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本編
31.悋気のゆくえ
しおりを挟む「……仲が、およろしいことで」
突然投げかけられた声はイザベラのものだった。
いつの間にいたのか、学生会室のドアが開いていた。
そこには、腰に手を当て少し不機嫌そうな顔をしたイザベラと、無表情のブリュンヒルデ。彼女は両手を合わせてお祈りするようなポーズで俺を拝んでいる。
うん、あの無表情は脳内で処理される情報量が多すぎて、取り繕うことが出来なくなっているからだね。そのキラキラした瞳と、口の端がむずむずしてるので解るよ。うん。
――あれ。
なんか、こんな構図、前にもあった。
俺、今、なにしてる?
椅子に座っている。そこに、俺の座っている椅子の背と机に手をついて覆いかぶさるようにジークフリードが。
――うん、いつか見たシチュエーションじゃね?
「もう! 最近、兄さまの変な噂を聞いたから、気分が悪いわ!」
んん?
「変な、噂?」
「実は兄さまは男好きでジークとデキているとか、なんとか……ありえないわ! 筋金入りの女好きな兄さまに限って!」
イザベラさんイザベラさん。ブリュンヒルデの前で、この兄の心理にいろんなダメージが蓄積される発言をどうもありがとう?
なんという恐ろしい噂を仕入れてきたんだね、君は!
「そんな噂を聞いた後だったから、ジークと兄さまがキスしているのかと勘繰っちゃったわ! あぁ! もう! 気分悪いったら!!」
イザベラが俺に文句を言っているようで、言ってない。目線はジークに固定されている。判り易くジークに悋気を向けている。うん、いいな。
「あぁ。ごめんよ、ベラ。内緒の話、してたんだ」
な? と俺に視線を寄越すジーク。
お、おう。内緒話し、してたな。間違いなく、声を潜めていた。
ちらりとブリュンヒルデを見れば、無表情に近いが頬を染め、口の端をむずむずとさせている。
俺には解る。実に嬉しそうだ。
両者の反応の違いにピンときた。
もしかしてもしかすると、イザベラは君たちの『お仲間』ではないんだね?
そう思いながらブリュンヒルデと視線を合わせれば。
彼女は在りし日のアーデルハイド殿下とエルフリーデ先輩を彷彿とさせる種類の微笑みを浮かべると、俺にゆっくりと大きく頷いてみせた。
納得した。
イザベラにしてみれば、実兄と婚約者がそうなのは業腹なのだろう。
嫌がる者に趣味を押し付けるのはよくない。だからこそ、ブリュンヒルデたちは人を選別して趣味語りをしているとみた。
それは正しい。
ジークがイザベラの手を取って、ふたりで俺たちから離れた窓際に場所を移動した。そこでなにやらこそこそと話している。
そう言えば、へそを曲げてしまったイザベラの機嫌を取るのは、昔からジークの役目だったな。
っていうか、ジーク、お前全部解っていたよな? イザベラが『噂』を仕入れたことも。
彼女たちがこの部屋のドアを開けるタイミングを理解した上で、さっきの体勢になったな? わざとイザベラの嫉妬心を煽る為に! ちょっとした悋気は恋のスパイスとかいうからな。まさかお前がそんな手段を用いるとは思わなかったぞ。
まぁ、イザベラはジークに任せて。
「ブリュンヒルデ」
「はい」
俺が呼べば、何食わぬ顔で返事をするブリュンヒルデ。可愛い。
「君、デビュタントの夜、俺が言ったこと、覚えてる? なぜそんなに嬉しそうなの?」
イザベラは自分の婚約者にへんな噂がある(その相手が実の兄だ)と聞いてあんなに不機嫌になっていた。はっきりと嫉妬心を見せた。あれは判り易くていい。
だが君は。
「わたくし、多大なる萌えの供給に胸が打ち震えております」
「――」
こっちは、実に、判り辛い! 両手を胸に当てて、うっとりと夢見るようにいう姿はとても愛らしいのだが、可愛らしい分、始末に負えない。
「ブリュン……」
「これはこれ、それはそれ、あれはあれ、でございますわ」
「――」
なんだ、そりゃ。さっぱりわからん。二の句が継げん。
「それでも……」
真っ直ぐに俺を見つめるブリュンヒルデ。どこか甘い瞳だと感じるのは、気のせいだろうか。
「それでもオリヴァーさまは、頭ごなしに“そんなことはやめろ”とは、……おっしゃらないのですね」
「そりゃあ……君が楽しんでいるのが判るから。君が心底楽しんでいることを止める権利は、誰にもないと俺は思うよ」
俺がそう言うと、ブリュンヒルデは柔らかく微笑んだ。
「……ありがとう、ございます……」
ほっと安心したように。最近、見せてくれるようになった素直な顔。
――うん、可愛い。でもこんな無防備な顔一瞬で消えて、いつもの『淑女の笑み』になっちゃうんだよな。
「ブリュン……」
それにしても、頭ごなしに『やめろ』と言われたことがあるのか。
それに傷ついた過去があるのか。
あのクルーガー伯爵が愛する娘にそんなこと言うとは到底思えない。
となると。彼女の芸術活動を知っている人物で、上の立場の人物。
学園にはいろいろ居そうだけど、イザベラやヒルデガルドさまは手放しで後押しする姿勢だった。芸術系に詳しくて、彼女に色々言えるのならば……美術部の人間辺りが怪しいかな。
何故なら、ブリュンヒルデは高等部に入ってからは美術部に所属していない。部活動は初等部から持ち上がるのがほとんどだから、とても珍しいといえる。初等部で嫌なことがあって、もしくは嫌な輩がいて、入部を断念したのだろう。……つまり、美術部員、特に当時の部長が怪しい。奴は今、高等部の美術部で部長をしてたなぁ……。
なるほど。
報復するは、我にあり。だ。
幸い、いま俺は学生会で会計監査を担当している。
嫌がらせをするには絶好のポジションだと言えよう。そう言えば、むかし奴らはなかなか必要書類を提出しないで、俺を困らせてくれたりしたなぁ。在りし日の恨みも晴らせるのか! ふっふっふっふ。面白くなってきたぜ!
「兄さま。今、なにか悪巧みを考えてますね?」
「お前、そんな顔で笑うと悪役っぽいぞ?」
いつの間にか仲直りしたらしいイザベラとジークに顔のダメ出しをされてしまったのだった。
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