上 下
20 / 26

閑話 騎士シモン・ジェットは思う。

しおりを挟む
 
「今日もローズは絶好調で凶悪なまでに愛らしかった……」

 少々放心状態のラファエル・ディアマンテは、よく独り言を溢すようになった。
 彼の愛馬『黒王号』は主人の状態をよく把握している。主人が心ここに在らずの時はゆっくりと歩く。

 シモン・ジェットは思う。
 このうっとりとした顔で脳内に愛しい女性を思い浮かべるただの19歳の若者と、ローリエ公国通いを重鎮揃いの議会に納得させたあの日の堂々とした王太子の姿と。

 誰が同一人物だと思うだろう。

 ラファエル王太子はあの日、力強く語ったのだ。
 王太子である自分が通うことで、かの国の内情を無理なく知ることができる。あわよくば、100年前に独立したかの国を、再び取り込める千載一遇のチャンスなのだと。
 そう言って国王陛下を始め上層部や重鎮たち気難しい面々を納得させ、議会の承認を得て、いそいそとローリエ公国に通っているのだが。

 詭弁である。

 確かに100年前のローリエ公国の領地は、セントロメアに属する辺境伯領だった。だがその武力を背景に一度独立したものを、再び合併させるのは至難の技だ。
 その至難を、この王子殿下は成し遂げてしまうのでは? という幻想を人々に抱かせ、錯覚させたラファエルの勝ちともいえる。
 彼の堂々とした態度はなぜか説得力を持ち、周囲はあれよあれよという間に彼のペースに乗せられてしまう。これが正しい王族のカリスマ性というものなのかもしれない。
 ある意味、稀代のペテン師ともいえる。

 だが、合併はできなくとも超友好国にすることは可能だ。
 ローズマリー公女の立場はそれだけ重要である。
 かの公国民は、みなあるじのためには犬よりも忠実になる。その国を味方にする意味は大きい。

「殿下。お心が駄々洩れになっております」

「あぁぁぁぁっぁぁあぁぁぁぁっ! あと29回っ。頑張れ僕。僕はできる僕はできる僕はできる」



 シモン・ジェットは思う。
 彼の若き主人は、今まで無理だと思われていたことを次々と成し遂げてきた。
 学園に通うまえから公務を担い、周囲の信頼と実績を勝ち取ってきた。その類まれな頭脳で改革案を次々と出し、国内を潤わせた。結婚などせずとも王太子に叙任した。

 この王子は今までの王子とは違う。彼に任せればこの国の未来は明るい。
 そう思わせるなにかが、彼にはあるのだ。

 そんな彼の思い通りにならないもの。

 ローズマリー・ローリエ。旧姓はローズ・ガーネット。
 あの公女も、また凄い。
 国の南部から南西部にかけて、彼女の『託宣の聖女』という名声は凄まじい。特に商人たちから絶大な人気を誇り、商売の守り神扱いされているのは仕方がないだろう。実際、商業都市サウスポートを守ったのだから。
 だが、サウェスト辺境伯領を中心とする地での彼女の評価は『戦女神』だ。
 彼女の語った戦術がずばり的中したことが大きかったらしい。
 そしてなにより補給と休息の重要性を懇切丁寧に語り、それとともに肉体労働になる騎士たちのために考案された食事メニューなどの素晴らしさで、彼らの心を(胃袋を?)鷲掴みにしたという。

 そしてここ、北東地区でも別の賞賛が彼女に与えられている。

 ローリエ公国公女の名を語るとき、欠かさず言われる『託宣の聖女』という二つ名とともに、○○の女神という賞賛の声は、彼女の実績の証でもある。庶民に絶大の人気を誇るのだ。
 そんな才女を王妃に頂く意味は大きい。

「殿下はなにも間違っておりません。ご自分の思うまま、邁進なさいませ」

 思わず零れたことばは、若き主の耳には届かなかったらしい。

「ん? なんだって?」

「いえ。何も」

 とりあえず、ひとり不毛な煩悶を繰り返す状態を抜け出し、こちらに気を配ってくれた。
 なによりである。

「そうか。……シモン、ケイトは怒っているか?」

 なにを藪から棒に、この人は。

「殿下がいつまでもローズさまを連れ帰らないことに対して、でしょうか?」

「違うっ! 僕がお前を引きずり回すことに対して、だ」

 一応、部下を気遣った……のだろうか。
 たしかに超過勤務であるのは否めない。連日のこんな強行軍は、体力のあるモノでないと無理だろう。
 若いっていいなぁ。

「妻は……特になにも。大事の前の小事、だそうです」

「お前……小事扱いか」

「御意」

 主から憐みの視線を寄越されたのが解せない。
 しばらく馬のひずめがカポカポと呑気な音を街道に響かせる。

 そういえば、この道が新たに整備されたのもラファエル王太子の手腕だった。
 最初は王子の自費で始めた街道の整備に、いつの間にか商人からの寄付が集まり、裕福な下位貴族を中心にその輪が広がった。資金は潤沢になり、街道の整備を公共事業にし労働者も潤う。王子の名声も高まる。いいこと尽くしだ。
 お陰で通い易くなり、なにも無かったはずの街道が賑わうようになった。

「それはそうと、教会の動きは? 例のアレは、やはりローズの筆跡だったか?」

「御意」

「なるほどね……まったく。『聖女印の免罪符』など、よくもまぁ考えつくものだ。だがこのまま教会の奴らが私腹を肥やし続けるのを黙って見ているのも業腹だ」

 いつの間にか、この東北部を中心に『聖女印の免罪符』なるものが注目されるようになっていた。
 教会も黙認していたそれは、入手すると死後、絶対天国に招き入れられる保証書だという。この世で犯した罪を全て清算し、天国が保証される証明書。それが『聖女印の免罪符』。
 かなり高額な寄付で取引されているそれ。
 高額な寄付ができない者は、巡礼の回数を重ねると同等のモノが手に入るのだとか。

 あまりにも胡散臭いが、『聖女印』という文言が気になり調査してみれば、発案者も施行人も『託宣の聖女』だというから驚いた。
 どうやらローズマリー公女はあのなにもない女子修道院に寄付が集まる方法を伝授したらしいのだ。
 実に俗っぽい。


「しかし、ローズさまが滞在された修道院にもっとも利益還元されているようです」

 勿論、教会にもそれなりの金が流れている。

「ふっ。僕のローズは義理堅いからな」

 なぜか自分の手柄のように誇らしげな顔をする若き主人。
 プライベートでは、ほぼ無表情。人前では常に一定の静かな笑顔を浮かべる第一王子殿下だった。
 そんな彼がここ数年で、ここまで表情豊かになるとは夢にも思わなかった。
 だが、よい傾向だと思う。

「御意……ローズさまが輿入れされた暁には、王家こちらに回る利潤だと愚考しますが」

「違いない。とはいえ、教会の奴らを納得させるために全没収だけは避けてやってもいい」

 実に人間らしい楽し気な顔をするようになった。
 ……もっとも、無邪気な少年のそれではなく、どちらかといえば策謀を巡らせる黒幕然とした表情だが。
 幼少時はもっと愛らしく素直な少年だったのに。

「……殿下。こういうお話を、ローズさまともなさってますか?」

「? あぁ、よくしている。ローズは賢いからさまざまな考えが浮かぶようだ。彼女と話す時間は、実に楽しく有意義だよ」

 ローズマリー公女の話をするときだけは、無邪気な少年のように瞳を輝かせる。

「……それ、ほどほどになさいませんと、誤解されますよ」

「誤解?」

「ローズさまのことです。有意義で有益だから自分と結婚するのだろう、と言いかねません」

「え」

「『恋愛がしたい』とご希望のローズさまに、そんな誤解されてどうします? 有意義とか有益とかそんなもの枝葉で、実際のところご本人に恋焦がれて気が狂いそうになっているのだと、ちゃんと伝えてますか?」

「え゛」

「乙女心は複雑怪奇ですよ」

「……」

 頭脳明晰でどんな人間を相手にしても怯まず、鼻で嘲笑いながら他者をゲームの駒のように扱う男。それがラファエル・ディアマンテ。シモン・ジェットの若き主人。
 だがそんな主人の優秀な頭脳を唯一狂わせ振り回し、感情的にさせてしまう相手がいる。

 いまも、若き主人は途方に暮れたような情けない顔でこちらを見ている。

 シモン・ジェットは思う。
 主人のために、そんな相手は始末するか懐にいれて隠してしまうかのどちらかだ。

 だが、前者は主人には不可能だ。
 ならば後者しかない。
 そちらの選択をした方が、主人が人間らしくなるのも解っている。

 しかし、公女が大人しく隠されているようなだろうか。
 これからさきの未来、いったいどうなるのだろうか。

「実に、楽しいですね」

「なにがっ⁈」




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約解消して次期辺境伯に嫁いでみた

cyaru
恋愛
一目惚れで婚約を申し込まれたキュレット伯爵家のソシャリー。 お相手はボラツク侯爵家の次期当主ケイン。眉目秀麗でこれまで数多くの縁談が女性側から持ち込まれてきたがケインは女性には興味がないようで18歳になっても婚約者は今までいなかった。 婚約をした時は良かったのだが、問題は1か月に起きた。 過去にボラツク侯爵家から放逐された侯爵の妹が亡くなった。放っておけばいいのに侯爵は簡素な葬儀も行ったのだが、亡くなった妹の娘が牧師と共にやってきた。若い頃の妹にそっくりな娘はロザリア。 ボラツク侯爵家はロザリアを引き取り面倒を見ることを決定した。 婚約の時にはなかったがロザリアが独り立ちできる状態までが期間。 明らかにソシャリーが嫁げば、ロザリアがもれなくついてくる。 「マジか…」ソシャリーは心から遠慮したいと願う。 そして婚約者同士の距離を縮め、お互いの考えを語り合う場が月に数回設けられるようになったが、全てにもれなくロザリアがついてくる。 茶会に観劇、誕生日の贈り物もロザリアに買ったものを譲ってあげると謎の善意を押し売り。夜会もケインがエスコートしダンスを踊るのはロザリア。 幾度となく抗議を受け、ケインは考えを改めると誓ってくれたが本当に考えを改めたのか。改めていれば婚約は継続、そうでなければ解消だがソシャリーも年齢的に次を決めておかないと家のお荷物になってしまう。 「こちらは嫁いでくれるならそれに越したことはない」と父が用意をしてくれたのは「自分の責任なので面倒を見ている子の数は35」という次期辺境伯だった?! ★↑例の如く恐ろしく省略してます。 ★9月14日投稿開始、完結は9月16日です。 ★コメントの返信は遅いです。 ★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません

消えた令息が見えるのは私だけのようです

gacchi
恋愛
公爵家の嫡子でもあるエルヴィラは婚約者である第三王子の振る舞いに悩まされていた。浮気相手のイザベラにからまれる毎日にうんざりし、どうにか婚約解消できないものかと思っていた。そんな時、幼馴染の公爵令息アロルドが行方不明に。一週間も行方がわからない初恋の相手を心配していたが、なぜかエルヴィラの部屋に現れた。「俺が見えるのはエルヴィラだけのようなんだ」消えてしまったアロルドは元に戻るのか?第三王子との婚約は無事に解消できるのか?

王太子様には優秀な妹の方がお似合いですから、いつまでも私にこだわる必要なんてありませんよ?

木山楽斗
恋愛
公爵令嬢であるラルリアは、優秀な妹に比べて平凡な人間であった。 これといって秀でた点がない彼女は、いつも妹と比較されて、時には罵倒されていたのである。 しかしそんなラルリアはある時、王太子の婚約者に選ばれた。 それに誰よりも驚いたのは、彼女自身である。仮に公爵家と王家の婚約がなされるとしても、その対象となるのは妹だと思っていたからだ。 事実として、社交界ではその婚約は非難されていた。 妹の方を王家に嫁がせる方が有益であると、有力者達は考えていたのだ。 故にラルリアも、婚約者である王太子アドルヴに婚約を変更するように進言した。しかし彼は、頑なにラルリアとの婚約を望んでいた。どうやらこの婚約自体、彼が提案したものであるようなのだ。

私とお母さんとお好み焼き

white love it
経済・企業
義理の母と二人暮らしの垣谷操。貧しいと思っていたが、義母、京子の経営手腕はなかなかのものだった。 シングルマザーの織りなす経営方法とは?

【完結】婚姻無効になったので新しい人生始めます~前世の記憶を思い出して家を出たら、愛も仕事も手に入れて幸せになりました~

Na20
恋愛
セレーナは嫁いで三年が経ってもいまだに旦那様と使用人達に受け入れられないでいた。 そんな時頭をぶつけたことで前世の記憶を思い出し、家を出ていくことを決意する。 「…そうだ、この結婚はなかったことにしよう」 ※ご都合主義、ふんわり設定です ※小説家になろう様にも掲載しています

婚約も結婚も計画的に。

cyaru
恋愛
長年の婚約者だったルカシュとの関係が学園に入学してからおかしくなった。 忙しい、時間がないと学園に入って5年間はゆっくりと時間を取ることも出来なくなっていた。 原因はスピカという一人の女学生。 少し早めに貰った誕生日のプレゼントの髪留めのお礼を言おうと思ったのだが…。 「あ、もういい。無理だわ」 ベルルカ伯爵家のエステル17歳は空から落ちてきた鳩の糞に気持ちが切り替わった。 ついでに運命も切り替わった‥‥はずなのだが…。 ルカシュは婚約破棄になると知るや「アレは言葉のあやだ」「心を入れ替える」「愛しているのはエステルだけだ」と言い出し、「会ってくれるまで通い続ける」と屋敷にやって来る。 「こんなに足繁く来られるのにこの5年はなんだったの?!」エステルはルカシュの行動に更にキレる。 もうルカシュには気持ちもなく、どちらかと居言えば気持ち悪いとすら思うようになったエステルは父親に新しい婚約者を選んでくれと急かすがなかなか話が進まない。 そんな中「うちの息子、どうでしょう?」と声がかかった。 ルカシュと早く離れたいエステルはその話に飛びついた。 しかし…学園を退学してまで婚約した男性は隣国でも問題視されている自己肯定感が地を這う引き籠り侯爵子息だった。 ★↑例の如く恐ろしく省略してます。 ★8月22日投稿開始、完結は8月25日です。初日2話、2日目以降2時間おき公開(10:10~) ★コメントの返信は遅いです。 ★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません

婚約破棄された令嬢は魔法で仕返しいたします!

チーズたると
恋愛
理不尽な婚約破棄がマーガレットを襲った。 許すまじ…このままで済むと思うなよ王子――。 そんな復讐の炎に燃える体育会系の姫が紡ぎあげる、ポジティブなファンタジー復讐小説。

「自重知らずの異世界転生者-膨大な魔力を引っさげて異世界デビューしたら、規格外過ぎて自重を求められています-」

mitsuzoエンターテインメンツ
ファンタジー
 ネットでみつけた『異世界に行ったかもしれないスレ』に書いてあった『異世界に転生する方法』をやってみたら本当に異世界に転生された。  チート能力で豊富な魔力を持っていた俺だったが、目立つのが嫌だったので周囲となんら変わらないよう生活していたが「目立ち過ぎだ!」とか「加減という言葉の意味をもっと勉強して!」と周囲からはなぜか自重を求められた。  なんだよ? それじゃあまるで、俺が自重をどっかに捨ててきたみたいじゃないか!  こうして俺の理不尽で前途多難?な異世界生活が始まりました。  ※注:すべてわかった上で自重してません。

処理中です...