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第427話 狂瀾怒濤

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「ワダツミ! そっちが終わったならこっちに手を貸してくれ!」

 口元を真っ赤に染めたカイエンは、未だジャイアントボアのガイアと組み合っていた。
 100%自分の力を推進力へと変換する文字通りの猪突猛進は、単純ながらに強力。
 押し負ければ場外は確実。これがもしメナブレアの闘技場であったのなら、壁へと激突し挟まれる。その威力は言わずもがな。
 ジャイアントボアの頑丈な顎で身体を持ち上げられたら一巻の終わり。下方向に力を掛けつつも、押し込まれないよう踏ん張らなければならない。それは繊細な力加減が要求される。
 相撲で例えるならがっぷり四つ。見た目は地味だが、水面下では怒涛の駆け引きが繰り広げられているのだ。

「ガイアも下がれ! 体勢を立て直す!」

 状況的には相手の方が分が悪い。ワダツミをフリーにしてしまった今、側面から攻撃されれば成す術がないのは明らか。
 立場は逆転。今度はカイエンが、ガイアを押さえ込む番である。

「逃げるなぁッ!」

 下がろうとするガイアにこれでもかと爪を立てるカイエンであったが、その甲斐もなく意外とあっさり逃げられる。
 何も不思議な事はない。その背は、何度も咬みついた所為でマグマを流す山の頂のようになっていて、踏ん張りが効かなかったのだ。

「カイエンも下がっていい。少し休め」

 平気な顔をしているが、石畳に滴る流血はなにもガイアの物だけではない。
 当然だ。天を穿つような鋭い牙が、何度もカイエンの腹を突いていたのだから。
 獣の中でも熊は強い部類だが、それは野生下での話。相手はそれを補えるだけの訓練と経験を積んでいる。
 それに加え、石畳の上という大自然には似つかわしくない特殊な場所。そして冬眠していてもおかしくはない凍えるような環境下では、さすがのカイエンも本来の力は発揮できないだろう。

「まだいけるんだがなぁ……」

「いいから下がれって。見てて痛々しいんだよ……」

 腹からだらだらと流血しているのにも拘らず、平然と歩いて来る姿は感心する以前に正気の沙汰とは思えない。
 人間であれば、のたうち回っているレベルのケガだ。

「ワダツミには3匹を相手にしてもらうことになるが……」

「いや、そうはならなそうだぞ?」

 ワダツミの視線の先では、メリルが従魔達の状況を確認しながらも悔しさに顔を歪めていた。

「審判。ステラとガイアは棄権させる」

 余程状態が悪いと見たのか、メリルの突然の棄権宣言。
 審判がそれを承諾すると、ステラは前足を引き摺りながらもフィールドを離れ、ガイアに至ってはその場で倒れ込んでしまった。

 俺がそれを見て安堵したのは、勝ちを確信したからではない。
 メリルが従魔達の命を賭してまで向かってくる様な短絡的思考の持ち主ではなかったという事と、その息の根を止める重責を俺達が担わずに済んだからだ。

「このまま負けを認めてもいいんじゃないか? 今なら情状酌量も視野に入れて、命だけは助けてやるぞ?」

 なんとも悪役らしい台詞であるが、タイミング的には丁度いい。
 相手の従魔は残り1匹。このまま負けを認めてくれれば、こちらとしてもカイエンの治療に移れるのだ。
 メリルが求めた決闘だ。手を引くと言うのなら素直に受け入れ、無理強いはしない。

「バカを言え。ここからが本番だ!」

 それはメリルの意地なのか、それともくだらないプライドか……。どちらにせよ、その瞳はまだ諦めてはいなかった。
 何故かその場に腰を下ろすメリル。身を寄せるシルバの背中を愛おしそうに撫でると、その額に自分の額をそっと合わせた。

「"シンクロナイズプロテクション"」

 それを聞き、一気に盛り上がりを見せたのは観客達。

「でたぁ! メリルさんの十八番だぁ!」

 恐らくは獣使いビーストテイマーのなんらかのスキルなのだろう。
 項垂れるように頭を下げ、動かなくなるメリル。それを確認した白豹のシルバが俺達に向き直ると、ニヤリと口角を上げ唐突に言葉を発したのだ。

「あたいだよ九条。メリルだ」

 獣との意思疎通が出来なければ驚くべきシチュエーションだったのだろうが、それに違和感を感じなかったのは普段から従魔達と話しているからだろう。

「……なんだ、あまり驚かないな……。まぁそうか……。だが、一応説明しておこう。このスキルは自分の精神を従魔に宿す事が出来るんだ。その間は本体……あたいの身体は無防備だが、死んでいる訳じゃないから試合を止めたりはしないでくれよ?」

 死霊術でいうところの転移魂ソウルコンバートに近い効果なのだろう。
 流石は熟練の獣使いビーストテイマーといったところか。

「では、試合再開といこうじゃないか。あたいの力でブーストしたシルバが、どれだけ強いか見せてやんよ!」

 両腿が肥大したのかと勘違いするほどの力で、勢いよく蹴られた地面。その速度は先程とはまるで別物。
 それは一瞬にしてワダツミに肉薄する。

「ぬうッ!?」

 ワダツミの顔を掠める鋭爪の閃き。僅かに舞った毛を挟んで交差する視線。お互いがそれを気にする間も無く繰り出される次の一手。
 シルバに扮したメリルから振り下ろされた前足の狙いは、またしても顔だ。
 しかし、ワダツミもやられっぱなしではない。迫りくるそれにタイミングを合わせ牙を立てる。
 流麗な動きでワダツミを翻弄しようと跳ね回る白豹に対し、僅かな焦りすら見せず反撃の機会を窺うワダツミ。
 激しい攻撃の応酬――にも拘らず、それは獣同士の泥臭い戦いなどではなく、洗練された激しい舞踊を見ているかのような錯覚にも陥ってしまうほど。

「クソッ! これでもまだ届かないかッ……」

 ただの獣と魔獣との差が、獣使いビーストテイマーの力を使ってようやく対等。圧倒するまでには至らず、焦燥感が漏れ出てしまっても仕方がない。
 しかし、互角のようにも見える戦況も徐々にではあるが、シルバの方が押しつつあった。
 少しずつ傷を負い始めているワダツミに対し、何故かシルバは無傷なのだ。

「どうして……ワダツミの攻撃は当たってるのに……」

 場外からカガリと共に観戦していたミアも、その奇妙な現象には気が付いている様子。
 ワダツミが防御一辺倒な訳じゃない。隙を見つけては強烈な打撃を喰らわせているのだ。
 最初は俺も、手加減して爪を立てていないのかとも思ったが、どうやらそうでもないらしい。

「ハハッ! ようやく気付いたか! この状態のシルバは無敵ッ! 長期戦は望むところさ!」

 敵の言う事を鵜呑みにするほど耄碌はしていないつもりだが、確かにその可能性もなくはない。
 正直言って半信半疑だが、本当に無敵であるとするなら相打ち覚悟で飛び込めばいいだけ……。なのにシルバは、致命傷を避けている。
 ならば、本当にそうなのかを確認するまで。

「カイエン!」

 唐突にカイエンの名を叫ぶ。別に用事なんてない。本当にただ呼んだだけ。しかし、ワダツミにはそれだけで十分だった。
 ここにカイエンが参戦しようものなら、シルバは一気に不利になる。故にシルバの意識が僅かにカイエンへと向き、ワダツミからは気が逸れる。
 それはほんの一瞬だった。蝶のように華麗に舞っていたシルバが、着地と同時に足を滑らせたのである。

「水たまりッ!?」

 それを予知していたかのように突撃するワダツミ。その全体重を乗せたタックルに、シルバは成すすべなく弾き飛ばされた。
 そのまま場外まで一直線――となれば良かったのだが、シルバは途中で体勢を立て直すとギリギリで踏みとどまったのである。

「ふぅ……流石は魔獣。一瞬たりとも気が抜けんな……」

「バカな!? これ以上ない手応えだった! ありえん!!」

 それには、誰もがメリルの敗北を確信しただろう。あの不安定な体勢からのクリティカルヒット。受け身なぞ取れるはずがない。
 最悪場外判定は免れても、行動不能となるには十分なダメージを負っているはずだったのだ。
 それが全くの無傷。それでいて獲物を狙うかのようにウロウロとその場を徘徊するシルバ。静まり返った会場は、緊張感に包まれる。

 俺はそれに、若干の違和感を覚えた。
 あれだけの攻撃を食らっても尚ピンピンしているシルバ。ここからメリルの反撃が始まるという場面にも拘らず、全く盛り上がらない観客……。
 その時だ。ミアの頭に止まっていたピーちゃんが翼を広げ空に舞うと、そのままフィールド上空を横切りメリルの頭上で旋回を始めたのだ。

「――ッ!?」

 まるで意識の外にあったメリルの本体。その口元から垂れる紅い糸。
 メリルを包む衣服は血にまみれ、見るも無残な姿に成り果てていたのだ。

「なるほど……。シルバが動きを止めずにウロウロと不穏な動きを見せていたのは、俺達の視線を誘導する為か……」

 厚着の所為で傷の状態はわからないが、恐らくはシルバの受けたダメージをメリルの本体が肩代わりしているのだろう。
 シルバが痛みを感じないのであれば、リミッターを外す事で規格外の強さを発揮できるのも頷けるというもの。
 試合が終われば、メリルの精神はその傷だらけの身体に戻らなければならない。
 勿論戻る前に回復術ヒールをすれば済む話だが、激しい攻撃に晒され続ければ戻る体がなくなってしまう可能性すらある。客達はそれを知っていたからこそ、素直に喜べなかったのだろう。
 メリルは実際に命を賭けていたのである。その勝利に賭ける執念は、敵ながら賞賛に値する。

「チッ! クソ鳥めッ! だが、まだ負けたわけじゃないッ!」

 やけくそ気味に向かってくるシルバ。先程とは違う隙だらけの突撃に、動揺は隠せていない。

「九条殿、かまわぬな?」

「ああ、場外狙いでいい。さっさと終わらせよう」

 素人目線だが、メリルの身体は相当ヤバイところまで来ている。知らない内に殺人犯は御免だ。

「"狂濤きょうとう"!」

 吠えるワダツミの前に突如として出現したのは巨大な水の壁。
 俺達とシルバを分かつそれはフィールドと同等の幅を持ち、助走もなしに飛び越えられる高さではない。
 それはゆっくりと傾き始め、徐々に速度を上げながらも倒壊を始めたのである。
 迫りくる激浪。必死に逃げ場を探すシルバであったがそんなものがあるはずもなく、出来る事と言えば神に祈ることのみ。

「はは……流石は魔獣だ……。でたらめが過ぎる……」

 シルバから発せられた諦めにも似た声は、逃げ惑う観客の悲鳴と押し寄せる怒涛の荒波によってかき消され、水はあらゆるものを蹂躙した。


「……我々の勝ち……だよな?」

「ああ、確かにそうなんだが……」

 水が消えるとフィールドに立っているのは俺達だけ。よってメリルの場外負けは確定したも同然なのだが、まずは流されてしまった審判を探し出す事から始めよう……。
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