生臭坊主の異世界転生 死霊術師はスローライフを送れない

しめさば

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第10話 カガリ

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「お迎えに上がりました、破壊神様……」

 耳元で囁かれるねっとりとした甘い声に、ほんの少しだけ目を覚ます。
 恐らくは若い女性のようだが、聞き覚えのない声だ。
 なんなんだ、こんな時間に……。
 時刻は午前2時頃だろう。瞼は重く、意識もはっきりしていない。
 体を起こすのも億劫で、寝返りのついでとばかりに返事を返す。

「んーまだ眠いから起きたらにしてくれ……」

「……かしこまりました……」

 俺はそのまま2度寝した。


 朝を迎え目が覚めると、ぼんやりとした視界の中、誰かに話しかけられたのを思い出しガバっと体を起こす。
 辺りを見渡しても誰もいない。
 横で寝ていたミアは、今の衝撃で起きてしまったようだ。

「ふぁ~ぁ……。おにーちゃんおはよう。どうしたの? 今日休みだから、まだ寝てても大丈夫だよ?」

 欠伸をしながら、眠たそうな目を擦る。

「ミア、昨日寝てる時に誰か来なかったか?」

「んー、寝てたからわかんない」

 そりゃそうだ。何かあれば俺を起こすだろう。あれは夢だったのだろうか……。
 ……まぁいいか。休みとは言え、この時間から寝るのは流石に無理だろう。

「朝食を取ったら買い物に行くが、ミアはどうする?」

「いくー」

「そうか、じゃぁ着替えて飯にしよう」

 食堂で朝食をとっていると、カイルとブルータスが依頼を受けにギルドへと顔を出していた。
 相変わらず、ブルータスは無愛想だ。村人達が親切すぎるもんだから、余計にそう感じてしまうのかもしれない。
 食事をしながらミアに靴屋があるか聞いてみたのだが、ミア曰く村人が履いてるようなやわらかい素材の靴より、冒険者なら防具屋で丈夫な靴を買った方がいいとの事だったので、防具屋へ行くことに。
 一般の冒険者が依頼を受けると、そのまま食堂で朝食を取る人が多い為、俺達は慌ただしくなる前に食堂を後にした。

 陽の光を浴びながら防具屋へ向かうと、威勢のいい声を張り上げ俺達を出迎える防具屋のせがれ。

「へいらっしゃい!」

「お邪魔するよ」

「あぁ、破壊神の……」

「俺をその名で呼ばないでくれ……」

 呆れたように睨みつけると、防具屋のせがれは乾いた笑顔を浮かべる。

「すいやせん……。で、今日はどんな御用ですか? 甲冑ですか?」

「いや、靴を探してるんだが……」

「靴ですか。具足類でしたらそちらですね。甲冑ならこちらです」

 甲冑推しが凄い……。そもそもそんな高そうな物、買えるわけがないだろう。

「ありがとう。あとは自分で探すよ」

 目移りしそうなほどの豊富な品揃え。
 単純に何かの革で出来ている物や、それに金属の板を張り付けてある物。チェーン素材の物に、金属製のプレートブーツ。その中から所持金で買える物となると……。
 革で出来ているブーツが金貨1枚。それの前面に薄い金属プレートを張り付けてあるのが金貨2枚だ。
 それ以上は手が届かない。

「ミア、どっちがいいと思う?」

「プレートの方! 冒険者は歩くのが基本だから足元は妥協しちゃダメ!」

 もっともである。試しに片足だけ履いてみて、その感触を確かめる。

「うん。多少重いが、許容範囲だ」

 足首のベルトはほどよい締め付けで、重い割には動きやすい。
 予算的にこれを買ってしまうと服は買えなくなるが、まぁまたすぐ貯まるだろう。もう借金もないのだ!

「コレにするよ」

「毎度あり! ご一緒に甲冑はいかがですか?」

「いらんわ……」

 まるでポテトでも勧めるかのように、軽いノリで甲冑を買わせようとするな。
 お役御免となってしまった病院のスリッパは、一応保管しておこうと思う。
 本当は屋内用にもかかわらず、この数日野外で俺の足を守ってくれたのだ。愛着も湧くというもの。
 まずは新しい靴に慣れる為にも少し歩いておこうと思い、ミアを連れて炭鉱跡を見に行くことにした。
 街道をお散歩気分でゆっくりと歩みを進める。ミアも鼻歌まじりで楽しそうだ。

「おにーちゃん……。まだ血だまりあるね」

「見なかったことにしなさい……」

 昨日ウルフに囲まれ襲われた所。また襲われてもいいようにと、多少なりとも警戒はしている。
 その甲斐あってか、ガサガサと森の奥から近づいて来る何かの気配にはすぐに気が付いた。
 俺はミアを後ろに下がらせ、武器を構えて息を呑む。
 しかし、森の中から出てきたのはウルフではなく1匹のキツネ。
 その口には、リンゴが咥えられていた。

「あっ、キツネさんだ!」

 俺達の前へと歩み寄るキツネは咥えていたそれを地面に置くと、チラチラとこちらを振り返りながら森の中へと入っていく。
 ミアは不思議に思いながらも俺を見上げた。

「リンゴ……くれるのかな?」

「いや……、これはついて来いって事だと思う……」

「どーして?」

「助けたキツネを村から逃がす時に、俺がリンゴで釣ったんだ」

「おにーちゃんの真似をしてるって事?」

「多分……。行ってみよう」

 目の前のリンゴを拾い上げ腰の布袋に入れると、ミアと共に森の中へと入っていった。


 森に入ってからどれくらい進んだだろうか。
 かなり奥まで来たと思うが、前を行くキツネは未だ止まる気配を見せない。

「ミア。まだ帰り道は分かるか?」

「うん。ここまで入ったことはないけど、方角は分かる」

 少し戸惑いながらも、自信ありげに答えるミア。

「わからなくなりそうなら言ってくれ。その時点で引き返そう」

 土地勘のない自分にはミアだけが頼りだ。
 常に退路の心配はしておかなければならない。

 暫くすると開けた場所に出た。そこにはストーンサークルのような小さな遺跡。
 木々の隙間から差し込む太陽の光が岩々に降り注ぎ、幻想的にも見える。
 遺跡の周りには、おびただしい数のキツネの群れ。ざっと20匹はいるだろうか……。
 ここまで俺達を連れてきたキツネはその中へと紛れ、代わりに現れたのは白い毛並みの大きなキツネだ。
 その神秘的な姿に目を奪われる。
 大きさはキツネと言うより虎に近い。もふもふの尻尾がより一層その体を大きく見せていた。
 ゆらゆらと踊る尻尾は4本。真っ先に頭に浮かんだのは、妖怪の類なのだろうかということ。
 それは後ろ足の片方を引きずりながらも、遺跡の中央付近でゆっくりと腰を下ろした。

「……きれい……」

 ミアからは感嘆の声が漏れる。
 恐怖は感じておらず、どちらかと言えばその美しさに見とれてしまっているといった様子。
 今すぐ襲ってくるという感じではなかったが、油断はできない。
 用心の為にと武器を手にしようとしたその時、それはゆっくりと口を開いた。

「よくぞ来てくださいました。破壊神殿」

 その声は透き通るほど麗しく、凛とした女性の声である。
 威厳さえ感じさせるその声色に敵意は感じられなかったが、『破壊神』と呼ばれたことで、緊張の糸が切れてしまった。

「いや、破壊神ではないのだが……」

「おや、違いましたか。昨日あなた方に助けていただいた同胞が申しておりましたゆえ。失礼致しました」

 頭を下げた白いキツネ。
 ただそれだけのことなのに、うっとりと見入ってしまうほど優雅である。

「俺の名は九条だ。えーっと……」

「おっと失礼。私に名はありません。白狐とでも呼んでくだされば結構です」

 実に礼儀正しい。人語を解し会話が成り立つならと、昨夜の事を聞いてみた。

「間違っていたら申し訳ないが、昨日の夜中に俺の部屋に来たのは、君達の誰かだろうか?」

 俺達の前に1匹のキツネが前へ出る。

「わたくしでございます。昨日は助けていただき誠に感謝しております」

 そうこの声だ。寝ぼけていてあまり覚えてなかったが、声を聞いて確信した。

「そうか……。あまりにも眠く、突然のことだったので話も満足に聞いてやれず、すまなかった」

 話している相手が獣という状況に不思議な感覚を覚えてはいたが、礼には礼で返すのが筋であろう。

「破壊神……いや、九条殿をこちらに呼んだのは、お願いがあってのことです」

「お願い?」

「はい。ウルフ族をどうにかしてほしいのです」

 何かあるとは思ったが、俺を味方に引き入れようという魂胆のようだ。
 人間の手を借りねばならぬほど、追い込まれているということなのだろうか。
 白狐は後ろ足を負傷している様子。恐らくはそのウルフ族とやらにやられたのだろう。

「5年前の戦争で森の半分が消え、東の森から逃げて来たウルフ族が、こちらの縄張りを闊歩するようになりました。森を焼いた人間は憎いですが、それも仕方のないこと。できれば穏便に済ませたい。こちらに敵意はないのですが、あちらはそうもいかず……。見た所、あなたは我らの言葉を理解しているようだ。その能力で我々に力を貸してはくれぬだろうか……」

 要は俺に2種族間の仲を取り持てということだ。
 助けてやりたいのは山々だが、自分の生活基盤もままならない現状では正直言って難しい。
 そもそも、獣達の争いに人間が加担するのは許されるのか?
 顎に手を当て悩んでいると、ミアは俺の袖をグイグイと引っ張った。

「おにーちゃん。もしかしてキツネさんと話してるの?」

 当たり前のことを聞かれ、首を傾げる。
 話を聞いてなかったのかとも思ったのだが、そうではなかった。

「あぁ、そうだが。それがどうした?」

 それを聞いたミアの表情が、驚きへと変わったのだ。

「キツネさんの言葉がわかるの!?」

「ミアは白狐の言っていることがわからないのか?」

「わかんないよ! 白いキツネさんは白狐っていうの?」

 どうやら本当にわかっていない様子。
 俺は日本語を話しているつもりだし、すべての人が日本語を話しているように聞こえる。もちろん白狐もだ。
 しかし、ミアは理解していない。ということは、ミアの話す言語と白狐の言語は別物なのだ。
 なのに、俺はどちらも無意識に理解している。
 ……思い当たる節がひとつだけあった……。
 ガブリエルから授かった、この世界の言語能力。その能力は人間だけではなく、獣にも有効なのかもしれない。

「そうだ、彼女は白狐と言うんだが、ちょっとした相談を受けたんだ。ミアはどうすればいいと思う?」

 ミアに白狐達が置かれている状況を説明し助言を求めるも、その答えはすぐには出なかった。
 獣達から助けを求められたことなどあるわけがない。ギルドでも前例のない事だろう。
 この辺りのウルフ種はサーベルウルフと呼ばれている。
 通常のウルフより牙が大きく発達していることからその名が付いた。
 夜行性というほどではないが、活動するのは昼よりも夜の方が多い。
 雑食だが、主な食事は肉と考えられている。

「最近ウルフの数が増えて来てるって言うのはギルドの報告にも上がって来てるし、このままウルフが増え続けるなら村にも被害が出ると思うから、白狐さんを助けてあげてもいいと思う。けど、おにーちゃんが怪我をするかもしれないし……」

 キツネ達や村の心配のみならず、俺の心配までしてくれるとは……。
 その優しさに笑顔がこぼれる。

「質問なんだが、白狐はかなり強そうに見える。その力でウルフ族と争おうとは思わないのか?」

「降りかかる火の粉は払ってきたつもり。だが、一昨日の出来事によって我は戦うことが出来なくなってしまった……」

 白狐は自分の後ろ足を見ると、悔しそうにその表情を歪ませる。

「まさに抗争の最中だった。空から金属の塊が降ってきて、我の後ろ足に直撃したのだ。いつもならそのような物躱すのは容易いのだが、気が回らなかった。なんとかその場は切り抜けたが、その時より後ろ足が動かぬ……」

 白狐は座った状態から前足だけを伸ばし、岩陰にあった金属の塊を俺たちに見えるよう引きずり出した。
 それを見た瞬間、心臓の鼓動が跳ね上がり、全身から滝のように溢れ出す冷や汗。
 その金属の塊に、見覚えがあったからである。

「おにーちゃん……あれ……」

 俺は急いでミアの口を塞いだ。ミアもそれが何かを理解しているのだ。

「いい子だからそれ以上言わないでくれ……。後でなんでもしてあげるから……」

 それは、俺が戦闘講習ですっ飛ばしたハンマーの頭であったのだ。

 白狐達が劣勢になってしまったのは、俺の所為だったのでは……? やべぇ……どうしよう……。素直に謝るのが正解か……。それとも藪蛇か……。
 一瞬の内に幾つもの可能性を考えては消えて行く。
 そして、やっぱり黙っておこうと結論付けた。知らぬが仏という言葉もあるしな……。
 とは言え、このままでは寝覚めが悪い。

「よ……よーし。俺で良ければ協力しようじゃないか……」

 情けなく震えた声で協力を約束すると、白狐達はそれに喜びの声を上げた。

「礼を言う九条殿。我が不甲斐ないばかりに……」

「いや、いいんだ。これも何かの縁だろう」

 自分で蒔いた種である。断るわけにもいくまい……。

「ミア……。白狐は後ろ足を負傷しているみたいなんだが、治してやれないか?」

「うん。大丈夫だと思うけど……」

「そうか……。じゃぁ頼む。魔法にかかる金は俺にツケといてくれ……」

 またしても借金生活の始まりである。……が、自分の所為なので文句は言えない。

「白狐。今からミアがお前の傷を癒す。そちらに近づいてもいいだろうか?」

 その言葉に白狐は目を見張り、感嘆の声を上げる。

「なんと!? それはまことか? 是非お願いしたい」

「ミア、近づいても大丈夫だそうだ。傷を癒してやってくれ」

 白狐に恐る恐る近づくと、傷の状態を確認する。
 外傷はあまりひどくはないが骨は折れているだろう。患部は痛々しく腫れ上がり、かなりの熱を帯びていた。

「どうだ? 治せそうか?」

「ちょっと時間かかるけど、大丈夫」

 ミアは左手でプレートに触れると、右手を患部へそっと近づける。

「【強化回復術グランドヒール】」

 俺がソフィアにかけてもらったものより上位の魔法。
 淡い緑色の輝きは、より強く輝いて見える。
 他のキツネ達は魔法がめずらしいのかぞろぞろとミアの周りに集まり始め、その姿は最早モフモフで出来た大きな毛玉。
 ミアの姿が埋もれて見えなくなるほどである。

「はい、終わりっ!」

 数分後、額から垂れていた汗を拭ったミアが毛玉の中から顔を出す。
 同時に白狐は動かなかった足が動くようになっていることを確かめ、嬉しそうにピョンピョンと跳ねまわった。

「ありがとう、人の子よ……。ええと……名は……」

「ミアだ」

「ありがとう、ミア。九条殿、我がミアに感謝していることを伝えてやってくれ」

 そう言うと、白狐はミアに向かって深々と頭を下げたのだ。

「ミア、白狐がありがとうと。感謝しているそうだ」

「えへへ」

 ミアは俺を見上げるとニッコリと笑い、白狐の鼻筋をやさしく撫でた。

「そうだ。何か報酬を用意せねば……」

 こうなったのも俺の所為だ。その申し出を慌てて断る。

「いや、報酬を貰うほどのことじゃ……」

「しかし、ここまでしてもらって何もなしというのも……。そうじゃ、そなたに供をつけよう。えーっと、誰か……」

「その役目、私が果たして見せましょう」

 そう言って前に出てきたのは、俺達が助けたキツネである。

「そうか。そなたなら何の問題もあるまい」

「ちょ……ちょっと待ってくれ。急にそんなこと言われても……」

「なんじゃ? 不服か?」

「不服ではないが、無理についてくることもないだろう」

 これは本心だ。供をするということは見分役も兼ねていると見て間違いない。
 もしかすると、この先ウルフ族との戦闘になるかもしれない。
 白狐ならかなりの戦力になるだろうが、それ以外の者はただのキツネ。
 言い方は悪いが、ウルフ相手にキツネ1匹増えたところで戦力になるとは思えない。

「無理にではありません。私はあの時助けていただかなければ、命を落としていたでしょう。その恩を返せる願ってもない機会でもあるのです」

「本人(本キツネ)がよいと言っておるのだ。問題なかろ?」

 困った俺はその判断をミアへと委ねた。ギルドから借りている部屋はペット不可かもしれない。

「ミア。昨日助けたキツネが一緒に来たいと言っているんだが、ダメだよな? ギルドに迷惑がかかるしな?」

 それを聞いて、目を輝かせたミア。

「え? ホントに? 全然大丈夫だよ! ギルドはペットOKだもん!」

 八方塞がりである。
 ミアなら俺の考えを読んで丁重に断ってくれるだろうと思っていたのだが、考えが甘かったようだ。

「どうやら、ミアは賛成のようじゃな」

「はぁ、しかたない。だがウルフ達と戦闘になったら守り切れないかもしれないが、それでもいいのか?」

 昨日ウルフに襲われた時、正直あんなにあっさり片付くとは思っていなかった。
 しかし、俺はミアを守りながら戦わねばならない。それ以外のことを気にしている余裕はないのだ。

「まぁ、お主ほどの者と契約できれば、心配はいらんと思うがの」

「契約……というのは?」

「何、そんなに難しいことではない。お主の血を1滴分け与えれば、それで主従の契りとなろう」

「なんで血なんだ?」

 白狐はそんなことも知らないのかといった感じで、ため息まじりに答える。

「血に巡る魔力を取り込み、匂いを覚えるのだ」

 聞いたところでわかるはずがなかった。この世界に来てからまだ数日しか経っていないのだ。
 もう少し真剣に考えたかったのだが、そんな時間もなさそうである。
 ミアは摩擦で煙が出るんじゃないかと思うほど、白狐をずーっと撫でていた。
 その恍惚とした表情はもはや中毒者のようにも見えるが、撫でられ続ける方はたまったもんじゃないだろう。
 白狐の表情が徐々に険しくなっていく様は、そろそろ我慢の限界が近いと言いたげである。

「ミア。ウルフの血抜きに使ったナイフを持ってたろう? ちょっと貸してくれ」

 我を忘れて一心不乱にモフっていたミアは、その動きをピタリと止めた。

「いいけど、どうして? キツネさんを刺したりしないよね?」

「しないしない。契約するのに俺の血がいるんだそうだ」

 ミアの顔が僅かに曇ったのは、それに覚えがないからだろう。
 獣使いビーストテイマーはスキルを使い獣を操る。
 そのほとんどが自分のペットを使うのだが、緊急時には即席で近くの獣を操ることも可能だ。
 それはスキルで使役するのであり、契約とは違う。
 だが、そんなことミアにはわりとどうでもよかった。今は白狐をモフモフするのに忙しいのだ!

「はい」

 ポケットからカバーの付いたナイフを差し出され、それを受け取る。
 左手人差し指の腹を少しだけ切ると、滲み出てくる血液がぷくっと膨れ上がり、切れ目に沿ってドロリと流れ落ちた。

「これでいいか?」

「ありがとうございます主様。……我が御心は主様と共に……」

 差し出した指をペロリと舐められる。
 その瞬間、キツネの身体は純白の光を纏ったのだ。
 その輝きは眩しくて直視していられないほど。
 それは僅か数秒の出来事であったが、そこには先程のキツネの姿はなく、代わりに白狐に似た大きなキツネが立っていた。
 黄色かった毛は白く、どこか面妖な雰囲気であるが、契約前と顔立ちは似ているようにも感じる。
 違う所は尻尾が1本であるところと、手足の先と尻尾の先が赤みを帯びているところくらい。

「これで契約は成りました。主様、なにとぞよろしくお願い申し上げます」

「よもや、これほどとは……」

「な……何がどうなったんだ……?」

 その場にいる全員が、あっけにとられていた。

「そなた、どれだけの魔力を有しておるのだ……」

 白狐はキツネ達の長として数百年の時を経て、魔獣と呼ばれるまでに至ったらしい。
 俺の血にはその長い過程をすっ飛ばしてしまうほどの魔力が込められていて、それに呼応した結果、新たな魔獣として姿を変えたということのようだ。

「私にも血を……」

 白狐にも半ば無理やり舐められたが、残念ながら変化はなかった。

「くっ……ダメか……」

 これは、本心で俺への忠誠を誓ったからこそ成しえたことらしい。

「えーっと、名前は?」

「ありません。出来ればつけていただけると……」

 むむむ……。正直ネーミングセンスは皆無だ。
 キツネといえばゴンなのだが、多分声から察するに女の子。それはさすがに可哀想。
 なにか特徴的なものはないだろうかと、その姿をじっくりと観察する。

「……カガリ、というのはどうだ?」

 尻尾の先が朱色に染まっていて、先にいくほど赤みが増している。
 それが篝火のように見えたからなのだが……。

「カガリ……。今から私はカガリ……。良き名でございます、主様」

 カガリは俺に頬を寄せながらも、大きな尻尾をこれでもかと振っていた。
 犬にも似たその行動に、ひとまずは付けた名前を気に入ってくれたようだと一安心。
 ほっとしながらも手を伸ばし、ふかふかの首筋を優しく撫でた。

「あー! おにーちゃんずるーい!」

 白狐から離れたミアはカガリを撫で始め、ようやく解放された白狐は安堵からか深く溜息をついていた。


 カガリとの契約により『魔獣使い』の適性がひっそりと発現していたのだが、俺がそれを知るのは、まだ先の話である。
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