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第二章

ビ商会、レーヴ侯爵問題

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 だが、そんな女に対して、ダヴィド・トーン商会長は難しい顔をして言った。
「公爵代行様、シンホンは極東国です。
 大陸でも西に位置するソードル領と直接取引をする商人は本当に限られております。
 その中で、シンホン本土から職人を引っ張ってくるほどの人脈と辣腕、そして、資金力を持つのは、ビ氏とビ商会以外には、現状、ございません」
 この女としては、出来れば弟マヌエル・ソードルが公爵となる前に、ある程度、紙の生産、販売に見通しを立てておきたかった。
 ダヴィド・トーン商会長以外にも、大商人ミシェル・デシャや数人の商人にも相談したが、誰もが似たような返答しか貰えなかった事もあり、最終的には、無駄に時間を浪費するぐらいならと、商人ジェローム・ビに頼る事となった。

 この女のそういう複雑な感情を見て取ったのだろう、従者ザンドラ・フクリュウが苦笑する。
「お嬢様が何故、ビ氏やビ商会が気に入らないのか分かりませんが、くせ者の多いシンホン彼の国の商人とは思えない誠実な人物だと思いますよ」

 シンホンという国には『だまされた子を見たら、まずはを責めよ』ということわざがある。
 だました方より先に、迂闊な子を叱れという意味である。

 仮に名目であっても、”神に見られている事を意識し、神に恥じる事の無い生き方”が”正しい”とされる西側諸国にとっては、なかなか理解し難い国で、特に貴族の間であるが、シンホンを信用ならぬ国だと見るきらいがある。

 だが、少なくとも、商売をするのであれば、親愛は持たないまでも、ある程度は信用して行かなくてはならない。
 従者ザンドラ・フクリュウはそのことを指摘したのだ。

 だが、エリージェ・ソードルは首を横に振る。

「大丈夫よ。
 わたくしとしてもジェロームの事は信用しているわ。
 ただ、それが次の世代も続くのか――。
 そこを懸念しているのよ」
「ああ、”その”ことですか」
 従者ザンドラ・フクリュウは頷きながら続ける。
「その辺りは、お嬢様のご懸念は分かります。
 わたしも、余り良い印象は受けませんでした。
 よく言えば、貪欲どんよくという事なのでしょうが……」

 商人ジェローム・ビの息子は、常に父親に付き従っている。
 ただ、温和で双方の利害調整を尊ぶ父親とは考え方が違うようで、裏でこそこそ動く所があった。
「正直、少なくとも息子あれだけは公爵領に入れたくないわ」
「なんでも、世継ぎにはあらかじめ全てを見せておくのが、シンホン商人の習わしだとか。
 当人が付いて行きたいという限り、外すのは難しいと思います」
「たかだか、商人に”世継ぎ”だの”習わし”だの大仰おおぎょうな話ね」
 女のけな言葉に、従者ザンドラ・フクリュウは苦笑する。
「お嬢様から見たらその通りかもしれませんが、あれだけの規模の商会です。
 継承もなかなか難儀らしいですので」
「面倒くさいわね。
 本人が付いて行きたくないと思わせる――例えば、ギド辺りが五、六発ぐらい殴れば――」
「止めてください!
 あんな軟弱そうな人にそんな事をしたら、一発目で普通に死んでしまいます!
 お嬢様、当代の方が健在です。
 今はそのままにしておきましょう。
 少なくとも、紙の生産や販売が問題なく行えるまでは、そのままで。
 軌道にさえ乗ってしまえば、そこから、必要に応じて対処――それこそ、切り捨てても問題無いと思います。
 今は、くれぐれもそのままでお願いします」
「仕方が無いわね」
 エリージェ・ソードルは一つ、ため息を付いた。
「なにか、もう少し景気のいい話は無いかしら?
 あ、そういえばザンドラ、絹の生産場については目処が付いたかしら」
 エリージェ・ソードルの問いに、従者ザンドラ・フクリュウは苦々しく言う。
「ある程度は辺りを付けています。
 第一候補はニーダーテューリの近い村ですが――そもそも、お嬢様、本当に絹の技術移転などされるのですか?」
「もしくは、生産分の五割ぐらいをブルクこちらに都合を付けるか、かしらね。
 わたくしにこれだけの無礼を働いたのだから、これぐらいは用意してくれないと」
 エリージェ・ソードルは機嫌良く口元を緩めながら言った。

 ラーム伯爵令嬢の無礼に対して、この女は当然の権利として、ラーム伯爵に賠償金を集る請求するつもりでいる。

 改めての茶話会については――まあ、第一王子ルードリッヒ・ハイセルの顔を立てて妥協はするが……。
 賠償こちらについては引くつもりは無かった。
 というより、引くか、引かないかを論ずるつもりが無いというか……。
 この女の中では、すでにどれぐらいのもの頂けるか――そういう話になっていた。

 執事ラース・ベンダーは困ったように言う。
「あの、お嬢様。
 賠償をさせるのはまあ、良いとして。
 技術移転にしても、五割融通にしても、流石に無理だと思いますよ。
 なんと言っても、ラーム伯爵家あそこは顧客的な意味でも、後ろ盾の意味でも、レーヴ侯爵家の影響力に左右される家ですから」
 そのげんに、エリージェ・ソードルの眉が不機嫌そうに寄る。
 そして、吐き捨てるように言った。
「レーヴ侯爵家がなんだって言うのよ!
 あんな頭が残念な上に裏切り者の侯爵なんて、文句を言ってきたら、今度は髪を引き抜いてやるわ!」

 この女、第一王子ルードリッヒ・ハイセルへの裏切りが判明したユルゲン・ペルリンガー伯爵子息の件も有り、レーヴ侯爵領にて起きた変事とやらのために、休んでいるとされていたマリオ・レーヴ侯爵子息についても調べさせていた。
 そして、知った。
 マリオ・レーヴ侯爵子息も従者を辞していた事を、だ。

 当然、激怒したエリージェ・ソードルだったが、相手は侯爵である。

 流石に、ペルリンガー伯爵にしたように追いかけ回す事など出来ない。
 怒りが収まらないこの女、通りかかったペルリンガー伯爵邸の門に”たまたま”風で飛ばされて来た様に見せかけ、馬車ほどの岩をぶつけて憂さを晴らしていた。
 それで、何とか感情を落ち着かせるぐらいしかなかった。
 あとは、たまたま王城で見かけたレーヴ侯爵の、無駄に整った髭――その左半分を思いっきり毟ったぐらいか……。

 この女をして、それぐらいしか出来ないのである。

 執事ラース・ベンダーは「まあまあ」と宥めるように言う。
「お嬢様のご不快は理解できますが――侯爵大貴族と事を構えるのは、後々まで悪影響を及ぼす可能性があります。
 言うまでも無いとは思いますが、レーヴ侯爵家だけでなく、その派閥の貴族家やレーヴ侯爵寄りの――例えばレノ伯爵家やホフマン伯爵家とも敵対までは行かないまでも、ギクシャクする事となります」
「分かっているわよ!」
と苛立ち、声を荒げると、床でその様子を見ていた愛猫エンカがむくりと起き上がり、”どうしたの?”というように、女の膝の上に顎を置いた。
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