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魔術師団研究員リズベス嬢の困惑

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 ――うわあ、どうしよう。
 部屋に駆け込んだリズベスは、ドキドキする胸を押さえて目を閉じた。

 リズベスが花の小道にヒューバートを誘ったのは、ちょっとした憧れからだ。開放庭園から騎士の訓練場まで続くその道は、訓練を見学に来たご令嬢が通ることが多いが、実は隠れたデートスポットでもある。恋人と並んで歩いて花を愛でたり、脇道にあるベンチに座って語らったりするらしい。
 せめてヒューバートと並んで――できれば恋人同士みたいに寄り添って――歩けたら、という淡い憧れを実践してみたかっただけなのだ。
 それなのに。
(だっ……抱きしめられた)
 思い出すだけで顔が火照ってしまう。もちろん恋愛小説の中にはそういったシーンもたくさんあるが、ヒューバートからしてくれるとは思っていなかった。あの時、何の心構えもせず突然抱擁されて、リズベスは思わず縮こまってしまった。それに、あの声がずるい。破壊力がありすぎる。
(声もそうだけど、に、匂いとか……ううっ、恥ずかしすぎる……)
 火照った頬に手を当てて鎮静を試みるものの、全く効果はない。リズベスは、背後の扉に身体を預けて息をついた。
(乱れた髪も色っぽくて素敵だった……)
 強化魔術の影響で疲れ果てたヒューバートの姿ときたら、全く目の毒だった。乱れた髪と荒い息、そして緩められた首元。もうちょっと見ていたかった。思わず「もう一回……」と言った時のヒューバートの顔は、明らかにひきつっていた。
 はあ、ともう一つ息をつく。
 あれだけ動揺したのに、仕事はきちんとこなせたのだから、自分を褒めてやりたい。お気に入りのお茶でも淹れて一息つこう。
 そう思ったリズベスが扉から離れようと身を起こすのと、その扉がノックの後、返事も待たずにあけられたのはほとんど同時だった。
 ごん、という鈍い音がしてリズベスの後頭部に衝撃と痛みが走る。
「――あ、悪い」
 涙目で振りむいたリズベスの目に映ったのは、笑ってごまかす気満々の魔術師団第二部隊隊長、ロブの姿だった。

「いつも言ってるじゃないですか!ノックしたら返事があるまで待ってくださいよ」
「いやー、まだ騎士団棟の方にいると思っててな」
「なんで居ないと思ってて来るんですか……」
「お茶飲もうと思って」
 リズベスの部屋にはいい茶葉があるからね、と呑気に笑って続けるのはアデリンだ。大体リズベスの部屋にロブが訪れる時は彼女を連れてくる。彼なりに気を使ってはいるらしいが、そういう気遣いができるのなら、ドアを開ける前の返事を待つ気遣いもしてほしい。
「うちの領地はお茶が名産だからね――アデリン、淹れてくれる?」
 アデリンのお茶を淹れる腕前はなかなかのものだ。彼女が言うには「どこか良いお家の侍女になるときの為に」と母親が仕込んでくれたらしい。その腕前を惜しみなく披露して淹れてくれたお茶で、リズベスはほっと息をついた。
「ありがとう、美味しい」
「アデリンさんの唯一の特技だからね」
「あーほんと、これだけでもアデリンを副官にした甲斐がある」
 にっこり笑顔のアデリンがロブの鳩尾に肘を入れる。ぐえっと妙な声を出して悶絶する彼を尻目に、アデリンはリズベスに書類の束を差し出した。
「これ、今回のデータ取りの許可書と訓練場の使用許可書ね。もう提出済みでこっちは控え」
 仕事の早いアデリンに感謝しながら受け取る。今日は午前中で終わってしまったが、次回はもう少しデータを取らせてもらおう。
 強化魔術で底上げした能力は、常に使い続けるのにはリスクが伴う。今日は初日だったから様子を見る意味もあって人数を絞ってもらったが、明日からは交代でお願いするのがいい。奇しくもヒューバートと同意見だったリズベスだが、まぁそのことは知る由もない。
「んで、今日はどうだったんだ?」
 ロブが軽い口調で問う。リズベスはぎくりとした。
(……デ、データ取りの話よね?)
 花の小道でのことは、本当に、誰にも見られていなかったはずだ。いくら王宮内で起きたことならなんでも知っていると評判のロブでも知るはずが、ない。
(本当に見られてなかったかしら……)
 どうもロブを相手にすると調子が狂う。こほん、とひとつ咳払いをして動揺を鎮めると、リズベスはなんでもないように答えた。
「これから解析ですけど、術の効果は良い感じだったように思えました」
 ただ、と付け加える。
「やっぱり疲労度の方が問題ですね」
「それなあ……」
 ロブもアデリンもげっそりした顔になる。実を言えばこの二人、あの術の実験台にもなったことがあるのだ。
 魔術師とはいえ、身を守るすべがないのではいくら魔術が扱えても生き残れない。ある程度の体術は身に付けている。その訓練に交じってちょっとした実験をさせてもらったのだ。
「あのえげつない疲労よりはましになってるんでしょう……?」
 恐る恐るアデリンが尋ねる。リズベスはうーん、とうなった。
「……多少、かな」
 えへへ、と笑ってごまかすリズベスを、やっぱり二人も鬼だと思った……。



 ♢

 結局その後はほぼ雑談をしただけで、二人は仕事に戻っていった。
 リズベスも解析に手を付けるべく、手元の魔法陣を展開する。広い机の上に今日収集した分から一人ずつ、順に並べて計測結果をつけていく。

 やがてひと段落ついたころ、ふと気づいたリズベスが顔を上げた時には窓の外は真っ暗になっていた。魔術の明りが手元と室内を照らしている。無意識につけていたらしい。
「うわあ……遅くなってしまったわね……」
 食堂まで降りると、案の定夕食の時間が過ぎてしまっていた。いつも時間に来られなかった団員のために用意してくれている軽食を持って部屋へと戻る。
 それをつまみながら、リズベスは自然とまたヒューバートとのことを思い出していた。
「あー、本当、悔しいけど格好良いのよね……」
 堅物だの生真面目だの言われていたくせに、妙にスマートに事を運んだヒューバートの姿を思い浮かべてため息をつく。
「意外と隠してるだけで経験豊富……なんてことはないわね……」
 なにせ、彼の親友は兄のアーヴィンだ。そんな事実があれば、面白おかしく話して聞かせてくれるのがあの兄である。
 行儀悪く机に突っ伏すと、リズベスは考えることを放棄した。それでなくても根を詰めていたのだ。朝早く起きたこともあって、実を言えばかなり眠気も感じている。
(もうちょっとだけ……)
 そっと顔だけを動かして、窓の外を見上げる。
(もうちょっとだけ、実践に付き合ってもらって、それで――)
 窓の外には星が見える。あの時とは季節が違う、でもその光はどこか懐かしさを感じさせた。昔々の遠い思い出。とっくに忘れ去られたであろう、幼い約束の、あの時の――。
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