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第二部 第一章

ラーム伯爵邸茶話会2

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 ドサリという音と、「お嬢様!?」「ヘーロイーゼ様!?」などという声が聞こえ、チラリと視線を向ければ、令嬢達が固まっていた箇所で大騒ぎになっていた。
 この女、それを眺めながら「ふむ」と顎に手をやり少し考えた。

 その間、不要になった”それ”を後ろにポイと捨てる。

 絶叫と悲鳴、硝子が割れるけたたましい音が鳴り響いていたが、この女は気にしない。
 自身の腰に視線を向けた。
 そこには、侍女長シンディ・モリタを初め、多くの公爵家侍女が付けるのを反対した革製の鞄が付いている。
 それを開けると、幾重にも重なった用紙と万年筆、木製の下敷きを取り出した。
 そして、紙を広げて紙面に目を走らせる。

 そこには、この女がこの茶話会で達するべき目標が箇条書きに書かれていた。

 ”前回”、忙しかったこともあり、家名は知っていてもラーム伯爵とは面識のなかった女であったが、”今回”のラーム伯爵家はこの女にとって重要貴族に指定されていた。
 その理由には、第一王子ルードリッヒ・ハイセルの従者である事もさることながら、ラーム伯爵領が絹の産地だという事がより強く、この女の興味を誘っていたからである。

 今代のラーム伯爵が始めたという絹の生産は近年、オールマ王国のみならず、世界中から注目されていた。

 その他の追随を許さないほど光沢があり、それでいて染色性にも優れ、その柔らかさはいつまでも着ていたいと貴婦人達が絶賛していた。
 隣国フレコの大商人、ミシェル・デシャなどは、実物を見せたエリージェ・ソードルに向かって『フレコに持ち込むことが出来れば、オールマ王国の販売価格、その二倍――いや、わたしならば三倍は堅いですぞ!』と興奮気味に断言したぐらいであった。

 その事を知ったこの女、早速、ラーム伯爵邸を訪ねると、『後ろ盾になるから!』と絹を融通するように指示お願いしたものだった。

 ただ、派閥に入っている訳ではないが、ラーム領が西よりにある立地からどちらかというとレーヴ侯爵家寄りの家で、外国に輸出する場合はガラゴが主であった。
 ラーム伯爵家としては今までの付き合いも有り、そんなことを突然言われても、当たり前に困ってしまった。

 だが、そこはエリージェ・ソードルである。

『ちょっとで良いから!
 領の総生産量の三割でいいから!』
 などと、無茶苦茶な事を言い出したのである。

 しかもである。

 ラーム伯爵家の三人兄妹共に優秀とどこかから聞きつけたこの女、『あと、あなたの所の三男を、学院卒業後に公爵領で働かせるつもりなんだけど』とまるで決定したかのように言い出して、ラーム伯爵は頭を抱えてしまった。

 その辺りについては、その場にいた従者ザンドラ・フクリュウや公爵家護衛騎士の三人を含む全員でなんとか説得し、絹を”常識の範囲内”で融通することで収まった。

 だが、この女は余り納得していない。

 大商人ミシェル・デシャも、渡した絹を喜んではいたが……。
 言葉の端々はしばしに、もう少し欲しいと匂わせてきた。
 なので、改めて交渉するつもりでいたのだが……。

 ここに来て、この失態である。

 この女、機嫌良さげにニヤリと笑った。

 わざわざ、大貴族の――しかも、公爵代行を呼び出しておいて、羽虫の様な下位貴族木っ端貴族令嬢をまとわりつかせる。
 これは非常に無礼であり、それこそ、ラーム伯爵家程度の小さな家など潰されても文句が言えない愚行である。

(これは、三割とかケチな話では済みそうにないわね。
 五割……いえ、絹の生産方法の伝授辺りも交渉次第かしら。
 ふふふ)

 この女、上機嫌で茶話会なのに一向にお茶の用意すらせず、オロオロしている侍女を”黒い霧”で引き寄せると、「ヒィィィ!」とか奇っ怪な声を上げている彼女に対して「さっさと、お茶の用意をしなさい」と指示をした。
 そして、「か、畏まりましたぁぁぁ!」とか叫びながら、走り去る侍女をそのままに、用紙をペラリとめくった。

 そこには、この茶話会に参加する伯爵貴族令嬢の一覧と、その領の特産などが書かれていた。
 この女にとって、その多くが取るに足りないものであったものの、二、三人ほど”きちんと”話をしないといけない、そんな令嬢もいた。
(さて、どのように話を持って行こうかしら)などと考えていると、「失礼します」と誰かがこの女の側で両膝をついた。

 視線を向けると、執事らしい初老の男が神妙な顔で頭を下げていた。

「何かしら?」
 この女が訊ねると、執事は言う。
「大変申し訳ございません。
 茶話会を仕切るはずの当家の者が”突然”体調を崩してしまいまして……。
 会は後日、改めてとさせて頂きたく――」

「はぁ?」

 エリージェ・ソードルの声が低く尖る。
「あなた、わたくしが誰か、分かって言ってるの?」
「もちろんでございます!
 ソードル公爵代行閣下!」
「だったら、分かるわよね?
 わたくし、あなた達にどうしてもと乞われたから、公爵家の執務を止めてここに来ているのよ?
 なのに、ここまで来させておいて、そんな”訳の分からない”理由で帰れとか……。
 あなた、いくらなんでも、公爵家を馬鹿にしすぎじゃない?」

 ”前回”、この女の前には多くの敵が立ち塞がった。

 それは、オールマ王国、国内だけでない。
 セヌ、ガラゴ、フレコの外国にもいた。
 それは時に商人、時に政治家、時に軍人すらいた。
 この女はその全てと真っ正面で対峙した。
 対峙せざる得なかった。

 故にと言うべきか、この女の漆黒の瞳が怒り色に染まると十代前半の令嬢とは思えない凄みを相手に感じさせた。

 それは、戦場を渡り歩いた歴戦の戦士ですら息を飲むほどのものがあった。

 だが、曲がりながらも伯爵家、その執事であった。
 視線をそらさない。

 額から幾本もの汗が走り、体が微かに震え、言葉をつっかえさせながらも、「申し訳、ございません……」と言い切った。

 そこに、割り込むように駆けてくる者がいた。

 女騎士ジェシー・レーマーである。

 別室に待機していたはずのこの騎士は、女の前で両膝をつくと、困ったように笑みを浮かべた。
「お嬢様、主催者が体調を崩されたのであれば仕方がありません。
 今日の所は、帰りましょう」
「……」
 エリージェ・ソードルは、伯爵家執事をひとしきり睨んでから、女騎士ジェシー・レーマーに手を取られながら立ち上がる。
 そして、言う。
「来週、同じ曜日の同じ時間、同じ人間を集めて改めて茶話会をしなさい。
 あと、伯爵に伝えなさい」
 この女、語気を強めて続ける。
「この貸しは大きいとね!」
「畏まりました!
 必ず伝えします!」
 エリージェ・ソードルは頭を下げる伯爵家執事に鼻を鳴らすと、心なし粗めな足取りで扉に向かう。

 すると、外から騒々しい音が聞こえてきた。

 そして、女騎士ジェシー・レーマーが入ってくる時に空いたままになっていた戸、そこに一人の令嬢が「ご機嫌よぉぉぉう!」とかやたらと機嫌良さげな声を上げながら姿を現した。

 リリー・ペルリンガー伯爵令嬢である。

 ”オールマの真ん丸の花”との異名に相応しい、だらしなく膨れた体を揺らし、ふっくりと膨らんだ頬を緩ませながら、けたたましい声でまくし立てる。
「皆様、来て差し上げましたよぉぉぉ!
 お~ほっほぉぉぉ!
 で?
 可愛らしい男の子とやらはどこかしら!?」
 そこまで言うと、目の前にエリージェ・ソードルがいることに気づく。
 リリー・ペルリンガー伯爵令嬢という令嬢、無作法にもぶくぶくと腫れぼったい人差し指で女を指し、言う。
「あら?
 引きこもり令嬢が、何故ここに?」

 片眉をピクリと跳ね上げたこの女、閉じた扇子を握り直した。

 そして、無表情のままズカズカとリリー・ペルリンガー伯爵令嬢の前まで行くと、「邪魔」と扇子で”軽く”そのプックリと膨れた横っ腹を叩いた。
「ゴヘ!?」とか品の無い声を上げながら、その膨れた体が吹っ飛ぶ。
 そして、大げさなことに床をゴロゴロ転がっていく。

 だが、この女は気にしない。

 使用人達の悲鳴や、「グゴエェェェ!」という奇声とともにゴボゴボと何かが吐き出る音が背後から聞こえるのも無視して、談話室を出る。
「ちょ、ちょっと、お嬢様!
 何も叩くことは無いでしょう!?」
と女騎士ジェシー・レーマーが言うが、エリージェ・ソードルはきっぱりという。
「安心なさい」
「え?」
「あれは、ペルリンガー伯爵家の令嬢よ」
「どこに安心する要素があるんですか!?
 五大伯爵貴族の令嬢じゃないですか!?」
「わたくし、成人して貴族院に出たらいの一番に、”ペルリンガー伯爵家の者を見たら一発程度なら殴っても罰せられない”という法律の制定に尽力する予定なの」
「どれだけ嫌いなんですか!
 ペルリンガー伯爵家!」
「嫌いよ」
 この女、正面をギロリと睨み、たまたまその視界内にいた哀れな侍女達が「ヒィィィ!」と言いながら崩れるようにその場に座り込んだ。
 エリージェ・ソードルはそんなのを気にせず続ける。
「嫌いだし、許せないわ」
 女騎士ジェシー・レーマーは苦笑しながら言う。
「いやあのう……。
 まあ、お気持ちは分からないでもありませんが……」
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