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第十五章

子供達の園遊会2

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 幼なじみオーメスト・リーヴスリーに先導された先には、長身の若い子息が緊張した面持ちで立っていた。
 学院に通うぐらいの年齢だろうか、短く切りそろえた黄金色の髪に灰色に近い瞳をしていた。
(はて? 誰だったかしら?)などと考えながら彼の前に立つと、その子息が丁寧に頭を下げた。
 幼なじみオーメスト・リーヴスリーが紹介する。
「エリー、彼はレノ伯爵の長子、イェンス・レノだ。
 イェンスさん、彼女がソードル公爵代行、エリージェ・ソードルだ」
「お初にお目にかかります。
 イェンス・レノと申します。
 以後、お見知りおきを」
「ええ、初めまして。
 顔を上げてください」
などと言いつつ、エリージェ・ソードルは少し困惑する。

 レノ伯爵家は名の知られた武門の家、なのでこの女とてレノ伯爵とは面識がある。

 ただ、伯爵家はどちらかというと、レーヴ侯爵家寄りの家である。
 だからという訳では無いが、女を含むソードル家とほぼ接点は無かった。
(ああ、そういえば侍女長シンディが侍女教育の件で時々招待を受けるとか言っていたわね)
 そんなことを思い出していると、イェンス・レノ伯爵子息が話し始めた。
「ソードル公爵代行、大変不躾な事と思いますが、質問をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「なにかしら?」
 イェンス・レノ伯爵子息は躊躇するように、口を少し開け閉めした後に、探るように訊ねてきた。
「ウォール男爵令嬢はお元気でしょうか?」
 それに対して、エリージェ・ソードルは小首を捻る。
「ウォール男爵令嬢?
 誰だったかしら?」
「え!?
 ほ、ほら、小柄な侍女の――」
「侍女?
 ……ああ、ミーナの事ね」
 エリージェ・ソードルは合点がいったように頷いた。
 使用人のことは常に名前で呼んでいるので、家名を言われてもぴんと来ないのだ。
「元気にしておりますが……。
 当家の使用人が何かございますか?」
 エリージェ・ソードルが少し怪訝そうに眉を寄せると、イェンス・レノ伯爵子息にとって意外な反応だったのか、「いや、え!? あの!?」と何やら口籠もった。
「ミーナは以前、当家におりまして!
 ソードル公爵代行は御存じありませんでしたか?」
「あらそうですの?
 知りませんでしたわ」
 侍女ミーナ・ウォールが女に仕えるようになったのは、八つの頃のまだ公爵代行になる前のことである。
 その辺りの事情を把握していないのも仕方がないことであった。
「先ほどもお話しした通り、元気にやっております。
 わたくしの専属をして貰っています」
「そ、そうですか?
 ……結婚とか婚約とかはどうでしょう?」
「結婚……。
 ああ、そういえばそろそろだったかしら?」
とエリージェ・ソードルは少し思い出す。

――
 ”前回”の事だ。

 エリージェ・ソードルが十二の頃、侍女ミーナ・ウォールに見合い話を持って行った。

 相手の名はペーター・カム男爵という。

 ソードル公爵家の陪臣貴族ではあるが、それなりに歴史ある貴族家だった。

 公爵領の南東部、もっとも王都に近い場所にある町ハマーヘン近辺を任せていて、優秀では無いにしても、まあ、無難な仕事はするとそれなりに評価をする男だった。
 公爵代行でありながらも女主を兼任するこの女が、幼い頃から仕えてくれた侍女に出来るだけ良い話をと捜し出したのが、この男爵だった。
 実際、男爵令嬢とはいえ、五女である侍女ミーナ・ウォールである。
 陪臣とはいえ男爵夫人となれるのだ。
 破格と行っても良い嫁ぎ先であった。
 その事で、本人はもとより、ウォール男爵夫妻にも大いに感謝されたものだ。
 この女が自分の仕事に満足したとて、仕方がないことであった。

 ところがである。

 結論から先に言うと、この結婚は大失敗に終わる。

 その事が明るみに出たのは、この女が十四になった頃である。

 その時のこの女はハマーヘンを訪問していた。
 この土地の川は良質な紙を作るのに適していると教えられていて、この場所を紙の生産基地にしようと思っていた。
 なので、その視察に赴いていたのだ。

 当然、案内役はペーター・カム男爵であった。

 一日、二日と方々ほうぼうを見て歩いた後、この女にしては珍しい事だが、ふと、昔の使用人の、愛敬のある顔を思い浮かべた。
 そこから何ということも無い気まぐれで、あの暢気そうな顔を久しぶりに見てやるか――そう思った。
「ねえ、ミーナは元気かしら?
 一目会っておきたいんだけど」
 それに対して、先ほどまで淡々と話していたペーター・カム男爵が、少し言いよどむ。
「ああ、ええとですね。
 ”あの子”は今、病を患っておりまして……」
「あらそうなの?」と言いつつ、エリージェ・ソードルは視線を随伴している医療魔術師スーザン・ドルに向ける。
 中年の彼女は視線が合うと、にっこりと微笑みながら頷いた。
 エリージェ・ソードルはペーター・カム男爵に向き直ると言った。
「だったら、ドル先生に診て貰いましょう。
 行くわよ」
 そして、さっさと男爵邸に向かう準備を指示した。
 ペーター・カム男爵が「いや、それはもったいないですし――」とか何とかぶつくさ言っていたが、この女は一度決めたら最短で突き進む。

 それは、この女の短所であったが、同時に恐るべき長所でもあった。

 さっさと、馬車に乗り込むと、出発の指示を出した。


 男爵邸に女が踏み込むと、玄関近くにいた使用人らがポカンとした顔でこちらを見てきた。
 当然だ、エリージェ公爵代行の訪問どころか、男爵の帰還の先触れも来ていないのだ。
 驚くなと言う方が無理な話である。
 しかも、男爵自身が乗った馬車はまだ到着していない。

 この女は、ほぼ押し入っているに近い状況である。

 しかし、この女、たかだか配下の屋敷だと大して気にしない。
 近くにいた侍女に声を掛ける。
「あなた、男爵夫人の元に案内をしなさい」
 すると、その侍女は言いよどむだけで、案内をしない。
 その態度に、エリージェ・ソードルがイラリと眉を撥ね上げると、女騎士ジェシー・レーマーが眉を顰め声を掛けてきた。
「お嬢様、先ほどの男爵の態度といい、この使用人の反応といい……。
 何か、変じゃないですか?」
「変って――」どういうこと? と続けようとした言葉は「何やってるのよ愚図!」という声にかき消された。
 エリージェ・ソードルが視線を向けると、奥にある大階段、そこを一人の侍女が転げ落ちてきた。
 その見覚えのある姿に、この女をして目を見開き、固まった。
 その侍女はすぐに起き上がると、階段上に向かって「ごめんなさい! ごめんなさい!」と身を伏せながら頭を下げ続けている。
「……ジェシー!」エリージェ・ソードルの声に、同じく呆然としていた女騎士ジェシー・レーマーが駆け出す。
 そして、その侍女を抱きしめるように起き上がらせた。
 その侍女はビクッと体を震わせ、そして、恐る恐る顔を上げる。
 女騎士ジェシー・レーマーに気付き、大きく見開かれた目は、女にも気付いたようで大粒の涙を零し始めた。
「お嬢…様……」
 懐かしい顔だった。
 懐かしい顔の筈だった。
 だが、透明と赤色の滴が流れる頬は、女が見たものとは違う、青白く痩けたものだった。

「……」

 そこに、荒荒しい足音が聞こえてくる。
「お嬢様!
 このような勝手は困ります!
 客間を用意させ――」
 エリージェ・ソードルは静かに、ペーター・カム男爵の方を振り向く。

 そこに表情は無い――はずだ。

 だが、その奥に沸き上がる”何か”に気付いたのだろう、ペーター・カム男爵は「ひゃぁ!」とか何とか漏らしながら、腰を床に落とした。
 どうやら、言葉だけでは足りなかったようで、下半身から何かが染み出ていた。


 ペーター・カム男爵は平民の女を愛していて、ミーナ・カムとして嫁ぐこととなったパッとしない娘は体面を整えるためだけの存在でしかなかったのだという。
 とはいえ、嫁いできたのだから、男爵家の方針には従うべきとのことだった。

 エリージェ・ソードルはなるほど、と頷かざる得なかった。
 確かにその通りだったからだ。

 男爵の自称正妻は元々自分が女主なのだから、後から勝手に来た女などどうだっていい。
 ただ、公爵代行の専属侍女をしていたということで、使ってやったという。
 そのうえで、思ったより愚図だから、女主としてきちんと”教育”をしてやったという。
 それをどうこう言われる筋合いは無いとのことだった。

 エリージェ・ソードルはなるほど、と頷かざる得なかった。
 確かにその通りだったからだ。

 また、前男爵でペーター・カム男爵の父親は、嫁いできた嫁の境遇を哀れに思い、日頃から”可愛がって”あげていたという。
 初めのうちは、その思いを”踏みにじる”ような態度ばかりだったが、そこは舅として、”きちん”と教育したという。
 ペーター・カム男爵も金もかけずに”発散”出来るのであればと黙認していたという。
 これも、嫁のためを思えばの事で、余所からあれやこれや言われる筋合いは無いとのことだった。

 エリージェ・ソードルはなるほど、と頷かざる得なかった。
 確かにその通りだったからだ。

 エリージェ・ソードルは確かに公爵代行であり、ペーター・カム男爵は配下である。
 だが、それでも他家には違いなかった。
 まして、陪臣とはいえ、王家から男爵位を受けた貴族である。

 その家に対して、口を挟む資格など無い。

 どれだけ非道な行いでも、法に反することなどしていないのである。

 だから、この女、何も出来ない。

 大貴族とはいえ、公爵代行とはいえ、何も出来ないのである。

 精々、紹介した女の顔を潰したという理由で……。
 騎士達に自称正妻の女の顔面をボコボコにさせた上にミーナを蹴った足をへし折るとか、前男爵の下半身の”あれ”を二つとも潰し、髪を焼き上げるぐらいしか出来なかった。

 口惜しい事だが、そこまでしか出来ないのである。

 だが、そんな女の様子に思う所があったのか、騎士に顔面が平らになるように丁寧に殴らせた後、縄で縛り、近くの池に投げ落とされては引き摺り出すを繰り返されたペーター・カム男爵は、泥と赤い液体でぐちゃぐちゃになった顔を必死に上げながら「ぼうじあげございばぜん!(申し訳ございません)!」「ごろざだいでぇぇぇ(殺さないで)!」と反省した。
 そして、最後には千切れそうな鼻をそのままに「いじゃりょうぼばばっれ、ぢれんもじばずぅぅぅ(慰謝料を払って離縁もします)!」と自ら申し出たのであった。

――

 その時のことを思い出したエリージェ・ソードルは「そういえば、あれはクズだったわね」と苛立たしげに眉を少し寄せた。

 この女には無論、一人の女性の悲劇を哀れむことはない。

 ただ、自分に、公爵家に、しっかりと仕えた者には最大限に配慮したかった。
 その思いを踏みにじられて激怒したのである。

 ウォール男爵家にはペーター・カム男爵が払った分に加えて、いくらか上乗せして慰謝料と幾人かの再婚相手を用意した。

 だが、ミーナ・ウォールに戻った彼女は、男爵家からのものはともかく、女からのものは金銭にしても、再婚相手にしても、丁寧にだが固辞をした。

 そして、王都にある修道院に入っていったのである。

(”今回”は対策を取らないといけないわね)
などと思っていると、突然、「こ、公爵代行!」とイェンス・レノ伯爵子息が凄い勢いで詰め寄ってきた。
「クククズとはどういうことですか!?
 クズにミーナをあてがうとかそそそんなつもりですか!?」
「はぁ!?」
 流石の女も面食らっていると、その間に幼なじみオーメスト・リーヴスリーが割って入る。
「イェンスさん、落ち着け!」
 流石にご令嬢、しかも幼いご令嬢に詰め寄るという紳士にあるまじき行動に気付いたのか、イェンス・レノ伯爵子息は一歩後ずさると、深く頭を下げた。
「っ!?
 失礼しました!」
「はぁ?
 先ほどから一体何なの?」
 などと言っていると、幼なじみオーメスト・リーヴスリーが女の耳元で囁く。
「イェンスさんはミーナという侍女に懸想けそうしてるんだよ」
「懸想?
 ミーナに?」
 エリージェ・ソードルは不可解そうに眉を寄せる。
 この女としては、あの小柄であわあわと慌てている印象が強い侍女と恋愛うんぬくんぬがいまいち結び合わさらないのである。
 ただ、エリージェ・ソードルとしては、巻き戻った”今回”、くだんの男爵の元に嫁がせる気もさらさらないので、少し考える。
「家格が余りにも釣り合わない気がするんだけど……」
 木っ端中の木っ端であるウォール家の、しかも五女が名門レノ伯爵の嫡子に嫁ぐ。

 あの侍女ミーナ・ウォールがレノ伯爵夫人になる。

 余りに現実味が無く、更に言えば先ほどの大公夫人と同等ぐらいに苦労するのが火を見るよりも明らかだった。

 はたと気づき、エリージェ・ソードルは目付きを少し、鋭くした。

「レノ伯爵子息、わたくし、妾を斡旋する趣味はございませんのよ!」
 エリージェ・ソードルの怒気に、イェンス・レノ伯爵子息は一瞬気圧されたように体を少し仰け反らせたが、すぐに片膝をつき、真摯な顔を向けてきた。
「公爵代行、わたしはミーナを愛しているのです。
 そんな彼女を日陰者にするのは本意ではありません」
 そこで、イェンス・レノ伯爵子息は一つ息を呑んだ後に話を続ける。
「公爵代行、わたしが学院を卒業するのはあと二年、出来ればそれまでは、彼女に婚姻話を持って行くのを控えて頂けませんでしょうか?
 このようなことをお願いするのは非常に図々しい事とは思います。
 ただ、伏してお願いします」
「あと二年……」と呟きつつエリージェ・ソードルは少し考えた。

 この女とて時間が戻った”今回”、クズだと分かっているペーター・カム男爵に侍女ミーナ・ウォールを嫁がせようとは思わない。

 更に言うならば、侍女ミーナ・ウォールの抱擁能力を知った”今回”、早い段階で嫁に出すこと自体、もったいないと思っていた。
 現在の侍女ミーナ・ウォールは十八歳、二年後であれば二十となる。
 令嬢の婚姻として二十歳は早いとは言えないが、けして遅い訳でも無い。
 エリージェ・ソードルは決断しつつも、念の為に釘を刺す。
「……でも、彼女やウォール家が見付けてきた場合は、わたくしの及ぶ所ではございません。
 それでも、よろしいですか?」
「はい、そこまでは無理をもうしません!
 ただ、あてがうのは少し待って頂ければと思います」
「あともう一つ、わたくし、あの子には針のむしろに座らせるつもりもございません。
 もし、あの子があなたに嫁ぐのであれば、その辺りも全て解決して頂きます。
 よろしいですか?」
「は、はい!
 もちろんです!」
 そこに、幼なじみオーメスト・リーヴスリーが何故か勝手にイェンス・レノ伯爵子息を立たせつつ言う。
「なあエリー、そのご令嬢はエリーの専属なんだよな?
 だったら、今日も連れて来ているのか?」
 突然の問いに、エリージェ・ソードルは頷いてしまう。
「ええ、来ているけど、それが何か?」
「会うことは可能か?」
「はぁ?」と幼なじみの非常識な発言に眉を顰めるも、イェンス・レノ伯爵子息が目を輝かせながら詰め寄ってくる。
「よろしいのですか!?」
「駄目に決まってるでしょう!
 なんでわたくしが、そんな逢い引きの斡旋みたいな事を――」
「公爵代行!
 会うのは難しくても、一目だけでも!」
「良いじゃ無いか!
 俺も見たいし」
オーメあなたは昨日も見てるでしょう!?
 とにかく、駄目なものは駄目!」
 エリージェ・ソードルがキッパリと拒否するも、二人の子息は食い下がるのであった。
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