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番外編(2)

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 色々と知ってしまった今。
 なんと申したらいいのか判りませんが、モヤモヤするのです。
 ミゲルさまは年上で、当然ながらわたくしなんかより経験豊富です。現侯爵アルフォンソさまをお生み遊ばした奥方様がいらっしゃったのだなぁ、とか。それはまぁ、事実ですし。その奥方様は、もう10年も前にお亡くなりになったと聞きましたが。

 あれだけ閨事が巧みなミゲルさまだもの、その、いろいろと戦果がおありだと思うのです。奥様が亡くなってから10年の間に、ミゲルさまをお慰めした女性もいたのだろうなぁ、とか。
 それ以前に奥様がご存命のときにも、いたのかしら?とか。
 いえいえ、それは奥様にもミゲルさまにも失礼な邪推というものよね。
 でも……、考えてしまうの。つまり……わたくし、嫉妬しているのです。

 そんなどうしようもない事を考えてしまう自分がキライ。
 いまさら、どうしようもない事をうだうだ考えてしまう自分が、自分のことなのに鬱陶しい。
 解っているのに。
 もっと早くに生まれて来たかった。

「僭越ながら、奥様。なにか、ご心配ごとがお有りなのでしょうか?」

「え? どうして?」

 おずおずとわたくしに問うてくれたのは、このサビオ侯爵家の別邸に古くから仕えているという侍女頭のファナです。もしかしたら、わたくしの祖母と言ってもいい年齢の彼女は、いつもわたくしの体調を気遣ってくれる優しい女性です。

「その……差し出がましいとは思うのですが、溜息が、増えていらっしゃるので……」

 入浴後のわたくしの髪を丁寧にくしけずりながら、鏡越しに顔色を伺ってくれます。

「心配してくれてありがとう。たいした事じゃないのよ」

「それは……、たいした事ではないが、なにかがお有り、ということなのですね?」

 ファナの瞳がきらりと光ったような気がしました。
 これは、あれですね。言質を取られた、という状況なのですね。

「大旦那様からは、くれぐれも、奥様が例えどんなにちいさなことでも憂慮する事などないよう、配慮を怠らないよう言いつかっております。ゆえに、どんな些細なことでもわたくしめにお話しくださいませっ」

 どうしましょう。逆らえない雰囲気になってきました。

「それとも……奥様がお話しできないのは、わたくしめが老女のせいでございましょうか? もし、年代の近しい若い娘の方が話しやすいというのならば、すぐさま手配いたしますよ?」

「あ、いえ! そうではないの! それに、あの……ファナ、の、方が……いろいろと、知っているのかもしれないし……」

 そうです、ファナはミゲルさまが若い頃から、ここに住み込みで働いているのです。ミゲルさまのあれやこれやを、知っている可能性の高い人物なのです……!

 わたくしは、意を決して自分の心に生まれた醜い嫉妬心のことを話しました。
 ファナはわたくしの髪のお手入れをしながら、時折相槌と軽い質問を挟みつつ、聞いてくれました。そしてわたくしの憂いを全て聞き出した後、にっこり笑って教えてくれました。

「大旦那さまは、あのご容姿と侯爵家当主という地位をお持ちでしたから、お若い頃から、そりゃあ、オモテになりましたよ。社交界をぶいぶい言わせてたと聞き及んでおります」

「ぶいぶい、ですか……」

「はい。ぶいぶい、です」

 上品なおばあちゃま、といった雰囲気のファナの口から聞くと、大層愛らしい言葉なのだけど、それはそれで、なんともモヤモヤするお話です。

「でもそれも、先の大奥様とご結婚されるまで。大奥様とは大恋愛で結ばれ、その後は大奥様一筋のお方でした。だから、でしょうかねぇ……10年前に大奥様に先立たれてから、すっかり意気消沈してしまわれて……生きる幽鬼、といった雰囲気で……若旦那さまのアルフォンソさまに侯爵位を譲られてからは、それに拍車をかけたように、食も細くなってしまわれたし、何事にも後ろ向きになってしまわれて……、わたくし共もご心配申し上げていたのです」

 生きる幽鬼、ですか……。
 愛妻に先立たれ項垂うなだれているミゲルさまが、すぐさま思い描けます。なんて痛ましいのでしょう。
 前の奥様を、とても愛してらしたから、なのだわ。
 胸の奥が痛い。
 死してなお、ミゲルさまのお心を奪う先の奥様が羨ましい。

「でも、ですね、エミリア奥様。ある時から大旦那さまは、生き生きとなさいました。いつからだとお思いになりますか?」

 ? いつでしょう?
 わたくしが首を傾げて、鏡越しにファナを見遣ると、彼女は笑ってわたくしの髪に香油をつけて梳ります。

「隣の領地が売りに出されるという噂を仕入れた時から、でしたねぇ」

 え。

「最初はね、お付き合いのあった伯爵家がそんなに困窮していたのかとご心配したからだったと思われます。貴族の方々にとっては、先祖代々守り続けた土地を売るということは、魂を売ると同義だと仰って……」

 お付き合い……あったのですね。そんな事さえ知らなかったわ。でもそれは先代の、もしかしたら先々代のイディオータ伯爵の頃なのでしょう。わたくしが生まれる前の話なのかもしれませんね。

「ですが、詳細な報告を聞くたびに、面白がっておられました。伯爵家イディオータの若造は離婚するのか、最近の若い者は我慢を知らんなぁなどと仰られて。そして土地を売りに出しているのが離婚される伯爵夫人ご本人だと聞き及んだその日には、声を出してお笑いになったのです。『これからは女性も自分の権利をきちんと言うべきなのだ、かの夫人は世の女性の鑑となるべき逸材だな!』と仰ってましたよ」

 ……なんでしょう、いたたまれません……恥ずかしいお話でございます……

「そして先代のイディオータ伯爵への友情と、離婚なさる伯爵夫人の為にと、お隣の土地をお買い上げになりました」

 そんな、裏事情というか、お話があったのですね……。

「エミリア奥様。わたくし共は、エミリア奥様がこちらに嫁してこられた事、大変喜ばしく思っております。何よりも、大旦那様が生き生きとなさってます。お食事の量も、笑顔も増えました。エミリア奥様の為に、と言って外商を呼んであれこれご相談なさるお姿も久しぶりで、大変喜ばしいことです。その上、奥様がお喜びになるからという理由で乗馬までなさって! 大旦那様の健康の為にも、もっとお誘いくださいませね!」

 恥ずかしさが増しました……。

「奥様がご懸念のとおり、経験値の差は致し方ありません。過去にあったことも消せませんし、記憶の中にいる人と戦うことも出来ません。ですが、エミリア奥様。今、生きて、新たな思い出を、記憶を作り出している奥様が一番強いと、ファナは思いますよ」

「ファナ……」

「男は『最初の男』になりたがり、女は『最後の女』になりたがる、と言いますから……奥様は間違いなく、大旦那様の『最後の女』でございます。でもその『自分の最後の女』がこれからも色々な男の目に晒されると思ったら、男はどう考えるのでしょうね?」

「え?」

「……実は大旦那様の方が、エミリア様の未来に嫉妬しているのだと、ファナは思います。そうでなければ毎晩、あのような痕を残す真似、なさいませんものねぇ……多分、『最後の男』は無理でも『最高の男』になりたい、などとお考えなのでは……」

『最高の男』、ですか……。








※侍女頭のファナさん。サビオ家の生き字引なお人。大旦那様付きの執事・ハンスの妻なので、事情通です。
エミリア奥様の入浴後のお支度を担当。大旦那様以外で、唯一、彼女の肌をみる立場の人。

ファナ「いえいえ。この婆はもう目も悪くなりましたし、耳も遠くなりましたから」(にっこり)
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