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第230話 慚愧

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「うぅ……」

「アレックス様!!」「アレックス!!」

 急に起き上がった反動か、朦朧とする意識を無理矢理覚醒させようと頭を横に振るアレックス。
 その症状は知っている。転移魂ソウルコンバートを使った時と同じだ。やっていることは自分の魂か、他人の魂かの違いなだけ。
 レナは起き上がるアレックスに抱き着くと、またしても涙を流し始めた。

「アレックス様! アレックス様! あぁぁぁぁぁ……良かった……本当に……うぅぅぅ」

 レナの背中をさすってやりながらも、自分の身体という久しく忘れていた感覚を取り戻したアレックス。
 その頬に伝わる一筋の涙は、もらい泣きなどではなく生を実感した為だろう。

「き……奇跡だ……」

「お父様。ごめんなさい。僕が我が儘を……」

「いや、いいんだ……。いいんだアレックス! 私が……私が間違っていたのだ!」

 こうなったら俺はもう蚊帳の外である。積もる話は当人同士で話し合えばいいだろう。それにちょっかいを出すような無粋な真似はしない。
 再会の喜びを分かち合うアレックスを横目に、俺は静かに扉を閉め部屋を後にしたのである。


 話が終わるのを廊下で待つこと数十分。扉が開かれると、そこには腫れぼったい目元の3人。その表情はどこか満足気だ。
 恐らく、一生分は泣いたのではと思うほどくっきりと浮き出ている涙跡は、不謹慎とは思いつつも、やや滑稽であった。

「九条。僕の気持ちを全て吐き出すことが出来た。ありがとう」

「九条。先程はすまなかった……」

「私からもお礼を」

 深々と頭を下げる3人。それに笑顔は見せず軽く頷くと、アレックスはそれだけで察した様子。罪を償う時間が来たのだと。それが俺との約束である。

「九条、早速だが、僕の覚悟は出来てる。どれだけの苦痛を味わおうと構わない」

「何の話だアレックス!? 私は聞いていないぞ!?」

 動揺を隠せていないのはニールセン公。レナが落ち着いているのは、恐らく死霊術師ネクロマンサーの役目を知っているからだ。
 俺が部屋を出て戻ってくる間の空白の時間。俺とアレックスの魂との間に、何かの密約が交わされたと考えるのが道理だ。死んだ者をよみがえらせるほどの秘術。無償でとはいかないだろうと。

「いいんです。お父様。これは自分に与えられた罰なのです……」

「しかし……」

 これからは手を取り合い生きて行けると希望を見出したところでこれである。ニールセン公は困った表情を浮かべつつもアレックスの顔を見て、口を出せないと言った状況だ。
 多少の緊張もあるのだろう。唾を呑み込み、沙汰を言い渡されるのを待つアレックスの表情は真剣そのもの。
 真っ直ぐ前を見る力強い視線は、本当にあのクソガキだったアレックスなのかと疑うほどの信念。見違えるとはまさにこの事だ。心を入れ替えたというのは嘘ではない様子……。

「アレックス。これからは自分の命を粗末にせず、2人を悲しませたことを詫びながら生き続けろ。それがお前に与える苦痛であり慚愧ざんきだ」

「……えっ!? 拷問とかそういう……」

「そんな趣味はない。お前が本当に自分の間違いを認めたのか試しただけだ」

「九条様。失礼ですがザンキとは……?」

 慚愧ざんき。仏教用語の1つである。一般的には懺悔と同じような意味だ。
 それは過去の過ちを反省し、心に深く恥じることを指す言葉。

『過去に罪を為した人でも、今日より真に懺悔し善を為すならば、次第にその罪は薄らぐ』

「生きることが贖罪となり、その罪は次第に軽くなっていくという意味だ。2人を悲しませた罪は自分で償え。それがお前の生きる意味だ」

 そもそも最初から罰を与える気などなかった。俺に人を裁く権利なぞないのである。
 結局は生き方の問題なのだ。子供と大人の分岐点。これからのアレックスは、1人の大人として人生を歩んで行くだろう。
 俺はそのきっかけを作ったにすぎない。そしてそれを間違えぬよう手助けしただけである。
 今回の事は一生忘れないだろう。お互いが正面から向き合い、本音で話すことが出来たのだから。
 この経験があれば、今後アレックスが道を踏み外すこともあるまい。

「……ありがとうございます!」

 アレックスは再び目に涙を溜めながらも、俺に精一杯頭を下げた。

「礼はいい。シャーリーの弓を返してくれればそれで十分だ」

「そうだ、くじょ……九条さん。フィリップは……?」

「……フィリップは死んだ」

「「えっ!?」」

 信じられない気持ちもわかる。だが、フィリップはシャーリーや俺だけではなく、アレックス達をも裏切ったのだ。それは制裁としては当然であり妥当。

「実はダンジョンの奥には俺の仲間がいたんだ。試験に不測の事態が起こってもすぐ対応できるように。フィリップはそいつを殺そうと奥へと潜った。だから返り討ちにしただけ。お前達が気にする事じゃない。フィリップは最初からそれが目的だったんだ。お前達は利用されたのさ」

「……」

 さすがに魔剣を盗みに来たとは言えないので、それっぽい理由をつけて辻褄を通す。
 死人に口なしである。ついでに、少しビビらせておけば疑いもしないはず。

「冒険者になればこういう事も日常茶飯事。今回はいい教訓になっただろう。お前も冒険者になるなら気を付けるんだな」

「……そのことなんですけど、僕はレナと一緒になって家を継ぐことにしました」

「ぐっ……そ……そうか……。ま……まぁお前の人生だ。好きにするといい」

 めでたい事である。素直に祝福してやりたい気持ちもあるが、自分よりも年下から受ける事実上の結婚報告がこれほどまでに自分にダメージを与えるとは思わず、ありきたりな返答しか出来なかったのが悔やまれる。
 そんな2人に笑顔を向けるニールセン公に少々の苛立ちを覚え、引きつった表情のまま釘を刺した。

「ニールセン公。約束は約束です。忘れてはいませんよね?」

「……もちろんだ。アレックスの恩人であれば、それに報いるだけの働きはしよう」

 にやけた表情から一転、一瞬にして威厳を取り戻したニールセン公の表情からは、信用に値するだけの思いが込められていた。

 ――――――――――

「で? どうなったの?」

 外で俺を待っていたのはネストとバイス。2人には暫くの間、人払いをしてもらっていた。

「アレックスも反省しているようだし、元の鞘に納まったという感じですかね。心を入れ替えたみたいにビックリするほど真人間になってますよ」

「そう。ならよかったわ。九条の評判が広まるにはそれなりに時間が掛かるでしょうけど、概ね作戦通りってことね」

「だな。それで、フィリップは?」

「残念ながら……」

 悲しそうな顔を向けるバイス。だが、わかっていた事だ。それが魔剣に魅せられた者の末路。強力な力が故に奪い合い、争いへと発展する事象は過去幾度となく起こっている。
 ネストの先祖であるバルザックの魔法書も、その内の1つに該当するだろう。
 それがかつての仲間から出てしまった事は非常に残念であるが、それを悔いていても始まらない。

「そうか……。まぁ、俺達はそれにどうこう言うつもりはない。シャーリーがそう判断したならそれが正解なんだろう」

「そうだ、ネストさん。セバスさんにはお礼を言っておいてください」

「ええ。後でギルド経由で通信術を入れてもらうから、その時に事の顛末と一緒に言っておくわ。スタッグギルドに待機してもらっている魔術師のみんなも解散させちゃっても構わないわよね?」

「はい。大丈夫です」

「それにしても、あのアレックスがねぇ……。バカは死ななきゃ治らないとは良く言ったものね」

「ハハハ……確かにそうですね」

 と言っても、アレックスは元から死んではいなかった。気絶している状態から俺が無理矢理魂を引っこ抜いただけである。
 それは死というより、疑似的な仮死状態。そのまま長時間放置すればもちろん死に至るが、自我を残しつつ身体と魂を分離するなんて狙って出来る事ではない。
 知識のない者がそれを死として認識してしまっても仕方がない事。アレックスの性格を短期間で矯正するには、これ以外の方法が思いつかなかったのだ。
 自分でも上手くいってホッとしている……というのが、正直な感想であった。
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