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其の九
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ルイーズに敗れ、近衛騎士団に捕らえられたイルミラは、天幕の中で事情聴取を受けていた。
「名前は? 」
「……イルミラ」
「年は? 」
「…………120」
「……家族は? 」
「息子が1人」
「趣味は? 」
「……読書」
「好きな食べ物や嫌いな食べ物は? 」
「特に好き嫌いはないわ」
「好きな男性の好みは? 」
「…………」
「好きな男性の好みは? 」
「そんな事まで聞くの?」
「……筋肉質な人? 」
「……いいえ。どちらかと言えば、華奢な感じの人が好みよ……」
「ふむ……オレンジがかった金髪は好き? 」
「ほんのりグリーンがかった銀髪が好きね。線の細さと相まって儚げな美しさを醸しだすわ」
「……そう。うちの父様は好みではないと? 」
そう、事情聴取を行っているのはルイーズである。
何故、ルイーズがこの大役を任せられているのかと言うと、なんて事はない。
ただ、捕らえられたイルミラに食事を運んできたついでである。
「ええそうよ。まったく好みではないわ」
「……ほう。好みではないのに、家庭不和を起こすような『魅了』を父様に掛けたと? 」
殺気と共にルイーズの冷たい視線が、イルミラを刺す。
実際、『魅了』を掛けたイルミラも悪いが、油断して近づいた父や陛下にも非があると思っているルイーズ。
しかし、ここで釘を刺しておかねば、男性ばかりの近衛騎士団の誰かが『魅了』の餌食になる可能性があった。
だからこそ、ルイーズは殺気を向けイルミラに問いかけたのだ。
「っ! で、でも、私は吸血種なのよ……生き血を啜らなければ、生きていけないの」
「そう? 生き血などなくても、生きていける様に見えるけど? 現に私の作った食事を摂った後、体力は回復しているし、顔色も良くなっているのにね。ふふふ」
不敵な笑みを浮かべたルイーズは、脅しのつもりで十字を作った。
「待って! 聞いてっ」
イルミラは、冷や汗を流しながら、話を聞いて欲しいと懇願した。
効果は抜群だったようだ。
そして、
「……わ、私は生きていけるのよ。けれど……息子は……」
と続けた。
息子という言葉を聞いてルイーズは背筋を正してイルミラを見た。
項垂れ、はらはらと涙を零すイルミラの姿は、命惜しさの嘘とは思えず、これは腰を据えて話を聞くべきだと判断した。
「ふむ。何か深い事情がありそうね。詳しく話してみて」
「……ええ。実は━━」
・ ・ ・
イルミラから事情を聞いたルイーズは、天幕を出た後、父であるアベル・ハウンドの元へ訪れていた。
「ですから、少し行ってこようかと」
「今からか? 暗いのに? 」
外は真っ暗。
月明りと星の煌めきで薄っすらと足元は見えるものの、森に入れば木々に遮られ、歩く事さえ儘ならないだろうと侯爵は懸念している。
「空からすい~っと、ひとっ走り行って来るだけですわ」
「私も同行しようか? 」
「いえ。イルミラがまた暴れないとも限りませんし、父様は学生達を守っていてくださいませ」
「そうか……目隠しは? 」
「天幕を出る時にしましたわ。暴れず、大人しくするとも約束してくださいましたが、油断は出来ませんでしょう? 」
「ああ、そうだな……しかし……」
「大丈夫ですわ。何かあれば盛大な合図を送りますし、危険な事は致しません。ですから、父様はイルミラの監視をお願い致します」
「わかった。ルイーズ、気を付けて行って来るのだよ」
「はい」
・
・
・
フラウ湖へ続く山道の脇に一台の馬車が止まっている。
その脇で、火を焚き暖を取っているルフィーノはリーヌスを抱いたまま、空を見上げていた。
「イルミラ様はどこまで行ってしまわれたのでしょうか……」
「あう~」
リーヌスはご機嫌な様子でルフィーノに持たされた果実の汁を吸っている。
今、与えているのは精霊が持ち込んだものではなく、ルフィーノが森に出かけ摘み取ってきたものだ。
「美味しいですか? たくさん召し上がってくださいね」
「あぁう~」
日中、精霊が持ち込んだ『ベリナ』を美味しそうに吸うリーヌスを見て、果実なら食べられる。それも、精霊の育てた物ならと当たりを付けたルフィーノ。
その予想は当り、イルミラから生命力を与えられなくても、果実だけで体調は良いようだ。
何年も青白いままだった肌は健康的な色に染まり、栄養不足で痩せ細っていた体は、赤子特有のぷっくりした膨らみが付き始めている。
か細い泣き声は、愛らしい笑い声と喃語に変わった。
これらは、この大陸に着いてから起こった事だ。
そして、この変化の原因について気付いたルフィーノは、まだ贄を探し彷徨っているイルミラの帰りを今か今かと待ちわびていた。
「遅いですね……早く、お伝えしなければいけないと言うのに……しかし、リーヌス様のお父上が━━」
ルフィーノがそう呟いた瞬間、空から白い塊が降って来た。
「っ!! 」
ルフィーノは咄嗟にリーヌスを庇う様に背を向け、顔だけを落ちてきたモノに向けた。
「登場の仕方は怪しいですが、怪しい者ではありません」
怪しいものではないと名乗る少女に、怪しさを感じたルフィーノは警戒心を強めた。
「な、何者━━」
「まぁ、立ち話もなんですし、座りませんか? 」
そう言いながら、焚火にあたり「さすが夜は冷えますね」と呟く少女に言葉を遮られたルフィーノ。
もう、何が何だか分からないと言った表情を浮かべている。
(何故空から降って来た? こんな夜更けに何故少女が居る? 何故、親しみを込めた笑みを浮かべてこちらを見ている? 何故、手招きしている? 何故、ポケットからお茶が出てくる? )
「まぁ、こちらに座って一杯如何です? 遠慮せずにどうぞ」
(何故、お茶を勧める? なんなんだ? 誰なんだ? 訳が分からない。お前は━━)
「誰だっ! 」
つい大声で叫んでしまったルフィーノ。
その声に反応して少女が手をポンと叩いた。
「あら? そう言えば名乗っておりませんでしたね。お初にお目にかかります。私は『ルイーズ・ハウンド』と申します」
「ルイーズ・ハウンド? 」
「はい、ルイーズ・ハウンドです」
名乗られても、知っている者ではない。
ルフィーノは怪訝な表情を浮かべたまま、こう言い放った。
「その名に心当たりはない。それに、話しかけられ、お茶を勧められる謂れもない」
ルフィーノが突き放すように、強い口調でそう告げているにも関わらず、ルイーズはニコニコと笑みを浮かべている。
「まぁまぁ、座ってくださいな。そちらに話がなくとも、私にはあるのですから。ね、ルフィーノさん」
「なっ、何故、私の名を知っている!? 」
「それは、イルミラさんに聞いて、こちらへ来ましたからね」
「イルミラ様に? 」
「ええ。ですから、離れていると話し難いし、こちらへどうぞ」
そう言って、焚火の傍を指差した後、お茶の入ったカップを差し出すルイーズに、警戒心を緩めることなく、ルフィーノは告げた。
「いや、信用できない相手の傍に行くことはできない。守らねばならない方がいるからな」
リーヌスを強く抱き、距離を取るルフィーノ。
「いやいや、危害を加えるつもりなら、もう与えてますよ。警戒心が強いのは良いことかも知れませんが、私、子供ですよ。子供相手にそこまで警戒しますか? 」
ルイーズは気落ちしたようにそう告げた。そして同時に、ここまでの流れについて思い返してみた。
どの行動が、相手をここまで警戒させたのかを知る為に。
(捜索してたら、焚火が見えたでしょう。見つけたって思って、一気に着地したわ。すると、びっくりした顔をしてこちらを見ていたから、怪しい者ではありませんって告げたのよ。うん、ここまでは問題ないわね……空を飛んで冷えた体を温める為に、焚火にあたらせてもらいつつ、温かいお茶を取り出した。1人で飲むのもなんだし、ルフィーノさんに勧めたのよね。……ん? お茶? 初対面の人から飲み物を勧められたから警戒しているのかしら? 毒なんか入ってないけれど、相手にとっては警戒の対象よね……)
「ルフィーノさん、ごめんなさい。見ず知らずの相手からお茶を勧められたら警戒しますよね。でも、ご安心ください。これに毒などは入ってませんから、一緒に飲みませんか? あっ、先に私が飲んでみますね」
ルイーズはそう言って、クピっとお茶を飲み、毒の有無を証明してみせた。
これで、警戒を解いて貰えれば話が出来ると思ってとった行動だったが、ルフィーノにとっては予想外の行動だったとみえる。
呆然と佇んだかと思えば、勢いよく頭を振った。
「いやいやいやいや━━お茶に毒が入ってるとは思ってなかったからな。夜更けに空から落ちて来て、親し気に笑いかけ寛ぐ君に、警戒してるだけだからな」
「あら! そうだったのですね……ふふ。イルミラさんも空を飛んでいましたし、珍しくはないと思っていたものですから、驚かせてしまうとは思っていませんでしたわ」
確かにイルミラは空を飛んで移動するが、それは吸血種ゆえの事。
エルフや獣人然り、魔族に至っても空を飛べる者は、ほんの一握りである。
これを珍しくないと言い切るルイーズに、どう反応していいのかわからずルフィーノは沈黙した。
すると、ルフィーノの様子など気にするでもなく、ルイーズはこう続けた。
「あまり、ここで時間を割いても仕方がありませんし、用件を告げますわね。まず、イルミラさんは私達が捕らえました━━」
「なっ! 」
ルフィーノはイルミラが捕らえられたと聞き声を荒げたが、まだ話は終わってないとルイーズに言われ、仕方なく耳を傾けた。
「……続けますね。私の父様やこの国の王で在らせられる陛下に魅了を掛け、生き血を啜ろうとしていた所を、私が撃退いたしました」
「っ!! 君が?! イルミラ様を撃退? 」
「ええ。まぁ、イルミラさんよりも、魅了に掛かった父様を正気に戻す方が大変でしたけれどね」
さも大変だったと主張せんばかりに肩をポンポンと叩くルイーズに、ルフィーノは失笑を浮かべつつ、吐き捨てる様に言い放った。
「はっ、何を言っているんだ。イルミラ様ほど強い方が、君なんかに負けるはずがないだろう」
「まぁ、信じてくれなくてもどちらでもいいのですが。それはさておき、捕らえたイルミラさんがあなた方を心配して、連れて来てほしいと言うのでお迎えに来たのですよ。ついて来てもらえます? 」
付いて行くべきなのかどうかを模索するルフィーノ。
本当にイルミラが捕らえられたとするのなら行くべきなのだが、これが罠だった場合、リーヌスを危険に晒してしまう。
「ちなみに何処へ行くんだ? 」
「フラウ湖ですよ」
「フラウ湖? この近くだな。なぜ、その様な場所で、イルミラ様は捕らえられていらっしゃるのだ?! 」
「学園行事の遠征でフラウ湖まで来ている時に襲撃されたからですわ。元より一泊する予定でしたし、フラウ湖で一晩明かした後、イルミラさんは王都まで護送される事となりました。それでどうします? 一緒に来て話をして頂けると、私としても助かるのですが……」
「同行するつもりはないっ。罠かも知れんからな」
「罠なんて掛けませんよ」
「襲撃が真実だったとしても、イルミラ様がフラウ湖にいらっしゃる可能性は少ない。あの方なら、無事逃げ果せているはずだしな。私達はここで待つ」
息子であるリーヌスを案じて涙を流したイルミラを思い、懸命に説得するルイーズだが、話せば話すほど、ルフィーノは警戒を強めていく。
この悪循環に、ほとほと困り果てたルイーズは強硬手段を取る事に決めた。
「そうですか……では、馬車ごと移動させることにしますね」
「なっ! うわぁーーーーーーーーっ!! 」
ルイーズが取った強硬手段。それは、ルフィーノとリーヌスを浮かばせフラウ湖まで連れて行くことである。もちろん馬車と馬も込みで。
「あっ、火の始末もしないとね。『ウォーターボール』! 」
ジュッという音と共に、焚火が消火された。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーっ! 下ろせぇぇぇっ! 」
馬に馬車、人影が月明りに照らされ、ファンタジーぽさを醸し出している空にルフィーノの絶叫が響き渡る。
「……すぐに着きますから、静かにね。もう、学生達は寝てる時間なんでお願いします」
「うわぁぁぁぁっ!! 」
「…………」
・
・
・
「本当に、申し訳ありませんでした」
無事再会したイルミラとリーヌス、それとルフィーノ。
頑なに信じず、敵対心を見せつけていたルフィーノも、今では丸くなり、深々と腰を折り謝罪している。
「いえいえ、怪しさ満点でしたものね。ふふ、こちらこそ申し訳ございませんでしたわ」
そう言って微笑みながら謝罪するルイーズだが、父である侯爵に指摘されるまで何が怪しかったのか分かっていなかった。
けれど。
『深夜に空から美少女が降って来て、怪しい者ではないと名乗られてみなさい。怪しいだろう? 』
『……確かに』
『しかも、怪しさを払拭しないまま、ポケットから出したお茶を勧めたのだろう? ここで、怪しさが倍増されたね』
『……ふふ、確かに。けれど、毒は無いと飲んで証明して見せましたよ』
『うむ……こんなにも愛らしいルイーズの証明を信じないのも、些か腑に落ちないな。いや、相手も信じようとしていたのかもしれない。だが、間を置かず、仲間であり主でもある者を捕らえたから付いてこいと言ったのだろう? 』
『えっ、でも。もし、父様を捕らえたから付いて来いと言われたら、私は付いて行きますわよっ。どんなに怪しくても、警戒していても、じっとなんてしていられませんもの……』
『ルイーズ……あぁ、私の可愛い娘』
『父様……』
『だが、ルイーズの傍にジョゼが居た場合はどうするんだい? 』
『はっ! そうですわねっ、ジョゼを危険に晒す事なんて出来ませんわっ』
『そういう事だよ、ルイーズ』
『そういう事だったのですね、父様』
そんな会話の末、ルイーズは気が付いたのである。
言動そのもの全てが怪しかったのだと。
「それで、王都まで護送されるのは決定事項ですが、ルフィーノさんとリーヌスくんはどうします? 一緒に行きますか? 」
いつ『魅了』の魔眼が発動するとも限らない現状。
様々な事情聴取はルイーズに一任されている。
だから、ルイーズは聞くべき事は全て聞きださねばならなかった。
「はい、一緒に参ります」
そうきっぱりと言い切るルフィーノに、イルミラは声を荒げて反対した。
「ルフィーノっ! 私は、大罪を犯したのよ。生きて出られるか分からないのよっ」
「だからこそですっ! ルイーズ様、どうか、私も共に罰してください。ですが、リーヌス様だけは……お助け下さい。お願いいたします」
「駄目よ、ルフィーノっ! 例え私が死んだとしても、あなたはリーヌスを守って育てなさいっ。これは、最後の命令よ」
「いいえ、聞けません。主の最後の命だとしても、こればかりは聞きたくありません。私は貴方を心から愛しているのですから」
「ルフィーノ……それは、魅了のせいよ。偽りの愛だわ……」
「違います。魅了の効果など、とうの昔に切れています。ですから、この愛は真実なのです」
「ルフィーノ……」
「イルミラ様……」
そんな恋愛模様を繰り広げているイルミラとルフィーノを放置して、ルイーズはリーヌスに離乳食を与える事にした。
「は~い、リーヌスくん。お姉さんが作ったパン粥ですよ~」
「あぅ~」
「美味しいですか~? たくさん食べて、大きくなるんですよ~」
「あぃ~」
「しかし、生命力って何かは分からないけれど、リーヌスくんに必要なの? 」
「あぅ~? 」
「ふふ、必要なさそうですねぇ~だって、とても健康そうだもの」
「あぃ~」
パン粥を与えつつ、リーヌスの体を巡るマナの様子を調べたルイーズは、健康そのものだと確信した。
だが、イルミラは生命力を与えねば死んでしまう病だと言った。
偽りを言った様には見えなかったが、どうにも腑に落ちないルイーズは、イルミラに問う事にした。
「イルミラさん。一つお聞きしてもいいかしら? 」
「ええ。えっ! ちょっと、何を食べさせているのっ! 」
「えっ? パン粥ですが」
「リーヌスはそんなもの食べないわっ。私が与える生命力だけが命を繋ぐ糧なのよ」
そこでルフィーノが、イルミラの発言に異を唱えた。
「えっ、違います。精霊の育てた果実だけがリーヌス様の糧となるのです」
「ルフィーノ、何を言ってるの? 今まで生命力を与える事でしか、命を繋ぎ止められなかったじゃない」
「今まではそうです。ですが、この大陸に来て私は気が付いたのです。リーヌス様は果実で成長なさるのだと」
「あの~? リーヌスくんは美味しそうにパン粥を食べてますが? 」
「あぅ~! 」
きゃっきゃと笑い声をあげながら、モグモグとパン粥を食べるリーヌスの姿を見たイルミラとルフィーノは、目玉が飛び出すのではないかと思うくらい、目を見開き叫んだ。
「っ!! どういう事? 」「どういう事なんです? 」
「? こちらがお聞きしたいのですが、どういう事ですの? 」
病に侵された者や怪我を負った者は、マナの流れが滞ったり、外に漏れ出たりするのだ。
リーヌスにそんな様子は全くない。それどころかパン粥を与えると、どんどんマナが体を循環している。
その様子を首を傾げながら見ていた所に、ルフィーノが神妙な面持ちで口を開いた。
「イルミラ様、リーヌス様のお父上は……もしや、ハイエルフだったのではありませんか? 」
「えっ? 知らないわ。贄を探しに彷徨っている時、偶然知り合った私好みの冒険者……あっ、そうね……そういえば、あの人、ルフィーノに似ていたわ。エルフだったのかしら? 」
「いえ、ハイエルフかと」
「ハイエルフ? その違いは何? 」
イルミラは身を乗り出してルフィーノに尋ねる。
「エルフとの混血でしたら、魔国でも生きる事は可能です。しかし、ハイエルフとの混血ですと、精霊の住めない魔国では生きることが出来ません。ハイエルフは精霊に最も近い種族ですから」
「それじゃあ、健康な子を儲けようとして、同血種を避けたのが裏目に出たって事なの? 」
イルミラは放心したように言った。
「裏目かはわかりませんが、恐らく魔国へ帰れば生きていけないでしょう。しかし、ここ人族の大陸や、獣人国ならリーヌス様は健やかに過ごすことが出来ます。精霊の育てた果実……いえ、食べ物に関しては要検証ですね」
「魔国へ帰れば、生きていけない……しかも、愛しいリーヌスが苦しんだのも、魔国のせい……」
「そうです。全て魔国のせいです」
「違うわ……」
ルフィーノに同意されたことによって、自分の浅はかさを再認識したイルミラ。
これは、病弱な吸血種ゆえ、同様に病弱なんだと決めつけてしまったイルミラの落ち度である。
これまで、生き難い魔国で懸命に命を繋ぎ止めてきたリーヌスを思うと、胸が張り裂けんばかりに痛む。
「ふっ、ははっ、ふふふ……すべて私のせいだわ……相手の事を何も知ろうともせず、相手の血脈を気にも留めずリーヌスを育てていたのだから……」
イルミラは頬を伝う涙を拭う事もせず、自嘲気味に笑った。
全ての責任は、自分にあるとそう告げるかのように……。
重苦しい空気が立ち込める中、再びイルミラが口を開く。
「ルフィーノ、リーヌスをお願いね……この大陸なら、リーヌスは食事を楽しめるわ。それに苦しむ事もない……フフ、私は悪い母親ね……こんな母親……」
「何を仰っているのですかっ!! 」
「何って、こんな毒の様な親なんて必要ないじゃない……」
「本気で仰っているのですかっ!? 貴方はリーヌス様を愛していらっしゃらないのですかっ!? 」
「愛してるに決まってるじゃないっ!! 愛しているからこそ……苦しめた原因である私が身を引くんじゃない……」
「苦しめた原因は、イルミラ様ではありません。リーヌス様を苦しめ傷つけたのは、瘴気です。その瘴気が蔓延している魔国のせいなのです」
「そうね、瘴気が蔓延している魔国のせいね。けれど、元を正せば愚かな私のせいではない? 貴方に育てられた方が、リーヌスも幸せなはずよ」
「くっ! イルミラ様、貴方って人は……ここまで酷いお人だとは思ってもみませんでした」
「ええ、私は魔族ですもの。残虐非道な魔族ですも━━」
その時。
「トリャーッ!! 」
イルミラの言葉を遮る形で、ルイーズの雄叫びが響き渡った。
そして、ゴンと言う鈍い音と共に、イルミラとルフィーノが呻く。
「アダッ! 」「アグッ!! 」
ルイーズの拳がイルミラとルフィーノに直撃したのである。
拳をふぅ~っと吹きながら、鬼の形相でルイーズが叫ぶ。
「グダグダとつまない事ばかり言うんじゃありませんっ! イルミラさんっ! 」
「ひっ、は、はい」
「確かに親はなくとも子は育ちます! ですが、愛する子供を手放して、貴方は真っ当に生きられるのですか? 」
「…………」
「ルフィーノさんっ! 」
「はっ、はい」
「グリーンがかった銀髪に、華奢な身体。イルミラさんの好みの男性そのもののルフィーノさん」
「は? はぃ? 」
ルイーズにそう言われ、素っ頓狂な声を上げるルフィーノ。
そして、ルイーズは神妙な面持ちで、ルフィーノを見て告げる。
「イルミラさんの処罰は決まっておりません。ですが、極刑にはならないと思います。この土地でイルミラさんを支え生きていく覚悟はありますか? 」
「はい! もちろんです」
そう言い切るルフィーノの顔は真剣そのもの。
その顔を見て、ルイーズはホッと表情を緩める。
「では、イルミラさんを早朝までに口説き落としておいてくださいね」
「えっ、へっ、は、はい。そ、早朝まで? 」
そんなルフィーノを見て、ニカっと笑いリーヌスを抱き上げるルイーズ。
そして、
「さて、リーヌスくんはお姉さんとねんねしましょうね~」
「あぅ~」
と言いながら、天幕を出て行ってしまった。
静まり返った天幕の中。
意を決した様に、ルフィーノが口を開く。
「イルミラ様、ゆっくりお話しいたしましょうか」
「……ええ。もうあの子に叱られたくはないしね……」
「名前は? 」
「……イルミラ」
「年は? 」
「…………120」
「……家族は? 」
「息子が1人」
「趣味は? 」
「……読書」
「好きな食べ物や嫌いな食べ物は? 」
「特に好き嫌いはないわ」
「好きな男性の好みは? 」
「…………」
「好きな男性の好みは? 」
「そんな事まで聞くの?」
「……筋肉質な人? 」
「……いいえ。どちらかと言えば、華奢な感じの人が好みよ……」
「ふむ……オレンジがかった金髪は好き? 」
「ほんのりグリーンがかった銀髪が好きね。線の細さと相まって儚げな美しさを醸しだすわ」
「……そう。うちの父様は好みではないと? 」
そう、事情聴取を行っているのはルイーズである。
何故、ルイーズがこの大役を任せられているのかと言うと、なんて事はない。
ただ、捕らえられたイルミラに食事を運んできたついでである。
「ええそうよ。まったく好みではないわ」
「……ほう。好みではないのに、家庭不和を起こすような『魅了』を父様に掛けたと? 」
殺気と共にルイーズの冷たい視線が、イルミラを刺す。
実際、『魅了』を掛けたイルミラも悪いが、油断して近づいた父や陛下にも非があると思っているルイーズ。
しかし、ここで釘を刺しておかねば、男性ばかりの近衛騎士団の誰かが『魅了』の餌食になる可能性があった。
だからこそ、ルイーズは殺気を向けイルミラに問いかけたのだ。
「っ! で、でも、私は吸血種なのよ……生き血を啜らなければ、生きていけないの」
「そう? 生き血などなくても、生きていける様に見えるけど? 現に私の作った食事を摂った後、体力は回復しているし、顔色も良くなっているのにね。ふふふ」
不敵な笑みを浮かべたルイーズは、脅しのつもりで十字を作った。
「待って! 聞いてっ」
イルミラは、冷や汗を流しながら、話を聞いて欲しいと懇願した。
効果は抜群だったようだ。
そして、
「……わ、私は生きていけるのよ。けれど……息子は……」
と続けた。
息子という言葉を聞いてルイーズは背筋を正してイルミラを見た。
項垂れ、はらはらと涙を零すイルミラの姿は、命惜しさの嘘とは思えず、これは腰を据えて話を聞くべきだと判断した。
「ふむ。何か深い事情がありそうね。詳しく話してみて」
「……ええ。実は━━」
・ ・ ・
イルミラから事情を聞いたルイーズは、天幕を出た後、父であるアベル・ハウンドの元へ訪れていた。
「ですから、少し行ってこようかと」
「今からか? 暗いのに? 」
外は真っ暗。
月明りと星の煌めきで薄っすらと足元は見えるものの、森に入れば木々に遮られ、歩く事さえ儘ならないだろうと侯爵は懸念している。
「空からすい~っと、ひとっ走り行って来るだけですわ」
「私も同行しようか? 」
「いえ。イルミラがまた暴れないとも限りませんし、父様は学生達を守っていてくださいませ」
「そうか……目隠しは? 」
「天幕を出る時にしましたわ。暴れず、大人しくするとも約束してくださいましたが、油断は出来ませんでしょう? 」
「ああ、そうだな……しかし……」
「大丈夫ですわ。何かあれば盛大な合図を送りますし、危険な事は致しません。ですから、父様はイルミラの監視をお願い致します」
「わかった。ルイーズ、気を付けて行って来るのだよ」
「はい」
・
・
・
フラウ湖へ続く山道の脇に一台の馬車が止まっている。
その脇で、火を焚き暖を取っているルフィーノはリーヌスを抱いたまま、空を見上げていた。
「イルミラ様はどこまで行ってしまわれたのでしょうか……」
「あう~」
リーヌスはご機嫌な様子でルフィーノに持たされた果実の汁を吸っている。
今、与えているのは精霊が持ち込んだものではなく、ルフィーノが森に出かけ摘み取ってきたものだ。
「美味しいですか? たくさん召し上がってくださいね」
「あぁう~」
日中、精霊が持ち込んだ『ベリナ』を美味しそうに吸うリーヌスを見て、果実なら食べられる。それも、精霊の育てた物ならと当たりを付けたルフィーノ。
その予想は当り、イルミラから生命力を与えられなくても、果実だけで体調は良いようだ。
何年も青白いままだった肌は健康的な色に染まり、栄養不足で痩せ細っていた体は、赤子特有のぷっくりした膨らみが付き始めている。
か細い泣き声は、愛らしい笑い声と喃語に変わった。
これらは、この大陸に着いてから起こった事だ。
そして、この変化の原因について気付いたルフィーノは、まだ贄を探し彷徨っているイルミラの帰りを今か今かと待ちわびていた。
「遅いですね……早く、お伝えしなければいけないと言うのに……しかし、リーヌス様のお父上が━━」
ルフィーノがそう呟いた瞬間、空から白い塊が降って来た。
「っ!! 」
ルフィーノは咄嗟にリーヌスを庇う様に背を向け、顔だけを落ちてきたモノに向けた。
「登場の仕方は怪しいですが、怪しい者ではありません」
怪しいものではないと名乗る少女に、怪しさを感じたルフィーノは警戒心を強めた。
「な、何者━━」
「まぁ、立ち話もなんですし、座りませんか? 」
そう言いながら、焚火にあたり「さすが夜は冷えますね」と呟く少女に言葉を遮られたルフィーノ。
もう、何が何だか分からないと言った表情を浮かべている。
(何故空から降って来た? こんな夜更けに何故少女が居る? 何故、親しみを込めた笑みを浮かべてこちらを見ている? 何故、手招きしている? 何故、ポケットからお茶が出てくる? )
「まぁ、こちらに座って一杯如何です? 遠慮せずにどうぞ」
(何故、お茶を勧める? なんなんだ? 誰なんだ? 訳が分からない。お前は━━)
「誰だっ! 」
つい大声で叫んでしまったルフィーノ。
その声に反応して少女が手をポンと叩いた。
「あら? そう言えば名乗っておりませんでしたね。お初にお目にかかります。私は『ルイーズ・ハウンド』と申します」
「ルイーズ・ハウンド? 」
「はい、ルイーズ・ハウンドです」
名乗られても、知っている者ではない。
ルフィーノは怪訝な表情を浮かべたまま、こう言い放った。
「その名に心当たりはない。それに、話しかけられ、お茶を勧められる謂れもない」
ルフィーノが突き放すように、強い口調でそう告げているにも関わらず、ルイーズはニコニコと笑みを浮かべている。
「まぁまぁ、座ってくださいな。そちらに話がなくとも、私にはあるのですから。ね、ルフィーノさん」
「なっ、何故、私の名を知っている!? 」
「それは、イルミラさんに聞いて、こちらへ来ましたからね」
「イルミラ様に? 」
「ええ。ですから、離れていると話し難いし、こちらへどうぞ」
そう言って、焚火の傍を指差した後、お茶の入ったカップを差し出すルイーズに、警戒心を緩めることなく、ルフィーノは告げた。
「いや、信用できない相手の傍に行くことはできない。守らねばならない方がいるからな」
リーヌスを強く抱き、距離を取るルフィーノ。
「いやいや、危害を加えるつもりなら、もう与えてますよ。警戒心が強いのは良いことかも知れませんが、私、子供ですよ。子供相手にそこまで警戒しますか? 」
ルイーズは気落ちしたようにそう告げた。そして同時に、ここまでの流れについて思い返してみた。
どの行動が、相手をここまで警戒させたのかを知る為に。
(捜索してたら、焚火が見えたでしょう。見つけたって思って、一気に着地したわ。すると、びっくりした顔をしてこちらを見ていたから、怪しい者ではありませんって告げたのよ。うん、ここまでは問題ないわね……空を飛んで冷えた体を温める為に、焚火にあたらせてもらいつつ、温かいお茶を取り出した。1人で飲むのもなんだし、ルフィーノさんに勧めたのよね。……ん? お茶? 初対面の人から飲み物を勧められたから警戒しているのかしら? 毒なんか入ってないけれど、相手にとっては警戒の対象よね……)
「ルフィーノさん、ごめんなさい。見ず知らずの相手からお茶を勧められたら警戒しますよね。でも、ご安心ください。これに毒などは入ってませんから、一緒に飲みませんか? あっ、先に私が飲んでみますね」
ルイーズはそう言って、クピっとお茶を飲み、毒の有無を証明してみせた。
これで、警戒を解いて貰えれば話が出来ると思ってとった行動だったが、ルフィーノにとっては予想外の行動だったとみえる。
呆然と佇んだかと思えば、勢いよく頭を振った。
「いやいやいやいや━━お茶に毒が入ってるとは思ってなかったからな。夜更けに空から落ちて来て、親し気に笑いかけ寛ぐ君に、警戒してるだけだからな」
「あら! そうだったのですね……ふふ。イルミラさんも空を飛んでいましたし、珍しくはないと思っていたものですから、驚かせてしまうとは思っていませんでしたわ」
確かにイルミラは空を飛んで移動するが、それは吸血種ゆえの事。
エルフや獣人然り、魔族に至っても空を飛べる者は、ほんの一握りである。
これを珍しくないと言い切るルイーズに、どう反応していいのかわからずルフィーノは沈黙した。
すると、ルフィーノの様子など気にするでもなく、ルイーズはこう続けた。
「あまり、ここで時間を割いても仕方がありませんし、用件を告げますわね。まず、イルミラさんは私達が捕らえました━━」
「なっ! 」
ルフィーノはイルミラが捕らえられたと聞き声を荒げたが、まだ話は終わってないとルイーズに言われ、仕方なく耳を傾けた。
「……続けますね。私の父様やこの国の王で在らせられる陛下に魅了を掛け、生き血を啜ろうとしていた所を、私が撃退いたしました」
「っ!! 君が?! イルミラ様を撃退? 」
「ええ。まぁ、イルミラさんよりも、魅了に掛かった父様を正気に戻す方が大変でしたけれどね」
さも大変だったと主張せんばかりに肩をポンポンと叩くルイーズに、ルフィーノは失笑を浮かべつつ、吐き捨てる様に言い放った。
「はっ、何を言っているんだ。イルミラ様ほど強い方が、君なんかに負けるはずがないだろう」
「まぁ、信じてくれなくてもどちらでもいいのですが。それはさておき、捕らえたイルミラさんがあなた方を心配して、連れて来てほしいと言うのでお迎えに来たのですよ。ついて来てもらえます? 」
付いて行くべきなのかどうかを模索するルフィーノ。
本当にイルミラが捕らえられたとするのなら行くべきなのだが、これが罠だった場合、リーヌスを危険に晒してしまう。
「ちなみに何処へ行くんだ? 」
「フラウ湖ですよ」
「フラウ湖? この近くだな。なぜ、その様な場所で、イルミラ様は捕らえられていらっしゃるのだ?! 」
「学園行事の遠征でフラウ湖まで来ている時に襲撃されたからですわ。元より一泊する予定でしたし、フラウ湖で一晩明かした後、イルミラさんは王都まで護送される事となりました。それでどうします? 一緒に来て話をして頂けると、私としても助かるのですが……」
「同行するつもりはないっ。罠かも知れんからな」
「罠なんて掛けませんよ」
「襲撃が真実だったとしても、イルミラ様がフラウ湖にいらっしゃる可能性は少ない。あの方なら、無事逃げ果せているはずだしな。私達はここで待つ」
息子であるリーヌスを案じて涙を流したイルミラを思い、懸命に説得するルイーズだが、話せば話すほど、ルフィーノは警戒を強めていく。
この悪循環に、ほとほと困り果てたルイーズは強硬手段を取る事に決めた。
「そうですか……では、馬車ごと移動させることにしますね」
「なっ! うわぁーーーーーーーーっ!! 」
ルイーズが取った強硬手段。それは、ルフィーノとリーヌスを浮かばせフラウ湖まで連れて行くことである。もちろん馬車と馬も込みで。
「あっ、火の始末もしないとね。『ウォーターボール』! 」
ジュッという音と共に、焚火が消火された。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーっ! 下ろせぇぇぇっ! 」
馬に馬車、人影が月明りに照らされ、ファンタジーぽさを醸し出している空にルフィーノの絶叫が響き渡る。
「……すぐに着きますから、静かにね。もう、学生達は寝てる時間なんでお願いします」
「うわぁぁぁぁっ!! 」
「…………」
・
・
・
「本当に、申し訳ありませんでした」
無事再会したイルミラとリーヌス、それとルフィーノ。
頑なに信じず、敵対心を見せつけていたルフィーノも、今では丸くなり、深々と腰を折り謝罪している。
「いえいえ、怪しさ満点でしたものね。ふふ、こちらこそ申し訳ございませんでしたわ」
そう言って微笑みながら謝罪するルイーズだが、父である侯爵に指摘されるまで何が怪しかったのか分かっていなかった。
けれど。
『深夜に空から美少女が降って来て、怪しい者ではないと名乗られてみなさい。怪しいだろう? 』
『……確かに』
『しかも、怪しさを払拭しないまま、ポケットから出したお茶を勧めたのだろう? ここで、怪しさが倍増されたね』
『……ふふ、確かに。けれど、毒は無いと飲んで証明して見せましたよ』
『うむ……こんなにも愛らしいルイーズの証明を信じないのも、些か腑に落ちないな。いや、相手も信じようとしていたのかもしれない。だが、間を置かず、仲間であり主でもある者を捕らえたから付いてこいと言ったのだろう? 』
『えっ、でも。もし、父様を捕らえたから付いて来いと言われたら、私は付いて行きますわよっ。どんなに怪しくても、警戒していても、じっとなんてしていられませんもの……』
『ルイーズ……あぁ、私の可愛い娘』
『父様……』
『だが、ルイーズの傍にジョゼが居た場合はどうするんだい? 』
『はっ! そうですわねっ、ジョゼを危険に晒す事なんて出来ませんわっ』
『そういう事だよ、ルイーズ』
『そういう事だったのですね、父様』
そんな会話の末、ルイーズは気が付いたのである。
言動そのもの全てが怪しかったのだと。
「それで、王都まで護送されるのは決定事項ですが、ルフィーノさんとリーヌスくんはどうします? 一緒に行きますか? 」
いつ『魅了』の魔眼が発動するとも限らない現状。
様々な事情聴取はルイーズに一任されている。
だから、ルイーズは聞くべき事は全て聞きださねばならなかった。
「はい、一緒に参ります」
そうきっぱりと言い切るルフィーノに、イルミラは声を荒げて反対した。
「ルフィーノっ! 私は、大罪を犯したのよ。生きて出られるか分からないのよっ」
「だからこそですっ! ルイーズ様、どうか、私も共に罰してください。ですが、リーヌス様だけは……お助け下さい。お願いいたします」
「駄目よ、ルフィーノっ! 例え私が死んだとしても、あなたはリーヌスを守って育てなさいっ。これは、最後の命令よ」
「いいえ、聞けません。主の最後の命だとしても、こればかりは聞きたくありません。私は貴方を心から愛しているのですから」
「ルフィーノ……それは、魅了のせいよ。偽りの愛だわ……」
「違います。魅了の効果など、とうの昔に切れています。ですから、この愛は真実なのです」
「ルフィーノ……」
「イルミラ様……」
そんな恋愛模様を繰り広げているイルミラとルフィーノを放置して、ルイーズはリーヌスに離乳食を与える事にした。
「は~い、リーヌスくん。お姉さんが作ったパン粥ですよ~」
「あぅ~」
「美味しいですか~? たくさん食べて、大きくなるんですよ~」
「あぃ~」
「しかし、生命力って何かは分からないけれど、リーヌスくんに必要なの? 」
「あぅ~? 」
「ふふ、必要なさそうですねぇ~だって、とても健康そうだもの」
「あぃ~」
パン粥を与えつつ、リーヌスの体を巡るマナの様子を調べたルイーズは、健康そのものだと確信した。
だが、イルミラは生命力を与えねば死んでしまう病だと言った。
偽りを言った様には見えなかったが、どうにも腑に落ちないルイーズは、イルミラに問う事にした。
「イルミラさん。一つお聞きしてもいいかしら? 」
「ええ。えっ! ちょっと、何を食べさせているのっ! 」
「えっ? パン粥ですが」
「リーヌスはそんなもの食べないわっ。私が与える生命力だけが命を繋ぐ糧なのよ」
そこでルフィーノが、イルミラの発言に異を唱えた。
「えっ、違います。精霊の育てた果実だけがリーヌス様の糧となるのです」
「ルフィーノ、何を言ってるの? 今まで生命力を与える事でしか、命を繋ぎ止められなかったじゃない」
「今まではそうです。ですが、この大陸に来て私は気が付いたのです。リーヌス様は果実で成長なさるのだと」
「あの~? リーヌスくんは美味しそうにパン粥を食べてますが? 」
「あぅ~! 」
きゃっきゃと笑い声をあげながら、モグモグとパン粥を食べるリーヌスの姿を見たイルミラとルフィーノは、目玉が飛び出すのではないかと思うくらい、目を見開き叫んだ。
「っ!! どういう事? 」「どういう事なんです? 」
「? こちらがお聞きしたいのですが、どういう事ですの? 」
病に侵された者や怪我を負った者は、マナの流れが滞ったり、外に漏れ出たりするのだ。
リーヌスにそんな様子は全くない。それどころかパン粥を与えると、どんどんマナが体を循環している。
その様子を首を傾げながら見ていた所に、ルフィーノが神妙な面持ちで口を開いた。
「イルミラ様、リーヌス様のお父上は……もしや、ハイエルフだったのではありませんか? 」
「えっ? 知らないわ。贄を探しに彷徨っている時、偶然知り合った私好みの冒険者……あっ、そうね……そういえば、あの人、ルフィーノに似ていたわ。エルフだったのかしら? 」
「いえ、ハイエルフかと」
「ハイエルフ? その違いは何? 」
イルミラは身を乗り出してルフィーノに尋ねる。
「エルフとの混血でしたら、魔国でも生きる事は可能です。しかし、ハイエルフとの混血ですと、精霊の住めない魔国では生きることが出来ません。ハイエルフは精霊に最も近い種族ですから」
「それじゃあ、健康な子を儲けようとして、同血種を避けたのが裏目に出たって事なの? 」
イルミラは放心したように言った。
「裏目かはわかりませんが、恐らく魔国へ帰れば生きていけないでしょう。しかし、ここ人族の大陸や、獣人国ならリーヌス様は健やかに過ごすことが出来ます。精霊の育てた果実……いえ、食べ物に関しては要検証ですね」
「魔国へ帰れば、生きていけない……しかも、愛しいリーヌスが苦しんだのも、魔国のせい……」
「そうです。全て魔国のせいです」
「違うわ……」
ルフィーノに同意されたことによって、自分の浅はかさを再認識したイルミラ。
これは、病弱な吸血種ゆえ、同様に病弱なんだと決めつけてしまったイルミラの落ち度である。
これまで、生き難い魔国で懸命に命を繋ぎ止めてきたリーヌスを思うと、胸が張り裂けんばかりに痛む。
「ふっ、ははっ、ふふふ……すべて私のせいだわ……相手の事を何も知ろうともせず、相手の血脈を気にも留めずリーヌスを育てていたのだから……」
イルミラは頬を伝う涙を拭う事もせず、自嘲気味に笑った。
全ての責任は、自分にあるとそう告げるかのように……。
重苦しい空気が立ち込める中、再びイルミラが口を開く。
「ルフィーノ、リーヌスをお願いね……この大陸なら、リーヌスは食事を楽しめるわ。それに苦しむ事もない……フフ、私は悪い母親ね……こんな母親……」
「何を仰っているのですかっ!! 」
「何って、こんな毒の様な親なんて必要ないじゃない……」
「本気で仰っているのですかっ!? 貴方はリーヌス様を愛していらっしゃらないのですかっ!? 」
「愛してるに決まってるじゃないっ!! 愛しているからこそ……苦しめた原因である私が身を引くんじゃない……」
「苦しめた原因は、イルミラ様ではありません。リーヌス様を苦しめ傷つけたのは、瘴気です。その瘴気が蔓延している魔国のせいなのです」
「そうね、瘴気が蔓延している魔国のせいね。けれど、元を正せば愚かな私のせいではない? 貴方に育てられた方が、リーヌスも幸せなはずよ」
「くっ! イルミラ様、貴方って人は……ここまで酷いお人だとは思ってもみませんでした」
「ええ、私は魔族ですもの。残虐非道な魔族ですも━━」
その時。
「トリャーッ!! 」
イルミラの言葉を遮る形で、ルイーズの雄叫びが響き渡った。
そして、ゴンと言う鈍い音と共に、イルミラとルフィーノが呻く。
「アダッ! 」「アグッ!! 」
ルイーズの拳がイルミラとルフィーノに直撃したのである。
拳をふぅ~っと吹きながら、鬼の形相でルイーズが叫ぶ。
「グダグダとつまない事ばかり言うんじゃありませんっ! イルミラさんっ! 」
「ひっ、は、はい」
「確かに親はなくとも子は育ちます! ですが、愛する子供を手放して、貴方は真っ当に生きられるのですか? 」
「…………」
「ルフィーノさんっ! 」
「はっ、はい」
「グリーンがかった銀髪に、華奢な身体。イルミラさんの好みの男性そのもののルフィーノさん」
「は? はぃ? 」
ルイーズにそう言われ、素っ頓狂な声を上げるルフィーノ。
そして、ルイーズは神妙な面持ちで、ルフィーノを見て告げる。
「イルミラさんの処罰は決まっておりません。ですが、極刑にはならないと思います。この土地でイルミラさんを支え生きていく覚悟はありますか? 」
「はい! もちろんです」
そう言い切るルフィーノの顔は真剣そのもの。
その顔を見て、ルイーズはホッと表情を緩める。
「では、イルミラさんを早朝までに口説き落としておいてくださいね」
「えっ、へっ、は、はい。そ、早朝まで? 」
そんなルフィーノを見て、ニカっと笑いリーヌスを抱き上げるルイーズ。
そして、
「さて、リーヌスくんはお姉さんとねんねしましょうね~」
「あぅ~」
と言いながら、天幕を出て行ってしまった。
静まり返った天幕の中。
意を決した様に、ルフィーノが口を開く。
「イルミラ様、ゆっくりお話しいたしましょうか」
「……ええ。もうあの子に叱られたくはないしね……」
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