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転 アラン・ド・ヴィルアルドゥアンの場合

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「お召しにより参上つかまつりました」

 今日のディアーヌ・デ・ラ・セルダ公爵令嬢も、いつものとおり堅苦しい挨拶と完璧なカーテシーで挨拶をする。
 にこりともしないその顔は確かにうつくしいが、愛嬌とか場を和ませようとかそういった気遣いから一番遠いところにいるようにアランには感じる。
 とはいえ。

(父上の仰ることが正しいのなら、このディアーヌが僕のことを好き、ということになる)

 応接室に彼女を招き、お茶の用意がされた席にエスコートをすれば、彼女は目を丸くしてアランを見つめた。
 よほど、意外だったらしい。
 本来ならば、婚約者と定例のお茶会がある。それをここ1年ほどことごとく避けてきたアランは少し後ろめたい。


「今日、ディアーヌを呼んだのは」

 人払いされた応接室にふたりきり。(とはいえ、ドアは開放され密室ではないし、次の間に侍女侍従が控えている)
 いつも怒られてばかりで苦手意識しかなかった相手をきちんと正面から見つめてみれば、確かにうつくしい令嬢である。

 ディアーヌ・デ・ラ・セルダ公爵令嬢。銀髪紫眼。月の女神とも称される冴え冴えとした美貌と傲慢な態度。いつも無表情で冷静沈着。笑った顔など見たことがない。
 うつくしい所作でティーカップを持つ姿は、まるで一架の絵画のようであった。

「恐れながら」

 口ごもり、次の言葉を紡げなくなったアランに、ディアーヌは表情を変えないまま口を開いた。

「殿下は、もしや。わたくしに告げたいことがお有りなのでは? それはエステル・レノー嬢のことではありませんか?」

「え?」

「レノー嬢を側室のひとりに加えたい。その承認をせよと仰せなのではありませんか?」

 アランは突然のディアーヌの問いに驚いた。だかここ最近、誰よりもアランの傍にいたのはエステルであった。ディアーヌが軽々しく傍に置くなと言ったのもエステル嬢を指している。
 いままで逃げ回っていた婚約者アランがこうしてきちんとした席を設けたのだ。さぞ重要な話だと推測したに違いない。
 まさか、そんなことを聞かれるとはアラン自身は思っていなかったが。

「わたくしは構いません。どうぞ殿下のお気に召すまま」

「いや、エステル嬢を側室にはしない」

 ディアーヌの寛大な言葉はありがたいが、そもそもエステルを側室にしようなどと考えてはいなかった。そして既に彼女は逃亡している。アランではない、他の男と共に。
 エステルを側室にすることは根本的に無理なのだ。

「では……まさか、正妃にしたいと仰せですか? 正気ですか?」

 ディアーヌのうつくしい柳眉が寄せられる。少し動かしただけで、嫌悪の表情になるのはその美貌ゆえか。
 エステルの逃亡は極秘扱いでまだ知れ渡っていない。ディアーヌがこんな勘違いをするのも当然ではある。

「殿下……あの者では殿下の補助は適いません。下位貴族の礼儀さえまともに身に付けていない者が、将来の王太子妃になど成り得ませ」

「そうじゃない!」

 溜息混じりのディアーヌの言葉を、アランは途中で遮った。 

「そうじゃなく……あれには……エステルには、もう、振られて、いるんだ」

 アランが半ばやけっぱちになってそう告げれば、応接室はしばし気まずい沈黙に支配された。

「フラレテイル? あんなに仲睦まじかったのに? 昼休みも放課後も人目も憚らずべたべたとしていたのに?」

 驚愕で目を丸くしたディアーヌが率直に告げる言葉に、アランの柔らかい心がグサグサと抉られるような心地がしたが、それでも彼は最後の意地で表情を変えないよう懸命に努めた。

「今日、ディアーヌをここへ呼んだのは、……その、……婚約を解消すると、伝えるためだ」

「――はい?」

 ディアーヌは寝耳に水といった表情を浮かべた。

「僕は、王位に就けるような器ではない。……ずっと、そう悩んでいた」

 ディアーヌはどう応えるだろうか。アランは内心怯えながら言葉を繋いだ。

「今回、もう、全てが嫌になった。王位なんて要らない。王子の身分も捨てる。ただの庶民になって旅に出ようと思っている。あぁ、そうだ、ダンジョン攻略をしてもいい。冒険者になって、街から街へと流離さすらうのもいいだろう」

「殿下」

 ディアーヌがアランを諫めようと教師のような表情を浮かべ口を挟んだが、彼はそのまま言葉を繋げた。

「だが、いくら僕がいろいろ嫌になったからって、ディアーヌをそのままの地位に居させるわけにはいかないだろう? だから、僕との婚約は解消する」

「殿下、なにを仰ってますの? 自棄やけになるにしても……」

「父上も……国王陛下も承認済だ」

「――え?」

 ディアーヌは手にしていたティーカップをソーサーに戻すときに軽く音を立てた。完璧な所作を誇る彼女にしては珍しい粗相だ。
 ――それはつまり、どれだけ彼女が動揺したのかを窺い知れた。

「国王陛下も、そうせよと仰せだ」

 むしろ国王自身がアランに薦めたことだ。ディアーヌの反応をみるために、と。

「陛下が、お許しになっているの、ですか……」

 そのときのディアーヌの表情。
 いつもの冷静沈着のディアーヌではありえない、ポカンとしたマヌケな表情にアランの胸は高鳴った。

(こんな、年相応のあどけない顔ができるのか……)

「そう、なのですか……陛下が……」

 憑き物が落ちたというのはこういうことかとアランは思った。
 ものの見事にディアーヌの表情が変わったのだ。
 月の女神と称されるほどの威厳と、他者を近寄らせない傲慢な雰囲気が一気に抜け落ちた。

 そして柔らかく愛らしい微笑みを見せたディアーヌ。
 初めて見るその表情に、アランの胸は激しく高鳴った。
 やはり彼女は「王太子の婚約者」という肩書のため、自分を偽っていたのだ。虚勢を張り威厳を示し、王族の一員となるべく切磋琢磨していたのだ。
 そのすべてはアランを支えるために。

「お目付け役としてのわたくしは、お役御免という訳ですね」

 そう言って立ち上がったディアーヌは清々しいほどのうつくしい笑みを見せた。
 その場に色とりどりの春の花が咲き乱れたような。
 アランが初めて見た、ディアーヌの心からの笑み。
 知らず、頬が熱くなるのを感じた。

「陛下がご納得ならば、わたくしから申し上げることは何もありません。婚約解消の下知、謹んでお受け致します」

 そして流石さすが! と感嘆せざるを得ないうつくしい所作でカーテシーを披露。
 その顔に慈愛を思わせる笑みを乗せたまま、彼女は続けて言った。

「アランさま。これからのご武運をお祈りいたします。でしょうが、ご健勝であられますよう祈念いたします」

(え?)

 心奪われるような愛らしい笑顔を見せたディアーヌは、颯爽とスカートを翻すと応接室を出ていった。

 その場に残されたのはマヌケ面したアランと、ディアーヌの香水の残り香。
 応接室にポツンとひとり取り残されたアラン王子の耳に、鳥の鳴き声が耳障りなほど響き渡った。
 どうやら外はいい天気らしい。

(これは……僕は……ディアーヌにも振られたと、いうことなのだろうか……)

 ディアーヌのために用意された紅茶は一口だけ飲まれていたが、お茶菓子その他は手付かずで残されていた。

 呆然としたまま、アランはしばらく立ち上がれなかった。




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