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入学初日の婚約破棄!
口では乞えない
しおりを挟む心配顔の教師たちから離れ、入学式までに心を落ち着けようと並木の奥に向かう。
小屋が見えなくなるまで離れたところで震えが激しくなった。
抑えられず近くの木に手をつき呼吸を整え……、ようとして失敗する。
「ふ、ふふっ……。
はははっ、あははははっ!!」
大声で笑いだした私を見つめる従者の顔も笑っていた。
「ふっ、ふふふっ、笑いすぎですよ」
「だって、見たか?
あの間抜けな姿!」
ぐしゃぐしゃに乱れた髪に中途半端に引っ掛かったズボンで慌てふためく姿!
教師に問われて青褪める顔や女性が関係を持ったきっかけを口にしたときの醜い態度、実に笑わせてくれる。
「お嬢、笑いすぎですよ。
淑女のすることじゃありませんよ?」
「ああ、今この格好のときくらいはいいだろう」
少しくらい羽目を外したって。
淑女なら大声で笑うのをはしたないとする風潮もあるが、男子の制服に短い髪の私は淑女には到底見えないだろうから。
「しかし入学式前に片がつくなんてね。
あの下半身の緩さに感謝をする日がくるとは」
少し考えればリスクが高すぎるとわかるだろうに。
まあ、普段人が訪れる場所ではないからの油断なのだろうが。これまでも見つかることはなかったわけだし。
迷い込む新入生がいたから明るみに出てしまった、と。
不運なことだね。
「しかしこんなに早く片がつくのなら髪まで切らなくても良かったのに……。
もったいない」
うなじへ手を伸ばし短くなった髪を梳く。
「もったいなくはないだろう。
ちゃんとカツラも作ったし」
入学にあたって男子に見えるよう、背中まであった髪をばっさりと切った。
ルークは反対していたけれど、万が一にもデイガルドに気づかれたくなかったので押し通した。
切った髪はドレスを着る必要があるときに困るからとカツラにして、学園にもちゃんと持ってきている。
「ルークは長い方が良かった?」
この姿もそれなりに気に入っているので似合わないと思われているのなら残念だ。
「……短い髪も似合ってますが」
でも不満そうだな。
怒らないから正直に言えと伝える。
「お嬢の髪を結うのが俺の楽しみの一つだったので」
髪を梳いていた手が後頭部から耳の裏を撫でる。
ぞわっとした感覚に一歩離れると、ルークの口元が妖しく弧を引く。
なんとなく身の危険を感じ、もう一歩後ろに下がる。
「結婚式はカツラですかね」
「それまでには伸びるんじゃないか?」
「何年待たせる気ですか」
俺はもう待てません、と見下ろす深紫の瞳が暗く翳る。
本来なら私の婚約者はルークだった。
今年18になる私は、普通に学園に入学していたらあと一年後には結婚する予定で。
それが叶わなくなったのは、領地を襲った災害のため。
水害で流された食料を賄うために隣接するデイガルド侯爵家に援助を申し入れるしかなかった。
援助してもらったお金は何年かで返せる見込みはあった。
けれど、後ろ盾の薄い私だけでは返却に不安があるとして令息と婚約を結ぶよう求められた。
女癖の悪さで有名だった息子の伴侶が得られ、上手くすれば伯爵家も手に入るかもしれない。
そうすれば返却が滞ったとしてもデイガルド侯爵家に損はない。
断りたかったが、断れば他へ食料を回すと言われては了承するしかなかったのだ。
ルークには申し訳ないことをしたけれど。
「やはり恨んでいるのか……?
お前を裏切ってデイガルドと婚約を結んだこと」
それなのにルークはずっと結婚もせず待っていてくれたし、今でも変わらず側で助けてくれている。従者に身をやつしてまで。
だから甘えているとわかっていて、頼りにしていた。
領地の立て直しに奔走したことと、領地にいても耳に入ってくるほど性に旺盛な婚約者の様子に、下手に近づかない方が良いとの判断から入学を2年ずらした。その間もずっと側で助けてくれた。
手を下ろしたルークが悲しそうに眉を下げる。
「俺が恨んでいるとしたら、あなたではなく……。
あなたらしさを奪ったデイガルドですよ」
頬を包む大きな手の平の感触に懐かしさと安堵を感じる。
男物の服に身を包み、女性らしいメイクを止めたのはデイガルドと婚約を結んでから。
女好きと名高い婚約者から自分の身を守るために作り上げた虚構の姿だった。
「少女から大人の女性へとますます美しさを増していくあなたを側で見守るのが俺の楽しみだったのに、それを奪われたことが悔しいです。
今の姿がデイガルドのために作られたというのも気に入らない」
声に含まれた本気に笑ってしまう。
この格好を始めたときは男避けになって良いと言っていたのに、強がりだったらしい。本音も混じってはいたようだけど。
言葉にするのもずっと我慢してくれたことに胸が締め付けられた。
やっぱり私はルークに甘やかされ、大事にされている。
デイガルドとの婚約中に今のようなことを言われたら、後悔で動けなくなったかもしれない。
婚約を破棄するために戦うことすら。
側で支えてくれたルークの存在がどれだけ大きかったのか思い知る。
ぽすっと額をルークの胸に当てる。
ごめんとは言えない。だって、過去に戻っても同じ選択をするだろうから。
代わりに子供の頃のように頭を押し当てながら両手で抱き着く。
昔、こうしてよくルークに抱き着いていた。
褒めてほしいときや慰めてほしいとき。
それから……、許してほしいとき。
沈黙の後、頭に手が乗せられる。子供の頃そうしてくれたように。
大きな手で頭を撫でながら背中に回したもう片方の手で抱きしめてくれる。
「いえ、過去のことばかり言う男はカッコ悪いですね。
こうしてあなたは俺の腕の中に戻ってきた、それでいいです」
ルークがぽんぽんと背を撫でる。
顔を上げるとルークの瞳からは複雑な色が消え、悪戯な色が宿っていた。
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