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第十二章

とある侍女のお話3

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 侍女ミーナ・ウォールはその日のうちに馬車に詰め込まれるように入れられ、レノ伯爵家を後にする。
 一年も経たずにクビとなった侍女など、雇う貴族などほとんど無い。
 あるとすれば、いわゆる木っ端貴族と呼ばれる下位貴族か、”慰めもの”にする前提で雇うクズ貴族ぐらいであろう。
 だが、レノ伯爵夫人は負い目を感じているのか、次の勤め先を探してくれていた。

 これから勤めるお屋敷(?)を馬車の中から見上げ、侍女ミーナ・ウォールは呆然を超えてガクガクと震えた。

 そこは、レノ伯爵邸すらも霞むほどの巨大なお屋敷(?)であった。

 名家レノ伯爵を遙かに上回る大貴族、ソードル公爵家、その自領にある本邸である。
 何故か、付き添いの人に”お屋敷”と何度も強調されたが、どこからどうみても絵本などに出てくるお城であった。

 確かに、侍女ミーナ・ウォールの父もオールマ城で働いてはいる。

 だが、まさか自分がこのような場所で働く事となるとは、夢にも思わなかった。
 くぐっている巨大な城門の影を見上げながら、
「何かあったら、打ち首になるんじゃ……」
と不安になるのも仕方がない――それくらい、侍女ミーナ・ウォールにとってそこは、遠い世界の場所であった。

 しかもである。

 侍女ミーナ・ウォールの不安を煽る様な決定が行われる事となる。

 流れるようにソードル公爵家に雇われる事となった侍女ミーナ・ウォールは、一通りの研修が終わった後、王都のソードル邸に異動となり、ご令嬢、エリージェ・ソードルの専属侍女に抜擢されたのである。

 初め、侍女長室の事務机につく侍女長ブルーヌ・モリタに言われた時、侍女ミーナ・ウォールは震え上がった。

 それも致し方が無い事だった。

 イェンス・レノ伯爵子息の時に失敗して臆病になったこともある。
 だが、幼い貴族令嬢とは扱いが難しいのが世の常であった。
 幼い頃から、貴婦人になるべく礼儀作法を叩き込まれる彼女たちはとにかく苛立ちをため込みやすい。
 特に、活発な気質の令嬢は、縛り付けるような束縛感の為に、常に胸の中にそれをたぎらせていた。
 それは、両親や兄弟、姉妹といった肉親の前でも発散することは許されず、自室に戻り、扉を閉め切って初めて爆発させるのだ。
 その自制心はある意味誉めるべきなのだろう。
 貴族令嬢として、表を取り繕う事が出来ているのだから、合格点を与えてもいい。

 だが、爆心地に必ずいなくてはならない専属侍女はたまったものではない。

 言葉で罵られるだけならまだいい。
 殴る蹴るもまだマシな方だ。
 激情のまま、堅い物や尖った物をぶつけられる事もある。
 そのため、消えないほどの傷が付けられたり、目に当たり失明したという話もまれに良くある話であった。

 まして、大貴族の令嬢となれば……。

 まだ若い侍女ミーナ・ウォールが恐怖しても致し方がないことだった。

 だが、そんな侍女ミーナ・ウォールの様子に言わんとすることを悟ったのか、侍女長ブルーヌ・モリタは無表情のまま静かに言った。
「あなたの懸念は理解できます。
 でも他家の令嬢はともかく、お嬢様の場合はそのような心配は必要はありません。
 エリージェお嬢様は理知的で、我が儘をおっしゃるような方ではありませんから。
 むしろ、当家で、もっとも楽な場所かも知れません」
「そ、そうなのですか?」
 恐る恐る訊ねる侍女ミーナ・ウォールに対して、侍女長ブルーヌ・モリタは頷く。
「もちろん、敬意を払いお世話をする前提での話ではありますが、聞く所、あなたはそういった所はきちんとしている様なので、問題ないでしょう。
 ただ……」
 侍女長ブルーヌ・モリタはそこで言葉を切り、目を閉じた。
 だが、それも一瞬の事で、すぐに言葉を続ける。
「お嬢様は年の近い者との交流が極端に少ないです。
 ミーナ、あなたを選んだ理由として、そこも加味されています」
「そうなのですか?」
 ぴんと来ない侍女ミーナ・ウォールに対して、侍女長ブルーヌ・モリタは言葉を続ける。
「その辺りは、あなたが気にする必要はありません。
 しっかりと、丁寧にお仕えしなさい」
「は、はい!
 畏まりました!」

 初めて対面するエリージェお嬢様は、美しいご令嬢だった。

 ただ、美しいだけでは無く、まだ八つを過ぎたばかりとは思えぬ知的で落ち着きのある少女であった。
 朝早く起こされても癇癪を起こす事無くすんなり起きて身支度を受け入れた。
 朝食が終わると、自主的に本を開き勉強を始めた。
 家庭教師の老人の話を熱心に聞き、質問も積極的に行った。
 家庭教師が去った後、少し休憩した後にまた本を開き復習をし始めた。
 夜になれば、声を掛けられるままに本を閉じ、就寝の支度を受け入れた。
 その物わかりの良さに、侍女長ブルーヌ・モリタが『もっとも楽な場所』と話していた事にも頷けた。
 そして、自分の幼き頃――母親や兄姉に纏わり付き、駄駄をこねてばかりいたのを思い出し、自室に戻った際、幾度となく悶えるのであった。

 ただ、しばらくするとエリージェお嬢様に対して、不安に思う事が増えて来た。

 エリージェお嬢様は遊戯などというものに興味を示さなかった。

 先輩の侍女の幾人かはお人形遊びや飯事ままごとなどの女の子がするものや、追いかけっこや隠れん坊といった男の子がするものまで、時折誘ってもいた。
 だが、エリージェお嬢様はそれらに対して静かに首を横に振り、
「ありがとう。でも今は良いわ」
と丁寧に断っていた。

 とはいえ、部屋に籠もっているだけでは無い。

 侍女ミーナ・ウォールを引き連れて、定期的に屋敷内を歩き回った。

 だが、それも侍女ミーナ・ウォールが幼い頃に行っていた、”小さな冒険”と言うよりも、家長が不備を探すために行う巡回のような様子で、出会った使用人達を呼び止めた。
 そして、「最近調子はどう?」とか「何か困った事はないかしら?」と訊ねて回っていた。
 そんな幼いお嬢様に対して、声を掛けられた使用人は嬉しそうに応えている。
 小さな体躯ながらも背筋を伸ばし、鷹揚に頷いている様子はご令嬢というようり当主様といった様子で、侍女ミーナ・ウォールは(流石大貴族のお嬢様は、小貴族のわたしなんかとは違う)などと感心しつつも(もう少し、子供らしい楽しさも知って頂きたいなぁ)などと思うのだった。

 侍女ミーナ・ウォールがソードル家に仕えるようになり一年ぐらいが過ぎた頃だ。

 ソードル邸庭園にて、静寂が、突然の騒音によってかき乱された。
 本を読むエリージェお嬢様の後ろに控えていた侍女ミーナ・ウォールが振り返ると、入ったばかりの侍女が真っ青な顔で呆然としていた。
 その足下には荷台が横倒しになっていて、振り落とされた茶器一式が無惨にも砕けていた。
「なにをしてるの!」
 年かさの侍女に腕を捕まれ、その新任侍女は我に返ったのか、「もも申し訳ございません!」と悲鳴混じりの声を上げ、頭を下げた。

 大貴族の令嬢が使う茶器だ。

 描かれた百合の花を切り裂くようにひび割れたそれらも、一等級の代物であるのは間違いないだろう。
 その額は下位貴族の令嬢である新任侍女、その家を傾けかねない金額の可能性すらあった。
 だから、端から見ていただけの侍女ミーナ・ウォールも、背筋にぞわりと冷たい物が走った。

 とはいえ、そこまで悲観はしていなかった。

 エリージェというお嬢様が、茶器ぐらいで使用人を害するほど狭量な方では無いことを知っていたからだ。
 だから、すぐさま片づけるように指示が出るものと思っていた。

 ところがである。

 声が聞こえない。

 視線を向けると、エリージェお嬢様の端正な顔が固まっていた。
 滅多に表情を変えないお嬢様の、その目は見開かれていて、砕けた茶器に視線を向けていた。
「ぼうじ、ぼうじわけございませぇぇぇん!」
 沈黙が耐えきれなかったのか、新任侍女が泣き出してしまった。
 その声に我に返ったのか、エリージェお嬢様は一度目を閉じる。
 そして、言った。
「……失敗は誰にでもあるわ。
 これからは気をつけて頂戴」
 そして、いつものように怪我をしていないかなど訊ね始めた。
 そんな様子を横目に、侍女ミーナ・ウォールは年かさの侍女達と共に、欠片を片づけ始める。
「お可哀相にお嬢様」と年かさの侍女が囁く。
「この茶器は、亡き奥様の残された大切な物なのに……」
「え?」
 侍女ミーナ・ウォールは目を見開き彼女に視線を向ける。
 膝を突き、破片を集める手を止めない年かさの侍女であったが、その目は赤くなっていた。
 聞きつけたもう一人の侍女が小声でそれを制す。
「やめなさい!
 新任侍女あの子にも言っては駄目よ!
 お嬢様もおっしゃらないのに余計なことしないの」
「分かってるわよ。
 でも、それでもねぇ……」
 侍女ミーナ・ウォールはチラリと視線を向けた。
 エリージェお嬢様は何事か新任侍女に話を続けていて、そうしている間に安心したのか目を涙に濡らした新任侍女も、多少こわばってはいるものの笑みをこぼしていた。


 その後、侍女ミーナ・ウォールはエリージェお嬢様と共に部屋に戻った。
 入室早々、エリージェお嬢様が机に向かったので、侍女ミーナ・ウォールは邪魔にならないよう少し離れた位置でそれを見守った。

 エリージェお嬢様は家庭教師に出された課題が終わっても、手を止める事はない。

 侍女ミーナ・ウォール貧乏貴族目線では高価な紙に、万年筆で何か色んなものを書き込んでいた。
 片付ける立場上、何度か目に入ってしまったのだが、そこには使用人達が困っている案件や仕事での苦労話などが箇条書きにされていた。
 エリージェお嬢様はそれに対して自分なりの考えを書き込んでいるようで、時折、文間に改善点などが書き添えられていた。

 それは子供の書き物というより、当主の書類のように見えた。

 侍女ミーナ・ウォールは自身の同じ年の頃を思い出す。
 貴族の家名を覚えるのに苦労して泣きべそを掻いていた時のことを。
 下手くそな絵を描いて自慢げにしていた時のことを。
 数少ない使用人の老婆に、令嬢の真似事をしてお辞儀を見せた時のことを。
 思い出す。
 その一つ一つに家族がいた。
 頑張ってと母が抱きしめてくれた。
 上手だねって兄姉が頭を撫でてくれた。
 お姫様のようだと父が抱き上げてくれた。

 このお嬢様はどうなのか? と思う。

 自身に背を向けているその肩が、いつも以上に小さく見える。
 侍女ミーナ・ウォールは思わず、それを抱きしめたくなった。
 悲しんで良いのですよと、誇っても良いのですよと、言葉を尽くしたくなった。

 ただ当然、侍女ミーナ・ウォールには出来ない。

 イェンス・レノ伯爵子息との事が臆病にさせている事もある。
 だが何よりも、高きにいらっしゃる主に対して、畏れ多いという気持が錠前の様に取り付けられていた。
(他の皆様も、こうやって手を出せずにいるのね)
 そのようなことを思いながら、ただ、エリージェお嬢様を見守らざる得なかった。

(せめて求めて頂けたのなら……)

 だが、エリージェお嬢様は何も言わない。
 部屋に響くのは筆先が紙上を滑る音だけだった。
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