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第1章 幸運か不運か、それは神のみぞ知る

(25)腐った果実

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「それで、あの勘違いの生意気な小僧だが、挨拶もそこそこに『皆さんの話をきちんと聞き取って見せますから、一斉に喋ってみてください。各人が話された内容について、お返事いたします』と言い出してな」
「全く。自国の貴族を侍らせて自分の我が儘につき合わせるのならともかく、各国を代表している大使夫妻に茶番を演じさせるなんて、何様のつもりなの?」
「それで……、どうなさったのですか?」
 忌々しげに吐き捨てたカレンを見て、今度こそ大事になったのかとラゾーナは不安になりながら尋ねた。しかし二人は平然と答える。

「別に? 私達は分別のある大人だったから気を悪くしたりせず、その要求に快く応じてあげたさ」
「この人は大陸共通語のヒーリス語で、私はサラディ王国で用いられているスラド語でね。周囲に三組の大使夫妻がいたのだけど、全員各国の国語や得意な言語で一斉に喋ってあげたわ」
 それを聞いたラゾーナは、思わず遠い目をしてしまった。

「……どなたもグレンドル語でお話しにならなかったのですね」
 その呟きに、主夫妻は全く悪びれずに話を続ける。

「グレンドル語で話してくれ、などとは言われなかったものでな」
「そうしたらニーラム殿下が目を見開いて、『申し訳ありませんが、グレンドル語でお話しください』と言ったのよ。兄君と同様に、間抜けすぎるお顔だったわねぇ」
「それで、今度はグレンドル語で言ってやったのさ。『仮にも王族なら周囲が配慮する筈なのに、そんな配慮などなく誰彼構わず一斉に話しかけられる日常を送っておられるなど、不憫極まりないですな』とね」
「私は『ジャスパー殿下には政策を考える事はできなくても会話ができるなら通訳として役立てると申しましたが、ニーラム殿は喧騒の中で働いている下級官吏に交ざっていれば、その能力が最大限発揮できますわね』と言って差し上げたわ」
「他の大使夫妻達も、似たり寄ったりのことを口にしていた筈だ」
「声が重なっていたから、殆ど聞き取れなかったのだけど」
「だが確かにあの小僧は、個別に聞き取れていたようだな」
「ええ。黙り込んで癇癪寸前の王子を引きずるようにして、第二王妃が引き下がりましたからね」
 主夫婦がおかしそうに笑い合う姿を見て、ラゾーナは(相手が悪かったですね)と、この国の王子王女に少しだけ同情した。しかし二人の容赦ない会話は、更に続いた。

「他にも現王の異母兄弟とか、甥姪にもチラホラ加護持ちがいるらしいが、聞くところによるとどれも大した事のない加護ばかりだしな」
「そもそも現王の加護とやらが《常人には不可能な速さで文章を読んで内容を理解できる》ですものね。文章が早く読めるから、なんだと言うの。それで得た知識を生かして問題を解決に導いたりより良い施策を講じるならともかく、あの王からはそんな知性など微塵も感じられないのだけど」
「ついでに言うなら、威厳も感じ取れないな。まあ今夜は、見世物としてはなかなか面白かった」
「そうね。少し高級な見世物と思えば、腹も立たないわね」
(絶対腹を立てているのは、この国の王族の方だと思うが)
 どうしてここまで好き好んで波風を立てられるのかとラゾーナは呆れたが、ハリーの次の一言で我に返った。

「そういうわけで、一応ここの大使公邸周辺の警備を、暫くの間厳重にするようにバランに言っておいた」
 大使公邸駐在武官総責任者の名を耳にした瞬間、ラゾーナは顔つきを改めて深く頷く。この国の国王を筆頭に王族の心象を悪くしたからには、直接的な危害を加えられる可能性は低いにしても、多少の嫌がらせを受ける可能性を考慮しなければならず、公邸内を取り仕切るラゾーナにも無関係ではありえなかった。

「それが宜しいかと……。奥様も外出時には、くれぐれもご注意ください」
「はいはい、分かりました。それにしても……、こんな国がよく今まで国として機能していたわね。帝国の常識からすると考えられないのだけど」
 呆れ果てたといった口調のカレンに、ハリーが同様の表情で応じる。

「ふんぞり返っている加護持ちは大抵ろくでもないが、それ以外の人間が優秀だからさ。あの宰相がその筆頭だ」
「先代国王の、異母弟に当たられる方ですよね……。能力で言えば、あの方が国王に相応しいのに。帝国であれば、間違いなくあの方が玉座にお座りになっていましたよ?」
「確かに初代国王と、その家臣達は優秀だったのだろうな。そのおこぼれを歴代の国王は食いつぶしてきたわけだ。果実も熟しきれば腐って落ちる。この国もそろそろ腐りきって落ちる頃かな?」
「今夜は各国の大使も、この国自慢の加護とやらの実態を見て、色々と思うところがおありなのではない? 第一王子の冷遇ぶりに驚くと同時に、冷笑していたものね」
「今回の停戦合意の立役者を、あんな風に扱ったのではな。軍部内でも色々と思惑が渦巻くだろうに。下手を打つにも程がある」
「気の毒に。私には遠からずこの国が、周辺から寄ってたかって食い荒らされる未来しか見えないわ」
「なかなか辛辣だな」
「否定しても構わなくてよ?」
「どこに否定する要素があると?」
 物騒過ぎる会話を交わしてから「あはは」「うふふ」と不気味な笑顔で笑い合っているハリー達の前で、ラゾーナは無言を貫いた。するとハリーが、再び話題を変えてくる。

「ところでラゾーナ。今回、ここの王族に喧嘩を売りまくったことくらいで国外退去を命じられる筈もないが、本当に帰国することになるかもしれん。実は皇帝陛下から直々に依頼されていた内容を、ようやく果たせそうでな」
「本当に今回の夜会は、大収穫でしたわね。これで胸を張って帰れますわ」
 そこでハリーとカレンは、揃って晴れやかな笑顔を向けてきた。それにラゾーナは、真底安堵しながら頷いた。

「そんな事があったのですか。それでは少しずつ、荷物をまとめる準備を進めておきます」
「そうしておいてくれ」
 そこでラゾーナは(一体皇帝陛下から、どんな密命を受けておられたのやら)と首を捻りながら、ワゴンを押しつつ廊下に退出した。


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