらも、幸せを求めて奮闘する女性の物語です。 ※この作品は2年前に掲載していたものを大幅に改稿したものです。 (C)Elegance 2025 All Rights Reserved.無断転載・無断翻訳を固く禁じます。

処理中です...