上 下
41 / 77

生真面目騎士様の噂話(4)

しおりを挟む
 ヒューバートの背を、一瞬寒気が通り抜けた。
 窓を開けたわけでもないのに、部屋の気温が下がったような気がする。
 室内を満たす静寂が、やけに重たく感じられて、息を吸うのも吐くのも一苦労だ。それこそ、殺気が辺りに満ちているような――。

 そこまで考えて、ヒューバートはそれが正解だと気が付いた。


「はいはい、そこまでそこまで」
 パン、と掌を打ち鳴らすような音が響いて、ヒューバートは我に返った。気付けば、先ほどまで部屋に充満していた凍えるような気配はすっかり消えている。
 それこそ、勘違いだったのではと思うほどに、綺麗に。
 知らず力の限り握りしめていたこぶしを、ゆっくりと開放する。じっとりと汗がにじんだ掌が気持ち悪い。
 いつの間にか床に向けていた視線を、恐る恐る上げると、ランバートがアーヴィンの肩を宥めるように叩いているのが視界に入った。
「しちゃったものは仕方がないでしょ?諦めなよ……」
「わかってる、わかってはいるんだ……」
 ――間違いない、あの殺気はアーヴィンのものだった。
 そっと、気付かれないように詰めていた息を吐く。アーヴィンの怒りは当然のもので、ヒューバートにはそれを受けるだけの理由がある。ランバートのとりなしは、無論ありがたいことではあったが、後で一撃貰うくらいの覚悟は決めておかねばなるまい。
 自分と妹の恋路に理解を示してくれているのは間違いないが、だからといって嫁入り前の淑女に無体を働いていいなどとは、彼だって言っていなかったのだから。
 ここは一応謝罪するべきだろうか。そう思ったヒューバートが口を開くよりも、ランバートの言葉の方が一歩早かった。
「で?結婚はいつ頃?もうご両親には許可を頂いたの?」
「……は?い、いや、あ」
 の、と続くはずだった言葉は、ランバートの怒涛のような質問に流されかき消される。一体何が彼の琴線に触れてしまったのか。
「それにしても、一体いつの間に?いやーほんと、ヒューバートがそんなに手が早いとは知らなかったなあ。今度ぜひその手管をご教授願いたいね」
「えっ、いや、その、殿下?」
 こういったことに関しては、余程二人の方がヒューバートよりもうまく立ち回るだろう。手管をご教授願いたい、というのも、それこそ自分の方こそお願いしたいくらいのものである。
「まぁ、そんなに質問攻めにしたらヒューバートだって困るだろう」
 先程まで宥められていたとは思えないほど落ち着いた声で、アーヴィンはランバートの質問を遮った。思わぬ助け舟にほっとしたのもつかの間、改めて向けられた視線は昏く、声の調子とは裏腹に凍えるような冷たさだ。
(怒ってらっしゃる)
 やはり隠し事はするべきではなかったのだ。あの朝、キスをしたことまで包み隠さず話していれば――いや、その場合はあの場で殺されていたかもしれない。
 そんなゾッとするような展開を思い描いて、ヒューバートの頬が引きつった。

 一発どころか、半殺しくらいは覚悟しないとならないかもしれない。

 あまり楽しくない未来予想図を胸に、ヒューバートは重いため息をついた。


「……なぁんだ、まだその程度なの?」
 ランバートの脱力したような声が、執務室に響く。
 一体どの程度を期待していたというのだろう。仮にも一国の王子ともあろう人物が、下世話な話に興味を持ちすぎではないだろうか。
 そもそもよく考えてみれば、噂話をランバートの元に持ち込んだのはアーヴィンなのだ。またしてもいいように遊ばれたことに気が付いて、ヒューバートはぐったりとした。
 ただでさえ、何があったのか洗いざらい話すという羞恥プレイをさせられて、疲れ果てているのだ。
 しきりに残念がっているランバートには悪いが、所詮これまで女性と縁遠く過ごしてきたヒューバートに、彼の期待するような手管とやらを求めるのは間違っている。あるいは、アーヴィンの悪戯に乗っかっただけかもしれないが――この可能性の方が高いことは、自分の精神衛生の為に忘れた方が良いだろう。
 机に突っ伏して、顔を上げる気力もないヒューバートは、ひたすらこの時間の終焉のみを祈っていた。

「いや、ヒューバートにしてはよくやってる方だろう」
「うーん、僕の見立てが甘かったか……」
「……二人とも、そんな話をしに来たのか?暇じゃないんだろうに、わざわざご苦労なことだな」
 このままやられっぱなしも癪に障るが、嫌味を言うくらいしかできない。完全に負けている。
 ぐったりしたヒューバートの言葉をうけて、ランバートは「そう、そうだったね」と呟くともう一度座りなおした。
「それじゃ、今日の本題に入ろうか」
 あったのか、本題。
 もっと早く、できれば本題の方だけを済ませてほしかった。ヒューバートがそう思ったとして、それを責められるものは誰もいないだろう。
 おまけに、からかうだけからかわれ、自分の恋愛事情を洗いざらい吐かされただけで、何も得ることがなかったことにヒューバートが気付くのは、すべて話が終わってからだった。



 ◇

 仕切りなおした後、ランバートの口から語られたのは、意外にも週末に予定されている任務についての詳細だった。

「……禁止薬物、ですか?」
「ああ、使用すると一時的に精神的に興奮する――向精神薬の類だな」
 ヒューバートとアーヴィンは、顔を見合わせた。話には聞いたことがあるが、かなり昔に禁止薬物に制定されてからは、実際に使用されているところを見たことはない。
 たしか、大掛かりな摘発を受けて、販売ルートどころか製造元さえも消滅した、と言われていたはずだ。
 アーヴィンの指摘に、ランバートは苦い顔で頷いた。
「僕もそう聞いていたんだ。だけど最近になって、それの使用をほのめかすようなお誘いがあってね」
 最初は、単なる『私的な』集まりがある、という誘いだったらしい。
「三番目、ともなればつつきやすいと思ったのかもしれないね」
 ともすれば自嘲にも聞こえなくはない台詞だが、ランバートは淡々と話を続けた。
「誘ってくれたのは、まあ、さる家のご令嬢なんだけれど、彼女は薬物の存在自体には気が付いていないようだったよ。ただ、その集まりに来ている人物から、僕を誘うように言われただけみたい」
 そこで誘われたからと言って、のこのこと出掛けていいような身ではなく、ランバートは極秘にその『私的な集まり』とやらを探らせたらしい。
 そうして行き当たったのが「気分の良くなるモノがある」という参加者の間の噂話、というわけだ。
「どうも、参加者全員が薬物使用をしているわけでもない、というのが難しい所でさ」
 その噂話以上の成果が上げられなかったところに、件の令嬢から再びお誘いがあったのだという。
「で、まあ――いっそ中に飛び込んでみようかなって」
「ちょっと待ってください、まさか」
「週末、僕も参加するから――まあ、僕の護衛兼、証拠探しが君たちの任務です」
「ランバート、お前馬鹿か!」
 にっこりと微笑むランバートに、声を荒げたのはヒューバートだ。
「どこの世界に自分から飛び込む王子がいるんだよ!」
「ここかなあ」
「そういうのは俺たちに任せておけばいいだろう!週末は俺たちだけで、」
「でも、招待状がないでしょ?僕は持ってるけど」
「それを寄越せよ」
 口調がすっかり昔に戻っていることにも気付かず、ヒューバートは詰め寄った。が、当のランバートはにこにこと微笑んだまま首を振る。
「駄目、この件には僕も参加する。そうでなければ週末の任務はなし。僕一人で行く」
「無駄だよ、ヒューバート。こいつが一度言い出したら引かないことはわかってるだろう?――もう、やるしかないんだって、これは」

 やっぱり口では勝てない。ヒューバートは、しぶしぶ頷くしかなかった。


 決行は2日後に迫っている。二人が帰った後の執務室で、ヒューバートはぐったりと重たい頭を抱えて唸った。
(まあ、まだ「噂」だけだからな……)
 ――噂はあくまで噂なのだ。確実な証拠はまだ何もない。

 噂に踊らされた一日も、もうすぐ終わろうとしている。すっかり暗くなった窓の外を眺めて、ヒューバートは今日一番重たいため息をついた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】国王陛下に婚活を命じられたら、宰相閣下の様子がおかしくなった

ほづみ
恋愛
国王から「平和になったので婚活しておいで」と言われた月の女神シアに仕える女神官ロイシュネリア。彼女の持つ未来を視る力は、処女喪失とともに失われる。先視の力をほかの人間に利用されることを恐れた国王からの命令だった。好きな人がいるけどその人には好かれていないし、命令だからしかたがないね、と婚活を始めるロイシュネリアと、彼女のことをひそかに想っていた宰相リフェウスとのあれこれ。両片思いがこじらせています。 あいかわらずゆるふわです。雰囲気重視。 細かいことは気にしないでください! 他サイトにも掲載しています。 注意 ヒロインが腕を切る描写が出てきます。苦手な方はご自衛をお願いします。

【R18】塩対応な副団長、本当は私のことが好きらしい

ほづみ
恋愛
騎士団の副団長グレアムは、事務官のフェイに塩対応する上司。魔法事故でそのグレアムと体が入れ替わってしまった! キスすれば一時的に元に戻るけれど、魔法石の影響が抜けるまではこのままみたい。その上、体が覚えているグレアムの気持ちが丸見えなんですけど! 上司だからとフェイへの気持ちを秘密にしていたのに、入れ替わりで何もかもバレたあげく開き直ったグレアムが、事務官のフェイをペロリしちゃうお話。ヒーローが片想い拗らせています。いつものようにふわふわ設定ですので、深く考えないでお付き合いください。 ※大規模火災の描写が出てきます。苦手な方はご自衛をお願いします。 他サイトにも掲載しております。 2023/08/31 タイトル変更しました。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

つがいの皇帝に溺愛される幼い皇女の至福

ゆきむら さり
恋愛
稚拙な私の作品をHOTランキング(7/1)に入れて頂き、ありがとうございます✨ 読んで下さる皆様のおかげです🧡 〔あらすじ〕📝強大な魔帝国を治める時の皇帝オーブリー。壮年期を迎えても皇后を迎えない彼には、幼少期より憧れを抱く美しい人がいる。その美しい人の産んだ幼な姫が、自身のつがいだと本能的に悟る皇帝オーブリーは、外の世界に憧れを抱くその幼な姫の皇女ベハティを魔帝国へと招待することに……。 完結した【堕ちた御子姫は帝国に囚われる】のスピンオフ。前作の登場人物達の子供達のお話に加えて、前作の登場人物達のその後も書かれておりますので、気になる方は是非ご一読下さい🤗 ゆるふわで甘いお話し。溺愛。ハピエン♥️ ※設定などは独自の世界観でご都合主義となります。

冷徹御曹司と極上の一夜に溺れたら愛を孕みました

せいとも
恋愛
旧題:運命の一夜と愛の結晶〜裏切られた絶望がもたらす奇跡〜 神楽坂グループ傘下『田崎ホールディングス』の創業50周年パーティーが開催された。 舞台で挨拶するのは、専務の田崎悠太だ。 専務の秘書で彼女の月島さくらは、会場で挨拶を聞いていた。 そこで、今の瞬間まで彼氏だと思っていた悠太の口から、別の女性との婚約が発表された。 さくらは、訳が分からずショックを受け会場を後にする。 その様子を見ていたのが、神楽坂グループの御曹司で、社長の怜だった。 海外出張から一時帰国して、パーティーに出席していたのだ。 会場から出たさくらを追いかけ、忘れさせてやると一夜の関係をもつ。 一生をさくらと共にしようと考えていた怜と、怜とは一夜の関係だと割り切り前に進むさくらとの、長い長いすれ違いが始まる。 再会の日は……。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

【R18】利害一致のお飾り婚だったので初夜をすっぽかしたら大変なことになった

春瀬湖子
恋愛
絵に描いたような美形一家の三女として生まれたリネアだったが、残念ながらちょっと地味。 本人としては何も気にしていないものの、美しすぎる姉弟が目立ちすぎていたせいで地味なリネアにも結婚の申込みが殺到……したと思いきや会えばお断りの嵐。 「もう誰でもいいから貰ってよぉ~!!」 なんてやさぐれていたある日、彼女のもとへ届いたのは幼い頃少しだけ遊んだことのあるロベルトからの結婚申込み!? 本当の私を知っているのに申込むならお飾りの政略結婚だわ! なんて思い込み初夜をすっぽかしたヒロインと、初恋をやっと実らせたつもりでいたのにすっぽかされたヒーローの溺愛がはじまって欲しいラブコメです。 【2023.11.28追記】 その後の二人のちょっとしたSSを番外編として追加しました! ※他サイトにも投稿しております。

【R18】副騎士団長のセフレは訳ありメイド~恋愛を諦めたら憧れの人に懇願されて絆されました~

とらやよい
恋愛
王宮メイドとして働くアルマは恋に仕事にと青春を謳歌し恋人の絶えない日々を送っていた…訳あって恋愛を諦めるまでは。 恋愛を諦めた彼女の唯一の喜びは、以前から憧れていた彼を見つめることだけだった。 名門侯爵家の次男で第一騎士団の副団長、エルガー・トルイユ。 見た目が理想そのものだった彼を眼福とばかりに密かに見つめるだけで十分幸せだったアルマだったが、ひょんなことから彼のピンチを救いアルマはチャンスを手にすることに。チャンスを掴むと彼女の生活は一変し、憧れの人と思わぬセフレ生活が始まった。 R18話には※をつけてあります。苦手な方はご注意ください。

処理中です...