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第602話 希望の影に潜む罠

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 スタッグ王宮の謁見の間では、国王専用のプレートアーマーに身を包んだアルバートが玉座で苛立ちを募らせていた。
 その視線の先には、跪いた1人の貴族。南門前の部隊を率いていた指揮官だ。

「我が隊は敵軍の猛攻を前に、やむを得ず退却いたしました。敵の勢いが予想を遥かに上回り、これ以上の戦闘続行は甚大な被害をもたらすと判断した次第で……」

「それで?」

「不甲斐ない結果であるのは重々承知。これも全軍の安全を最優先に考えた上での決断でございます。どうかご賢察のほどを賜りたく……」

「貴様の言い訳はどうでもいい。城内に後退したことで、今後の方針を言えといっているんだ!」

「恐らく時間は稼げるかと……」

「阿呆がッ! 時間を稼いでどうするつもりだ!? まさか僕が、九条に頭を下げる覚悟を決めろとでも言いたいのではあるまいな!?」

「いえ、決してそのような事は……」

「なら、こんなところで油を売ってないで、貴様も立派に職務を果たせッ!」

「は……ははっ!」

 慌てて謁見の間を後にする貴族の男。
 その後、アルバートはゆっくりと立ち上がり、大窓から城下を一望した。
 外周城壁にある4つの城門のうち3つが既に突破され、敵の軍勢が我が物顔で街中を闊歩している。
 かつて繁栄と平和の象徴であった通りは、今や無秩序な戦場と化し、人々の悲鳴と金属音が鳴り響く三途の川。
 街の至る所で上がる火の手が、徐々に内周城壁へと近づいてくるのだ。
 アルバートは強く拳を固く握りしめ、憤りに満ちた表情でその光景を見つめていた。

「バイアス公は、この状況をどう見る?」

 アルバートの隣に控えているのは、同じように武装しているバイアス公とレイヴン公。そして、軍事を統括する貴族の数人だけ。
 普段はアルバートにべったりの親衛隊も、1人を残し前線へと駆り出されている。

「イーミアル殿が敗れ、王都外周が敵の手に落ちるのも時間の問題……。しかし、内周城壁を死守すれば、まだ望みはあるやもしれませぬ」

「本当か? 本当に何とかなると思っているのか!?」

「外周に取り残された市民の避難は順調です。それが終わり次第城門を封鎖し、籠城することになりましょう。九条の魔力が底を尽き、アンデッド達が動きを止めるまで……。もしくは、レイヴン公の兵が到着するまで耐え抜けば……」

「市民など気にしている場合かッ! すぐにでも全ての城門を封鎖しろッ!」

 アルバートだってわかっていた。プラチナの冒険者であるイーミアルに貸し与えた国宝の魔道具、クレイシンセサイザーをもってしても魔王軍の侵攻を止められなかったのだ。
 最早打つ手はなく、勝敗の行方は、内周城壁の防衛力と兵士達の自力にかかっていると言っても過言ではない。
 しかし、それも一枚岩ではなくなっていた。
 兵士達の中には、降伏宣言を待ち望む声もチラホラと出ている始末。

「レイヴン公の兵は、本当に来るんだろうな!?」

「勿論です陛下。我が軍は遅れて参上し、魔王軍を挟撃するという手筈になっているのは存じておられるでしょう。相手の侵攻が予想よりも早く出遅れておりますが、もう暫しの辛抱を……」

 恭しく頭を下げるレイヴンだが、その内心は笑っていた。
 この日の為に、裏で手を回してきたのだ。当然、軍など来やしない。
 今日に限ってアルバートの親衛隊が1人しか傍にいないのも、レイヴンが言葉巧みに誑かし、前線へと送り出したからである。

「仕方ない。緊急時という事でギルドを接収し、無理矢理にでも冒険者に手伝わせて……」

「残念ながら、冒険者ギルドは既に敵の手に落ちております。空から降って来たアンデッドの中に強力な個体がおり、その目的がギルドの無力化であると推察され……」

「じゃぁ、これから僕はどうすればいいんだ!?」

「それは……」

 口ごもるバイアス。最早、何もしないのが最適解だろうと誰もが勘付いているのだ。
 今更、焦ってどうにかしようと行動を起こしたところで無駄である。そんな機会は当の昔に過ぎ去った。
 とはいえ、黙って見ていろ……などとも言えず、バイアスはひとまずお茶を濁す。

「……では、国の為に戦う兵士達を鼓舞されてはいかがでしょう? 陛下からのお言葉を賜れれば、士気もより一層高まるかと」

「そんなこと出来るわけないだろ! 僕が外に出た瞬間、狙われたらどうするつもりなんだ!?」

「外へ出ると言っても、ほんの数分。長時間の演説をと言っている訳では……」

 その時だ。謁見の間の扉が勢いよく開かれると、そこに立っていたのは薄汚れた騎士の男。

「陛下ッ! 御無事ですかッ!?」

「ファ……ファルランケス卿!? 生きていたのかッ!?」

 それは、アンカース領での戦いで行方不明となっていた貴族、ファルランケスである。
 その格好は、如何にも激しい戦いに身を投じてきましたと言わんばかり。
 格式のあるプレートアーマーは泥に塗れ、その手には抜き身のショートソード。
 急いだ為か、肩で息をする様子が窺える。

「我が国の一大事だと知り、全軍をもって駆け付けた次第にございます! ご覧ください! 我が軍の勇姿を!」

 そう言われたら、確認したくなってしまうのが人の性。
 全員が全員、大窓に駆け寄りファルランケスの指さす方を覗き込む。
 そこには目を見張るほどの大軍勢。憎きアンデッド共を一網打尽にするファルランケス軍の勇姿――が、広がってはいなかった。
 これといって特に変わった様子は見られず、目を凝らして隅々まで探してみるも、やはり結果は変わらない。

 質の悪い冗談なのかと憤り、ファルランケスを問い質そうとアルバートが振り返ると、そこには信じがたい光景が広がっていた。

「ぐはッ……!」

「バイアス公ッ!?」

 ファルランケスのショートソードが、バイアスを貫いていたのだ。
 背中から一突き。胸から飛び出たそれを、バイアスは信じがたい表情で凝視する。

「……ファルランケス……貴様ッ……!」

 ファルランケスは満足そうに目を細めた。バイアスの体が崩れ落ちるのを見届けると、歪んだ笑みを浮かべる。

「フヒヒッ……。まずは1人……」

 ゆっくりと引き抜かれたショートソード。その刃先から滴る血が、赤いカーペットに静かに染み込んでいく。

 そこに、皆の知るファルランケスはいなかった。
 歓びに満ちた笑みはどこか狂気じみていて、快感を覚えたかのようなその目は、次の獲物に狙いを定めていた。

「や……やめろ! ファルランケス!」

 その視線の先にいたのは、アルバートだ。
 ファルランケスが地を蹴り、アルバートに飛び掛かる。重いプレートの鎧をものともしないその跳躍力は、最早人ではない何か。

「ひぃぃッ!?」

 振り下ろされた真っ赤なショートソード。予想外の出来事に皆が動けず、もうダメかと思われた矢先。
 唯一動けたレイヴンが、間一髪その刃を己の剣で受け止めたのだ。

「陛下! お逃げ下さいッ!」
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