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本編

6.虚ろな高等部スタート

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 王立貴族学園初等部の三年間を過ごした中で、三年生の時間が、一番濃く長く充実していたような気がする。
 初等部学生会会長を務めたジークにこき使われたのは勿論、黒髪の乙女こと、別名、鉄仮面の黒姫、ブリュンヒルデ・フォン・クルーガー伯爵令嬢と共に過ごした時間が楽し過ぎた。
 ちょっとでも彼女を笑わせたくて、歓心を惹きたくて。
 だが彼女は一筋縄ではいかないのだ。
 今までの俺の経験則が何一つ通用しない相手。それが黒姫。
 なるほど、“黒姫”だ。彼女は気高く難攻不落の城塞。にこりともしないと思えば、甘いお菓子を食べてふにゃと笑顔(ほんの一瞬、微かな)を見せる。あれを見たくて最新流行のお菓子を貢いでも

「これを頂く理由がないです」

とすげなく断られてしまう。(このとき真顔。でも申し訳ないという感情は伝わる)

 ヒルデガルドさまの差し入れならすんなり受け取るくせにっ! その時こちらをチラリと見る『まだまだね』と言いたげなヒルデガルド様の流し目が、こう言ってはなんだが、腹立たしい! 一緒に後ろでニヤニヤしているイザベラにも腹が立つ。



 気が付けば、俺やジークフリートは初等部を卒業し、高等部に入学していた。
 高等部になると初等部とは校舎が違う。
 ブリュンヒルデ嬢と会う時間が格段に減った。



 ある日の放課後。
 高等部学生会室で、俺はジークハルトとラインハルト殿下と共に地味な書類仕事を片付けていた。
 高等部学生会会長は、当然三年生のラインハルト第一王子殿下だ。

「どうした、オリヴァー。最近元気がないようにみえるぞ」

「オリヴァーは黒姫に会えないのが堪えているんですよ、兄上」

 幼馴染みとして育った俺に、このふたりは遠慮などしてくれない。部屋に三人だけになると、こうして軽口も叩かれる。

「違う。そんなんじゃない」

 とはいえ。
 たしかに高等部にあがってから毎日がつまらないし、楽しくない。

「オリヴァーが夢中な彼女、ブリュンヒルデ君、といったか? 絵が巧いんだって? ヒルダから話は聞いている。初等部棟の美術部室に行けば鑑賞できるのか?」

 ラインハルト殿下が純粋な好奇心に満ちた目で俺を見る。

「……もう彼女の領地へ送ってしまったので、今は見られません……」

 そう。あのやけに精密に描かれた王都の風景画。あれはしばらく飾られていたが、俺が譲ってくれと言った途端取り外され、彼女の領地に送られてしまった。

 あれも送ってしまっただろうか。
 あの日、初めて見たモノクロームの風景画。俺が心を鷲掴みにされた絵。なにか、彼女の絵が欲しい。彼女を想起させる、何か。
 今までのように会えなくなった最近は、もっぱら帰宅してからイザベラに彼女の様子を聞く日々だ。なんとも張りの無い、手ごたえが無い、腑抜けになったような心地の毎日が続く。

「やけに落ち込んでいるな」

 大きなため息をつく俺に、ラインハルト殿下が心配そうな声を掛けてくれる。

「彼女、俺が絵を欲しい、譲ってくれと言っても承知してくれないんです。 “これはヒトサマに見せる為に描いたものではないから”って言って。言い値で買うと言っても“売り物としての体を為していません、売れません”ってきいてくれないし……」

 書類仕事はとうに放棄し、机に突っ伏した。

「ふうん。正しくプロとしての言い分だな」

「こいつ、女子から拒絶されたことがないから、それも落ち込みに拍車をかけているわけで」

「ジーク。ラインハルト様に余計なことを言うな」

 我ながら、不貞腐れたような声を出している。
 何故、こんなにも何もかもがつまらないのだろう。

「確かに、高等部にきてからイザベラに会う機会が減ってしまったなぁ……オリヴァー、また美術館にでも行くか? イザベラとブリュンヒルデ君を誘ってくれ」

「自分で誘えよ。自分の婚約者だろう?」

「君が黒姫と会う為の口実じゃないか! 僕に感謝してくれて構わないんだよ?」

「どっちが口実なんだ?」

「お前たち、仕事しろ」

 会長のお言葉は絶大。あとは黙って仕事をした。



 数日後の昼休み、ブリュンヒルデ嬢を誘う為に俺は初等部棟学生食堂を訪れた。果たして、そこにイザベラと共に昼食を取るブリュンヒルデ嬢の姿があった。

「やぁ! こんにちは!」

「……ごきげんよう」

「あら、兄さま。初等部棟では久しぶりね」

? 少し硬い雰囲気のふたりに違和感を覚えたが、それを抑え、ふたりに次の休日の提案をした。

「ブリュンヒルデ君を誘いに来たんだ。今度、テュルク国との同盟締結10周年記念に特別に王家の秘宝を展示する計画があるんだ! 目玉はお嫁入したアンネローゼ殿下がテュルク国王に贈呈された宝石の数々なんだとか。それはもう、逸品揃いだと聞いたぞ。一緒に見学に行かないか?」

 これは本当。ラインハルト殿下から教えて貰った、とっておきの情報だ。美しいものが好きなブリュンヒルデ嬢は行きたがるだろう。当然、イザベラが“わたくしが同伴しても構いませんわよね?”と言いだして、“勿論! ジークも誘って一緒に行こう”となる流れ、なのだが……。

 なんだ?

 イザベラの表情がおかしい。
 ブリュンヒルデ嬢はいつものとおりの無表情ではあるが、微かに眉間に皺が寄っている。これは、『不快』『苛立ち』。何かを押し隠す、『不愉快』を示す表情、だ。

 ブリュンヒルデ嬢は静かに椅子から立ち上がって頭を下げた。
 そして顔を上げ、まっすぐ俺を見た。

「申し訳ありません、オリヴァーさま。お誘い頂いたこと、大変ありがたく思いますが、よんどころない事情でお断り申し上げます。わたくしのような者にお声掛けして頂き、感謝の念に堪えません。ほかの皆様と、わたくしの分までお楽しみくださいませ」

 食堂の隅々にまで響き渡るような声ではっきりとそう言うと、食事トレーを持って配膳処に行ってしまった。
 まさか、断られるとは夢にも思っていなかった俺は、呆然としたまま、その背中を見送ってしまったのだった。





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