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Ⅱ
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しおりを挟むこんな僕は嫌だから、やめてしまおう。
やめよう、やめようこんな僕は。
やめてしまおう。
そう、やめてしまえば、僕は僕をやめてしまえば、僕という存在は境界線を失って、残るのはこの、彼の体温だけになる。それでいい、一回やめさせて。一回だけでいいから、やめさせて、この人の匂いと体温と温もりに酔いしれさせて。
そしたらすぐ戻るから……!
目が覚めたら真っ暗になっていた。起き上がってカーテンの開け放された窓を見たら上弦の月がすごく高いところまで昇っていた。
部屋には僕しかいない。物音も光もない。僕は終わりゆく地球にたった一人取り残された人間のような気持ちになった。今まであったこと全てが塵となって崩壊していく世界の狭間に取り残される。あったこともなかったことも僕だけが取り残されてしまった世界ではなんの意味も持たず、過去は幻想であったとしても現実であったとしてもその存在を裏付けてくれる人は誰もいない。
僕は泣きたいくらい寂しくなった。
昼間にあったはずの過去を思った。
昼間にあった出来事は過去ではなくて、僕が作り出した空想なのかもしれないと思った。
きっと夢だったんだな。だってありえないくらい非日常的だったし。
寂しさが詰まった部屋で僕は夢での出来事を思った。ベッドの上で膝を抱えてうずくまる。そしたら、僕、やだな。
こんな普通じゃない夢が、現実であればいいのに、って、思った。
翔とノエルに会いたいって、思った。
それにしたって僕、一体いつから寝てたんだろう? マダムは大丈夫かな、今何時だろう。夜ご飯作らないと、って思ったらだんだん気持ちが覚醒してきた。
現実が僕を励ますように覆い被さってくる。いい感じだ。あんな夢みたいなことは忘れてしまったほうがよい。
少し体がスッキリしている。いい感じ。
扉を開けて薄暗い廊下を出たら、はす向かいのマダムの自室の扉からは光は漏れていなくて、代わりに僕の部屋の前の扉から、光が漏れていた。
なんでだろう。この部屋は空き部屋なのに。掃除はちゃんとしていたけれど……マダムが模様替えをしてるのかな? こんな日の沈んだ後に? 変なの、と思って二、三近づいて、扉を開けようとしたら、向こう側から声が漏れてきた。
誰かと会話しているみたい。
「何が一番美味しかった?」
優しくて、静かなのに明るくて爽やかな声だった。
夢で聞いた声だ。
心が強く揺すぶられる、強烈に惹かれる声だった。
「ケーキ!」
子どもの声だ。調子が元気で、聞いているだけでこそばゆい気持ちになる。
「ええ? いちごのジュースは」
「うん、いちご!」
「どっちだよ」
苦笑交じりの声が優しい。子どもの声が、カケルは? と問いかける。
カケルは。
「俺? 俺は……そうだなあ……うーん……クッキーも美味しかったし、マドレーヌも美味しかったし……でもアップルパイが美味しかったかな、一番、コーヒーにすげえ合ってたし、甘さも控えめで食べやすかったかなあ……てかコーヒーが美味かった、本当のコーヒーの味を知った気がする」
「うさぎのノエルどっかいった」
「話を聞けよ、お前が話振ったんだぞ、俺にさあ。なんで真面目に答えた俺が恥ずかしい気持ちになるんだよ」
うさぎならここにいるだろ、の後に、笑い声。少し間があって、なだめるような落ち着いた声が聞こえてくる。
「さあもうおやすみ……月があんなに高いよ、夜だ。夜は寝る時間だ」
「やだ、えほん!」
「もう3冊も読んだだろ」
「わかった」
「物分かりよすぎ」
心臓がどきどきした。内臓が口から全部出るんじゃないかっていうくらいばくばくしている。
夢じゃなかったの?
僕はしばらく現実が本当に現実なのかどうかを起きたての頭で吟味した。
抓ったほっぺは痛いので、多分これ現実だ。
僕は扉を開けずにはいられない。ドアノブに手をかけた。
だけど捻ることができない。
幻聴だったらどうしよう、って。無人の部屋を目にした時、僕は発狂してしまうかもしれないと思った。
「どうしておとなは、よるにねないの?」
眠そうな声だった。
そうだなあ、と声がする。
「眠くないんじゃね?」
「ノエルもねむくない」
「嘘つけ、眠いよ、ぱちぱちしてんじゃん」
「ぱちぱちしてない」
「いや手じゃねえよ、目がだよ」
お前馬鹿だな~と、すごく愛しそうな声色が聞こえてきた。
「やることがたくさんあるんだよ、きっとね」
「やること?」
「あとおばけも怖くないし……」
「ノエルもおばけこわくない」
「じゃあ大人じゃん」
「もう5さいだから」
「5歳って大人なの?」
「うん」
「初めて知ったわー、じゃあもう本当に寝ろ」
「とんとんして」
「えー? 大人なのに? しょうがねえな、特別だぞ? じゃあ、代わりに目を閉じて……」
僕はたった一人で扉の向こうにいることに耐えきれなくなった。
もう幻聴でもいいからと、ドアノブを静かに引く。
いるはずのノエルの眠りを妨げてしまわないように。
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