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中編・元妻の心の内

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『いえ、わたくしの心配などなさらずとも、よくてよ? 子爵とはいえ、きちんとした実家がございますし、有能な兄夫婦が常にわたくしの心配をしておりますから。

 はい。
 了解しました。離婚致しましょう。
 ですが、サインの前に、婚姻契約書を持ってきてくださいまし。
 当然でしょう? これには離婚する際、財産分与をどうするかなどの取り決めがなされておりますもの。確認しましょう?』とね。

 そうしましたら、なんとも……ダンナ様の秀麗なお顔が苦い物でも召し上がったかのように歪みましてね。
 随分と赤いお顔になっていらっしゃいましたのは、激昂したのかも判りませんわ。
 わたくしが泣いて縋るとでもお思いだったのかも判りません。
 でもわたくし、生憎あいにくとそんな非生産的な行動が出来ない女なのです。端的に申せば可愛げがない、ということでしょうかね。

 テーブルの上に置かれていたお食事がすべて片付けられ、ダンナ様のご用意した離婚届が眼前に展開されましたわ。びっくり致しましたよ? 立会人のお名前欄、既に記名済なのですもの。勿論、ダンナ様のお名前も記名済でしたわ。どれだけ早急に離婚したいのか、そのお心内が推察できるというものですわ。

 わたくしがサインしたら、すぐにでも貴族院に提出されて離婚成立ですもの。

 それでですね、婚姻契約書を検分いたしましたところ、ダンナ様から言い出した離婚の場合、イディオータ伯爵家財産の半分をわたくしに贈与、となっておりまして。破格でございましょう? これ、わたくしの身を案じた上の兄がゴリッゴリに捻じ込んだ離婚時の条件なのですよ。王家肝煎りの縁談でございましたから断り切れずお受けいたしました。わたくしの能力的には大丈夫だろうと急かされるように嫁ぎましたの。そして『これだけ無茶な条件をつければ簡単に離婚などないだろう』と、兄は申してしたが……。

 まぁ、そういうわけで。
 ありがとうございます、すぐにでも離婚成立なさりたいのならば、現金化してお渡しくださいましね。そう申し上げましたらね、せっかくの美男だというのに、なんともまぁ、お顔を歪めて、
『お前のような冷酷な女と縁が切れて清々する、こんな嬉しいことはない、財産分与の方法は任せるから好きにしろ』
と言い捨てて、席を立って退室してしまいましたの。
 随分、お顔の色が赤くなったり青くなったりしてらしたから、心理的に負担がかかったのでしょうね。
 イディオータ伯爵家の財政、把握してらしたのかしらねぇ……。
 どうやらダンナ様は、その足で王都へ戻ってしまったようで。そのあとはお顔も拝んでおりませんわ。執事と弁護士とのやり取りで離婚が成立致しました。

 ダンナ様は鬼でも悪魔でもないらしいですが、ないがしろにされた女性は、鬼にも悪魔にもなれますわ。
 利益を出し始めた、先祖伝来由緒正しい土地を売りました。売って現金化し、きっちり伯爵家の財産分与として頂きました。残った土地はなんの収益も上げないところばかりですが、もうわたくしの与り知らぬことですわね。

 売却した先は、隣の領地のサビオ侯爵家、つまり、閣下のところですから、その辺りの内情はよくご存じでしょう?

 ……という、わたくしの5年間の結婚生活の顛末ですわ。
 如何ですか? 少しでも無聊ぶりょうが癒されました? 
 でも、そうですね。端的に申してもわたくしは悪女の部類に入ると思いますわ。
 なんせ、別れた男の悪口をこうまであしざまに他者に喧伝しているのですから。本当に賢く貞淑な淑女ならば、前の男の恥になるような事実、黙して語らず、なのが正しい姿なのでしょう?

 でもおあいにく様。わたくしに、そんな淑女はお求めにならないでくださいまし。こんな冷酷な悪女、どなたさまにも貰い手などつきませんわ。
 ですから、侯爵閣下。兄に、商業ギルド長に懇願されたからと言って、その妹を娶る必要などございません。例え後妻とはいえ、こんな悪女を娶ったら閣下のお名に傷がついてしまいますわ」

 わたくしはそう結んで、長い長いひとり語りを終え、紅茶で喉を湿らせました。薫り高いお茶も、冷めてしまえば賞味に足るものではなくなります。

 ちょうど、離婚された今のわたくしのように、ね。



 おせっかいで心配性の兄がセッティングしたわたくしの二度目の嫁ぎ先は、なんとサビオ侯爵閣下の後添えでした。サビオ侯爵家と言えば、建国当初からの賢臣で、王家の姫君が降嫁された事もあるという由緒正しい家門です。

 そうね。
 先方の都合と王家の肝煎りということで断れなかったとはいえ、父を早くに亡くしたせいもあって、少々ファザコンの気があるわたくしならば丁度いいだろうと思われた結婚が、あんな形で終わりを迎えましたもの。次は更に年上の方になってしまうのは、致し方ないのでしょう。

 そもそもが、離婚歴がある女性なんて、後添えにはうってつけですものね。

 でも無理に結婚など、もうしたくないのです。
 前の結婚では、結婚式当日が初顔合わせ日、などという暴挙でしたからね。まぁ、あちらは財政難を解消する為。裕福な子爵家の小娘と結婚したのですが。

 ダンナ様……いえ、もう離婚したからお名前でお呼びしないと失礼ですわね。クルス・イディオータ伯爵様は、熟女趣味の方でしたからねぇ……。遠く離れた領地にいても、噂くらい届くもの。彼が常に夜会に同席させていた女性の傾向くらい、把握しておりましたわ。
 10も下のわたくしは『小娘』だし、食指も動かないってものでしょう。

 こちらもね、5年も放置されたら淡い憧れ(お顔だけはよろしかったからねぇ)も醒めるってものですよ。末永く添い遂げます、なんて誓ったあの日を返せってもんです。

 まぁ、そんな訳で再婚になるならせめて、お相手と話してから! と兄に直訴したら設けて貰えた面会の場で。

 君は、私の後添え、という事になるが、前の夫に未練はないのか、と訊ねられたので答えました。
 ぶっちゃけ過ぎて、引かれてしまったかもしれません。
 でもそれで丁度いいと思います。
 わたくし、こういう女ですもの。
 もう猫を被る必要もありません。
 淑女でいる必要もありません。
 わたくしという女の性格を知って頂いて、再婚話が立ち消えになっても構いません。いえ、むしろその線を狙っている感がなきにしも非ず……。


 サビオ侯爵閣下は50になったばかり。そう言えば、正確には『前侯爵』閣下なのだわ。侯爵位は既にご子息に譲られているのだとか。

 目尻の皺が好ましく感じるのは、亡き父を思い出させるからでしょうか。
 にこにこと人当たりのいい閣下。わたくしの話を、その穏やかな瞳で、優しい表情で、興味深いご様子で、全部聞いてくださいました。

「君が悪女? 出来の悪い冗談だね」

 なんて仰って穏やかに笑うお顔が、とってもダンディで素敵……。

 ……彼となら穏やかに暮らせそうです。

 あら、いやだ。もう結婚なんてしたくないと思っていたのに、閣下ご本人を拝見したら、とても好ましいお方でいらっしゃる……。

「色々と苦労したのだね。これから先、君の希望はあるかい? やりたい事、行きたい場所、なにかあるだろう? 出来うる限り、叶えてあげよう」

 まぁ。
 閣下はスマートなのに、太っ腹なことを仰います。長い脚を組み替えるさまがさり気なくて嫌みがない。逆に凄いわ。
 これは、あれですか。破談ではなく、再婚話はつつがなく、というやつですかね。

 猫をとっぱらったわたくしの話を聞いても、顔色を変えることなく、むしろ最初にご挨拶した時より親し気な雰囲気になってしまった感が、なきにしも……。

 どうしましょう。この際、閣下のお手を取ってしまった方が、後々のわたくしの為になるのかもしれません。

 折角なので、わたくしはふたつ、ドン引き覚悟でお願いごとをしました。

 ひとつはイディオータ伯爵家から買い上げた旧領地の領民たちの今後。
 彼らとは一緒に苦労したのですもの、今以上の税率にならないよう配慮して欲しいと。売却条件として、領民の税率は変えないよう提示しましたが、閣下がその約束をいつまで守ってくださるか、わたくしには未知。割と、平民相手には血も涙もない、そんな領主の方が多いのです。しかも女のくせに意見などして生意気だ! と仰せでもおかしくはないのです。

 ですが、閣下は鷹揚に頷いて「心得た」と仰っただけ。なんてお心の広いお方なのでしょうか……。

 そして、もうひとつは……。

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