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第26話 中立都市ベルモント
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「出かけるってどこへ?」
「ベルモントだ」
机の上に置いてあった魔法書とメイス。それを腰に掛ける為のベルトと小さなリュックを背負い準備する。
「え? でも、今からだと着くのは夕方位になっちゃうよ?」
「ああ、だから向こうで一泊する。ソフィアさんの許可も取ってある」
「お泊りデート!?」
目をキラキラと輝かせるミアはとても嬉しそうではあるが、それを聞いた俺の手はピタリと止まった。
言いたいことはわからなくもないが、普段から1つ屋根の下で暮らしているのに、お泊りデートと言うのだろうか?
出かけるとは言ったが、半分は仕事のようなものだ。
そんなことを議論する暇があるのなら、少しでも早く出発するべきである。
「まぁ、そんなもんだ。だから早く準備してくれ」
「やったー!」
着替えの途中だったミアは、ぴょんぴょんと部屋の中を跳ねまわる。
一頻りその喜びを全身で表現すると、ウキウキでお泊りの準備を始めた。
少々大袈裟にも見えるが、ミアにとって村を出ることなど年に数回あるかないかのイベントだ。
基本的には、ギルドのお使い以外で村から出ることはない。
村には子供達が遊べるような公園もなく、あるのは無駄に広い空き地か草原だけ。
元の世界では、『村の全てが遊び場だ!』みたいな観光客向けキャッチコピーをちらほら見かける事もあったが、そんなもの子供に通用する訳がないと常々思っていた。
住んでいる村で遊ぶより、遊園地で遊んだほうが何倍も楽しいに決まっている。
隣町までは大人の足でも1日かかる。とてもじゃないが日帰りできる距離ではない。そもそも村人が村から出るということ自体まれなのだ。
主な収入源は農作物や畜産物。たまに来る商人に売ることもあるが、基本は村での地産地消。
穫れすぎてしまった場合のみ、荷車を引いて売りに行くことがあるくらい。
「なんで急にベルモントに行くことにしたの?」
「1つは買い物。もう1つはちょっとした仕事かな?」
「仕事?」
「ああ。ベルモントのギルドに帰還水晶を取りに行ってくれと言われてな。それはミアに頼みたいんだが……」
「うん。大丈夫だよ。それより何買いに行くの?」
「魔法書だ」
現代版死霊術の魔法書が本来の目的である。
恐らく俺が読んだ魔法書は古すぎたのだ。故にダウジングやら占いやらに関する魔法が載っていなかった。
ならば、今現在流通している魔法書を買えばいいと考えたのである。
ミアから魔法書店がベルモントの街にあるとは聞いていたので、いい機会だし足を延ばすのも悪くないと思ったのだ。
ワンチャン、俺のケツが割れないようにする魔法もあれば、尚いい。
幸いにも、炭鉱探索の出発は3日後だ。1泊2日なら十分間に合う。
その為にソフィアから休みを貰ったのだが、どうせ行くならベルモントのギルドで帰還水晶を分けてもらってくれと頼まれたのだ。
「あ……」
「ん? どうした、ミア?」
「ううん、なんでもない」
何か気になる事でもあるのだろうか? ぎこちない笑顔は、何かを誤魔化しているかのようにも見える。
「そうだ! カガリはどーするの? ベルモントの街には入れないと思うけど……」
小型動物ならいざ知らず、危険だと判断される大型の獣は街に入ることは出来ない。カガリは十分にそれに該当する。
「ああ。カガリにはちょっとやってもらいたい事があるんだ、まぁ道すがら話すよ」
背中に朝日を背負い、一路ベルモントを目指して歩き出した。
俺は徒歩、ミアはカガリの上だ。馬を借りるという選択肢もあったのだが、あえて徒歩を選んだ。
お金がないという訳ではない。久しぶりにミアとゆっくり話をしたかったという理由もあるにはあるのだが、別の理由もあった。
それを遠くから見ていた女性が1人。ネストは俺達を見失うまいと尾行を始めたのだ。
――しかし、それは想定の範囲内だった。
――――――――――
日が暮れるギリギリ。予定より少々遅くはなったものの、ベルモントへと辿り着いた。
やはり街というだけあって、コット村とは規模が違う。
街の周りを囲っている壁はブロックを綺麗に積んだもので、街というより砦のようにも見える。
出入口の前に佇むのは2人の警備兵。ギルドの仕事で来た冒険者だということを伝えると、ギルドプレートをチラリと確認した後、入場を許可された。
門を潜ると街並みも村とは比べ物にならないほど近代的。
コット村では建物ほぼすべてが木造なのに対し、こちらは石やブロックなど頑丈な建材が使われている建物が多く、色々な文化が入り混じっていることがわかる。
町の人達も多種多様で、なかには獣人のような種族も見受けられた。
「ミア、凄いぞ! 見てみろ! 猫耳だ!」
人間とドワーフ以外の種族を見たことがなかった俺は、少々興奮気味にきょろきょろとあたりを眺めながら街を歩いていた。
そんな俺を呆れたように見ていたミアは溜息を1つ。
「……おにーちゃん、田舎者みたいだよ?」
「すまん……」
確かにちょっと大人げなかったとは思うが、田舎者なのは間違いない。
「ベルモントは中立都市だから、色んな種族が分け隔てなく暮らしてるよ。1番多いのは人族だけど、獣人とかエルフなんかもいるね」
「魔族はいないのか?」
俺の質問にミアはピタリと足を止めた。
見上げたその表情は何処となく悲しみを覚え、俺の手を強く握り返す。
それは過去に起こった魔族との争いの歴史が証明してる。それが人間社会での常識であり、魔族は明確な敵だと位置づけられているのだから。
「おにーちゃん本当に記憶戻ってないんだね……。魔族は人を食べちゃうんだよ?」
もう少し考えてから質問するべきだった……。相手がミアだからと感覚が麻痺していたのかもしれない。
実際に魔族が人を殺める場面でも見れば違うのだろうが、先入観でしかそれを想像できないのだ。
俺にとっての魔族と言えば108番が関の山。元魔族らしい彼女は角を有し、尻尾のような物も生えていた。
とは言え、人間と違う所はそれだけだ。言葉が通じなければ恐怖の1つも覚えるのだろうが、俺から見れば獣人となんら変わらないのである。
いや、この話題を引っ張るのはよそう。俺の所為で空気が重くなってしまった。
俯き悲しむミアが見たいわけじゃないのだ。
「そ……そうだったな。……ひとまず今日の宿を探そう。オススメはあるか? あまり高くないところがいいんだが……」
「んー……。冒険者割引の効く宿屋ならあるよ?」
「じゃぁそこにするか。2部屋借りるとするといくらだ?」
「部屋を2つ借りるより、2人部屋を1つ借りた方が安いよ?」
「じゃぁ、2人部屋だな」
宿の手続きを終え、手頃な食堂で食事を済ませると、食後の運動もかねてミアに街を案内してもらうことに。
最初に案内されたのはギルドのベルモント支部だ。
帰還水晶の受け取りは明日になっているはずなので、今は外から建物を見学しているだけである。
「流石に街のギルドはデカイな……。コット村の3倍はあるんじゃないか?」
冒険者達が出入りする扉の奥から、時折漏れ出る内部の灯りが賑わいを見せていた。
第1印象は、入り辛そう……である。初めて訪れる場所はどこでもそう感じてしまう。
すでに閉店していたが、魔法書店にも案内してもらった。
これで明日はミアがギルドに行っている間に、俺は1人でここに来ればいいわけだ。
さすがに足が棒である。ミアは途中までカガリに乗っていたが、それでも疲労はしているはず。
街の中では俺の方がはしゃいでいたが、街に着くまではミアの方がはしゃいでいた。
気になるのは、ネストがコソコソとついて来ていることなのだが、まぁ向こうから手出ししてくることは無いだろう。
眠そうに目を擦るミアを抱き抱えると俺達はプチ観光を切り上げて、宿でゆっくりと身体を休めた。
次の日、ミアは朝一でギルドへと出かけた。帰還水晶の受け取りとは別に、何かやることがあるらしい。
ギルドに挨拶に行った方がいいかと聞いたのだが、特にそういうのは必要ないとのこと。
昼までには帰還水晶も受け取れるだろうとの事なので、待ち合わせ場所を決め、俺は魔法書店へと足を運んだ。
昨日は暗くてあまりわからなかったが、とても怪しい雰囲気の店構えだ。
この店だけが木造で、時代に取り残された建築物といった印象。
良く言えば味のある佇まい。悪く言えば手入れのしてないログハウス。
他の店と違って看板のようなものも出ておらず、本当に魔法書店なのかと疑うくらいである。
とは言え、躊躇していても始まらない。ミアを信じ、勇気を出して扉を開ける。
「ごめんください」
扉についていた小さな鐘が軽快な音を響かせるも、返事はなし。
恐る恐る中に入ると、そこは本屋という感じではなく、どちらかというと質屋といった雰囲気だ。
1畳ほどのスペースにカウンターが設けてあり、それ以上奥には進めない。
ミアからは、ご年配の女性が1人で切り盛りしていると聞いていたのだが……。
「ごめんください。どなたかいらっしゃいませんか?」
物音1つしないシンと静まり返った店内は、小さな外の喧騒をも聞き取れてしまうほどである。
しばらくすると、奥の方からしわがれた声が聞こえてきた。
「なんじゃ。うるさいのう……」
奥から出て来たのは、腰の曲がった老婆だ。
暗くて判りづらいが、紫色のローブを身に纏い、裾をずるずると引きずっている。
いかにも足が悪そうに杖をつき、ゆっくりとこちらに向かって来ると、老婆は面倒くさそうに口を開いた。
「用件はなんじゃ?」
「えっと、魔法書を買いに来たのですが……」
「なんの?」
「死霊術なんですけど……」
「金貨200枚」
「……は?」
「金貨200枚じゃ。まけることは一切せん」
「えーっと、もうちょっと安いやつとかないですかね」
「ない。死霊術は1冊しか扱っとらん」
ぼったくりかとも思ったが、相場を知らない俺には判断が出来ない。
現在の所持金は金貨18枚。村の復興資金として寄付したお金の余剰分が返ってきたものが、今の全財産だ。
最近はお金の価値も大分掴めてきた。
金貨1枚が日本円で言う1万円位だ。銀貨は100枚で金貨1枚になるので、100円程度ということ。
だとすれば、魔法書は新車の軽自動車が1台変えてしまう額である。これがぼったくりでなければ、正直言って高すぎる。
「ちょっと見せてもらったりとか出来ませんかね?」
「おぬし適性は?」
「死霊術ですけど……」
「バカか? 死霊術師に死霊術の魔法書を見せたら、魔法だけ覚えて本は必要なくなるだろうが!」
「あ……」
確かにそうだ。1度理解してしまえば、その人にとってはもう不要。
俺のように持ち歩く理由がなければ、魔法書の価値はないと言っていい。
元の世界の本屋のようなイメージをしていたのだが、それでは立ち読みで魔法は覚え放題になってしまう。
ようやく店の作りにも合点がいった。
「今の全財産が金貨18枚なんですけど、死霊術の……それもダウジングに関する部分だけでも読ませてもらう事って出来ないですかね?」
「無理に決まっとるじゃろ」
全部が無理ならバラ売りはどうかと思ったのだが、諦めるしかなさそうだ。
「わかりました。また出直してきます」
残念だが、魔法書の価値が知れただけでも収穫だったと見るべきか。
肩を落とし、店を出ようと扉に手をかけたその時、老婆の焦りにも似た声に振り返る。
「ちょっと待て、お主! その腰に下げている魔法書。それとなら交換してやってもええぞ?」
ニヤリと怪しげな笑みを浮かべる老婆。俺が腰に下げている魔法書はダンジョンにあった2000年前の物である。
これにはアンデッドの召喚に使う触媒として、骨や魂が詰まっているのだ。言わば死霊術師の生命線。
108番は俺の物にしていいと言っていたが、俺は借り物という認識で使っている。人に譲るわけにはいかない。
「すいません。それはちょっと無理というか……」
「そうじゃろ、そうじゃろ。ワシがそれの所有者だったらそれじゃ不服じゃからな。じゃぁ金貨2000枚でどうじゃ!?」
「……え?」
金貨200枚の魔法書と交換と言っていたのに、急にその10倍出すと言ってきた。
この老婆は、中身がわかっているのだろうか?
俺の持っている魔法書は、呪われていてもおかしくないほどには見た目が邪悪だ。
その所為もあってミアには恐れられてしまい、それからは革で出来たブックカバーで覆っている。なので、外身からは見分けがつかないはずなのだが……。
とは言え、いくら金を積まれようとも売る気はない。
老婆はカウンターに半身を乗り出すと、薄気味悪い笑みを浮かべ俺の魔法書をジッと見つめていた。
血走る瞳は、完全に獲物を狙っている者の目だ……。
「じゃぁ、5000枚でどうじゃ!?」
「すいません。お金では売れませんので……」
「じゃぁ体か! 体が目当てなのか!?」
食い下がる気持ちもわかるが、そこまでされると嫌悪感を覚える。
話しが通じないなら無理に付き合ってやる必要はない。さっさとこの状況から離脱してしまおうと決意した。
「すいません。失礼します……」
無理矢理店を出ると、ミアとの合流地点である噴水広場を目指し歩き出す。
正直に言ってあの老婆の変わりようには驚いた。恐怖すら覚えるほどである。
それは夢にも出てきそうな勢いで、俺から言わせてもらえば魔族なんかよりも全然怖い。
上がった心拍数は、そう簡単には下がらない。深呼吸で気持ちを落ち着けていると、後方から聞こえた大きな衝撃音に振り返る。
視界に入って来たのは、外れかかっている魔法書店の扉に立ち込める土煙。
その中からぬるりと出て来たのは、先程の老婆である。
「逃がさんぞ小僧……」
「――ッ!?」
俺の本能が逃げろと叫び、踵を返すと全力で走った。
体が軽い。いける。相手は所詮老婆だ。少し引き離せば諦めるだろう。
「【狼の魂(脚力)】、【豹の魂(持久力)】」
「――ッ!?」
老婆が何かの魔法を使うとその姿とは裏腹に、まるで陸上選手のような速さで追いかけてくる。
「ウヒャヒャヒャヒャ……!」
「ひぃぃぃぃ!」
全速力で走っているにもかかわらず、引き離せない。異常なまでの執念は、とにかく恐ろしいの一言に尽きる。
捕まれば何をされるかわからない。その一心で、ミアとの待ち合わせ場所まで必死に走った。
暫く走り続けると、待ち合わせ場所の噴水にちょこんと座っているミアが見えた。
「ミアぁぁぁぁ!」
ミアが俺に気が付くと、その場に立ち上がり笑顔で手を振る。
「あっ、おにーちゃ……。おわぁ!?」
すり抜けざまにミアを抱き抱え、勢いを殺さず再加速。
「ちょ……ちょっと、おにーちゃん?」
「すまん、ミア! 話は後だ!」
説明する時間も惜しい。こういう時はどうすればいいのか?
警察はいない。となると警備兵の詰め所? それが何処かわかれば苦労はしない。
とにかく、あの老婆を撒かなければ。
俺に抱えられながらも、ミアは追いかけてくる老婆に気が付いた。
「あれ? もしかして魔法書店のおばぁちゃん?」
「おや、ミアちゃんだったか……。久しぶりだね」
老婆は走りながらも平然と会話していて、まるで疲れを見せていない。
「ミア、知り合いか?」
「うん、魔法書店のおばぁちゃんでしょ? 獣術の使い手だよ。なんでおいかけっこしてるの?」
「こっちが聞きたいよ!」
ミアを担いでいる所為か、老婆との距離は徐々に詰まっていく。
それを勝機と見たのか老婆はニタリと不敵な笑みを浮かべ、ダメ押しとばかりに叫び声を上げた。
「人攫いじゃぁぁぁぁぁぁ!!」
「ババァ! てめぇぇぇぇ!!」
道行く人々が俺を見ている。
いい年したおっさんが、子供を小脇に抱えて全力ダッシュしているのだ。
確かにこの状況を何も知らない第3者が見れば、誘拐にも見えるだろう。
「ミア! 鈍化の魔法があっただろ! あれをババァに撃て!」
「えっ……でも……」
「訳は後で話す! このまま捕まったら俺はミアと一緒にいられなくなるかもしれない!」
人攫いで捕まれば、最悪そうなる可能性もある。
ミアは迷う素振りを見せず、ぶらぶらと激しく揺れているプレートを握り締めると、右手をババァに向けた。
「【鈍化術】!」
途端に走る速度がガクンと落ち込むババァ。
「――ッ!?」
「ごめんなさい。おばぁちゃん……」
「くっ! 金貨1万! 1万出す! ……1万2千……わかっ………1万ご…………にま………………」
ババァの声がどんどん遠ざかる。「ホントにそんなに金持ってんのかよ!」と、ツッコミたい気持ちをなんとか抑えて、振り返らずにひた走り、俺達はそのまま街を出た。
――――――――――
ミアがこっそりと考えていた計画は失敗に終わってしまった。
帰還水晶を受け取った後、担当の冒険者がプレートを紛失したということにして、ミアはこっそりギルドに適性鑑定の再検査を依頼していたのだ。
村ではソフィアの許可が必要。このチャンスを逃す手はなかった。それに加え、九条が魔法書を買えないのは読めていた。
しかし、お出かけが中止になっては元も子もないので、ミアは九条に相場を教えなかったのだ。
(傷心のおにーちゃんを優しく癒してあげれば、私にメロメロになるに違いない! 再検査も出来て一石二鳥……)
そう考えていたのだが、結果はコレだ。非常に残念ではあるが、仕方ない。
ミアは小脇に抱えられながらも街道を爆走する九条を見上げ、溜息をついた。
(どうせなら、お姫様だっこの方がよかったなぁ……)
「ベルモントだ」
机の上に置いてあった魔法書とメイス。それを腰に掛ける為のベルトと小さなリュックを背負い準備する。
「え? でも、今からだと着くのは夕方位になっちゃうよ?」
「ああ、だから向こうで一泊する。ソフィアさんの許可も取ってある」
「お泊りデート!?」
目をキラキラと輝かせるミアはとても嬉しそうではあるが、それを聞いた俺の手はピタリと止まった。
言いたいことはわからなくもないが、普段から1つ屋根の下で暮らしているのに、お泊りデートと言うのだろうか?
出かけるとは言ったが、半分は仕事のようなものだ。
そんなことを議論する暇があるのなら、少しでも早く出発するべきである。
「まぁ、そんなもんだ。だから早く準備してくれ」
「やったー!」
着替えの途中だったミアは、ぴょんぴょんと部屋の中を跳ねまわる。
一頻りその喜びを全身で表現すると、ウキウキでお泊りの準備を始めた。
少々大袈裟にも見えるが、ミアにとって村を出ることなど年に数回あるかないかのイベントだ。
基本的には、ギルドのお使い以外で村から出ることはない。
村には子供達が遊べるような公園もなく、あるのは無駄に広い空き地か草原だけ。
元の世界では、『村の全てが遊び場だ!』みたいな観光客向けキャッチコピーをちらほら見かける事もあったが、そんなもの子供に通用する訳がないと常々思っていた。
住んでいる村で遊ぶより、遊園地で遊んだほうが何倍も楽しいに決まっている。
隣町までは大人の足でも1日かかる。とてもじゃないが日帰りできる距離ではない。そもそも村人が村から出るということ自体まれなのだ。
主な収入源は農作物や畜産物。たまに来る商人に売ることもあるが、基本は村での地産地消。
穫れすぎてしまった場合のみ、荷車を引いて売りに行くことがあるくらい。
「なんで急にベルモントに行くことにしたの?」
「1つは買い物。もう1つはちょっとした仕事かな?」
「仕事?」
「ああ。ベルモントのギルドに帰還水晶を取りに行ってくれと言われてな。それはミアに頼みたいんだが……」
「うん。大丈夫だよ。それより何買いに行くの?」
「魔法書だ」
現代版死霊術の魔法書が本来の目的である。
恐らく俺が読んだ魔法書は古すぎたのだ。故にダウジングやら占いやらに関する魔法が載っていなかった。
ならば、今現在流通している魔法書を買えばいいと考えたのである。
ミアから魔法書店がベルモントの街にあるとは聞いていたので、いい機会だし足を延ばすのも悪くないと思ったのだ。
ワンチャン、俺のケツが割れないようにする魔法もあれば、尚いい。
幸いにも、炭鉱探索の出発は3日後だ。1泊2日なら十分間に合う。
その為にソフィアから休みを貰ったのだが、どうせ行くならベルモントのギルドで帰還水晶を分けてもらってくれと頼まれたのだ。
「あ……」
「ん? どうした、ミア?」
「ううん、なんでもない」
何か気になる事でもあるのだろうか? ぎこちない笑顔は、何かを誤魔化しているかのようにも見える。
「そうだ! カガリはどーするの? ベルモントの街には入れないと思うけど……」
小型動物ならいざ知らず、危険だと判断される大型の獣は街に入ることは出来ない。カガリは十分にそれに該当する。
「ああ。カガリにはちょっとやってもらいたい事があるんだ、まぁ道すがら話すよ」
背中に朝日を背負い、一路ベルモントを目指して歩き出した。
俺は徒歩、ミアはカガリの上だ。馬を借りるという選択肢もあったのだが、あえて徒歩を選んだ。
お金がないという訳ではない。久しぶりにミアとゆっくり話をしたかったという理由もあるにはあるのだが、別の理由もあった。
それを遠くから見ていた女性が1人。ネストは俺達を見失うまいと尾行を始めたのだ。
――しかし、それは想定の範囲内だった。
――――――――――
日が暮れるギリギリ。予定より少々遅くはなったものの、ベルモントへと辿り着いた。
やはり街というだけあって、コット村とは規模が違う。
街の周りを囲っている壁はブロックを綺麗に積んだもので、街というより砦のようにも見える。
出入口の前に佇むのは2人の警備兵。ギルドの仕事で来た冒険者だということを伝えると、ギルドプレートをチラリと確認した後、入場を許可された。
門を潜ると街並みも村とは比べ物にならないほど近代的。
コット村では建物ほぼすべてが木造なのに対し、こちらは石やブロックなど頑丈な建材が使われている建物が多く、色々な文化が入り混じっていることがわかる。
町の人達も多種多様で、なかには獣人のような種族も見受けられた。
「ミア、凄いぞ! 見てみろ! 猫耳だ!」
人間とドワーフ以外の種族を見たことがなかった俺は、少々興奮気味にきょろきょろとあたりを眺めながら街を歩いていた。
そんな俺を呆れたように見ていたミアは溜息を1つ。
「……おにーちゃん、田舎者みたいだよ?」
「すまん……」
確かにちょっと大人げなかったとは思うが、田舎者なのは間違いない。
「ベルモントは中立都市だから、色んな種族が分け隔てなく暮らしてるよ。1番多いのは人族だけど、獣人とかエルフなんかもいるね」
「魔族はいないのか?」
俺の質問にミアはピタリと足を止めた。
見上げたその表情は何処となく悲しみを覚え、俺の手を強く握り返す。
それは過去に起こった魔族との争いの歴史が証明してる。それが人間社会での常識であり、魔族は明確な敵だと位置づけられているのだから。
「おにーちゃん本当に記憶戻ってないんだね……。魔族は人を食べちゃうんだよ?」
もう少し考えてから質問するべきだった……。相手がミアだからと感覚が麻痺していたのかもしれない。
実際に魔族が人を殺める場面でも見れば違うのだろうが、先入観でしかそれを想像できないのだ。
俺にとっての魔族と言えば108番が関の山。元魔族らしい彼女は角を有し、尻尾のような物も生えていた。
とは言え、人間と違う所はそれだけだ。言葉が通じなければ恐怖の1つも覚えるのだろうが、俺から見れば獣人となんら変わらないのである。
いや、この話題を引っ張るのはよそう。俺の所為で空気が重くなってしまった。
俯き悲しむミアが見たいわけじゃないのだ。
「そ……そうだったな。……ひとまず今日の宿を探そう。オススメはあるか? あまり高くないところがいいんだが……」
「んー……。冒険者割引の効く宿屋ならあるよ?」
「じゃぁそこにするか。2部屋借りるとするといくらだ?」
「部屋を2つ借りるより、2人部屋を1つ借りた方が安いよ?」
「じゃぁ、2人部屋だな」
宿の手続きを終え、手頃な食堂で食事を済ませると、食後の運動もかねてミアに街を案内してもらうことに。
最初に案内されたのはギルドのベルモント支部だ。
帰還水晶の受け取りは明日になっているはずなので、今は外から建物を見学しているだけである。
「流石に街のギルドはデカイな……。コット村の3倍はあるんじゃないか?」
冒険者達が出入りする扉の奥から、時折漏れ出る内部の灯りが賑わいを見せていた。
第1印象は、入り辛そう……である。初めて訪れる場所はどこでもそう感じてしまう。
すでに閉店していたが、魔法書店にも案内してもらった。
これで明日はミアがギルドに行っている間に、俺は1人でここに来ればいいわけだ。
さすがに足が棒である。ミアは途中までカガリに乗っていたが、それでも疲労はしているはず。
街の中では俺の方がはしゃいでいたが、街に着くまではミアの方がはしゃいでいた。
気になるのは、ネストがコソコソとついて来ていることなのだが、まぁ向こうから手出ししてくることは無いだろう。
眠そうに目を擦るミアを抱き抱えると俺達はプチ観光を切り上げて、宿でゆっくりと身体を休めた。
次の日、ミアは朝一でギルドへと出かけた。帰還水晶の受け取りとは別に、何かやることがあるらしい。
ギルドに挨拶に行った方がいいかと聞いたのだが、特にそういうのは必要ないとのこと。
昼までには帰還水晶も受け取れるだろうとの事なので、待ち合わせ場所を決め、俺は魔法書店へと足を運んだ。
昨日は暗くてあまりわからなかったが、とても怪しい雰囲気の店構えだ。
この店だけが木造で、時代に取り残された建築物といった印象。
良く言えば味のある佇まい。悪く言えば手入れのしてないログハウス。
他の店と違って看板のようなものも出ておらず、本当に魔法書店なのかと疑うくらいである。
とは言え、躊躇していても始まらない。ミアを信じ、勇気を出して扉を開ける。
「ごめんください」
扉についていた小さな鐘が軽快な音を響かせるも、返事はなし。
恐る恐る中に入ると、そこは本屋という感じではなく、どちらかというと質屋といった雰囲気だ。
1畳ほどのスペースにカウンターが設けてあり、それ以上奥には進めない。
ミアからは、ご年配の女性が1人で切り盛りしていると聞いていたのだが……。
「ごめんください。どなたかいらっしゃいませんか?」
物音1つしないシンと静まり返った店内は、小さな外の喧騒をも聞き取れてしまうほどである。
しばらくすると、奥の方からしわがれた声が聞こえてきた。
「なんじゃ。うるさいのう……」
奥から出て来たのは、腰の曲がった老婆だ。
暗くて判りづらいが、紫色のローブを身に纏い、裾をずるずると引きずっている。
いかにも足が悪そうに杖をつき、ゆっくりとこちらに向かって来ると、老婆は面倒くさそうに口を開いた。
「用件はなんじゃ?」
「えっと、魔法書を買いに来たのですが……」
「なんの?」
「死霊術なんですけど……」
「金貨200枚」
「……は?」
「金貨200枚じゃ。まけることは一切せん」
「えーっと、もうちょっと安いやつとかないですかね」
「ない。死霊術は1冊しか扱っとらん」
ぼったくりかとも思ったが、相場を知らない俺には判断が出来ない。
現在の所持金は金貨18枚。村の復興資金として寄付したお金の余剰分が返ってきたものが、今の全財産だ。
最近はお金の価値も大分掴めてきた。
金貨1枚が日本円で言う1万円位だ。銀貨は100枚で金貨1枚になるので、100円程度ということ。
だとすれば、魔法書は新車の軽自動車が1台変えてしまう額である。これがぼったくりでなければ、正直言って高すぎる。
「ちょっと見せてもらったりとか出来ませんかね?」
「おぬし適性は?」
「死霊術ですけど……」
「バカか? 死霊術師に死霊術の魔法書を見せたら、魔法だけ覚えて本は必要なくなるだろうが!」
「あ……」
確かにそうだ。1度理解してしまえば、その人にとってはもう不要。
俺のように持ち歩く理由がなければ、魔法書の価値はないと言っていい。
元の世界の本屋のようなイメージをしていたのだが、それでは立ち読みで魔法は覚え放題になってしまう。
ようやく店の作りにも合点がいった。
「今の全財産が金貨18枚なんですけど、死霊術の……それもダウジングに関する部分だけでも読ませてもらう事って出来ないですかね?」
「無理に決まっとるじゃろ」
全部が無理ならバラ売りはどうかと思ったのだが、諦めるしかなさそうだ。
「わかりました。また出直してきます」
残念だが、魔法書の価値が知れただけでも収穫だったと見るべきか。
肩を落とし、店を出ようと扉に手をかけたその時、老婆の焦りにも似た声に振り返る。
「ちょっと待て、お主! その腰に下げている魔法書。それとなら交換してやってもええぞ?」
ニヤリと怪しげな笑みを浮かべる老婆。俺が腰に下げている魔法書はダンジョンにあった2000年前の物である。
これにはアンデッドの召喚に使う触媒として、骨や魂が詰まっているのだ。言わば死霊術師の生命線。
108番は俺の物にしていいと言っていたが、俺は借り物という認識で使っている。人に譲るわけにはいかない。
「すいません。それはちょっと無理というか……」
「そうじゃろ、そうじゃろ。ワシがそれの所有者だったらそれじゃ不服じゃからな。じゃぁ金貨2000枚でどうじゃ!?」
「……え?」
金貨200枚の魔法書と交換と言っていたのに、急にその10倍出すと言ってきた。
この老婆は、中身がわかっているのだろうか?
俺の持っている魔法書は、呪われていてもおかしくないほどには見た目が邪悪だ。
その所為もあってミアには恐れられてしまい、それからは革で出来たブックカバーで覆っている。なので、外身からは見分けがつかないはずなのだが……。
とは言え、いくら金を積まれようとも売る気はない。
老婆はカウンターに半身を乗り出すと、薄気味悪い笑みを浮かべ俺の魔法書をジッと見つめていた。
血走る瞳は、完全に獲物を狙っている者の目だ……。
「じゃぁ、5000枚でどうじゃ!?」
「すいません。お金では売れませんので……」
「じゃぁ体か! 体が目当てなのか!?」
食い下がる気持ちもわかるが、そこまでされると嫌悪感を覚える。
話しが通じないなら無理に付き合ってやる必要はない。さっさとこの状況から離脱してしまおうと決意した。
「すいません。失礼します……」
無理矢理店を出ると、ミアとの合流地点である噴水広場を目指し歩き出す。
正直に言ってあの老婆の変わりようには驚いた。恐怖すら覚えるほどである。
それは夢にも出てきそうな勢いで、俺から言わせてもらえば魔族なんかよりも全然怖い。
上がった心拍数は、そう簡単には下がらない。深呼吸で気持ちを落ち着けていると、後方から聞こえた大きな衝撃音に振り返る。
視界に入って来たのは、外れかかっている魔法書店の扉に立ち込める土煙。
その中からぬるりと出て来たのは、先程の老婆である。
「逃がさんぞ小僧……」
「――ッ!?」
俺の本能が逃げろと叫び、踵を返すと全力で走った。
体が軽い。いける。相手は所詮老婆だ。少し引き離せば諦めるだろう。
「【狼の魂(脚力)】、【豹の魂(持久力)】」
「――ッ!?」
老婆が何かの魔法を使うとその姿とは裏腹に、まるで陸上選手のような速さで追いかけてくる。
「ウヒャヒャヒャヒャ……!」
「ひぃぃぃぃ!」
全速力で走っているにもかかわらず、引き離せない。異常なまでの執念は、とにかく恐ろしいの一言に尽きる。
捕まれば何をされるかわからない。その一心で、ミアとの待ち合わせ場所まで必死に走った。
暫く走り続けると、待ち合わせ場所の噴水にちょこんと座っているミアが見えた。
「ミアぁぁぁぁ!」
ミアが俺に気が付くと、その場に立ち上がり笑顔で手を振る。
「あっ、おにーちゃ……。おわぁ!?」
すり抜けざまにミアを抱き抱え、勢いを殺さず再加速。
「ちょ……ちょっと、おにーちゃん?」
「すまん、ミア! 話は後だ!」
説明する時間も惜しい。こういう時はどうすればいいのか?
警察はいない。となると警備兵の詰め所? それが何処かわかれば苦労はしない。
とにかく、あの老婆を撒かなければ。
俺に抱えられながらも、ミアは追いかけてくる老婆に気が付いた。
「あれ? もしかして魔法書店のおばぁちゃん?」
「おや、ミアちゃんだったか……。久しぶりだね」
老婆は走りながらも平然と会話していて、まるで疲れを見せていない。
「ミア、知り合いか?」
「うん、魔法書店のおばぁちゃんでしょ? 獣術の使い手だよ。なんでおいかけっこしてるの?」
「こっちが聞きたいよ!」
ミアを担いでいる所為か、老婆との距離は徐々に詰まっていく。
それを勝機と見たのか老婆はニタリと不敵な笑みを浮かべ、ダメ押しとばかりに叫び声を上げた。
「人攫いじゃぁぁぁぁぁぁ!!」
「ババァ! てめぇぇぇぇ!!」
道行く人々が俺を見ている。
いい年したおっさんが、子供を小脇に抱えて全力ダッシュしているのだ。
確かにこの状況を何も知らない第3者が見れば、誘拐にも見えるだろう。
「ミア! 鈍化の魔法があっただろ! あれをババァに撃て!」
「えっ……でも……」
「訳は後で話す! このまま捕まったら俺はミアと一緒にいられなくなるかもしれない!」
人攫いで捕まれば、最悪そうなる可能性もある。
ミアは迷う素振りを見せず、ぶらぶらと激しく揺れているプレートを握り締めると、右手をババァに向けた。
「【鈍化術】!」
途端に走る速度がガクンと落ち込むババァ。
「――ッ!?」
「ごめんなさい。おばぁちゃん……」
「くっ! 金貨1万! 1万出す! ……1万2千……わかっ………1万ご…………にま………………」
ババァの声がどんどん遠ざかる。「ホントにそんなに金持ってんのかよ!」と、ツッコミたい気持ちをなんとか抑えて、振り返らずにひた走り、俺達はそのまま街を出た。
――――――――――
ミアがこっそりと考えていた計画は失敗に終わってしまった。
帰還水晶を受け取った後、担当の冒険者がプレートを紛失したということにして、ミアはこっそりギルドに適性鑑定の再検査を依頼していたのだ。
村ではソフィアの許可が必要。このチャンスを逃す手はなかった。それに加え、九条が魔法書を買えないのは読めていた。
しかし、お出かけが中止になっては元も子もないので、ミアは九条に相場を教えなかったのだ。
(傷心のおにーちゃんを優しく癒してあげれば、私にメロメロになるに違いない! 再検査も出来て一石二鳥……)
そう考えていたのだが、結果はコレだ。非常に残念ではあるが、仕方ない。
ミアは小脇に抱えられながらも街道を爆走する九条を見上げ、溜息をついた。
(どうせなら、お姫様だっこの方がよかったなぁ……)
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