上 下
88 / 126
第十六章

前回の紙の生産

しおりを挟む
 ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢の付き添いの侍女が、執事ラース・ベンダーと借用書のやり取りを始める。

 すると、戸を軽く叩く音が聞こえた。

 エリージェ・ソードルが視線を向けると、侍女ミーナ・ウォールが応対するために扉を開いていた。
 そして、一言二言やり取りをすると、書状を受け取り、女の方に歩いてくる。
 そして、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢を気にしつつ言った。
「お嬢様、”こちら”が届きました」
 エリージェ・ソードルはそれを受け取ると、表紙を読む。
 そして、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢の方に顔を向けた。
 ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は視線が合うと、茶器を置き、静かに立ち上がった。
「エリー、わたしはお邪魔なようだから、クリスの所に行っているわ」
 エリージェ・ソードルはそれに頷く。
「悪いわね。
 ミーナ、案内をして上げて」
「畏まりました」
 侍女ミーナ・ウォールの案内で、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢とその付き添いが退室するのを眺めていた、従者ザンドラ・フクリュウが言う。
「聡い方ですね。
 ただ、ヘルメス伯爵令嬢は当主というより、補佐としての方が才を発揮するお方だと思います」
「そうなの?
 もう少し年齢が近ければ、弟君を当主にしても良いかもしれないけど……。
 まだ、六つだから流石に幼すぎて無理ね」
 女の言に、執事ラース・ベンダーが苦笑する。
「お嬢様を見ていると忘れがちですが、十歳でも十分に幼い部類に入りますよ」
 エリージェ・ソードルはそんな執事に視線を向けながら、書状を振ってみせる。
「そんな話は良いわ。
 今は”こちら”が重要なのよ」
 従者ザンドラ・フクリュウが紙切り用小刀を女に差し出してきたのでそれを受け取り、丁寧に封を切った。
 そして、その中を読み、一つため息をついた。
「シンホンの職人への勧誘は手こずっているようね」
 執事ラース・ベンダーが訊ねてくる。
「シンホンの職人というと、例の紙作りの職人のことですか?」
「ええ、そうよ。
 植物紙の生産にはどうしても彼らの助けが必要なのよ」
 そこに、従者ザンドラ・フクリュウが口を挟む。
「お嬢様、お嬢様がシンホンの紙作りについてご存じだったのには驚きましたが、しかし、改良の当てはあるのですか?
 シンホンの紙そのままではとてもではありませんが、使えませんよ」
 従者ザンドラ・フクリュウの言うことはもっともであった。

 シンホン紙は荒く、表面がザラザラとしていた。
 彼の国では動物の毛などで作られた筆を使い、塗るように文字を書くのでそれでも良かったが、オールマ王国で使用されている万年筆や付け筆といった、先が尖ったものでは非常に書きにくかった。
 だが、エリージェ・ソードルは手をひらひら振りながら「そのあたりは大丈夫なのよ」とあっさり言った。
 そして、”前回”を思い出す。

――

 ”前回”の事だ。

 十二才になった頃、エリージェ・ソードルは悩んでいた。
 エリージェ式が公爵領内でだいぶ浸透してきたそれの為に、執務の効率はかなり良くはなっていたが、指示者に義務づけた指示書の為に、それに使用する紙の問題が表面化してきたのである。

 紙には大きく分けて二種類存在する。

 一つは羊皮紙である。

 羊の皮をなめて作ったそれは、昔から使われていた。
 使用する素材が素材だけに、手間暇がかかる上に高価となった。

 二つ目はセヌ紙と呼ばれる紙である。

 羊皮紙より値段が安いそれは、近年になり普及し始めていた。
 原料は謎ではあったが、羊皮紙より薄く軽い。
 貴族間の契約書などでは、見栄え的にも丈夫さ的にも使えないそれではあったが、場所を取らない事と経費削減のために執務上のちょっとした書類や平民が読む安価な書籍などで使われるようになっていた。
 ソードル領でも、指示書を初めとする多くの場面で重宝されるようになっていた。

 とはいえである。

 羊皮紙よりは幾分安いとはいえ、紙が高価なのは間違いがないところであった。

 需要と経費が雪だるま式に増えている現状、将来的に問題になるのでは?
 この女は懸念していた。

 更に言えば、その紙の生産国であるセヌが問題だった。

 オールマ王国にとって軍国セヌは、コブレッゲンでの数多くの死闘を引き合いに出すまでもなく、因縁浅からぬ相手である。
 オールマ人が”侵攻”という言葉を聞くと、真っ先に思い浮かぶ国と言われるほど、警戒する相手だった。
 そんな国の紙を使用する前提で業務などが組まれ始めている。
 もしそれが、何かのきっかけで止められたならと、祖父マテウス・ルマを始め、多くの重鎮が危惧していた。

 その危機は恐らくすぐに来る事は無いだろう。

 だが、紙の開発費用などを回収しきった後は、セヌがどのように動くか分からない。

 自身が考え付いたエリージェ式が煽る結果となったセヌ紙問題、それによって苦しむのは、敬愛する母国、そして、次代の王である第一王子ルードリッヒ・ハイセルになるのだ。


 そんなある日、エリージェ・ソードルはとある男と面談をしていた。
 その名をジェローム・ビという。
 極東の国シンホンからの移民を祖父に持つ男で、シンホン、ガラゴ、オールマを跨ぎ商いをする、新鋭の商人であった。

 そんな彼が持ってきた物に、この女、目が釘付けとなった。

 商人ジェローム・ビが持ってきた物は、タケノコを漬けたもので、シンチクという漬け物だった。
 コリコリとした食感が酒のつまみに合うとの事で、近年ではオールマ王国の年輩貴族の間でちょっとした流行になっていた。

 だが、女にとってそんな物はどうでも良かった。

 女が凝視したのはシンチク、それが入っていた白色の陶器、それの緩衝材として使われていた物だった。

 それこそが、シンホン紙である。

 エリージェ・ソードルは突然降って湧いてきた紙の出現に色めき立ち、ぐちゃぐちゃに丸まったそれを引っ張り出すと、早速、商人ジェローム・ビを問いつめた。
 そんな女に対して、この穏和を絵に描いたような中年の商人は、穏やかに微笑みながら説明をしてくれた。

 それがシンホン紙という、麻という植物から作られた紙であること。
 シンホンでは羊皮紙よりも一般的に使われているものであること。
 前記で従者ザンドラ・フクリュウが述べた通り、万年筆などで使用するのは向いていないこと。
 そして、”それでも”良ければ紹介できる職人がいることを――語った。
 ”元々”、その話をする予定だったかのように、話してくれた。

 エリージェ・ソードルは話を聞き終えると、「我が領で紙を作るわ」と即、決断した。

 下手をすると外交的弱点になりかねない紙問題、それを自国で作ることが出来れば万事が解決する。
 むしろ、敵国セヌの資金調達の場を切り取ることだって出来る。
 更に言えば、ソードル領の新たなる産業とする事も出来る。
 だから、エリージェ・ソードルは、のしかかる仕事を必死に捌きながら、紙作りを始めたのだ。

 家令マサジ・モリタを初めとする配下や、祖父マテウス・ルマ、ルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンにまで心配され、次代に回すように進言されながらも、執務に研究に、動き続けた。

 シンホンの職人を数人、家族ごと呼び寄せてた。
 国王オリバーや他の貴族に研究の有用性を説き、人や資金を調達した。
 ブルクに多額の資金を投じ、研究所を作った。
 実験結果などの論文に全て目を通し、女自ら寝る間を惜しんで試しもした。

 その甲斐もあって、女が十六になる頃にはセヌ紙に匹敵する紙が作成できるようになったのである。

――

 この女は、幸か不幸か研究に携わっていた。
 なので、シンホン紙をどう改造すれば良いかは、頭に入っていた。
 しかし、なのだ。
「わたくし改善する方法は分かっていても、自分では紙なんて作れないのよ」
と、エリージェ・ソードルは苦笑する。

 この女、エリージェ・ソードルは大貴族である。

 貴族の中の貴族といって良い。

 故に、当たり前の事ながら肉体労働をした事が無い。
 した事が無いし、そんな事、思い付いた事も無い。
 あえて言うならば、邪魔な者・物ものを”黒い霧”で蹴散らしたぐらい――そんな女である。
 なので、紙の研究している時も、実験する時も、手を動かすのは職人で、この女では無い。
 それが当たり前だったし、職人としても雇い主がむやみやたらと手を出して来る事など、望んでいなかった。

 なので、”前回”はそれで正解だったのだが……。

 実際に行っていないので、大まかな作業工程は分かっても、細かい内容までは頭に入っていない。
 ”今回”になった現在、改善方法が分かっても、職人がいないので作れないという状態になってしまったのだ。
「取りあえず、一人でもいればなんとかなるんだけど……」
とエリージェ・ソードルがぼやくように呟くと、従者ザンドラ・フクリュウが少し考える様子を見せた後、視線を向けてきた。
「お嬢様、ブルクに戻ったら知人に相談してもよろしいでしょうか?
 確実に――とは言えばせんが、当てがありますので」
 エリージェ・ソードルは閉じた扇子を口元に当てながら少し考える。
 そして、言った。
「その当ては、ブルクの商人なのかしら?
 それとも、別の町の者かしら?」
 女の問いに、従者ザンドラ・フクリュウは不思議そうにしながらも答える。
「ブルクの商会です。
 トーン商会ですが、ご存じないですか?」
「トーン商会?
 ……何処かで聞いた事があるような」
「ブルクではそれなりに有名な商会なので、お嬢様も何処かで耳にされていると思います。
 の会長が確か、シンホンとの商いを考えていると聞いた事があるので、ひょっとしたら伝手もあるかもしれません」
 従者ザンドラ・フクリュウの答えに、エリージェ・ソードルは頷いて見せた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私はもう必要ないらしいので、国を護る秘術を解くことにした〜気づいた頃には、もう遅いですよ?〜

AK
ファンタジー
ランドロール公爵家は、数百年前に王国を大地震の脅威から護った『要の巫女』の子孫として王国に名を残している。 そして15歳になったリシア・ランドロールも一族の慣しに従って『要の巫女』の座を受け継ぐこととなる。 さらに王太子がリシアを婚約者に選んだことで二人は婚約を結ぶことが決定した。 しかし本物の巫女としての力を持っていたのは初代のみで、それ以降はただ形式上の祈りを捧げる名ばかりの巫女ばかりであった。 それ故に時代とともにランドロール公爵家を敬う者は減っていき、遂に王太子アストラはリシアとの婚約破棄を宣言すると共にランドロール家の爵位を剥奪する事を決定してしまう。 だが彼らは知らなかった。リシアこそが初代『要の巫女』の生まれ変わりであり、これから王国で発生する大地震を予兆し鎮めていたと言う事実を。 そして「もう私は必要ないんですよね?」と、そっと術を解き、リシアは国を後にする決意をするのだった。 ※小説家になろう・カクヨムにも同タイトルで投稿しています。

追放された聖女の悠々自適な側室ライフ

白雪の雫
ファンタジー
「聖女ともあろう者が、嫉妬に狂って我が愛しのジュリエッタを虐めるとは!貴様の所業は畜生以外の何者でもない!お前との婚約を破棄した上で国外追放とする!!」 平民でありながらゴーストやレイスだけではなくリッチを一瞬で倒したり、どんな重傷も完治してしまうマルガレーテは、幼い頃に両親と引き離され聖女として教会に引き取られていた。 そんな彼女の魔力に目を付けた女教皇と国王夫妻はマルガレーテを国に縛り付ける為、王太子であるレオナルドの婚約者に据えて、「お妃教育をこなせ」「愚民どもより我等の病を治療しろ」「瘴気を祓え」「不死王を倒せ」という風にマルガレーテをこき使っていた。 そんなある日、レオナルドは居並ぶ貴族達の前で公爵令嬢のジュリエッタ(バスト100cm以上の爆乳・KかLカップ)を妃に迎え、マルガレーテに国外追放という死刑に等しい宣言をしてしまう。 「王太子殿下の仰せに従います」 (やっと・・・アホ共から解放される。私がやっていた事が若作りのヒステリー婆・・・ではなく女教皇と何の力もない修道女共に出来る訳ないのにね~。まぁ、この国がどうなってしまっても私には関係ないからどうでもいいや) 表面は淑女の仮面を被ってレオナルドの宣言を受け入れたマルガレーテは、さっさと国を出て行く。 今までの鬱憤を晴らすかのように、着の身着のままの旅をしているマルガレーテは、故郷である幻惑の樹海へと戻っている途中で【宮女狩り】というものに遭遇してしまい、大国の後宮へと入れられてしまった。 マルガレーテが悠々自適な側室ライフを楽しんでいる頃 聖女がいなくなった王国と教会は滅亡への道を辿っていた。

神のいとし子は追放された私でした〜異母妹を選んだ王太子様、今のお気持ちは如何ですか?〜

星河由乃(旧名:星里有乃)
恋愛
「アメリアお姉様は、私達の幸せを考えて、自ら身を引いてくださいました」 「オレは……王太子としてではなく、一人の男としてアメリアの妹、聖女レティアへの真実の愛に目覚めたのだ!」 (レティアったら、何を血迷っているの……だって貴女本当は、霊感なんてこれっぽっちも無いじゃない!)  美貌の聖女レティアとは対照的に、とにかく目立たない姉のアメリア。しかし、地味に装っているアメリアこそが、この国の神のいとし子なのだが、悪魔と契約した妹レティアはついに姉を追放してしまう。  やがて、神のいとし子の祈りが届かなくなった国は災いが増え、聖女の力を隠さなくなったアメリアに救いの手を求めるが……。 * 2023年01月15日、連載完結しました。 * ヒロインアメリアの相手役が第1章は精霊ラルド、第2章からは隣国の王子アッシュに切り替わります。最終章に該当する黄昏の章で、それぞれの関係性を決着させています。お読みくださった読者様、ありがとうございました! * 初期投稿ではショートショート作品の予定で始まった本作ですが、途中から長編版に路線を変更して完結させました。 * この作品は小説家になろうさんとアルファポリスさんに投稿しております。 * ブクマ、感想、ありがとうございます。

『王家の面汚し』と呼ばれ帝国へ売られた王女ですが、普通に歓迎されました……

Ryo-k
ファンタジー
王宮で開かれた側妃主催のパーティーで婚約破棄を告げられたのは、アシュリー・クローネ第一王女。 優秀と言われているラビニア・クローネ第二王女と常に比較され続け、彼女は貴族たちからは『王家の面汚し』と呼ばれ疎まれていた。 そんな彼女は、帝国との交易の条件として、帝国に送られることになる。 しかしこの時は誰も予想していなかった。 この出来事が、王国の滅亡へのカウントダウンの始まりであることを…… アシュリーが帝国で、秘められていた才能を開花するのを…… ※この作品は「小説家になろう」でも掲載しています。

強制力がなくなった世界に残されたものは

りりん
ファンタジー
一人の令嬢が処刑によってこの世を去った 令嬢を虐げていた者達、処刑に狂喜乱舞した者達、そして最愛の娘であったはずの令嬢を冷たく切り捨てた家族達 世界の強制力が解けたその瞬間、その世界はどうなるのか その世界を狂わせたものは

連帯責任って知ってる?

よもぎ
ファンタジー
第一王子は本来の婚約者とは別の令嬢を愛し、彼女と結ばれんとしてとある夜会で婚約破棄を宣言した。その宣言は大騒動となり、王子は王子宮へ謹慎の身となる。そんな彼に同じ乳母に育てられた、乳母の本来の娘が訪ねてきて――

嫌われ聖女さんはとうとう怒る〜今更大切にするなんて言われても、もう知らない〜

𝓝𝓞𝓐
ファンタジー
13歳の時に聖女として認定されてから、身を粉にして人々のために頑張り続けたセレスティアさん。どんな人が相手だろうと、死にかけながらも癒し続けた。 だが、その結果は悲惨の一言に尽きた。 「もっと早く癒せよ! このグズが!」 「お前がもっと早く治療しないせいで、後遺症が残った! 死んで詫びろ!」 「お前が呪いを防いでいれば! 私はこんなに醜くならなかったのに! お前も呪われろ!」 また、日々大人も気絶するほどの魔力回復ポーションを飲み続けながら、国中に魔物を弱らせる結界を張っていたのだが……、 「もっと出力を上げんか! 貴様のせいで我が国の騎士が傷付いたではないか! とっとと癒せ! このウスノロが!」 「チッ。あの能無しのせいで……」 頑張っても頑張っても誰にも感謝されず、それどころか罵られるばかり。 もう我慢ならない! 聖女さんは、とうとう怒った。

【完結】父が再婚。義母には連れ子がいて一つ下の妹になるそうですが……ちょうだい癖のある義妹に寮生活は無理なのでは?

つくも茄子
ファンタジー
父が再婚をしました。お相手は男爵夫人。 平民の我が家でいいのですか? 疑問に思うものの、よくよく聞けば、相手も再婚で、娘が一人いるとのこと。 義妹はそれは美しい少女でした。義母に似たのでしょう。父も実娘をそっちのけで義妹にメロメロです。ですが、この新しい義妹には悪癖があるようで、人の物を欲しがるのです。「お義姉様、ちょうだい!」が口癖。あまりに煩いので快く渡しています。何故かって?もうすぐ、学園での寮生活に入るからです。少しの間だけ我慢すれば済むこと。 学園では煩い家族がいない分、のびのびと過ごせていたのですが、義妹が入学してきました。 必ずしも入学しなければならない、というわけではありません。 勉強嫌いの義妹。 この学園は成績順だということを知らないのでは?思った通り、最下位クラスにいってしまった義妹。 両親に駄々をこねているようです。 私のところにも手紙を送ってくるのですから、相当です。 しかも、寮やクラスで揉め事を起こしては顰蹙を買っています。入学早々に学園中の女子を敵にまわしたのです!やりたい放題の義妹に、とうとう、ある処置を施され・・・。 なろう、カクヨム、にも公開中。

処理中です...