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36 夜の森とデート

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宿は町に入ってすぐにあるらしい。グレンノルトが予約を取りに行ってくれたので、俺は町の入り口の門のところで休みながら彼を待った。時間にして、15分くらいだろうか。夜が近くなり、人が多くなり始めた通りから、フードを被ったグレンノルトが戻って来た。

「お待たせしました。すみません、道が混んでいて時間がかかりました」
「大丈夫です! おかげでちょっと休めましたし」
「なら良かった。森までは、町の西側から出て向かいます。そこまで歩きませんから」

 グレンノルトが「行きましょう」と言って、俺たちは歩き出した。

 *

 夕陽も落ち、辺りが本格的に暗くなってくると、グレンノルトは荷物からランタンを取り出し、道を照らした。

「足元、気を付けてくださいね」
「はい。あ! あれが大樹のある森ですよね!」

 温かなオレンジの明かりに照らされた道、その先にようやく目的地が見えてきた。約1日をかけてやってきたからか、目的地に辿り着いていないのに、見えただけでもちょっと嬉しい。

「あれ? なんか森の方、明るいような……」
「あ、あはは……まあまあ。とりあえず、行ってみましょう」

 グレンノルトは分かりやすく困ったような表情で笑った。そう言えば、森に辿り着く時間が夜のことを聞いたときも意味ありげな反応をされたな……俺はもう一度、森の方を見た。

(多分、行けばすぐに分かることな気がするな……グレンノルトが隠してること)

 このまま歩いて行けば、5分と経たずに森へとたどり着くだろう。きっと、グレンノルトの変な態度の理由もすぐに分かることだ。ならば、今はあまり気にしないことにしよう。俺はそう思い、変な態度を取るグレンノルトと一緒に森へと向かった。
 辺りが暗闇に包まれる中、近づけば近づくほどに、森の明るさは良く分かった。人工的な明るさではないが、ではなんだろうと不思議に思いながら森へと立ち入る。そして1つの丸い光が俺の手元にふわりときて、どこかへと飛んで行った。明かりの正体は、ぼんやりと光る虫たちだった。

「これは……蛍ですか」
「私たちは、スターバグと呼びます。昔の人間が、この虫たちこそ空から降って来た星屑だと考えたとかで、そう名付けられました。大樹があるせいか、今の季節この森に集まってくるんです」
「へぇ……すごい、きれいですね!」

 水のきれいな場所に蛍は集まってくると聞く。もしかしたら、この世界のスターバグも同じ特徴を持っていて、大樹があるこのきれいな森にやってくるのだろうか。スターバグは、突然やって来た俺たちに驚くこともしなければ、気にすることもなく、ふわふわと自由に飛んで夜の森を照らす。時計塔から見た光景が感動で息をのむ美しさだとしたら、この光景は夢でも見ているかのような幻想的な美しさだった。

「この前の、ムーンフラワーを話したときのこと、覚えていますか?」
「ムーンフラワー? 確か……ひまわり、サンフラワーを調べたときに一緒に出てきた花ですよね」

 俺が以前のことを思い出しながらそう答えると、グレンノルトは「そうです」と頷いた。

「あのあと、気になってムーンフラワーについて少し調べてみたんです。しかし、珍しい花のため見ることが難しく……そんなとき、この森のスターバグを思い出しました。あなたと、ぜひこの光景を見たいと思ったんです」

 その後、俺たちは大樹のある森の奥へと向かって行った。グレンノルトが言うには、大樹の新芽を見るというのは口実で、本当はスターバグを見に来たわけだから、大樹を見ても面白いことはないらしいが、ここまで来たんだからせっかくだから一目見ておきたい。スターバグのおかげでランタンを使う必要がなくなった森の中を、俺たちは並んで歩いた。

「これが大樹ですか! 大きいですね……」
「確か、樹齢は1000年を超えるはずです。新芽は上の方にあります。見えますか?」
「うーん……ちょっと見えませんね」

 大樹は見上げるほど大きく、枝も多いのだ。上の方に生えてきた小さな新芽なんて下からでは見えない。ちょっと残念だけど、立派な大樹をみれただけでも満足だ。俺とグレンノルトは大樹の根元に座り、もう少しこの光景を楽しんでから宿に戻ることにした。

「そう言えば、ホタルというのは何ですか?」

 さっき俺が口にした言葉だ。俺は説明していなかったと思い、「俺の世界にいた、スターバグに似た虫の名前です」と答えた。

「夏の風物詩の1つで、きれいな森や川に集まるんです。お尻を光らせて、飛び回る不思議な虫ですね」
「へぇ……スターバグは体全体が光ってますが、確かに似てますね。聞きなれない響きの言葉だったので気になったんです」

 この世界は、どこかヨーロッパに似た雰囲気を持つ。そんな世界では、確かに日本の言葉は聞きなれないか。俺は試しに木の棒で地面に漢字で「蛍」と書いた。

「俺がいた国は、平仮名・片仮名・漢字の3種類の文字が使われてました。これが漢字の蛍、これが片仮名のホタル、こっちは平仮名のほたる」
「文字の使い分けをしていたんですね。この、カンジは他と違って複雑な形をしてますね」
「確かに、平仮名や片仮名と比べて漢字は複雑な場合が多いですね」

 俺は続けて地面に「向日葵」を書いた。

「これは、前に話したひまわりを漢字で書いたものです。『日』を『向く』で、最後の文字は確か太陽に向かって咲くみたいな意味だったような……」
「なるほど、文字や文字の並びに意味も込めてるんですか」

 俺は、子どもに教える教師の気持ちになってきた。今までずっと誰かから何かを教わるばかりで、自分が誰かに何かを教えることが久々だったからかもしれない。俺は、このやり取りがだんだんと楽しくなっていった。グレンノルトが「他にカンジはないんですか」といい反応を返してくれるのも良かった。

「トウセイの名前はカンジでどう書くんですか?」
「俺の名前ですか? 俺の名前は……」

 俺は「冬」と「晴」の文字を地面に書いた。なんだか漢字で自分の名前を書いたのが随分久しぶりな気がした。

「『冬晴れ』と書いてとうせいと読みます。なんでも、俺が生まれた日がすごく天気のいい冬の日だったらしくて……実は、ちょっと好きなんです。自分の名前」

 理由は上手く言えないけれども、俺は自分の名前が好きだった。とくに冬の天気のいい日、冷たい空気を吸いながら穏やかな空を見上げたときなんかは、こんな気持ちのいい日に俺は生まれたんだと誇らしいくらいだった。
 
「私も好きです、あなたの名前」

 グレンノルトが静かにそう呟いた。お世辞でも嬉しかった。そんなふうにぽつりぽつりと話しながら、俺たちは並んで幻想的な夜の森を楽しんだ。
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