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生真面目騎士様の突撃

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 こじんまりとした空間が、生垣にぐるりと囲まれている。思った通り、裏口であったようだ。
 ヒューバートは、リズベスに気付かれないよう小さく息をついた。この扉自体が罠である可能性もなかったわけではない。が、おそらくその確率は低いだろうとヒューバートは踏んでいた。
 広間に戻りたければ、廊下を元来た通りに進めばよいだけである。まあ、通常の参加者であれば、あの薬の効能で朝まで部屋から出てくることもないのだろうが。
 この扉を使うものは、おそらく身分を明かしたくない『客』だろう。勝手に帰ったところで、主催は身元を把握しているのだ。余計な詮索などしない――する必要もない。
 であれば、ここには人員を配置しない方が『客』にとっては都合が良いだろう。
 その『客』のことを思うと、ヒューバートは暗澹たる思いになる。
 大部分の参加者は、あの薬をただの情事のスパイス程度に思っているのだろう。事実、摂取量に気を付ければ――あるいは種類さえ間違えなければそうと言える。
 しかし、あれはやはり悪魔の薬だ。
 たったグラスに半分ほど口にしたリズベスでさえ、記憶が曖昧になるような代物なのだ。不用意な自分自身にも問題があるとはいえ、だまし討ちの様に薬を使われた娘の数は、どれほどのものになるか。

 そんなことを思いながら、ヒューバートはリズベスの手をしっかりと握ったまま生垣を抜け、その先にあった林の中へと進んだ。
 足元が暗く、ドレスを着たリズベスにとっては少々歩きづらい。気を配っていないわけではなかったが、気持ちが急いていたのだろう。
「……あっ」
「リズ!」
 転びかけたリズベスを、ヒューバートの腕が抱き留める。不可抗力で密着した柔らかな身体に、思わず小さな呻き声が漏れた。
 なにせ、つい先刻まで隅々まで触れた記憶が、ヒューバートにはあるのだ。
 ほっとしたリズベスの吐息が、そんな場合でもないのに艶めかしい姿を思い起こさせる。
 情欲に染まったリズベスの、すがるような瞳。ただ触れるだけでこぼれた嬌声。熱い息遣いと、濡れた肌――。
「――リ、」
 思わず腕に力を込めそうになった時、ぱきん、と枝の折れる音が辺りに響いた。


「いや、邪魔するつもりではなかったんですが」
 真面目な顔でそう言うアンソニーから、仏頂面のヒューバートは半ばひったくるようにして自分の剣を受け取る。
「……うるさい」
「いや、マジで。良いところだったのに残念」
 余計な口をはさむオルトンをじろりと睨みつけると、彼はひょいと肩をすくめて口を閉じた。その横でブライアンが妙に同情したような表情を浮かべているのが癪に障る。くそ、こんな時でなかったら。
 そうだ、そんな場合ではないのだ。
「騒ぎは聞こえたか?」
「ええ、まあ」
「準備は」
「できてます」
「よし――リズ」
 切株に腰かけて動きやすいブーツに履き替えていたリズベスに声をかける。ドレスそのものは着替えることはさすがに出来ないが、ヒールの高い靴よりはマシだろう。
 顔を上げたリズベスは、思ったよりも落ち着いた表情をしていた。
「……いけるか?」
「問題ありません」
 しっかりとした口調で答えながら、編み上げたブーツの紐をキュッと結ぶ。白い指先が2,3度そこを撫でて結び目を確かめるのが薄暗い茂みの中でもはっきりと見えた。
 その指を、なんとなく見つめる。

「……俺の側から離れるなよ、リズ」
「――はい」

 にやにや笑う3人のことは、あえて見ない振りをした。


 ◇


 ヒューバートが再び邸の敷地内に戻った頃、ホールでの騒ぎは既に庭に場所を移していた。
 見覚えのある金髪が、赤毛の女性を背に庇いながら摑みかかる男をいなしているのが見える。庇われているはずの女性の手元がさりげなく魔術を発動させて、続く男たちの足元を狙っているのに気づいて、ヒューバートは思わず感嘆の息を漏らした。
 周囲では、おそらく参加者であろう男女がその騒ぎを遠巻きに眺めている。まるで見世物でも見ているような雰囲気だ。怯えたり逃げ出そうとしたりしているものは見受けられない。
 呆れたものだとは思うものの、かえって助かっているのは事実だった。
「それにしても……さすがだな」
「アデリン、張り切ってますね……」
 思わず漏れた一言に、リズベスが苦笑して答える。
 どうやら必要はなさそうだな、と思いつつもオルトンを加勢に向かわせた。この場に姿の見えないランバートは、一体どうしたのだろう。
 何をしでかしてくれたのか。無事を確かめたらとっちめてやるからな、といささか不敬な考えが頭をよぎった。
「2人とも、殿下を」
 小声で指示を飛ばすと、アンソニーとブライアンがそれぞれ目立たぬように騒ぎの中へと潜り込んで行く。
 リズベスを伴ったヒューバートは、身につけた剣が目立たぬよう気をつけながら、大きく開かれたホールの窓を目指した。

 騒ぎに気を取られているのだろう。2人のことを訝しむようなそぶりを見せるものはいなかった。それでも、なるべく慎重にホールの中の様子を伺う。
(ランバート……無茶だけはしてくれるなよ……)
 ぎり、と奥歯を噛みしめる。やはり何をおいてもこの作戦には反対すべきだったのだ、と今更思ったところで仕方がない。せめて無事に連れ帰らねば。
「ヒューバートさま……あちらでは?」
 つん、と袖を引かれてリズベスの示す方向を見遣る。先ほどは気づかなかったホールの奥、一段低くなった薄暗い場所に、厳つい男が一人立っているのが見えた。――その向こうに、ソファの背と思しきものが見えている。
 一つ頷くと、ヒューバートは周囲に警戒しながら気づかれぬようそちらへと近づいた。

「――というの……ですか?」
「はは……の程度の……とお……」

 身を潜めて様子を伺うと、立った男の背後から会話の声が漏れ聞こえてきた。片方は、ランバートの声に間違いない。無事な様子にほっと安堵のため息が漏れる。しかし、もう片方の声にも聞き覚えがあるような気がして、ヒューバートは首を傾げた。
 このような場所に、知り合いなどいるはずもない。思わずリズベスの顔を見るが、彼女も同様に首を傾げていた。が、はっとしたように顔をあげる。
「この声――あの方、では?」
「あの方……?」
「私をダンスに誘った方ですわ……ええ、間違い無いと思います」
 そう言われて、再び聞き耳をたてる。ヒューバートとリズベスがささやき声で会話をする間もまだ話は続いているようで、ランバートの声に続いて相手の男の声が再び聞こえてくる。しかし、少し離れているため少々聞き取りにくい。
 思わず身を乗り出しかけたヒューバートに、リズベスが耳につけていた飾りを手渡してきた。
「使ってください。少しは聞こえが良くなると思います」
「……助かる」
 ほんのりとリズの温もりが感じられる耳飾りに、自らの耳を寄せる。ほわ、と優しい光が一瞬灯った。

「……か、趣味の良いことですな」
「そちらほどではないと思うが」
「ははは……お気に召していただけた様子、嬉しく思います。いかがですかな……」

 先ほどより明瞭に聞こえるその声が、リズベスをダンスに誘う許可を求めた男のものと確かに重なる。ヒューバートは思わずごくりと唾を飲み込んだ。
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