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9.その後のわたし

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 ◇ ◆ ◇



「それでそれで? 旦那さんは素直にサインしてくれたのか?」

 なんだか興奮したようすでわたしに話しかけるのはラウロ・リグット。
 わたしが興した事業の共同経営者。
 もともとは、帝国で一躍名を馳せた新人ながら凄腕の商人だ。

「素直というか……しぶしぶ? してくれたわよ、サイン。強面の騎士団長と鋭利な刃物みたいな表情の副団長に左右から圧をかけられてね」

 そう。
 しぶしぶながらもサインをしてくれたのよね。

 副団長さまが、

「本来ならば、ジュディさんがお貸しした金額をキサマが返済するのが筋というものでは? それをなしにしてくれるという温情のある今、サインをしたほうが身のためだと思うぞ」

 と冷たい笑顔で右側から言えば、団長閣下も左から

「彼女の実家であるローズロイズ商会の金融部門にこの話が知られたら……キサマの実家などすぐに不渡りだして潰れるか、関係各所が手を引いて自滅する道がありありと見えるぞ」

 と、目が据わったままのコワイ笑顔で囁いて。

 涙目でわたしを見た夫は、知っている限りで最高に情けない顔をしていた。
 心の底から納得したわけじゃないけど、了承サインしないとこの状況から解放されないって思ってる?
 たぶんそれ、大正解ね。二年まえ、わたしもその気持ちを味わったわ、ダンナサマ。

 わたしは笑顔のまま離婚届の用紙を差し出した。

 夫は震える手でペンを取り――。



 団長さまたち。
 本当にありがとうございました。
 おかげさまで、早々にサインをしてもらいましたもの!


 そのサインされた離婚届を受け取ったわたしは、その日一番の笑顔で団長と副団長にお礼のことばを述べ、その足で役所に提出した。

 わたしは「ジュディ・キャンベル」から「ジュディ・ガーディナー」へと名を戻し、すぐさま少ない荷物(結婚するまえに母からもらったペンダントとわたし名義の口座の証明書類だけ。あとはぜんぶ前夫が購入したものだから、わたしには不用品)をひっつかみ一度は実家へ行った。
 けれど、その日の晩にはこのペルマネンテ帝国へ向け旅立った。
 闇雲に出奔したわけではない。家族に事情を説明し、実家が経営しているローズロイズ商会の帝国支店へ身を寄せたのだ。
 生まれ育った国とはいえ嫌気が差したせい。元夫がすぐそばで生活をしていて、彼と同じ空気を吸っていると思うだけで……もうね。我慢できなかったのよ。

 両親や兄たちはわたしのために怒ってくれた。それだけで嬉しかった。
 あと数日したら元夫が復縁を要請してくる可能性があるから彼を追い返してほしい、わたしの行き先は知らせないで、とお願いした。
 兄たちは『キャンベルの名を名乗る者への報復は任せろ』なんて物騒なことを言うから、法は犯さないよう釘を刺した。
 義姉たちにもひどく心配されたけど、定期的な連絡を取ることを条件に、出国を了承させた。

 心機一転。新しい土地で新しい出会いのなか、わたしは再起を図った。
 もう男にうつつを抜かしたりなんてしないと誓い、幼いころから目指していた商人としての道を邁進した。
 ローズロイズ商会の帝国支店を増やし、なんとか役に立っていると自負できるまで三年の月日を要した。
 いつのまにかわたしは二十七歳になっていた。

 心細い夜とかうっかり物悲しくなったりした日もあったけど、現状の自分に後悔はない。



 ◇ ◆ ◇



「そうか。……ジュディが恋愛はこりごりだっていう理由……予想してたけど、納得できるな」

 ラウロが眉間に皺を寄せながら渋い顔をしている。

「いやでもさ。男が全員浮気性ってわけじゃないじゃん? その、騎士団長さま? 伯爵の。彼は妻一筋の愛妻家だって言ってたじゃん?」

「あぁ、そうね。でもあの方のようにできた男はまれよ。ま・れ。たいていの男はハーレム願望があるんだから」

 わたしがそう言うと、ラウロは情けなく眉毛を下げた。

「俺、そんな願望ないよ? 好きな子はずーーーーーっと好きだし、その子しか好きになれない」

「あぁ……ラウロは……。うん、ごめん。たいていの男だなんて括り方は、悪い言い方だったわね」

 ラウロ・リグットは、帝国に来てから知り合ったわたしが信頼する数少ない男性のひとり。
 そういえば出会ったころに言ってたわ。ずっと片思いしていて婚期を逃した、とかなんとか。
 たしかわたしよりひとつ上の二十八歳、だったはず。
 男性でも二十五~六歳には初婚を迎える風潮がこの帝国にはあるから……ちょっと珍しいタイプかも。

 彼はそこそこ顔は整っているし背も高い。清潔感もあるし、振る舞いが粗野、というわけでもない。(マナーにうるさい貴族女性から見れば……粗野かも?)
 女性が嫌悪感を抱くような人物像からは、遠いところにいる人だし、年収もあるしなにより話をしていても嫌味がない。
 結婚相手としては申し分ないと思うのだけど、彼の周囲に女性の影はない。
 それほど片思いしていた人とやらが忘れられないのかしら。あるいは理想が高い?

「共同事業を始めて一年以上も過ぎたし、俺のひととなりは理解したよな?」

 うんうん。
 わたしは黙って頷いた。

「じゃあ、俺の情けない過去も暴露しちゃおっかなー。だれかさんは友人の話だーとかごまかして言ってたけど、俺のは嘘偽りのないマジもんだよ」

「ん?」

 ラウロがちらりとわたしに流し目を寄越したあと、ふわりと笑った。
 どこか、懐かしい思い出を愛おしむような……温かい瞳で。

「あのな。俺の初恋は十七歳のとき出会ったひとつ年下の女の子。その子のことがずーーっと好きで忘れられなくてさ。
 俺ね、もともとはこの帝国の属州の片田舎でレース編みの職人だったんだ。
 そんな俺が作るレースを遠い国の商人が取り扱ってくれるって聞いて……どんな人が俺たちの作る商品を扱うんだろって好奇心が湧いて、商人と一緒にその国へ行ってみたことがあるんだ」

 ラウロは一旦ことばを切ると、手にしていたグラスのワインに口をつけた。

「有名な商会のお嬢さんが、俺たちの乗った荷馬車を出迎えてくれた。なんと、王都の外壁の大門で待っててくれたんだ。キラキラした瞳で俺の作ったショールを大絶賛してくれた。“こんな素敵なお品を作れるなんて、なんて素晴らしい才能なの”ってべた褒めしてくれた。嬉しくて……ものすごく嬉しくて」

 あら。
 大門で荷馬車を出迎えた商人のお嬢さんって、まるで十年前のわたしのことみたい。

「そのお嬢さんに、一目惚れしたんだ。俺」








※次話、ラウロ視点
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