DEAR ROIに帰ろう

紫野楓

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「優月、この町にいちごのジュースを置いてる店ってある?」

 自動販売機から五百円玉を取り出して、こっそり黒うさぎのポシェットに戻した翔が僕に向かって、優しい静かな声で言った。

「あるよ」

「本当?」

「僕の帰るところに」

「え?」

「喫茶店なんだけど……マダムの作るいちごのジュース、すごく美味しい、んだ。白萩の中心地の、路地裏にあるんだけど、DEAR ROIっていう、喫茶店で……その、普段はコーヒーと紅茶を出してて、でも良い果物が手に入ると、マダムが飲み物にしてしまうんだ……だけど、僕今『お使い』中で、羽黒町のお菓子屋さんに行かなければならない、けど、そ、それが終わった後なら案内できる、と思う」

 翔に名前で呼ばれた僕はどういうわけかやけに饒舌になっていたけど、壊れかけの音声機械みたいにぎこちない喋り方になってしまう。本当はこんなんじゃないのに。もっと普通のこと言えるのに、変に思われたらどうしようと思うとイヤな汗がこめかみから流れてくる。意味分からないどうでもいいことを言ってしまっているような気もする。

 でも翔は、そんな僕のくすぶりを吹っ飛ばすような笑顔を向けるんだった。僕の熱のこもった頭に軽やかに吹き抜けていく笑顔が涼やかで爽やかで頭が痛くなりそうだった。

 すごくくらくらする。僕だけが慌ててる。馬鹿みたい。

「ありがとう、じゃあ……ついていってもいい?」

 嘘。どうしよう僕、心臓が破裂して死ぬかもしれない。だけどノーとは言えなかった。

 ……言いたくない、って思った。

「うん、もちろん、だけど……ノエルくん、我慢、できるかな」

「それは大丈夫だと思う」

 根拠が分からなかったけど、翔の腕の中でうとうとし始めているノエルを見て、なるほどって思った。さっきまであんなに元気だったのに、と僕は思う。子どもっていいな。

 僕にもこんな時代があったのだろうかと思う。もうノエルくらいの歳の頃の記憶はない。ない、というか……思い出したく、ない。僕は周りにどんなふうに思われていたんだろう。

 あまり考えたくなかった。

 翔はノエルを抱きながら器用にデニムジャケットを脱ぐと、それをノエルにかけてあげた。僕は翔に、寒くないの? って馬鹿みたいなこと聞いてしまう。翔は寒くない、とさして強がっているようすもなく言っていた。彼は風邪引くなよ、とノエルに呟いて、僕に行こうか、と言った。

 僕らはノエルの刺激にならないようにゆっくり坂のほうへ歩き始めた。

 並んで歩くと、翔は僕より少しだけ身長が高いようだった。見上げるくらいじゃないけれど、目を合わせるのに真横ではちょっと角度が足りないくらい。

「二人は兄弟なの?」

 歩きながらくだらない質問をする。もうそろそろ心が落ち着いて人間のように喋ることができるようになってきた。翔が僕を面白おかしそうに見てくる。僕は目を合わせ続けることができない。たどたどしい人って思われているかもしれない。

 だけど、翔は、こんな僕にも平然と眩しい笑顔を向けてくれる。

「似てるように見える?」

「ううん、全然似てない」

 だろ、と翔も笑う。

 でも、兄弟じゃなかったらなんだっていうんだろう。

「こいつとは紫針しはり駅で会った。今日初めて」

「今日初めて?」

 僕は驚いて少し声を荒げてしまった。

「駅で会ったんだよ。電車に乗りたかったみたいで、声をかけたら『ヒメに会いに行きたい』って」

「……ひめ?」

 僕は訝しげに半分眠っているノエルと翔の顔を覗き込む。

 翔は苦笑した。

白萩しらはぎ駅まで行きたいって言うし、親には内緒って言うし、じゃあついていこうかなあ、って。放っとけなかったし」

 白萩駅っていうのはここから一番近い駅のことだ。それでもだいぶ距離がある。駅についてから突然駆け出したノエルを見失ってしまって、今に至るらしい。僕に話しかけてくるまで、ノエルはずっと一人だったようだ。ずいぶんな大冒険をしている。そりゃあ疲れて眠くもなるよなあ、と翔の腕の中で眠り始めたノエルを見ながら思った。

 だけどもし、ノエルが紫針駅で出会ったのが僕だったら、この少年はきっとここにはいない。

「駅員さんに預けるとか、警察に行くとかのほうがよかったんじゃない? なんだか……その……」

 僕は翔のことを『翔』と呼ぶことができなくて言い淀む。

「普通じゃ、ない」

 自然と出てきた言葉だった。普通じゃない。そう。この二人は。

 普通じゃない。

 僕とは百八十度、何もかもが違う。

 でも責める気にはならなかった。むしろ僕は翔を責める人がいるなら翔の味方になるだろう。だって今、疲れて電池が切れてしまったように眠っている少年をこんなに大切そうに抱いている人間が、なにか悪事を働こうとしているなんて、少しも思えないから。

 翔はすべて分かっていたような顔をして苦笑した。

「そうかもね、それが現実的な選択肢だったろうと思う。今頃こいつの両親は血眼でこいつのこと捜しているかもしれない」

 僕は血眼になってノエルを探すノエルの両親のことを想像してとてもいたたまれない気持ちになった。僕らがやっていることは、普通じゃないかもしれない。背中がぞわぞわする。

「でも、探してないかもしれない」

 翔が一瞬にやりと笑って話を続けるので、僕は考えるのを一端やめた。

「ノエルが自分の意思で行きたいって言ったんだ。そりゃあ、泣いて親を探していたら、俺だって普通に駅員に預けていたかもしれないよ。でもノエルは違った。『ヒメに会いに行く』と言って聞かない。だから、その手伝いをすることにした」

「だけど色々悪い方向に誤解されたら……」

 僕は翔をひたすら心配するように言った。僕の気持ちが届いたのか知らないけど、翔はさっきまでと同じように苦笑するだけだった。

 黒眼鏡越しの彼の優しそうなきりりとした目は少しも揺るがない。少しも迷ってない。少しも後悔してない。こんなに普通じゃないことをしているのに。

 自分が間違っているなんて少しも思ってないみたい。不安も、焦りも、後悔もない。

 この人は。

 この人は、眩しい。




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