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第六章

とある平民達のお話3

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「そしたら、あれよあれよという間に外に引きずり出され、護送車に放り込まれたんだ」
 青年マルコの苦笑交じりの説明に、老人ヨナスは思わず「はぁ?」と声を漏らした。
 他の娘や少女も同じ様な気持ちだったらしく、困惑した顔で顔を見合わせていた。
 老人ヨナスは質問する。
「よく分からないのじゃが、ご令嬢がお前さんの嫁さんを何故治したのじゃ?
 あと、何故その後、お前さんは捕まったのじゃ?」
 それに対して、青年マルコは頬を掻きながら困ったように眉を八の字にする。
「いや、本当によく分からないんだ、どちらも。
 いっさい説明が無かったから」

 令嬢が青年マルコを捕まえる為だけであれば、妻リアを治す必要はない。

 逆に、妻リアを治すのが目的なら、何故、青年マルコが捕まったのか分からない。

 妻リアを治す代償に、青年マルコが捕まったとしても、いっさい明言されていない現状、本当に分からない。

 すると、娼婦のような格好の娘が口を挟んできた。
「そういった意味では、わたしも近いかもしれません。
 わたしも、助けられたのか何なのか、よく分からない状況で連れてこられましたから」
 そして、娘は話を始める。

<とある娘のお話>
 ザンドラの父は自らを”伏竜ふくりゅうの賢者”と名乗る変わり者で、いつも軍配団扇ぐんはいうちわを片手に平民の住む三番地区を練り歩く奇行から、それなりに有名な男であった。
 ザンドラの父は常日頃から、自分の才を高く評価していて、いずれはどこかの国に軍師として雇われて、その名を轟かすのだと宣伝して回っていた。
 その態度は傲岸なもので、時に酒場などで言い合いになり、罵声を浴びせかけられたり、時に殴り飛ばされたりもした。
 腕力はからっきしだったザンドラの父は、泥酔と痛手とでふらふらしながらその場から離れる最中、必ず捨て台詞のようにこのように言ったという。
「我、巨躯故に、人、視界に収まらず。
 人に収まらぬ故に、我を見落とす」

 そんな自己評価と現実との乖離に苦しむ日々を過ごしていた。

 そんな弱った男に、一人の女が近寄ってきた。
 その女は旅芸人の一座に所属しているとても美しい踊り子であった。
 女はザンドラの父が酒場の脇で座り込んでいるのを見ると近づき、その側で膝を突いた。
 そして、優しく微笑むと、口端から流れる血を手拭でそっと拭った。

 その日、ザンドラの父はその女と閨を共にした。

 その一年後、ザンドラの父の家の前に、ザンドラの父の娘だという赤子が置かれていた。

 それが、ザンドラであった。

 踊り子の女と閨を共にしたのはあの一回だけであった。
 だから、実際の所、本当の娘かどうかは正直、ザンドラの父には分からなかった。
 ただ、ザンドラの父にとってその踊り子の女が”初めて”の女だったことと、ザンドラの瞳の色が自分と同じだったこと、そして何より、自分の夢を語って聞かせた時に言葉の通じぬ赤子なりにキャッキャと笑ってくれたので、自分の娘だということにしようと思った。

 元々、ザンドラの父は平民の子供に文字や計算を教えることで小銭を稼いでいた。

 さすが交易都市としてその名を知られるブルク、平民でもそれなりに裕福な者もいて、そういう者達は、子供達にそれなりの教養を与えたがっていた。
 なので、まともな職に就かずふらふらするだけのザンドラの父であったが、自分の衣食住ぐらいは何とかそろえていた。

 ただ、それに娘が増えるとなると話は変わった。

 乳を貰うために礼金を用意しなくてはならなかった。
 娘ザンドラのために衣服や雑貨をそろえなければならなかった。
 住んでいる部屋は赤子の泣き声のために追い出されたので、別の場所に移らざるえなかった。
 とにかく、先立つ物を必要とした。

 そこで、町の相談屋の仕事をし始めたのだが、その才を開花させた。

 ザンドラの父は多くの本を読んでいた。
 ある時は本屋で、ある時は知人宅で、ある時は珍しい本があると噂の他人の家へ、押し掛けて読みあさった。
 知己ちきの本屋や知人はともかく、赤の他人の家には当然の事ながら断られた。
 だが大体の場合、持ち主は読書家であり未知の本を読みたい気持ちには共感してくれた。
 なので、毎日しつこく通われると、一読だけならと折れてくれた。
 そして、ザンドラの父、一度でも読んだ本は完璧に消化した。
 そして、消化した上で、さらに分かりやすいようにまとめてもいた。
 その事もあり、町で起きる問題ごとをその圧倒的な知識量で解決していったのだ。

 それは時に、畑の育成の問題であった。
 それは時に、隣人同士のいざこざの解決であった。
 それは時に、病気や怪我の治療であった。

 その事で、日中ふらふらしている変人と眉を顰めていた者達からも尊敬されるようになっていった。
 流石に、竜などという仰々しい名で呼びはしなかったが、多くの者が親しみを込めて、”ふく先生”と呼んだ。

 ザンドラの父の名はそれなりに広がると、師事を求める者も現れるようになった。

 だが、ザンドラの父はそれを全て断った。
 ザンドラの父としては、いずれ国王か大貴族が迎えに来る事を信じて疑っていなかった。
 だから、出来るだけ身軽な状態でいたかったのだ。
 思い描くのは在野に人知れず住む賢者に、国王自ら迎えに来る様子だった。
 そんな様子に、知識人達は『”これ”がなければ、公爵様に召し抱えられたかもしれない人材』と苦笑いをした。

 そんな中、娘ザンドラは美しく育っていった。

 ただ美しいだけではなく、幼い頃から父に様々な教えを受けていたこともあり高い教養を得ていた。
 また、人当たりも良く、人好き合いが得意でない父の代わりに人々の前に立ち、様々な交渉を行う事もしていた。
 そんな彼女には、多くの者から養女から婚姻まで様々な誘いが舞い込んできた。
 ブルクを治めるソードル公爵家、その法服貴族の一人からは妾として強く求められたりもした。

 平民の娘にとって本妻では無いとはいえ、貴族の元に行けるのであれば幸せなことであった。

 だが、ザンドラの父は全てを断った。

 この頃になると、ザンドラの父は肺病で床に伏せる事が多くなっていた。
 だからというべきか、ザンドラの父は娘に別の期待をしていたのだ。

 ある日のことだ。

 ザンドラの父は十六になったザンドラを倉に招き入れた。
 そこは普段は誰も入れることのない場所で、ザンドラの父がこれまで集めた書物のほかに自身が書き上げた書籍が並べられていた。

 ザンドラの父は一本の大きな鍵を差し出しながら言った。

「ザンドラ、わたしが死んだ後、ここにある物をお前に与える」
 すでに、自分で歩くことすらやっとになっていたザンドラの父だったが、そう話し始める瞳には強く鋭い光が浮かんでいた。
「ここにある書物ものは為政者にとってのどから手が出るほど欲しいものだ。
 ザンドラ、お前は、お前の才を正しく評価した者にのみ、これらを読ませるのだ」
 そこまで言うと、ザンドラの父は激しくせき込んだ。
「父さん!」と駆け寄る娘ザンドラを、ザンドラの父は手で制す。
 そして、ニヤリと笑った。
 それに狂気じみたものを見て、ザンドラはひんやりとしたものを背筋に感じずにはいられなかった。
「ザンドラ……。
 下らない者には、けしてこれを渡すんじゃないぞ。
 わたしを、わたしの才を受け止めるほどの……大きな、器の……者にのみ渡すのだ……」

 その数日後、ザンドラの父は死んだ。

 その最後は静かなものだった。
 静かに一言漏らして逝った。

「巨竜時を得ず。
 ただ、種を残すのみ」

 ザンドラは父の評価を嬉しくはある。
 だが、素直に受け取る事は出来なかった。
 ザンドラは父の才を一人の知識人として評価をしていた。
 少なくとも、ブルクの平民の中ではずば抜けていると確信はしていた。

 そんな父親ですら結局、無冠の徒で終わったのだ。

 平民が才のみで表舞台に出る難しさを、そばにいたザンドラはよく分かっていた。
 しかも、自分はその父から劣る程度の才能、さらには女である。
 父の望みは、とてもではないが叶えてあげられないと思っていた。

 だが、そんな悩みなど消し飛ぶほどの出来事が起きた。

 ザンドラの父が死んでから三日ほどたった頃、柄の悪い男が突然、家に押し掛けてきたのだ。
 男達は乱暴に戸を叩くと、金を返せと喚き始めた。
「な、何のことですか!?」
 突然のことにザンドラは困惑した。
 ザンドラはもとより、ザンドラの父とて金を借りるような生活を送っていなかった。
 むしろ、困っているものに僅かであったが、お金を貸してすらいた。

 なのに何故そんなことに?

 ザンドラは必死に弁明した。
 そんなはずはないと、何かの間違いだと。
 だが、その男達はあざ笑うように二枚の紙をザンドラに突きつけた。

 一枚目は借用書だった。

 その金額は金貨五百枚――借り主として父の名が書かれていた。
 それだけなら、ザンドラは動じなかった。

 そもそも、父の署名、その文字がまるで似ても似つかない物だったからだ。

 ザンドラの父は言動からは想像が付かないほど繊細な文字を書いた。
 にもかかわらず、それは似せようとする意志すらない、そんな汚い文字だったのだ。
 それに、仮に本物だったとしてもオールマ王国の法では親の借金は子に引き継ぐことはない。
 悪質な場合はその限りではないが、それでも、平民の諸問題を解決する法務協会を通す事になる。
 法務協会の会長は父の仕事の関係で顔見知りである。
 厳格な人物で、肩を持ってくれるとまでは思っていないが、公正な対応は期待できた。

 だが、もう一枚を見てザンドラは驚愕することとなる。

 それは、借用書に対する証明書であった。

 保証書といっていい。
 そして、証明者名にフォークト男爵と記されていたのだ。
 フォークト男爵はザンドラを側室にとほとんど脅迫まがいに迫ってきた法服貴族で、その時は父がつてを使って何とか断ってくれたのだが……。
(これは厳しいかも知れない)
 ザンドラの額に一筋の汗が流れた。

 そして、その予感は的中する。

 ザンドラは強引に法務協会の一室に連れて行かれると、借用書の父からザンドラへの移行手続きが行われた。
 ザンドラは必死になって会長に取り次ぎを依頼しようとするも、男の厚い手で口を塞がれ出来なかった。

 しかもである。

 黒髪の事務員は目の前で泣きながら必死に抵抗をするザンドラを無視して、淡々と処理を続けた。
「フォークト男爵の証明があれば問題はありませんね。
 ……これで終わりです」
 ザンドラは裏口から外に連れ出されると荷馬車に押し込まれ、古びた屋敷に連れ込まれた。

 そして、薄暗い地下室に引きずり込まれる。

 そこには、黒ずんだ机と椅子が置かれていた。
 ザンドラはそこに座らされると、目の前に一枚の紙が乗せられた。
 それは、借金を返し終わるまで娼婦として働くという宣誓書であった。

 ザンドラは当然、拒否した。

 そして、今の状況がいかに違法なのかを丁寧に話した。
 それに加えて、普段から気にかけてくれる人たちがザンドラの失踪を知ったら、必ず探してくれる事を語った。
 また、全額までは行かなくても、いくらかのお金は用立てられるとも語った。
 牽制と利と、雄弁に分かりやすくザンドラは話す。
 父の仕事を手伝っていた上で身についた弁舌を必死に駆使した。
 知識人であれば、見事だと賞賛したかも知れないものだった。

 だが、男達はニヤニヤと笑いながら肩をすくめるだけだった。

 ザンドラは男達に両腕を掴まれると立たされた。
 そして、部屋の隅に置かれたタライまで連れて行かれた。
 そこには水が溢れんばかりに入っていて、ザンドラの恐怖に歪む顔を写していた。
 ザンドラは無理矢理座らされ、頭を男に掴まれると押しつけられた。
 顔中が水に沈み、ザンドラは必死に抵抗する。
 だが、腕や肩、そして、後頭部を掴む手はまるで万力に掴まれているように動かない。
 窒息のため意識が溶けそうになった時、バァッと顔が上がる。
 欲していた空気が胸にスーッと入って来た瞬間、またしても視界が水に沈む。
 ザンドラの顔は水の中に出しては入れを繰り返された。

 等間隔に何度も何度も。

 途中止まったが、それは水を注ぎ足すためのもので、それが終わると悪夢がまた繰り返された。
 その合間合間、男達が囁く。
「娼婦なんて別に大した仕事ではない」
「ほんの数年の辛抱だ」
「金貨五百枚ぐらいお前ならすぐに返せる」
 空気の欠乏のため、頭がとろけそうな中、そんな声が囁かれる。

 どれほど才女と賞賛されても。

 どれほど父親に期待されても。

 たかだか十六の娘だ。

 耐えきれるものではなかった。
「娼婦を……やりまばず!」
と言ってしまう。
 だが、それでも終わらない。
 何故か終わらない。
 苦痛と絶望の中、最後には
「娼婦をさせてくださいぃぃぃ!
 おでがいじばすぅぅぅ!」
と懇願した。
 そこまで言って、ザンドラはようやく地獄から解放され、床を転がされた。
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